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リアクション
chapter.5 蒼空学園防衛戦(3)・心配と信頼
校長室。
涼司の近くで床にぺたんと座り込んでいたのは、隼人のもうひとりのパートナー、河合 栄志(かわい・えいじ)であった。それまでテーブルの上のお菓子をつまんでいただけだった栄志だったが、脳が何かを感じ取ったのか、ぴたりとその動きを止めた。
「……ブー」
どうやら強化人間である栄志は、精神感応で言葉を受け取ったようだ。もちろん、発信者は契約者である隼人だろう。
栄志は隼人からのメッセージを受け取ると、涼司のそばまでハイハイで近寄ると、置いてあったきゅうすを手に取り、床へとこぼした。
「おいっ、何を!?」
涼司が止めようとするが、栄志は手を前後左右に動かし、まったく止めようとしない。涼司が力づくでそれを手から奪った時、彼はその床に染みで文字が書かれていることに気付いた。
「てき なかに……?」
そこには、確かにその5文字が書かれている。これがでたらめではないことは、外から聞こえる激しい戦いの声とヒリヒリした空気が証明していた。
「いよいよ時間がなくなってきたな……!」
涼司は、まだパスワードまで辿り着けないでいた。これといったヒントが手に入っていないのだから、当然といえば当然である。
「山葉くん、焦っても混乱を招くだけです。冷静にいきましょう」
そんな彼に、御凪 真人(みなぎ・まこと)が声をかけた。彼もまた、涼司をサポートするべく校長室でパソコンを使用していた中のひとりだった。
「外側からの攻撃と、内側からの攻撃。偶然とは思えない襲撃ですが、同時に攻め込まれたなら、両方とも食い止めるまでです」
真人は、この非常事態においても冷静さを欠かさず、落ち着いた口調で言った。焦ることがマイナスにしかならないと自覚しているのだろう。
「ここが提携先だからといって、管理権限のパスワードを知っているわけではないんですよね?」
確認の意味を込めて、真人が涼司に聞いた。
「ああ、管理団体は大学側にある。それに、さっきアクリトから聞いたが、どうもその団体が管理していたパスワードさえも、何者かに改ざんされたらしい」
「そうですか。なら、アクセスログを調べてバグの起点から犯人を捜索する……ということも出来ないですよね」
「だな。地道にその改ざんされたってパスワードを調べてくしかない」
「……分かりました」
涼司から現時点での状況を聞き、真人はタウンへとアクセスした。そして、タウン内の蒼空学園で購買データと思われるファイル名を公開する。もちろん、本物ではない。データ量を増やすための、ダミーである。
「とりあえず、こういったダミーを割り込ませて、時間を稼ぎましょう」
それは、先程凶司がしたことと似たようなことだったが、人手が増えればそれだけ効果も高くなる。彼らがタウン内に紛れ込ませた偽造データは、学園の内部破壊をギリギリのところで食い止めていた。
「助かるぜ。さて、時間を貰ったって言ってもそんなに長時間はきっと持たないだろうから、早いとこ解析しないとな」
「当てはあるんですか?」
意気込む涼司を、真人が諌める。
「パスワードは、闇雲に打ち込んでも当たる確率は限りなくゼロですよ」
「そ、それは分かってるけどよ……」
それでもやるしかない。そう言おうとした涼司を制し、真人はアドバイスをした。
「誰が改ざんしたのかは分かりませんが、恐らくそれを登録した人物が憶えやすい言葉や数字ではないでしょうか? その辺りから推測して探してはどうでしょう」
「なるほどな。つまり、実行犯を見つけ出すのが近道になるってわけか」
「はい、相手の意図を読んでいくことが答えに辿り着くことになると思います。とにかく、情報収集と分析を行うしかないですね」
真人の助言を聞き入れ、犯人を特定するべく涼司は各方面から情報を集めようと連絡を回す。一通り伝達が終わり、再び解析作業に戻ろうとした涼司の元に、客人が現れた。校長室の扉を開け中へ入ってきたのは、頭の上にパートナーのシンフォニー・シンフォニア(しんふぉにー・しんふぉにあ)を乗せた五月葉 終夏(さつきば・おりが)であった。
「山葉君……」
彼女は学内の生徒ではなかったが、涼司のことを考えた時、ここに来ずにはいられなかったのだ。校長室の慌ただしい様子を見て、その終夏の表情が一瞬引き締まる。しかし、彼女は決して心配そうな、不安げな表情は見せなかった。
――私は案じてないよ。だって、信じてるから。
その心の声を、涼司に届けはしない。代わりに彼女は、涼司の座っている椅子に近づく。
「終夏、今このあたりは危な……」
「知ってるよ。だから、守りに来たんだ。山葉君がここを守れるように」
涼司の言葉が終わる前に、彼女の声が被さった。
「ほら、前を見なきゃ」
自分の方を向いていた涼司だったが、終夏はそう言ってパソコンへと視線を戻させた。涼司が少しの沈黙の後、軽く頷いて向き直った。終夏からは、彼の背中しか見えない。彼女は涼司が座っている椅子に背中をつける。狭いこの部屋で、背を向け合うふたりはどこか切り離された世界の住人にも見えた。終夏が、裏側にいる彼に言った。
「大丈夫、電脳世界なら君は負けないよ」
