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リアクション
ほおをなでていく向かい風に。
「うーん。いい風です」
東 朱鷺(あずま・とき)はすがすがしい思いで目を細めた。
「もう秋なのですねえ」
あの夏の熱気をはらんだものとは全く違う、どこかひと筋冷たさの混じったそれを存分に肌で感じ取る。
風を読み、自然を感じ、大極を読む。それもまた、陰陽師だ。
「おっと。いつまでもこうしてはいられません。先を急いでいるのでした」
自省するようにひとりごちて歩き出す。
やがて朱鷺は公園で、パンツ1丁で噴水の像にはりつけにされた1人の男と出会った。
「おや? どうされたんです?」
特段驚きもせず近寄って男を見上げる。
それは七刀 切(しちとう・きり)だった。
「これはお恥ずかしいところを見られちゃったねえ。実は…」
切は語った。自分の前世は貝だったのだと。
深い海の底で砂を吸い込み、砂を吐き出す日々。
それで、貝だったときの気持ちを思い出して、ここでその穏やかさに浸っていたのだという。
「太陽や空、風のことを知らないままだったけど、ああこんなにもまぶしくて暖かくて、気持ちのいいものだったんだなあ、って」
「そうですね。自然はとても偉大な存在です」
うんうんと朱鷺も同意する。
だから女性を見ても。
たとえそれが服を引き裂かれている女性であっても。
超ビキニな女性であっても。
ほとんど半ケツ状態の縄文人スタイルの女性であっても。
彼は心穏やかにすごしていた。
なにしろ貝だから。
「だけどそうしていたら、天使のじいちゃんが現れたんだ」
「おじいさまですか。とするとそれも?」
「ええ。貝です」
ワイが生まれる直前、漁船の地引網で引っ張られて行ったじいちゃん。二度と戻らなかったという。きっとどこかの国のどこかの家庭の食卓を彩ったのだろう。「おいしい」と言われて食べられたに違いない。決して水族館かどこかで魚のエサになったわけじゃないと、父も母も小さな子貝の息子に繰り返し聞かせてきた。
そのじいちゃんが、天使の羽を背中に、空から降る一条の光のなかを舞い降りてきたのだ。
「一度も見たことがなくても、ワイにはすぐ分かった。ああ、あれはじいちゃんに違いないと。じいちゃんは俺に会えてうれしそうにほほ笑んでた…」
「……貝なのに?」
「そして言うたんよ。目の前の女性を見て美しいと思っても、パンツを見て興奮してもおかしくないって。せっかく人に生まれ変わったんだから、パンツは足元にスライディングしても見るべきだ、蹴られるのはご褒美だって」
「貝なのに?」
――っていうか、それクドでしょ。
「ワイは言ったよ。でもスパッツ派なんだ、って。そしたら「だまれ若造」って。「まだそれはおまえには早い。黒タイツもスパッツもトレンカも、まずパンツ道を極めた者が口にしていい嗜好だ」って」
「……なるほど」
だんだんついていけなくなってきた感はあったが、それでも朱鷺はあいづちを打った。
「それで、それに従って行動したらはりつけにされてしまったというわけですね」
見れば、はりつけになった切はかなりボコられていた。
「そう。彼女たちはあんな姿をして歩ってたくせになぜかずい分沸点が高くて、足元にズザザザザってやったワイを踏みつけ、そんなに見たいなら自分のパンツでも眺めてろと服をビリビリに引き裂いたんだ。でもワイはじいちゃんの教えどおり、これもご褒美と思うことにして、逆らわなかったんだよ」
「ああそうですか。では先を急ぐ身ですのでこれにて」
話は終わったと頭を下げて立ち去ろうとする朱鷺を、今度は切が呼び止めた。
「待って。どうしてそう急がれるんです?」
「生き別れた弟を捜しているんです」
朱鷺はかいつまんでざっと話した。
母が行方不明になったあと、男手1つで自分たち兄弟を育ててくれていた父。貧乏だったが、それなりに幸せな日々を過ごしていた。
だがある日、おやつにと出した豆腐の角に頭をぶつけて、あっけなく父親は他界する。
