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 第1章 空賊の存在、義賊の存在

 太陽の下で、2体のペガサスが羽を広げている。1体はリネン・エルフト(りねん・えるふと)ネーベルグランツ、もう1体はフリューネ・ロスヴァイセ(ふりゅーね・ろすう゛ぁいせ)のエネフである。
 今日は、2人だけではなかった。ネーベルグランツの背にはリネンの他にもう1人、ラン・エクルベージュが乗っている。ランはリネンの母親だ。今年の夏、彼女達母娘は再会した。否、母の記憶の無いリネンにとっては初対面と言えたかもしれない。
 フリューネも交えて彼女達は言葉を交わし、その結果、リネンはランと決別することにした。ランは空賊を――フリューネが誇りとしている空賊を悪人と考え、足を洗うように言ってきたからだ。
 実態がどうであれ、世間から白い目を向けられる世界に身を置いていてほしくない。その考えが先行し、ランは彼女達の現実の活動内容を無視しているようだった。
 ランの気持ちが伝わらなかったわけではない。しかしリネンの感情は、それを拒否した。彼女と理解し合える事は出来ない。何より、フリューネの目の前で空賊を“悪事”だと言った事が許せなかった。
 それが再び会う事になったのは、ランから希望されたからだ。
 リネンはあの時、実母との決別を決意した。しかしそれは、ラン自身には伝わっていない。別れ際に『お母さん』と呼ばれ、母は涙を流していた。
 だからこそまた、連絡をしてきたのだろう。だがそれは、あまりにも急な話だった。しかもただ会うのではなく、フリューネも一緒にという話であり。
 袂を別った気でいたので戸惑いも大きく、その気持ちのまま、リネンはフリューネに事の次第を説明した。
『フリューネ……エクルベージュさ……お母さんが、空京に来るって……。フリューネにも、会いたいって』
『お母さん? 夏に会った人ね。いいわよ』
 別段抵抗もない様子で、フリューネは二つ返事で了承した。慌てたのはむしろリネンの方で、本当に良いのかと確認する。
『無理しなくてもいいのよ。フリューネも忙しいだろうし……うん……前よりは落ち着いてるみたい、だけど……』
 元々気後れしていたからだろうか。誘いに来た筈だが口を突いて出るのは、否定の言葉ばかりだった。ランの申し出を断り切れなかったリネンは、フリューネに断ってほしかったのかもしれない。“今回は遠慮する”と。
 その彼女を、フリューネは不思議そうに見つめていた。『んー……』と以前の事を思い出すように空に目を向け、何かを考える仕草をした後に口を開く。
『リネンが嫌なら、私が1人で行ってきてもいいわよ』
『……え?』
『私に会いたいと言っているんでしょう? それなら、私は何処へでも会いに行くわ』
 それに、今回はそう遠くないしね。と、フリューネは笑って付け加えた。

 そして、リネンは今日、フリューネと共に空京でランと再会した。
「いらっしゃい……お母さん」
 『お母さん』とは、心からの呼び方ではない。関係性の呼び名として使っているだけだ。リネンの中でランは未だに『エクルベージュさん』であり、それ以上ではない。控えめに笑いかけたが、ランの目は2人よりも、後方のワイルドペガサス2体に向けられていた。驚き、圧倒されている。それだけではない。リネン達に歩み寄って来ている時から目を丸くし、シャンバラ宮殿を、未来都市のような空京の建物を見回していた。完全に、度肝を抜かれている様子だった。
「それは……ペガサスかい? 本当にいるとは、思わなかったよ」
「ペガサスだけじゃないのよ。……パラミタにはもっと沢山、地球では見られない生物が居て、文化や技術……知らないことに、溢れているの」
「……あたしには、縁の無い世界だねえ……」
 まだ驚き醒めやらぬ様子のランに、リネンは改めてパラミタについて、自身の近況について話をした。続いてフリューネの話をしようとして、一度、口を閉ざす。
「お母さん……フリューネに、会いたいって……」
「ああ……あの時は、きちんと挨拶も出来なかったからねえ……」
 ランはそう言うと、フリューネに向き直った。
「1人になった後で……考えたんだ。それで、気付いたんだよ。そういえばあなたも、空賊だったんだって。あたしはあの時、アマニと暮らしたい、アマニに危険な目には遭ってほしくないと、そればかりを考えていた」
 自分が身勝手にリネンに危険を与えたことを、後悔していたから。それ以上、傷ついて欲しくないというのが自己を中心にした考えであっても。
「あなたはあたしの家に居たけれど、殆ど目に入ってなかった。あたしが言っていた空賊はあなたではない。けれどもしかしたら、あたしはあなたにとんでもなく失礼な事をしたんじゃないかと思ってねえ……。謝りたくなったんだ」
 しかしそう思った時には、フリューネは遠い空の上だった。
「私は気にしてないわ。私は今の自分に誇りを持っているけれど、空賊の全てが、人々と為に活動しているわけじゃない。全てがそうであれば、そもそも賊とは呼ばれない。だから、1人の親として空賊を抜けさせたいという気持ちは、わかります」
「フリューネ……」
 否定しても良いのに、と、リネンは思った。しかし、そこで相手を責めないのが、フリューネの懐の深さなのだろう。そして――
「ありがとう。すまなかったねえ……」
 謝ってくれた。その事が、頑なになっていたリネンの気持ちを解したのも事実だ。
「ねえ、良かったら……この子に乗ってみない?」

「本当に……ここはあたし達の住む世界とは違うんだねえ……」
「……お母さん」
 エネフの上で、リネンはランに話しかける。
「私は、悪いことはしていない。だけど……義賊が恨まれることも多いのは確かよ。だから私は……普通の家庭には戻れない……。さっきはパラミタが知らない事に溢れている素敵な所だって言ったけど……それだけじゃない。まだパラミタには危機があって、私たちが必要とされているの……」
「ああ……」
 ランの慟哭が、耳に届く。
「アマニをこの世界に関わらせてしまったのも、あたしだからねえ……」
 悲しそうに、自らを責めるような響きをもって、彼女は言う。
(エクルベージュさん……)
 だが不思議とリネンは、自分達が母娘の関係に近付いたような気がしていた。まだ、心の底から『お母さん』とは呼べないけれど。
 空の上から空京を、パラミタを見渡す。その下では今も、様々な出来事が起きているのだろう。