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三つの試練 第二回 咲かせて、薔薇色吐息

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三つの試練 第二回 咲かせて、薔薇色吐息

リアクション

3.

 次第に冷え込みを増す空気に、ぶるりとトマス・ファーニナル(とます・ふぁーになる)は背筋を震わせた。
「寒いのですか?」
「武者震いだよ。先生」
 魯粛 子敬(ろしゅく・しけい)にそう答え、ファーニナルは毅然とした眼差しを行く手に向ける。そんな彼の姿を、魯粛はやや心配げに見やった。
 先日の学園祭において、BLの謎を解こうと乗り込んだファーニナルは、『BL=ブラックラビリンス』という誤解を抱いたままである。魯粛にしても、できればそのまま誤解しておいてほしいということもあり、訂正はあえてしていない。
 その上で、BLの謎にさらに迫るため、どうしてもジェイダスにファーニナルは会いたかった。薔薇を手に入れるのは、そのための手段だ。
 種は薔薇の学舎に立ち寄り、すでに入手済みだった。あとは、より美しい花を咲かせるため、苗床はなるべく協力な……そう、できればリーダー格の吸血鬼に、彼は挑むつもりだった。
 それにしても、静かだ。数度、建物全体が揺れ、破裂するような音は耳にした。どこかで戦闘が行われていたのだろう。しかし今では、再び沈黙が館を支配している。
(しかし、どこだ……?)
「坊ちゃん、あれを」
 魯粛の指し示す方を見やると、最初は棒きれのように見えたものが、横たわった人間の足の、膝から下だけが見えていることに気づいた。この角の向こうに、なにかいるのか。あるいは戦いの後なのか。
(なにか、いる……)
 薄ぼんやりとした灯りが、ちらちらと揺れている。影はこちらからは見えない。慎重に近づいたファーニナルは、そこに戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)の姿を見つけ、ぴしりと背を伸ばすと敬礼をした。
「……ファーニナル殿ですか」
 静かに呟き、戦部は振り向いた。
「何故、ここに?」
「なにか、屋敷そのものに秘密があるかと踏んだのです。しかし、それについては、無駄だったようですね」
 ファーニナルの前には、今にも息絶え絶えな吸血鬼の姿があった。どうやら、尋問をされていたらしいが、もはや口をきくこともできない様子だ。
「この屋敷は、たしかにもとはタシガン家のものでした。しかし、後にエルジェーベトなる貴族に譲渡されてたそうです。いずれも古い話だそうですが。……それが彼らのリーダーという、それだけの話でしたよ」
 当てが外れたといわんばかりに、戦部は軽くため息をつくと、白い手袋をきゅっとはめ直した。
「それが、リーダーか。今は、どこに?」
 勢い込んで尋ねたファーニナルをちらと見やり、戦部が首を振った。
「やめておいたほうがいいですよ。……彼女は、相当に強く、また残虐だと聞きます。たとえ二人でかかったとしても、危険です」
 それに第一、本来ここの討伐は薔薇の学舎の生徒たちがするべきことだ。そう釘をさされ、ファーニナルは唇を噛んだ。
「ああ、そうだ」
 そのまま立ち去りかけた戦部が、不意に立ち止まる。そして、思い出したように種を取り出すと、瀕死の吸血鬼の傷口に押しこんだ。
 ――見る間に、赤黒い薔薇が咲く。おぞましいその光景を、彼らはじっと見下ろしていた。なぜだか、目をそらすことができなかった。
「一応は、回収しておきます」
 淡々と戦部は薔薇を手折り、懐に入れる。
「ところで、ファーニナル殿は?」
「僕は、BLのために。ジェイダス校長に面会するつもりです」
(坊ちゃん、それはちょっと……!)
 内心で魯粛は慌てるが、時すでに遅しだ。戦部はやや驚き、それから、深く息をついた。
「……そういったことは、個人の自由です。しかし、相手がジェイダス殿というのは……」
 遊ばれるのがオチであり、教導団としては、ヘタをすれば笑いものになりかねない。戦部はそれを危惧したのだが、真剣な表情のまま、ファーニナルは答えた。
「やはり、直接では無理な相手だと?」
「まぁ、そういうことです」
(確かに、おいそれと教えてくれるような御仁ではないか……)
 ファーニナルはそう納得する。とはいえ、二人の思惑はさっぱりすれ違っているのだが……。
「ここは一旦、引きましょう。タシガンの情勢を掴めただけでも、収穫です」
「ええ、そうですよ。坊ちゃん」
 魯粛にもすすめられ、ファーニナルは戦部とともに、屋敷から引き上げることにした。



