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比丘尼ガールとたまゆらディスコ

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chapter.3 接近 


 月夜が刀真の姿を見た時――つまり、謙二たちがCan閣寺本堂の入り口まで来ていた時。
 寺へと続く階段のところでは、新たな訪問者が門をくぐるため上へとのぼっていた。
 長い階段を見上げ、一息吐いたその女性は、紫 式部(むらさき・しきぶ)
 これまで何度もこの寺を訪れ、迷い、悩みながらも彼女は最終的に自立を果たした。そこに大きく携わったのは寺の者ではなく契約者たちであったが、「この寺もきっかけを与えてくれた」と式部は思い、一言、お礼を言うためにここまで来ていた。
 しかし彼女は知らない。
 今苦愛が寺にいないことも、寺の雰囲気が以前とは少し変わっていることも、謙二たちが会談のため訪問していることも。そして、彼女が会ったことのない間座安という住職が、おそらく危険な人物であろうということも。
 この階段を上ることが彼女のためになるのか、下りることが彼女のためになるのか。
 それは、おそらく誰にも分からない。
 式部がまた一歩、階段を上がる。
 何段か足を運んだところで、式部は違和感に気がついた。
「あれ、こんなところになんで車が……」
 そう、彼女の目の前には、どういうわけか、洗練されたデザインの真っ赤な機晶スポーツカーが置かれていた。階段のど真ん中にこれがあるという状況が理解できず、式部は固まってしまう。何より、これでは先に進めない。
「え、えっと……」
 どうしようかと式部が辺りを見回し悩んでいると、そこに声がかかった。
「これは奇跡ね。ちょうどいいところに人が」
「?」
 式部が声の方を向く。するとそこには、この車の主であるローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)が立っていた。
「こ、これあなたの車……? 一体どういう……」
「私も、困っていたところなの」
 式部の言葉を遮り、ローザマリアが言う。
「どうやら、機晶回路が暴走したみたいで。この有様よ」
「ぼ、暴走してここまで乗り上げるんだ……」
 ものすごい暴走だなあ、と思いながら式部は一応納得してみせた。それを確認し、ローザマリアはごそごそと懐から一枚の紙を取り出した。
「それは……?」
「偶然入っていた、修理業者のポスターよ」
「す、すごい偶然ね……」
 いろいろと思うところはあったが、式部はこれもまた納得してみせた。大人の会話って、そういうものなのだ。
「たまたまここを通ってくれたのも何かの縁だと思うのよね。もし良かったら、業者を呼んできてもらえない?」
「え?」
 式部は思わずポスターを見る。
 普通、そういうのって電話番号とか書いてあるのでは、と思ったのだ。しかし式部の目がそれを捉えることはなかった。なぜなら、そのポスターはローザマリアの自作だったからだ。
 つまり、彼女は意図的にこの状況をつくりだしたのである。それはなぜか?
 このまま式部が先に進めば、彼女の身になにか良からぬことが起こると危惧していたからだ。
 当然、このスポーツカーも暴走の果てに乗り上げたのではなく、あらかじめシークレットイヤリングに収納しておいた車を階段上で出したに過ぎない。
「そ、その業者大丈夫なのかな……」
 そんなローザマリアの思惑など知る由もない式部が、番号もろくに載せていないポスターを見て呟いた。
 まずい。雲行きが怪しくなってきた。
 式部の言葉でそんな雰囲気を感じ取ったローザマリアは、嘘を信じ込ませるため、ある作戦に出た。
「この車、すごく高かったのよ」
「え?」
「いくらしたと思う?」
「さ、さあ……」
「まあ値段を言うと嫌みに思われるかもしれないから言わないけれど、とにかく高かったの。この外装を見てもらえれば一目瞭然でしょ?」
「はあ……」
 突然、まくしたてるように車のことを話しだすローザマリア。式部はすっかり気圧されて、相づちを打つので精一杯だ。これぞ名付けて、ローザマリアの「相手に口を開かせず、反論させない作戦」である。
 控えめな式部にとってこの作戦は、思いの外功を奏した。
