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あなたが綴る物語

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あなたが綴る物語
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●中世ヨーロッパ 4

 モーガン卿が傭兵たちとともに殺害された事件は、翌朝あっという間に広がった。
 しかし結局のところ彼はスコットランド人で、しかも殺したのはその手口からはっきりと2人のハイランダーだと判明した――彼らの死体は見つからず、2人らしき人物が開門と同時に出発していったのを門番が目撃していた――ため、深刻な騒動とはならなかった。
「ランカスター公の一行が来られる前だったことがせめてもですね」
 事件を聞いたエオリアは首を振って、招待客リストのモーガン卿のところをラインで消した。
「ランカスター公が来るの?」
 同じく準備をしていたリリアがびっくりして訊く。
 ランカスター家はヘンリー国王に最も近く、イングランドの中でも国王に次ぐ権力者だ。
「いえ、ご息女のルカルカ公女です。時期が時期ですからね、ご本人は宮廷を離れられません。公女がこちらへ来られるのも、おそらくここに集まる者に支持を求めるためですよ」
 ヘンリー現国王は百年戦争の敗北のせいで精神に病をきたしているともっぱらのうわさだ。その後継の座を巡って、ランカスター公とヨーク公が一触即発状態に陥っているのは有名な話だった。戦いとなったとき、どの勢力が味方につくか。それを見定めるためなのだろう。
 いざパーティーが始まって、ランカスター家の紋章でもある赤薔薇をイメージした華やかな緋色のドレスをまとい、取り巻きたちを伴って現れたルカルカ公女はその瞬間にこの席での主役となった。そのことにだれも何も言わない。むしろ「彼女が現れた瞬間、ここが宮廷であるかのような錯覚に陥った」と絶賛された。
「なつかしい宮廷のかおりを運んできてくださってありがとうございます。公女」
「久しぶりですね、カーライル伯」
 エースのあいさつのキスを手に受けて、ルカルカは優雅にほほ笑む。
「あなたの最初のダンスの栄誉をぜひ私にいただけますでしょうか」
 ルカルカはちらと後ろへ視線を走らせた。そこにはソールズベリー伯ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)がいて、無表情に2人のやりとりを見ている。
 ルカルカの本心としてはダリルと踊りたかった。しかしここはカーライル伯の城で、断るのは非礼にあたる。
 2人がフロアの中央に立つと同時に、音楽が始まった。
「すごいですね。みんながあなたの一挙手一投足に見とれています」
「見ているのはあなたの方よ、伯。あなたが私にかどわかされて、カーライルがランカスターにつくことを決めるのではないかと探っているのでしょう」
「おや? 私を誘惑しているんですか? それは知らなかったなぁ」
「安心して。そんなことカケラも思ってないわ」
「でしょうね」
 わけ知り顔でちらりと視線をとある方向へ流すと、エースは特に残念がっている様子もなく息をついた。
「私もまだ身を固める予定はありませんので、そうおっしゃっていただけるとすごく助かります。そのお礼にあなたに忠告をひとつ」
「なに?」
「あなたが彼を重用しているのは知っていますが……ソールズベリーには気をつけた方がいいですよ。あまり信用しすぎては駄目です」
「なっ!?」
 驚き絶句している間に、エースは彼女を元いた席へ戻した。
「では、楽しい時間をお過ごしください」
 にこやかにウインクまで飛ばしながらそそくさとホストの役目に戻っていく彼を、ルカルカは息を詰めて見送った。
 思いもよらなかった言葉に、まだ少し胸がどきどきしている。
 ――思いもよらなかった? 本当に?
