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Buch der Lieder: 桜んぼの実る頃

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Buch der Lieder: 桜んぼの実る頃

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【空京: ホテル】


 目を覚ましたジゼルは、ぼんやりとした記憶の中から自分がどうして此処にいるのかを探ろうとしていた。此処がホテルの一室で、ホテルに用事があってきた――という部分迄思い出した所で、掛けられた声にそちらを見るとツライッツが何時もの様に微笑んでいる。
「おはようございます、良く眠れましたか?
 ――ああ、ここはフランツィスカさんの部屋ですよ」
 未だ微睡みの中にいるジゼルの背中に手を回し、起き上がるのを手伝いながら、ツライッツは質問されるより前に先に状況を説明した。
「随分、歩き回られてらっしゃったようですから、疲れたんでしょう。途中で眠ってしまわれたんです。起こすのも可哀想だから、と、一足先にここまでお送りさせていただきました」
 勿論、それは正確ではない。あらかじめハインリヒから教えられていた嘘を交えて、台詞をごく自然な調子で口にしながら、いつも通りの笑みを浮かべ、ツライッツは疑問を挟ませないように、さりげなく汗を拭いていたタオルを仕舞って、ことん、とグラスに注いだ水をサイドテーブルへ置いた。
「――皆は?」
「コンラートさんと、お話されています。もうそろそろ、戻ってこられると思いますよ」
 不安がらせないように、何一つも触れないように。ツライッツの表情も言葉も、そのために繕われて、何時もの声音、何時もの表情だ。
「そういえば、、お腹はすいていませんか? 皆さんが戻られましたら、食事でもしに行きませんか。ハインツが、この辺りに美味しい店があると――」
 柔らかな口調が、ジゼルに他の質問を挟ませないまま続けられる中、コンコン、とノックの音と共に、ハインリヒが部屋に入ってきた。
「――ああ、おかえりなさい。丁度良かった、今、食事の話をしていたんですよ」
「Hallo Suess!」
「ハインツ……」
「うん? 何食べるか決まった?」
 ベッドのスプリングを軋ませてジゼルの隣に腰掛けるハインリヒは、ツライッツと同じ“いつも通り”だ。だが彼の笑顔を見た瞬間、ジゼルは全てを思い出した。


 まだ幼い日の、朧げな記憶だ。
 セイレーンの中で選ばれた者は、三賢者によって肉体を与えられる。その日は姉妹の七人目、ジゼルの番だった。
 しかしその肉体を見た時、ジゼルは首を傾げた。
「おとなだわ」
 自分の為に作られた身体の筈なのに、不思議に思った。
「問題無いよ、私がお前の為に“調整”する」
 ジゼルの隣に立っていた男が色の無い声でそう言った。
 調整が何なのか、そこから意識が消えたジゼルには分からなかった。ただ目覚めた時に、ジゼルは年齢に相応しい肉体を手に入れていた。寝台の隣には、あの男が座っている。
「素晴らしいわ!」
「ええ、これこそ完璧な作品ですね」
 何処かから鈴の鳴る様な女の声が二つ聞こえた。
「遂に私達は悲願を成し遂げたのですね。この個体こそ真のパルテノペーの名に相応しい」
「貴方は私達の最高のパートナーよ、アロイス」
 褒められたのに、男は肩を落としたまま、ずっと地面を見つめていた。美しいゴールデンブロンドが落ちて影を作る、その顔がジゼルにはとても哀れに思えた。
「あなたは、かなしいの?」
 慰めてやりたくて手を伸ばして頬に触れた瞬間、男は顔をあげた。海色のグレーアイズからぼろぼろと涙を溢れさせ、零しながら、彼はジゼルを――ジゼルの『肉体』を抱きしめた。
「僕は…………なんて馬鹿な事をしてしまったんだ……妹に、なんて事を…………!
 ごめんローゼマリー、赦してくれ、赦してくれ!!」


