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記憶が還る景色

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記憶が還る景色

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■風もまた、変わること無く吹き続けている



 ゆらゆらと風に揺れる。



 ゆらゆらと風にコスモスの花が揺れている。
 濃淡豊かな色彩の背の高い花。
 ゆらゆらと、ゆらゆらと、優しく吹き渡る風にただ揺れている。

 此処はどこだろうか。と疑問に湧くまでもない。
 その景色をエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)はエセルラキアの記憶として知っていた。
 知っている。細部まで気づけるほど、はっきりと思い出せる。先ほどの白霧に視界を奪われてから何かが起こっているらしい。
 空京の公園のある場所ではコスモスが意図的に敷き詰められるように植えられ花を咲かせており、エースはその様子を今年もこの季節が来たんだなとぼんやり感じ眺めていたのだが、目の前の風景は明らかに時代が違った。
「ヤマプリーにある宮殿?」
 何気ない、一場面だ。
 建物と、沢山の花々。そして、優しい風。
 滅びと共に人生の終焉を終えたもう一人の自分。前世という遥かに昔のエセルラキアが生きていた世界に、ただ一人ぽつんと放り出されて、エースは咲き誇り風に揺れるコスモスに触れようと手を伸ばした。
 感触は、無い。
「夢、かな?」
 夢だろう。とエースは溜息に伸ばした手を引っ込めた。
「でも宮殿のコスモスは俺の知っているコスモスと変わりないんだね」
 背を伸ばし見渡す記憶は隅々まで鮮やかで、目の前で咲いている花は先ほどまで見ていた花とどんな違いがあるだろうかと思えるほど。
 確かエセルラキアはエースほど花に興味を持っていなかったはずだ。
 だから、エースは改めて気付かされる。
 花とて世代を繰り返せば形も変わる。しかし、変わらないままの花もある。ということに。

 変わらない、事。

 エースの中にあるエセルラキア。その存在は少なからずエースの人生に影響を与え、日常に僅かな歪をもたらしていた。
 悪影響ではないと断言できないのは、歪んでいる為だ。前世と現世という二つの心と、乗り越えなければいけない死と誕生の歯車は上手く回りきっておらず、その事実を受け入れるには人の体では限界がある為だ。二つを一つとして統合してしまえば歪みも正されるというのに、手放そうとしないのはエースであり、その点を考慮すれば統合してもいいのにと考えているエセルラキアのが潔いと言えば潔い。
 何故手放せないのか。
 滅びと死が直結した魂をそのままにしたくないから。少なくともエースはそう考えている。そう感じてしまう。
 共に居れば自分が感じる全てを一緒に享受できる、と。

 しかし、コスモスは。
 この記憶の中のコスモスと、公園で揺れていたコスモスは、
 違う花で、同じ花だ。
 過去と現代という隔たりこそあるが、コスモスの花という一点において一切の差など無い。
 エセルラキアと、エースも、
 違う存在で、同じ存在だ。
 前世と現世という隔たりこそあるが、存在という一点において一切の差など無い。

 そこに失う要素がどこにあるのだろう。

 増えることもないが、欠けることもない。
 人格を尊重しているが為に失うべきものではないと統合を躊躇っていたエースは風に揺れるコスモスに視線を落とす。
 コスモスだけではない。興味がなくて全部は覚えていないあの時代幾度と無く目にしていた花々も同様に、国も滅んで、種族も絶えてしまって、あの大陸の場所すらわからなくなって、何もかも失われてしまったと思われていたが、それでもあの頃から続いている存在もあるのだ。

 失う要素がどこにあるだろうか。
 エセルラキアの延長線上にエースが居るように、
 エースが振り返ればエセルラキアはそこに立っているのだ。
 その事実は、決して、欠けはせず、失われることもない。