 ……そして。
 屋敷の最奥。別棟となっていた建物に最初にたどり着いたのは、ナンダ・アーナンダ(なんだ・あーなんだ)だった。
 目に入ったのは、天井近くまで壁を覆うステンドグラスだ。……かつては美しかったろうが、今はすでにひび割れ、あちこちが崩れている。描かれているのは、タシガンの風景と、薔薇だろうか。月光に、ぼんやりとしか今はその図絵を判別できない。
 イメージとしては、礼拝堂……そんな感じだ。なにかしらの、祈りの場。以前はそうだったのかもしれない。
 ステンドグラスを背に、たった一人、黒衣の女性が座っている。裾の長いドレス。頭からは黒いベールを被り、跪いている。祈りの最中なのだろうか。
「……キミが、リーダーなのか?」
 アーナンダは尋ねた。彼女の返答はない。用心しつつも、少しずつ距離を縮め、アーナンダはさらに問いかけた。
「教えて欲しいんだよ。どうしてこんなことをするんだ? それさえ聞かせてくれれば、危害を加えようとは思わないよ」
「主は、それを聞いてどうする?」
 彼女はむしろ、そう問い返す。跪き、俯いたまま。それは、不思議な声だった。若いような、年老いているような。不思議と反響して聞こえ、確かにそこにいる彼女が告げた言葉かすら、一瞬判別がつきにくかった。
「分かり合う道を探したいだけだよ」
「……ならば、要求はひとつ。疾く、この地を去れ。地球へと戻るがいい」
 彼女の声色は硬く、迷いはなかった。
「それとも。話し合いというならば、それなりの条件を提示するものだ。主らは、わらわになにを与える? ジェイダスの首でも持ってくるならば、考えてもやるが……どうする?」
 女の口元に冷笑が浮かんだ。きらりと、鋭い犬歯がその赤い唇からのぞく。
「僕たちは、ただ、お互い平和に過ごしたいだけだよ」
 アーナンダは、さらにそう説得を試みる。
「ならば、わらわの下僕になるか? 主らが頭を垂れ、わらわたちの食料となるというのなら、この地はさぞ平穏になろうよ」
 彼女は立ち上がった。黒いベールの下、その表情はアーナンダにはよく見てとれない。しかし、背筋に一気に冷たいものが走ったのは、事実だった。
「…………」
「どけよ!」
 わずかにアーナンダが後退った時だった。
 彼女とアーナンダの間に割ってはいったのは、波羅蜜多実業高等学校の高崎 悠司(たかさき・ゆうじ)
だ。
「エルジェーベト伯爵夫人てのは、あんたか」
 ぺっと唾を吐き、高崎は女吸血鬼を睨み付けた。
 高崎は最初から、リーダーを探しだし、種を植え付けるつもりだった。上手く見つかるかは賭だったが、偶然戦部の尋問を耳にできたのはラッキーだ。
「薔薇学の紳士たちってのは、どうしてこうまだるっこしいかね。オラ、とっとと逃げろよ!」
 高崎にとっては、強さこそ美だ。怯まず、恐れず、抗う強さこそが。
 そうは言われたものの、アーナンダも、高崎を見捨てるわけにもいかない。
「虫けらが……」
 エルジェーベトが低く呟く。……その背から、黒い影の翼が大きく広がった。彼女の持つ闇の力が、空間に増幅されていく。
「だりぃなぁ……」
 呟き、高崎は剣を構えた。アーナンダは咄嗟に、彼女の目前に酸の霧を放つ。……しかし、それはあっさりと、彼女の翼の羽ばたきに雲散霧消となった。
 だが、その風を割るように、高崎の剣がエルジェーベドに切迫する。
「おらぁ!!」
「…………」
 けれども、その攻撃も、彼女の手にした扇の一閃で、軽々と弾かれてしまった。
「その程度か……」
 かわりに、彼らを襲ったのは、熱い炎の嵐だった。
 身にまとう衣服が焼けこげ、爆風にはじき飛ばされる。
「だ、大丈夫ですか!?」
 転がりながら彼らにかけよったあい じゃわ(あい・じゃわ)が、不安げにそう問いかける。しかし、二人はうめき声をあげる他にできなかった。
「遅かったようだな……」
 藍澤 黎(あいざわ・れい)は、その惨状を前に、沈痛な面持ちで呟いた。
 クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)は、どこか値踏みをするような瞳でエルジェーベドを見やった。なるほど、リーダー格というだけあって、他の吸血鬼とはその力は比べものにならないほど強大のようだ。
 クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)は、サーベルとシールドを構え、鋭い眼差しでエルジェーベドに対峙する。