「ごめんなさい、私、ごめんなさい、ごめんなさい、あなたのお姉さんの身体を奪った!! ハインツ、私が――!」
 唐突に取り乱したジゼルを強く抱きしめて、ハインリヒはゆっくりと話す。 
「ジゼル……君の所為じゃ無いよ。君は何も悪く無い」
「でもこの身体はあなたのお姉さんのものだわ!」
 ハインリヒが調査を依頼し、結果を受け取った――ハインリヒとジゼルに確実に存在した血縁関係が示したのは、ジゼルが与えられたあの肉体がハインリヒの姉ローズマリーのものであるという事実だ。
 幼馴染みのアレクすら名前しか知らないハインリヒの姉の事をジゼルが聞いた時、ハインリヒは写真は此処には一枚も無いと答えた。
 ――あれがこの人の優しさなら! 自分が此処に存在するだけで、どれだけ彼を傷つけてきたのだろうと思うと、ジゼルは自らの存在の恐ろしさに震えが止まらなくなる。
「ローゼマリーはね、もう長くなかったんだ。セイレーンの器にならなかったとしても、きっと生きてはいないだろう。君が負い目に感じる事は、何も無いんだよ」
「でも――!」
「うん、分かってる。事実じゃ割り切れない事くらい。
 でもねジゼル。周りが何と言おうと、君自身がどう思おうと、君は僕の大切な友達で、妹だ。
 僕は無神論者に近いくらい不信心だけれど――、神様がいるのなら、君はアロイスとローゼマリーを失った僕に彼が与えてくれた贈り物なんだと思う。
 君が海の外に出て、僕に出会ってくれた事は、僕にとって確実な幸福なんだ。
 だから笑ってて? 僕は君の笑顔が大好きなんだから」


 * * * 



「――――様、ご注文は? ご注文はお決まりですか?」
 トリップしていた頭を無理矢理こちらに引き戻さんとする声に、ハインリヒは彼女の首で揺れる宝石に釘付けになっていた顔を弾かれたようにあげた。
「……aeah……」
 偉く半端な声を漏らすと、眉を顰めて顔を覗き込まれる。
「お客様、大丈夫ですか? 調子悪いの?」
 この困った顔も、よく見覚えがある。質問に答えないまま視線を下ろして、割烹着の胸につけられた名札を見た。彼女が自ら書いたものだろう高校生の女の子らしい丸みのある字が愛らしい。名前もそうだが、姉が書いていた流麗な字とは大違いだ。だからきっとこれは他人のそら似に決まっている。まあ、百歩譲って剣の花嫁の可能性もあるが、初対面の女性にそれを聞くのはどうだろうか。
「あのぉ…………?」
 ますます不安そうにしている彼女に、ハインリヒは笑顔を向けた。
「Gisellechen?(*ジゼルちゃん?)」
 名札の名前を読んだだけなのに、彼女は嬉しそうに何度もこくこくと頷くと、続けて自己紹介した。
「私ジゼル、蒼空学園のジゼル!」
 一点の曇りも無い笑顔――ローゼマリーが決して見せなかった本物の微笑みを目にして、ハインリヒは息を呑む。
 何時もどこか悲しげだったローゼマリー。彼女が消えたあの日まで、ハインリヒは姉に何もしてやれなかった。最愛の人に置いていかれて、気落ちした彼女にどう声を掛ければいいのかすら分からなかった。アロイスとローゼマリー、二人に一番近しい場所に居た筈なのに。何も出来ないのならせめて自分の望みを打ち明けて、手を伸ばしたら良かったかも知れないが、それさえ分からなくなってしまっていた。
 しかし今、姉と同じ姿を持った少女の笑顔を前に、ハインリヒは得心した。
(ああ、そっか……僕は――)
 あれから何年も経って漸く、幼い日から自分の望んでいたものに、彼は気がついたのだ。
(ローゼマリーにこうやって、笑っていて欲しかっただけだったんだ)


 * * *  * * *  * * * 

 