 そっと視線を上げてうかがうと、ダリルは彼女が踊るためにここを離れたときと同じで無表情にダンスフロアを見ていた。といっても、みんなが笑顔で踊っているその光景を楽しんでいるようには見えない。
「どうしましたか、公女。カーライル伯に何か言われたのですか?」
 じっと見つめすぎて不審に思われたか。ルカルカはあわてて首を振るとごそごそ椅子の上で座り方を調整してごまかそうとする。
「なんでもないっ。それより、ダリルは誘ってくれないの?」
「ほかの出席者の方々が優先です。あなたは1人でも多くの方と話して、つながりを持たなくてはいけません」
「だれもルカなんか誘ってくれないわよ」
「「ルカ」ではありません。「私」とおっしゃいなさい」
「……だれも私を誘いに来ないわ。だから私とダンスを踊りなさい。命令よ、ソールズベリー伯!」
 教師のようにたしなめてくるダリルにカッときて、少々強引に引っ張ってフロアへと導いた。
「さあ踊りましょ、ダリル。まさかここまで来て、踊らないと言い張って恥をかかせたりしないでしょ?」
「……まったく。きみというひとは」
 ダリルの無表情が少し崩れた。ほんのちょっぴり、長いつきあいのルカルカにだけ分かる程度のものだったけれど、目の光がやさしくなる。
 手をとり、肩にかけ、体を添わせる。音楽に合わせてすべり出し、ダリルの完璧なリードで踊りながらルカルカは思った。
 彼を信用するななんて無理だ。もうとうにこんなにも心を預けてしまっている。



(明日こそ言わなくては)
 加夜は椅子に腰かけ、ぼんやりとフロアで踊っている人たちを見ながらそんなことを考えていた。
 あれから涼司とは毎日会っていた。カーライルの街を見て回ったり、カフェで会話したり。かなりの時間を過ごしてきているのに、いまだ自分の身分を話せていない。そしてとうとうパーティーの日が来てしまった。これがすめば2日後にはアルスターへ帰国だ。そしてキルデア伯爵の息子と結婚することが決まっている。顔も見たことのない相手と。
 今回の旅行は、自分に許された最後の自由だと分かっていた。両親たちもそのつもりで送りだしたのだと。結婚してしまえば到底こんなことは許されない。
 もう二度と会えない人とはいえ、やはり黙って消えるのは間違っている。明日は絶対彼に話して、ちゃんとお別れをしよう。そう心に決めていた加夜の耳に、突然。
「うわ。今、ひどいものを見つけた」
 妹のつぶやきが飛び込んできた。
「え? え? なに?」
 思いっきりいやそうに渋面を作っている光の視線を追って、ああと納得する。そこで談笑していたのは光の婚約者でレスター伯辻永 翔(つじなが・しょう)だった。
 こちらには背を向けていて、気付いている様子はない。
「くっそ。親父のやつめ、だから俺様も一緒について行けなんて言ったんだな」
「彼が来ると言っただけであなたったらすぐ逃げ出して、全く会おうとしないからでしょう。お父さまたちがお膳立てしていたとしても、私は少しも驚きません」
「冗談じゃねえ。親父どもの策略に乗せられてたまるか」
 光は吐き捨てるように言って、きびすを返した。
「どこへ行くの?」
「帰る!」
「え? でも、部屋への廊下はあちら――」
「アルスターにだ! こんな所、1分だっていられるもんか!」
 って、まさか身ひとつで!? しかもこれから!?