「だからあれほど口を酸っぱくして言っていたんです、凍み豆腐は解凍してから食べる物なんだって。でも頑固一徹な父は聞き入れず、冬の戸外で冷凍保存したそれをおやつに出していました。「歯とあごを鍛えることになるし、噛めば噛むほど味が出てうまいんだ」と」
「それ、ニボシでしょ」
「そうかもしれません」
母を失い、今また父まで。幼い兄弟は必死に考え、母の書斎にあった本に手を伸ばしてしまった。
反魂――それは絶対に手を出してはならない禁忌の術。
その代償として、父親は材料に用いた豆腐と乳と混じって豆乳になり、朱鷺は銀色の髪がそのまんま銀(Ag)に、そして弟は行方不明になったのだった。
「……もちろん、豆乳は腐ったらもったいないのでおいしくいただきました」
「むう。そんな壮絶な過去があなたにあったとは。全く見抜けなかった…」
切は本気で青ざめる。
「私は私で銀化した髪のおかげで頭が重くて。肩こりもすごいし。普通に立ってるだけでも大変です」
「切ればいいんじゃ?」
「髪は女の命ですから。いざというときの路銀がわりにも使えますし。
それに、ほら。長ーーーーい放浪の末、こういう術も覚えました」
朱鷺は式髪のかんざしで髪をうにょろうにょろさせて見せた。
「そうですか。しかし、そんなあなたに告げるのは残酷なようですが、あえて言わせていただこう。
残念ながらワイは違うよ」
「私もあなたのような変態な弟はイヤです」
どキッパリ言い切って、朱鷺はぺこっと頭を下げた。
「ではこのへんで」
ごきげんよう。
「わあ! 待って待って! ここから下ろしてくれたら弟捜しを手伝ってあげるよ!!」
「あなたがですか?」
渋面になった朱鷺に、さらに切は言いつのる。
「ワイはさっき言ったようにスパッツ派なんよ! けどじいちゃんの言葉があるから、まずパンツ道を究めないと! そのためには修行の旅に出ないとって考えてたんだ!」
「それって私に変態を連れ歩けと……まあいいでしょう」
朱鷺は切の手足を縛っていた紐をほどく。
しかしそれを切は、後ろからはかまをベロンとまくり上げてなかを覗くというあだで返した!
「な に を や っ て る ん で す か、あなたは!」
「いやっ! パンツ道を究めるために、まず最初にしとかなきゃと思ってっ! だって同行者のパンツも知らずにいるなんて、そんなのだめでしょ!」
グーパンでなぐられたほおに手をあてて、切は必死に釈明をする。
そこに柊 恭也(ひいらぎ・きょうや)と柊 唯依(ひいらぎ・ゆい)が到着した。
「通報があったのはここか?」
「多分。縛ってあるから逃げられないという話だったが…」
きょろきょろ辺りを見渡す。
「ああ。あそこに人がいる。あの人に訊いてみよう」
近付く2人を見て、切はこそこそと朱鷺の後ろに隠れた。
「すみません。ここに女性の服を切り裂いたり、スカートのなかを覗き見する変態が出没すると聞いてきたんですが、あなた何か知りませんか?」
そんなことまでしてたんですか? という朱鷺の疑いの目に、切があわててブルブルッと首を振って見せる。
パンツを覗き見していたことは素直にしゃべったし、嘘をついているようにも見えない、と朱鷺は判断して
「いえ。私が来たときにはだれもいませんでしたよ」
切をかばうことにした。
「そうですか」
応じつつも、じーーーっと朱鷺を見つめる恭也。どこかうさんくさがっているように見えるのは気のせいか。
背後へ回られたら一発でバレる。
そのとき、助け舟(?)が現れた。
「だれかヘルプミーーーーーッッ!!」
「要、コロス!!」
要と悠美香が街を1周してまた戻ってきたのだ。
「……なんだ? あれは。剣なんか振り回して。物騒だな」
「行こう。彼を助けないと」
「分かった」
あちらのインパクトが強すぎて、恭也たちは朱鷺のことを忘れてしまった。
「ありがとう。あなたは命の恩人だ。この恩を返すまでどこまでもついて行くよ」
「恩はいいから早く服を着てください」
朱鷺の言葉に、切は首を振った。
「貝はもともと衣1枚だし。これもじいちゃんが言ってたけど、パンツは聖なる衣なんだって。パンツはワイらの正装なんよ」
――だからそれ、クドですよね?