 その夜。ツライッツが興奮覚めやらない子山羊達を寝かしつけ終わると、先に部屋に戻ったハインリヒがベッドに入ってから、かれこれ一時間も経った後だった。
 既にベッドサイド以外の灯りは消されていたし、此方に向かって背を向けていたのに、彼が眠った様子がないのは、耳を澄ませば呼吸音で分かる。
 長兄コンラートが封印したアロイスとローゼマリーの話を聞いたのは、たった一度きりだったが、ハインリヒが次姉と義兄へ寄せていた深い愛情はその“たった一度で”ツライッツの中に深く印象づけられていた。
 ハインリヒは二人が生きている可能性を諦めていた様にも見えたが、それでも言葉の端々からは一縷の望みに掛けているようにも聞こえたのだ。
 その望みが、裏切られた。
 アロイスがローゼマリーを手にかけたという事実を突きつけられた。
 自らを蝕んで殺しかけ、殺人まで強要した存在が、ローゼマリーだと知った。
 そしてハインリヒは、これからローゼマリーを敵として罠にかけ、殺さねばならないのだ。人ならぬ身のツライッツにでさえ、彼が普段の平常心を保つことなど、到底無理だと、理解できる。
 慰めの言葉を検索して適切なものが見つからないと諦めると、ツライッツはハインリヒの枕元に座り込んだ。どうせハインリヒは眠れないだろうと思うと、自分だけスリープモードに落ちるのが憚られたのだ。
 ふと太腿に重みを感じて視線を下ろすと、薄明かりの中でゴールデンブロンドが目に入った。他人に甘える事が出来ない彼にこんな風にされたのは初めてで、ツライッツは軽い驚きと、不思議と嬉しさ、のようなものを感じながら、柔らかな髪を梳くように指を滑らせた
「何か……俺に出来る事はありますか?」 
「傍に居てよ」
 即答された言葉に不思議そうに微笑んで、ツライッツは答える。
「此処にいるじゃないですか」
「そうじゃなくて、ずっと。
 前にお願いしてくれたよね。
 もしクローディスさんが僕より先に死んだら、新しいマスターが現れる前に、眠る君の機晶石を砕いて欲しいって。
 だからその約束の時迄、ずっと傍に居て欲しい」
「そ……れは……」
 ツライッツは迷い、迷ったという事実に、戸惑って口を噤んだ。本来の優先事項を考えれば、一瞬でも逡巡すべきで無いはずの答えを出すのに、ふらついた。
 表情にも言葉にも混乱を隠す事が出来ないツライッツを見上げて、ハインリヒはその答えが戻ってくるのを知っていたと言う様な、自嘲気味な微笑みを向ける。マスターを絶対とする機晶姫、兵器、Geschwister-Dに、こんな望みをぶつけるのは困らせるだけだと知っていたからだ。
「うん、ごめん。ごめんねツライッツ、答えなくて良いよ。お休み」 
 ハインリヒはそう言ったきり、瞼を閉じてしまった。
 それから何時間もタイミングを失ったままでいたツライッツは、ハインリヒの髪がカーテンの隙間から差し込む陽光に反射したのを見て、初めて自分が一晩明かしてしまった事に気がついた。
 今日は、マスターであるクローディスがようやく病室を移る日で、自分はその手伝いに向かわなければならない筈だった。そういえば、連絡すらいれていない事実に気付いて、ツライッツはさあっと血の気が引いていくのが判った。
「俺は……なんで……、そんな」
 絶対遵守の優先順位、絶対権限者のマスターを自分が“忘れていた”という事実が、殆ど恐怖にも等しい感覚でツライッツを襲った。揺るがない筈の場所が、侵されざるべき基準が、狂っている。
 彷徨った視線は、未だ眠り続けているハインリヒの姿を捉えた。
(ハインツ――放ってなんて……いや、俺は、だって、……クローディスさんのところへ行かないと……行かないと……っ、行け……っ)
 足は信号を拒否するように動かず、もどかしさと、自分はどこか故障してしまっているのではないか、という不安に駆られて、頭が真っ白になる。
「マスター……っ」
 思わず、クローディスから禁じられているはずの呼び名を口にしながら、ツライッツは気がつけば部屋を飛び出していた。

担当マスターより

▼担当マスター

東安曇

▼マスターコメント

シナリオにご参加頂き、またリアクションをご覧頂き有り難う御座いました! 東です。

 今回は1パートがサイコロの出目によってアクションが代わるものでしたが、マスター自身どきどきしつつ掲示板をちらっと見に行ってみましたところ、別パートに参加するご予定のお客様方が見事に3を連発なさっていて、ネタ神様の存在を信じたくなった次第です。
 今回シナリオが成功しましたので、次回は毎度お馴染み殴って解決脳筋バトルでいく予定です。
 更に病院パートが成功致しましたので、そちらで得た情報が次回のガイドに反映されます。
 また最後のシーンは次回【一会→十会 ―魂の在処―】にも続いています。こちらもよろしくお願い致します(宣伝)

それでは次回、最終回にて、またお会い出来れば幸いです!