 すっかりローザマリアのマイカートークに流され、式部は立ち往生していた。そうこうしている間にも、時間は過ぎて行く。
「あ、あの……」
 式部が思い切って、話題を変えようとする。ちょうどローザマリアのマイカートークも、話のタネが尽きてきた頃合いだった。
 しかし、そんな式部の決死の一言を打ち消したのは、ローザマリアのパートナー、グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)だった。
「長いぞ、ローザよ」
 その声に、式部だけでなく当のローザまでもが振り向く。
 視線を集めたグロリアーナは、式部に顔を向けると、凛とした口調で彼女に告げた。
「妾は退屈してしまった。そこの者、何か余興のひとつでも出来ぬか?」
「え……ええ!?」
 助け船が来たと思ったら、まさかの追撃である。式部は思わず素っ頓狂な声をあげた。ちなみにこのタイミングでのグロリアーナの登場は、ローザマリアの計画通りであった。
 彼女の話題がなくなりかけた頃、グロリアーナがアシストする。もとよりふたりは、その方向で話を進めていた。
「余興って、知らないの? 目の前にいるのはあの有名な歌人よ」
「なんと。それは知らなかった。ならばむしろ好都合であろう。この状況をひとつ歌にしてみせてくれ」
 なので、このふたりの会話も完全なる予定調和である。
「そ、そんな急に言われても……」
 おろおろとうろたえる式部。既にこの時点で、式部が階段を上り始めた時から数十分以上が経過していた。
 式部も特に急いでいたわけではなかったが、まさかここまでの足止めを食うとは思っていなかったのだろう。頭は、完全に本来の思考力をなくしていた。
 と、その時だ。
「式部様!」
 階段の下の方から、自分を呼ぶ声が聞こえた。式部が振り返ると、そこには風森 望(かぜもり・のぞみ)がいた。
 さらにその後方には、数名の生徒たち。
 どうやら一行は、式部を探してここまで駆けつけた者たちのようだ。
「あ、あれ、みんな……」
 見知った顔が並んでいるのを見て、少しほっとする式部。そんな彼女に、望が話しかける。
「式部様、何でもこのお寺へお礼に来たとか。それならば、私もご一緒します」
 私もここにはお世話になったので、と付け加えて言う。当然それは方便で、本当はこの寺の不穏な噂を聞きつけ、式部に被害が及ばぬよう守るためだ。
「このお寺のことですから、まーた一悶着か二悶着くらい起きそうですしね」
「え?」
「ああいえ、なんでもありません。さあ、行きましょう」
 うっかり声に出してしまった思惑をごまかし、式部の背中を押そうとする望。が、彼女らの眼前にはどしんとスポーツカーが通せんぼしている。
「うん、でもこれをどうにかしないと、先に行けなくて……」
 困り顔で、式部が言う。しかしローザマリアとグロリアーナは、依然ここを通す気はないようだ。心配だからこそ共に先に進もうとする望たちと、心配だからこそこの場に引き止めようとするローザマリアたち。
 互いの目的は同じであるにも関わらず、不思議な対立を生んでしまっていた。
 こう着状態となったその空間は、いたずらに時間を経過させていくばかり……かと思われたが、そこに破天荒な声が降ってきたことで、事態は急変した。
「ふっふっふ……来ましたわね、望! そしてすべての元凶たる紫式部さん!!」
「……!?」
 突然名前を呼ばれ、式部が上を向く。自分たちを塞ぐ車をこえてさらに上方、門の近くのところから呼びかけたのは、望のパートナー、ノート・シュヴェルトライテ(のーと・しゅう゛るとらいて)だった。
 ちなみに最初の第一声の時点で望は、見上げずとも声の主を分かっていた模様。
「ああ……そういえば出家していたんでしたっけね、お嬢様」
「そういえば!? 何ですの、その今思い出した感!?」
「いえ、本当にすっかり忘れてました」
「や……やっぱりそこの式部さんのせいですわね」
 望との会話で、ノートは悟った。
 アレだけわたくしのことを慕っていた望が、こんなに邪険にしてかつほったらかすわけがありませんもの。
 すべては、式部さんに望の興味が移ってしまったため。
 ノートは、無言で式部を睨みつけた。
 ちなみに、当の望には言うほど慕っていた記憶はない。非常に残念な一方通行だった。