 白霧に包まれてわかった事は。
 何気ない風景でもエセルラキアは確かに覚えていて、
 エースはそれを確かに思い出せたという事。

 エースは顔を上げる。
 ヤマプリーの宮殿に植えられたコスモスは色鮮やかな花を咲かせて、優しい風にゆらゆらと揺れていた。



…※…※…※…




 少し歩くとダリルと話している破名を見つけた。
「エースか」
 名前を呼ぶと七夕ぶりだなと返事が返ってくる。悪魔の周りには薄っぺらい半透明の文字が揺蕩っていて、彼が何かをやっていたらしい事はすぐにわかった。
「珍しいね。何か悪さでも?」
「誤解を招くような言い方を……研究は凍結すると宣言した」
 作業中故か返答は明確で、エースは思わず笑った。
「じゃぁ、やっぱり破名の仕業だったんだな」
 突然の白い霧は。
 指摘すると、破名は返答に困ったと口を噤むので、エースは笑ってしまう。
「ありがとう」
 笑ったまま、伝えた。
「何故礼を言う?」
「なんでだろうね? でも、言いたかったんだ」
 釈然としない表情の破名に「気にしなくていいよ。俺もよくわからないし」と伝えたエースは、公園に植えられているコスモス達へと視線を向けるのだった。



…※…※…※…




 私、何処か廟の様な所に植わっているのね。
 その場所から私は動けないの。だって百合だから。
 大輪の花を咲かせて、風と戯れて、ゆらゆらと揺れているの。ふわふわと。
 毎年咲いては枯れてを繰り返しながらある年から私の興味は花が咲く頃いつも廟に現れる人に向けられていたの。
 その人は、深い悲しみと後悔で心が満たされているの。
 黙ったまま祈る様に花束を置いてゆくのね。
 その後姿が悲しくて切なくて、ただ風に揺られて見送ることしかできなかったわ。
 そしてその人以外にもう一人、気になった人がいるの。
 立ち去る彼の背中を、いつの間にか、じっと見つめる女性も私は気になっているの。
 でも彼女、もうこの世ならざる存在なのね。ただ芽吹き花を咲かせるだけの私でもわかった。
 悲しそうに眼を伏せて、花束に触れる事も出来なくて。この人もとても悲しそうだったの。
 私があまりにずっと見つめていたせいね。女の人が私に気づいたわ。
 ゆらゆら揺れる私に「あの人を、どうかどうか、お願いね」って、お願いするようになったの。
 だからかしら。
 その祈りを吸ったから、その姿を模してしまったのね。
 出会った時にすぐ判る様に。



…※…




 ″剣″が傍らに在る時の″彼女″の表情はとても穏やかで、私の元では見せた事のない表情で微笑む。
 ″剣″だ。嗚呼、″剣″だ。彼女を護る為の″剣″である。
 それなのに、道具以上の逸脱行為を繰り返し、最終的には彼女を誘拐し、軟禁まで!
『違うのよ』
 と、彼女は訴えた。危険物として見做し封印する私の手に己の手を添えて「違うのよ」と繰り返していた彼女。それでも事を強引に進めたのは自分だ。″危険だから封印するしか無い″と説得して。
 彼女を護る為の剣を封印してから数日、彼女はゆらゆらと不安に揺らめく瞳で自分を見上げ、愛らしい唇を開く。
『メシエ、私の剣はいつ戻れるの?』
 可憐な声は緊張で僅かばかり硬くなっている。平静を装うとして、失敗していた。
 彼女が″彼は″とは言わず、″剣″と言ったのは私への歩み寄りだろう。
 だから、何度も繰り返し言い放った「」という台詞を私は今回は呑み込んだ。
「封印をいつか解いてくれるわよね?」
 と、彼女は重ねる。
「約束してね」
 と、私に信頼を伝える。

 そして、彼女は護られなかった。



…※…※…※…




 ふと。
 手に温もりを感じ、メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)は現実に引き戻された。
 何の温もりだろうと顔を横向けたメシエは「ああ」と声を漏らす。
 そう言えば、逸れないようにと手を掴み握っていた。
「なんだか悲しそうな顔」
「そうかな?」
 リリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)に、メシエは心当たりが無くてどうしてそんな質問をと首を傾げた。
 質問を返されて、リリアは笑う。
「しっかりして。これから皆に報告に行くんだから」
 リリアはそっと自分のお腹に手を添えた。彼女は自然と優しい眼差しになっている。
「幸せの報告に行くのよ。そんな悲しい顔をしないで?」
「リリア」
「大丈夫。私も一緒だから。勿論、メシエが一緒なら私も大丈夫」
 顔を上げて、とリリアはメシエを誘う。
 メシエとリリア。
 共に道を歩む二人に時間は待ってくれない。二人はそう遠くない日に、三人に増えるのだから。