終夏の言葉と同時に、シンフォニーが「けろけろ」と声を上げながら彼女から彼の頭へ飛び移り、SPリチャージをかける。彼女たちなりの応援であった。それを受け取った涼司は、たった一言、返事を告げる。
「……サンキューな」
そこに、本郷 翔(ほんごう・かける)がお菓子とお茶を持って姿を現した。
「山葉様、お疲れ様です。疲労も溜まっているでしょうから、これで少しでも体調を改善なさってください」
こと、と静かな所作で涼司の机にそれらを置きながら、翔は言った。
「先日の、生徒会業務マニュアルの件は決裁しやすいよう整理しておきました。後回しに出来そうなものは極力後に回し、緊急事態を脱してから対応出来るようになっています」
どうやら翔は、新生徒会に関する書類を作成することで、涼司の負担を減らそうとしたようだ。確かに、緊急事態といえど校長である涼司はウイルス対策ばかりにかまけてはいられない。そして、この事態を脱した時にあらゆる準備は整っていた方が良いことも事実だろう。
「これでより集中して取り組めるな。助かるぜ」
礼を言われた翔は、「執事として全力を尽くすことが、必要なことだと思いましたので」と深く頭を下げた。さらに翔は、自分の後ろにいたパートナーのソール・アンヴィル(そーる・あんう゛ぃる)に声をかける。
「頼んでいたお守りは、ありますか?」
「ああ、ここにあるぜ」
言って、ソールが前へ進み出る。その手には、翔が用意させた禁猟区によるお守りがあった。
「俺にとっても、校長は大切な存在だからな。しっかり脅威に備えるぜ」
ソールが頼まれていたことは、ふたつあった。ひとつは今ソールが手にしているお守りで、危機を感知すること。もうひとつは、その危機が訪れた時、涼司の護衛をすることであった。
そしてその「危機」は、思っていたよりも早くに発生することとなった。
ソールのお守りが涼司の手に渡って間もなく、それが反応を示したのだ。
次に、ばきん、と鈍い音がドアの方から聞こえた。その場にいた全員が、一斉にその方向を向く。そこには、ドアを壊し、中へ入ろうとしていた一匹のアンデッドがいた。太い腕周りは、他のそれらよりもパワーがあるタイプであることを主張している。
「敵だ!!」
誰かの声が響く。涼司も、パソコンを動かしていた指を一旦止めた。
「くそっ……ここまで来ちまったのか」
咄嗟に立ち上がろうとする涼司。しかし、それを止めたのは終夏だった。彼女は体を出入り口の方へ向きかけた涼司を後ろから両腕で包み、その中に閉じ込めた。ぎゅっと伝えた熱が、涼司の全身に広がる。熱。それは、終夏が持っていた大切な温度だった。直後、自らその熱を打ち消すように終夏は自身を中心として風を起こした。小さなそのつむじ風は、涼司ごと覆い、風の鎧となった。
「さっきも言ったじゃないか。前だけ見てて、って」
自分がやるべきことだけをやってほしい。そう思っての行動だった。
「君の命は必ず守る。けど」
風の中でしかし、終夏の声ははっきりと涼司に聞こえた。
「自分の誇りを守れるかどうかは、山葉君次第だよ」
「……分かったよ」
信じているからこそ、信じてほしい。私たちを。自分自身を。終夏の言葉は、そう言っているように思えた。
「よし、ここは俺に任せな」
終夏が涼司を守っていることを見届けると、ソールが目の前の敵に立ちはだかった。その手には既に、冷気が集まっている。
「おっ、来たな」
ドタドタといびつな足音で、体格の良いアンデッドが迫ってきた。ソールは周りにあるパソコンなどの精密機器を壊されないよう周囲に気を配りつつ、ひらりと紙一重で攻撃をかわしていく。
「これで、周りの女の子たちも改めて惚れ直すかな、っと」
敵の右ストレートをかいくぐったソールは、その懐に潜り込むと、至近距離で氷術をぶつけた。
「……!」
くぐもった声――恐らくは悲鳴なのだろうが、アンデッドの口からそれが漏れると同時に、氷はその体を凍らせ始めていた。そして、やがて全身の動きが止まり、周りの者も一息を吐く。
「今のうちに、外に放り出しておかないとな」
その場にいた生徒たちは凍った目の前の敵が復活しないよう、力を合わせ窓からそのアンデッドを放り投げる。とりあえず部屋から危機は去ったものの、この校長室までアンデッドが入ってきてしまったという事実が彼らの危機感を増大させた。
「どうも、現状では後手に後手にと回ってますね……」
真人が防戦一方のこの状態を残念そうに呟く。
「これ以上被害がでかくなったら、防ぐことすら難しくなってくるぞ」
涼司が真人の言葉に反応すると、連鎖するように周囲からも声が上がった。
「現時点での被害の規模をまとめないと!」
「ここ以外では被害報告は出ていないんですか?」
それらを聞いて、涼司がぴた、と動きを止めた。
「……そういや、さっきアクリトと連絡を取ったが、大学の方で被害が出たって話は出なかったな」
そればかりではない。行方不明になった一部の者を除けば、被害のほとんどは蒼空学園の周りでしか起きていないのだ。涼司は、改めて嫌な気配を感じた。その間にも当然、内側と外側ではウイルスとアンデッドたちの侵略が進んでいる。
激しさを増すばかりの蒼空学園とは対照的に、空京大学は静けさを保っていた。
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