「……で、何してるんですかお嬢様」
「わたくしは、これを愛の試練だと受け取りましたわ!」
「はい?」
 まったく意味がわからない、という様子でノートを見つめる望に、彼女は言う。
「このお寺でお世話になっている間、ずっと淋しかったんですのよ」
「どうせ食卓が、とか言うんでしょう」
「エ、エスパー!?」
「そんなことだろうと思いましたよ。あと、仮にそうだとしてももうちょっとごまかしましょうお嬢様。エスパーって。語るに落ちるどころの騒ぎじゃないですよ」
「ええい、これ以上の会話は不要ですわっ! とにかくわたくしは気づいたんですの!! 貴女を求めている自分に!」
「貴女のご飯を、でしょう」
「し、心理学者!?」
「どれだけ学び甲斐のない心理学ですか」
 完全にあしらわれているノートであったが、問答無用とばかりにバッと地面を勢い良く蹴って、式部に飛びかかる。
「式部さん、貴女をここで倒し、望を取り戻しますわ! つまりこれは愛のげこくじょへぶっ!!」
 が、思いの外段差があったため、ノートは思いっきり着地に失敗し、勢い余ってローザマリアの車にぶつかった。
 想像以上の勢いで激突したことと、元々階段という不安定な場所に置かれていたことが合わさり、機晶スポーツカーはぐらりと大きく揺れた後派手に階段を転げ落ちていった。
「あっ……」
 それを目で追い、つい声が漏れる持ち主のローザマリア。そしてノートはというと。
「い、いたた……なんですの、なんでこんなところに車が!?」
 顔面からぶつかったのだろう、鼻血がだらだらと流れていた。
「さては式部さん、あなたの罠ですわね!? そうまでして望が欲しがひゅっ!!」
 がばっと顔を上げ、式部を睨もうとするノートの頭上に、望が持っていた分厚い辞書が落下した。
 奇妙な悲鳴と共に、ノートはバタリと倒れる。どうやら意識を失ったようだ。
「な、なんだったの……?」
 呆気にとられ、一連のやりとりをただ見つめるしか出来なかった式部が言う。
「さあ、なんなんでしょうね。ただ私は、ふたつのことを祈っています」
「ふたつのこと?」
「ひとつは、式部様に馬鹿がうつらないといいなということ。もうひとつは……」
 望が、ノートの後頭部に落ちた辞書をちらりと見て言った。
「このヴァカルキリーが、色々言葉を間違って憶えているようですので、正しい言葉を身につけてほしいなと」
「ていうか、この人、ここに寝かせたままで大丈夫なの……?」
「大丈夫です。ええもう、何も問題ありません」
 不安そうな顔をする式部の背中を、望はやや強引に押さえて階段を上ろうとする。
 が、その手が式部に触れる前にふたりの間に入ったのは、茅野 菫(ちの・すみれ)だった。
「……?」
 望が不審そうな顔で菫を見るが、菫はまったく気にした様子もなく、パートナーの菅原 道真(すがわらの・みちざね)を式部の隣に呼び寄せようとする。
 良く言えば道真が式部と仲を深められるようにアシスト、悪く言えば明らかに他人の邪魔といったところだろうか。
 おそらく、未だ展開が進まない式部と道真の関係にイラついているのだろう。
 だが、菫のそんな行動を「余計なお世話」とばかりに道真は目で否定してみせた。
「あれ……なんで」
 菫が小さく呟くが、道真は黙って首を横に振るばかりである。
 結局、道真は式部の少し後ろをついて歩いただけで、菫の思惑は外れる形となってしまった。

「……良かったのか、ローザ」
 車での妨害が失敗に終わったローザマリアは、彼女たちの後ろ姿を眺めていた。そんな彼女に、グロリアーナが声をかける。するとローザマリアは答えた。
「あれだけ思ってくれる人がいるなら、きっと大丈夫よ」
 まあ、車は残念だけどね、とおどけて付け加える。
 結果として引き止めは叶わなかったが、彼女たちが式部をここで足止めしていなければ、式部が寺に入る前に望たちと合流することはなかった。
 つまり、式部が単身寺へ乗り込まずに済み、望たちが追いつけたのは、ローザマリアの功績ということになる。
 先を進む彼女たちがそれに気づいていたかどうかはわからない。
 ローザマリアは、小さくなっていく式部たちの姿を見つめ、望がそうしたように祈った。
「どうか、無事でありますように」



 彼女たちが向かう本堂では、謙二らが既に中に入り、大部屋へと向かっていた。
