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【第一幕:ジェルジンスクの空の下より 2】



 それぞれが思い思いに温泉を堪能している中、湯船を動き回ったアルテミスは、半ばのぼせかけて頬を赤くしながら、まだきょろきょろと十六凪の姿を探していた。空気が冷たいため、温泉の湯気が濃く、広い湯船の隅までは見通しが効かないのだ。
「……うー、本当にここに居るんでしょうか……」
 心が折れかけた、その時だ。
「いやあ、いいお湯ですねぇ」
 聞き慣れた声に、あ、とアルテミスは小さく声を上げた。が、急いで近付こうとしていたアルテミスは、続く言葉に思わずその足を止めた。
「これは人気がでるでしょうね。そう思いませんか、オルクス君?」
 十六凪が話しかけているのは、どうやらオルクス・ナッシングのようだ。アールキングの手足のように動くナッシング達から離れ、独自意思を持ち始めたらしいそのナッシングは、湯船に浸かることはせずに十六凪の傍で器用に屈みこんでいるようだ。捕まっているハデスを助ける算段でもしているのだろうか、と思ったが、そんなアルテミスの予想に反して、十六凪は常と変わらない真意の知れない笑みを湛えたまま「さて」と口を開いた。
「ハデス君が居ないので、本音で話をさせていただきますよ――……僕は、そろそろハデス君を隠れ蓑にするのを終わりにして、本気でオリュンポスで世界を獲りにいきます」
(……え?)
 聞き間違いだろうか、とアルテミスは目を瞬かせたが、十六凪はその目を細めて笑みを深める。それは、普段策を練っている時の表情で、冗談で口にしているのではない、とアルテミスは悟った。半身はお湯に浸かっているのに、足元から冷たいものが上がってくる感覚にぎゅう、と自身の体を抱くアルテミスに、気付かないまま十六凪は続ける。
「そのための戦力として、オルクス君、君のことが必要なのです」 
「……我、を……必要……それ……は、仲間、として……と、いうこと……か?」
 首を傾げるようなオルクスの気配に、そうです、と十六凪は頷いて、オルクスに向かってその手を伸ばした。
「僕が乗っ取る“真のオリュンポス”に……力を貸してくれませんか?」
「…………」
 その言葉をどう思ったのか、沈黙したままのオルクスは何かを躊躇ったようにしたものの、結局は伸ばされた手に、骨のような不気味な手で握り返したのだった。
 その時だ。
 ばしゃ、っと水音がして、十六凪が振り返ると、その視線の先でアルテミスの背中が遠ざかっていくのが見えた。その不自然な遠ざかり方に、事情を察して十六凪は思わず苦笑を浮かべた。
「……聞かれてしまいましたか」
「……どう、する……?」
 オルクスの問いに「今は良いですよ」と十六凪は目を細めた。
 そんな二人から遠ざかりながら、アルテミスは混乱する頭で必死に走っていた。どうしたらいいのか判らなくて、その場から逃げ出したのだ。
(私……私、どうしたら……!)
 ぐるぐると混乱するアルテミスが、タオル一枚の姿だということもうっかり忘れてそのまま走り続け、更にうっかり遭難しかけたのは、また別の話である。



 そんな、翌日のジェルジンスク。
 澄んだ空気に、雪に反射する日の光が眩しい。至る所に見られるつららがキラキラと天然のシャンデリアのようである。
 だが、その半面で、朝は温泉旅館と言う場所に勤める者達には、忙しいひと時だ。その中でも特に忙しい場所である厨房では、黎明華が料理人たちに料理を習っている真っ最中だった。
「ふむふむ。国が違っても、料理の基本は余り違わないのだな」
 あれやこれやと聞いて回る黎明華ではあるが、同じだけ手も動いているからだろう、厨房の料理人たちも特にそれを咎めはせず、負担で無い程度に手ほどきをしてくれていた。とは言え、勿論一歩間違えれば邪魔をしているに等しいが、そこはキャンティのフォローがある。
 次第にコツを掴んで、温泉開業の一歩、と喜ぶ黎明華は、そういえば、と首を傾げた。
「ノヴゴルド、様はどこへ行ったのだ〜?」
 早朝一番に、風呂に浸かっているのは見かけたが、それ以降宿でその姿を見かけていない。公邸に帰ったのだろうか、と思ったが、キャンティは首を振った。
「さっき、ひじりんとお出かけになりましたわよぉ〜」


 同じ頃の麓では、聖とノヴゴルドがジェルジンスクの散策をして回っているところだった。
 万年雪に閉ざされる極寒の山脈と同じ地域なのかと疑う程、青々とした牧草がどこまでも広がっている。更にその遠くに見て取れるのは、これまた巨大な穀倉地帯だ。
「素晴らしい景色ですね」
 感嘆を込めて聖は呟いた。山からの豊富な水に広大な土地。放牧されているのだろう、牛や羊に混じって、吐く息も白く野を駆ける駒は、いずれも身の締まった見目良い馬だ。なるほど、領土の殆どが荒地だというオケアノスが、手に入れたくなるのも頷ける。勧められた野菜を口にし、それぞれ寒冷地ならではの身の甘さに舌鼓を打ちながら「本日はありがとうございました」とノヴゴルドへ頭を下げた。
「近々また旅に出る予定でございますが……こういう素晴らしい物を見つけた際に気軽にご連絡出来る方法が、この国にあると便利でございますね」
 その言葉に、ノヴゴルドは「そうか」と些か残念そうな声を漏らした。
「寂しくなるの……じゃが、若者を縛るわけにもいくまいて」
 そう言って、名残惜しげな息ひとつつくと、石の嵌った指輪のようなものを取り出して日に翳した。魔法のこもったものらしく、嵌った石は光を受けて複雑に色を変化させる。
「通信魔法の一種じゃの。この国の幾つかの通信手段の中でも、通信と名の付く機能へなら、機晶石を介して相互に声を届けられるという優れものじゃ……呪を広域に設定すれば、それを中継機として扱うことも出来るでの」
 帝国の通信術式の上に乗る形での通信とはなるが、その指輪の用いれば帝国全土の同様の媒介を使って、国内外での通信を可能にするのだ、と説明して、それを聖の手に渡すと、ノヴゴルドは柔和に笑みを深めた。
「そなたであれば、悪し様に使うことはなかろうからの」
 その中に見える深い信頼に、聖は一瞬目を瞬かせた後、静かに頭を下げたのだった。


「あ、おかりなのだ〜」
 そうして再び宿へ戻り、そのまま厨房を訪れた二人を、黎明華とキャンティが出迎えた。
「おお、これは豪勢じゃの」
 ノヴゴルドは、並んだ卓上の料理に嬉しげに声を漏らした。
 彼女達が並べる料理たちは後ひと品で完成といったところだ。聖は丁度良かった、と顔をほころばせた。
「先程、ノヴゴルド様と散策中に、良いメニューを思いつきました。早速、試作を作りましょうか?」
 了解、と各々が明るく答えると、厨房は更に賑やかさを増した。


 ジェルジンスクは、今日も快晴である。