 加夜があっけにとられている間も、光はどんどん歩いて行ってしまう。
「ま、待ちなさい、ひか――」
「あー、姉さん、俺が行くよ」
 ひょこっと彼女を追い越すようにして横から現れたのは、弟のだった。彼もドレスをいやがった光と同じで正装がいやなのか、首のあたりを窮屈そうに引っ張っている。
「そうですか? お願いです、ちゃんと連れ戻してください」
「ああ。俺もちょうど帰国しようと思ってたし」
「ってそっちなんですか!? まだパーティーの途中ですよ!?」
「ちゃんと参加してあいさつもすませたんだから、あとは姉さんだけでも十分だろ。ダンスなんてかったるくてやってられっかよ。
 帰国理由は適当に見繕っといて」
 あせる加夜の前、ひらひらと後ろ手に手を振って陣はフロアから去って行った。




 夜を昼に変えてしまったかのような華やかなパーティーが中盤に差しかかったころ。
 庭の一角で、こそこそと動く影があった。
「ここに……翔くんが…」
 夜の闇にまぎれて見回りの兵たちをどうにかかわし、ようやくここまでこれた。門をくぐってから、一体どれだけの時間が過ぎただろう? 翔はまだいるのだろうか? パーティーは続いているみたいだけれど…。
「翔くん……やっとあなたに会える…」
 そう口にしたとたん、目にじんわりと涙がにじんだ。最後に彼と会ってから、もう何カ月経つのか。それでも最後に会ったときの彼の姿は片時も薄れず、鮮明に理知の胸のなかにあった。
 朝霧につつまれた森のなか、口づけをかわし「また明日の夜ね」と無邪気に約束をねだる理知に向け、翔は告げた。
「もう会えない」
 と。
 絞り出すような声だった。普段から表情が豊かな方ではなかったが、決して彼が願ってそれを口にしたわけではないと、彼女を抱いた手、見つめる瞳が言っていた。
「そんな…」
「王とともに帰国することになった。撤退だ。イングランド軍は敗北した」
 信じられないと、震える手で顔を包み込もうとする理知の手を掴み止め、押し戻す。そして彼は背を向け、そのまま速足で立ち去った。一度も振り返ることなく。
「待って、翔くん!」
 そう口にはしたが、引き止められないことは理知にも分かっていた。彼は敵軍の将。見つかればその場で殺される。敵の城に近いここまで来ることだって、命がけなのだ。
 本来ならまだ夜が開けないうちに立ち去るはずだった。いつものように。それをせず、日が昇るまで彼女のそばに居続けてくれたのは、そういう理由があったからか。
 翔の姿はあっという間に霧に消えた。遠ざかる足音が聞こえるだけ。それもすぐに聞こえなくなり、やがて遠くでいななく馬の声が聞こえて、それを最後に森はまた完全な静けさを取り戻した。
「翔くん…」
 理知は泣いた。
 いつかこの日が来ることは分かっていたはずだった。彼はイングランドでも有数の貴族、ノーサンバランド伯爵の息子。自分はフランス貴族コルベール家の娘。敵国同士の2人が結ばれるはずはない。
 自分に婚約者がいるように、彼にもいることは知っていた。帰国すれば結婚することになるだろう、とも聞いた。けれど、森の小屋で2人だけの時間を過ごしているとそういうものはなんだか夢物語、遠い世界の出来事のように聞こえて、現実感がなかった。
 だがそんなもの、ただの現実逃避でしかなかった。
 現実には彼はノーサンバランド伯爵の息子レスター伯で、イングランドに帰国すれば理知の知らないだれかと結婚し、その女性のものになる。
「やっと戦争が終わったわ。あなたの婚約者も来月には帰還するそうよ。よかったわね、理知。これでようやく結婚式が挙げられるわ」
 母のうれしそうな言葉を聞いたとき。いやだと心の底から思った。そして悟った。自分の全てはもうとっくに、髪ひと筋まで翔のものなんだと。
「翔くんに会いたい。翔くんの声が聞きたい。抱き締めてほしいよ、翔くん…」
 そして理知は単身フランスを飛び出して、海峡を渡った。男装をし、イングランド兵の1人としてまぎれ込んだ。戦争で疲れ切り、敗走する彼らは自分のことで精一杯で、理知のことまで注意深く見ていなかったことが幸いしたのだろう。だとしても彼らの会話からノーサンバランドの位置を知り、イングランドをはるか北上し……ここまで来ることができたのは奇跡としか言いようがない。
 あれから1年近く経った。もう翔は結婚してしまっただろうか? その人を好きになった? 理知のことは忘れてしまった?
 不安に震える心でしげみの影からうかがった窓の向こう、ついに翔の姿を見つけた喜びで駆けだそうとしたときだった。
「そこのあなた。一体そこで何をしているの?」
 頭上から女性の声が降ってきた。
 急いで振り仰ぐと、赤い髪を高く結い上げたドレス姿の美しい女性が理知のいるしげみを見下ろしている。
 見つかってしまった!
「あ、あの……わた、私…」
 動転している理知を見て、不審そうだった女性の表情がさらにきつくなった。
「あなた、フランス人ね! フランス人がなぜこんな所にいるの?」
「私……」
 理知は観念したようにぎゅっと目をつぶり、震えながら話した。