 ……今現在の性別はともかく、英国紳士として、女性相手ならば、極力、残るような傷を与えないようにして戦いたいとクリスティーは思っている。しかし、それだけの余裕があるかは、いささか不安もあった。
 あいじゃわの手を借りて起き上がったアーナンダが、ヒールでもって、自分と高崎の手当を施す。少なくともこれで、多少なりと動くことはできそうだ。
「わらわの美のために、その血を差し出す者が増えたか」
 エルジェーベトの哄笑に、藍澤は唇を噛んだ。
 ……薔薇を育てる者として、この種に対する藍澤の嫌悪感は深い。
 彼らを捕らえよというだけでは飽きたらず、なお屈辱を与えるという校長の考えは、今でも理解しがたいものだ。
 しかし。
「タシガンの地に、われら純血の吸血鬼以外はいらぬ。選ばれた者のみが、あの御方とともに栄光を手にできるのだ」
(あの御方?)
 その言葉に、微かに藍澤とクリストファーはひっかかりを覚えた。
 おそらくは女王のことだろうが、しかし。
「っ!」
 激しい炎が迫り来る。どうやら、これ以上のんびりと考えていることは難しいようだった。
「致し方有るまい、か……」
 藍澤は苦しげに呟く。話し合いの道は、どうやら無い様子だ。
 スピアを構え、クリスティーに並ぶ。どうやら、前衛となれるのはこの二人だ。クリストファーは深く息を吸うと、彼らのために高らかに歌い出す。
 エルジェーベドが放つ暗黒の障気を退け、輝かしい歌声とともに、光の矢のように、サーベルとランスが繰り出される。
 炎と氷がぶつかり合い、衝撃が大気を震わせ、咆吼が天を突いた。
「黎!」
 じゃわもまた、己自身傷つきながらも、必死に藍澤を護ろうとする。
「藍澤さん……お願いが、あるんだ」
 肩で息をつき、わずかな攻撃の合間に、クリスティーが声を潜めて口を開いた。
「あの人を、なるべくひきつけて欲しい。その間に、ボクが、種を使う。……そうでなきゃ、動きを止めることもできないよ」
「あれを?」
 『種を使う』という言葉に、藍澤は抵抗を覚えるが、クリスティーは。
「なんにせよ、種を植えられた者達は殺されないですむという事だと思う。……それなら、ボクは救いたい」
「…………」
 クリストファーも、どうやら事前にクリスティーの思いを聞いていたらしい。藍澤に助力を求めるような視線を寄越す。
「……わかった。それならば、協力しよう」
 藍澤自身は薔薇を持ち帰ろうとは思わないが、この場から全員が無事に脱出するには、確かにそのほかにないようにも思えた。
 ゆっくりと藍澤は立ち上がる。その白い制服は、すでに血と土埃に汚れていた。しかし、高潔な眼差しのまま、藍澤は大声で呼ばわった。
「わかった。エルジェーベド殿の勝ちだ! ……我を、好きにするがよい」
 目を閉じ、手にしていた武器を床へと落とす。傍らのあいじゃわは、そんな藍澤を心配げに見上げていた。
「素直なのは良いことだ……近う、寄るがいい」
 エルジェーベドが嘲笑う。その近くへと、ゆっくりと藍澤は近寄っていった。
 藍澤の白い頬に、女吸血鬼の冷えた指が触れた。その弾力を確かめ、慰撫するように。
「美しい……わらわの餌になる光栄に、感謝することだ……」
 うっとりと彼女が呟いた時だった。
「……!」
 隙をつき、一気に近づいたクリスティーの指が、エルジェーベドの耳から種を押し込む。
 果たして上手く根付くかは賭けだった。しかし。
「ひぃ、ぎ、あぁ――ッ!!」
 目を見開き、エルジェーベドが絶叫する。その恐ろしい悲鳴は、聞く者の心を凍り付かせた。
 女吸血鬼は、頭を両手でかきむしるようにしながらその場で悶絶する。黒いベールがびりびりに裂かれ、舞い落ちる。額から血を流そうとも、彼女はそれをやめようとしなかった。
「やめろ、やめ、………っ!!!」
 黒い障気がふくれあがり、爆発した……ように、見えた。
 彼女の強大な力を一気に養分とした種が、おそろしいスピードで成長し、その茨の蔓を伸ばしていく。見る間に彼女は太い蔓に飲み込まれ、その姿は見えなくなった。
「……………」
 想像以上の恐ろしい光景に、彼らは一様に言葉をなくす。やがてそれは、一本の大樹のように、互いに寄り合わさり、天井へまで伸びきっていく。ついにはやがて、この棟全体を覆わんばかりの薔薇の木となった。
 ……そして、白い薔薇が。まるで、手向けのように咲き誇る。
「いつか、時代が変わったら……その時には、目覚められるなら、良いんだけどな……」
 クリスティーはそう呟きながら、そっと、一輪の薔薇を手にした。