 途中、尼僧の何人かが止めようとはしたのだが、「住職様が、中に入れて構わないと仰っています」という言づてを聞き、首を傾げながらも彼らを通したのだ。
「あれほど苦労した内部に、こうもあっさり入れることが逆に怪しいな」
 謙二の隣を歩く刀真が、小さく漏らす。
「おそらくあやつも、拙者への接触をいずれは考えていたのだろう」
「なるほど。あちらからすれば飛んで火にいる……というわけか」
 話題が間座安に及んだところで、刀真が謙二に尋ねた。
「この後どうなるかは分からないが……万が一のことになれば、俺は剣を抜く。ただ、相手はかなりの実力者なのだろう。ラルクが捕まったんだからな。なにか特殊な力でもあるのか?」
「……おそらく、あやつは痛みを感じない」
「何?」
「麻痺しているのかどうか知らぬが、幼少の頃からそうだった」
 それはつまり、一切の攻撃が影響を及ぼさないということだろうか。
 刀真は、小さく喉を鳴らした。
 自分たちがこれから立ち向かう相手。その相手の不気味さが、緊張感を彼に与えていた。

 大部屋へと通された一行は、そこで間座安の到着を待つこととなった。
 話によれば、じきじきにあちらから部屋へ来るそうだ。尼僧たちは、各々の部屋に戻るよう指示されている。そのせいか、大部屋はがらんと空白が目立っていた。
「なになに、これから何が始まるの?」
 ホクオウの間に戻った佳奈子が、アオイに尋ねる。アオイもさすがに全部は知らないためか、「なにか、大事な話があるんだって」と答えるので精一杯だった。
 そしてホクオウの間以外でも、この緊急事態を迎えて尼僧たちの噂話は盛り上がっていた。
「もしかして、あのお侍、ストーカーなんじゃない?」
「えーやだキモーい」
「わざわざ住職様が対応するって、よっぽどだよね」
「男の人があんなにここに入るなんて、苦愛様が管理してた時なら考えられないよね……」
 あちこちの部屋でガールズトークが展開される。
 それを、黒崎 天音(くろさき・あまね)とパートナーのブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)は、屋根裏に潜み聞いていた。
「まるで玉響(たまゆら)だね。磨かれた玉が弾かれ響き合って、微かな音を立てる……でもそれは、ほんの一瞬の出来事だ」
 小さく笑って、天音が言った。
「悪いばかりの場所じゃないと思うけど……これからどうなるんだろうね、まぁ、ここに関わった人たちの選択次第なのかな」
「ふむ」
 天音の言葉に、ブルーズが反応を示す。
「行儀見習い的な部分もあれば、規則正しい生活を行うことで身に付くこともあるのだろう。我もそうは思うが……あの住職だけは、どうにもいただけんな」
 謙二や間座安の過去や関係についてはそこまで強い興味をひかれてはいない天音だったが、住職の不穏な噂は耳にしていた。
 そんな彼がもっとも気になっていたのは、式部だった。もしこの寺に何か重大な事実が潜んでいたとして、彼女がそれを知った時どうするのか。
 それを、天音は確かめたかったのだ。
「しかし、お前のお気に入りは来ないな」
 ブルーズが話しかける。もっとも、式部はちょうど今まさにこの場所に向かっていたのだが、それを知る術はふたりにはない。
「まぁ、焦らずに待つことにするよ」
 そう答えた天音に従い、ブルーズも身を潜め続ける。そんな彼がぼんやりと考えていたのは、謙二が先日告げた言葉についてだった。
 ――間座安は……拙者の兄だった、か。
「どうしたんだい、ブルーズ」
 しかめっ面を見られ、天音にからかわれる。ブルーズはなんとなく思っていることを口にした。
「いや、あの侍の、兄『だった』という発言が気になってな」
「あえて、過去形で言ったのかもしれない、と?」
「単純に縁を切ったということも考えられるのだろうが……どうも、あの住職は男性というものに嫌悪を感じているように見えなくもない」
 一通り考えを口にした後、ブルーズは小さく告げた。
「もしや、兄ではないものに変わってしまったということなのか?」
 つい疑問系になってしまったが、それに答えられる者はこの場にはいなかった。
 だがこの時、ブルーズは思いの外、誰よりも寺の真相へと迫りつつあった。もちろんそれは本人すら知らない、無意識の接近であったが。