「ああそうですか。じゃあ行きましょうかね」
処置なし、といったふうにため息をついて歩き出した朱鷺の後ろを切が笑顔でついていく。
こうして(髪が)銀の錬金術師と前世が貝のパンイチ野郎による、弟捜しと修行の旅は始まったのだった。
それはとても天気のいい、とある秋の日の午後だったという――――。
一方恭也と唯依は2人の動きから先を読んで、彼らの先に回り込んでいた。
「相手は相当早いが抜かるなよ」
「分かってるって」
居合の刀の柄に手を添えて言う恭也に、唯依がアーミーショットガンをかまえて答える。
2人の横を要がとおり過ぎた直後、唯依のアーミーショットガンが火を噴く。
「!」
悠美香はすぐさま回避行動に出てこれを避けたが、それにより減速、動きが一瞬止まってしまう。
恭也はそれを見越していた。
「悪いな。これも街の者たちへの被害拡大を防ぐためなんだ。だから全力でいかせてもらう」
間合いへ走り込んだ恭也と悠美香の剣がぶつかり合った。
「ちょっと! 邪魔しないでよ!?」
悠美香は困惑する。
彼女にとってこれは、ライバルである要を消去する正当な行為なのだ。要のみに意識が固定されていて、他人はほぼ目に入らない状態だったため、恭也はかなり異質な存在、唐突な登場人物だった。
しかし恭也にその理屈は通じない。
悠美香が困惑しているのを見ても動じず、その説明に耳を傾けもしなかった。相手が常軌を逸していて、はちゃめちゃな言動をとっているのは知っている。
悠美香は彗星のアンクレットや軽身功で動きを上げているが、要との追いかけっこですでにかなりの距離を走り回っていて、疲労が蓄積していた。
アナイアレーションや金剛力を用いて攻撃しても、当たらなければ意味がない。近接格闘の回避技パリィも用いて恭也の攻撃をいなし、流すもその動きに従来の切れはなかった。
まして、恭也をの後ろについた唯依が彼をカバーし、サポートしている。彼女もまた、相手が正気に見えてそうでないことを知っているため、容赦がない。恭也が攻撃をかわされて不利になったとみるや手にした銃を撃ち、悠美香に距離をとらせた。
「恭也、こりゃかなり強敵だ。しっかりトドメ刺して確実に戦闘不能に追い込めよ。また暴れられたら面倒だ」
「了解――っと!」
横なぎにした恭也の刀が悠美香の腕をかすめるのを見て、要が目を瞠る。
悠美香がよろめき、体勢を崩したのを見た恭也が一気にたたみかけようと攻勢をかけたときだった。
「恭也!」
周囲を警戒していた唯依が恭也の肩をついた。
直後、銃声が響く。しかし銃口は恭也たちを大きくそれて空を向いていた。自分に注目させたかっただけだ。
「おまえ…?」
「やめろ。悠美香ちゃんを傷つけるのは俺が許さない!!」
「おまえが「助けて」と言っていたんだろう!」
憤慨する唯依に、要はうっと詰まった。
「……それはそれっつーか……ああいうときの決まり文句っつーか…」
ほら、そういうもんでしょ?
「なんだそれは? 助けてほしいのかそうでないのか、はっきり――」
させろ、と続けようとした唯依は、背後で膨らんでいく殺意にハッとなった。
「そこにいたのね、要…」
攻撃がやんだことで、再び悠美香の意識が要へと集中する。
剣を持ち直し、悠美香は叫んだ。
「絶対あなたをブチコロス!! あなたが肉片になるまで、きざむのをやめないッ!!」
「キャーーーーーーーーッ!!」
「恭也、どうする? あんなこと言ってるけど」
「もうほっとけ。めんどくせえ。ありゃ好きでやってるんだ。かかわる方がばかを見るぞ」
再開した追いかけっこに恭也はため息をついて背中を向ける。
「だね。あの調子じゃあどうせそのうち体力尽きてへばるだろうし。
じゃあみんなにもそう通達しとくよ」
唯依は携帯をぽちった。
ツァンダ郊外で天御柱学院の生徒2人が空腹と脱水でぶっ倒れた姿で発見されたらしい、という会話を、恭也たちは翌日の昼食の席で小耳にはさんだという――。
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