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【Tears of Fate】part1: Lost in Memories

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【Tears of Fate】part1: Lost in Memories
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 まさしくその混沌を導こうとする者――クランジΘが、散らかったチェス盤を惚れ惚れと眺めていた。
「盤が混沌としてきたね。いい兆候だ」
 チェスの定石からすれば常識外れもいいところだ。どちらが優勢かもわからない状態で、下手な指し手同士、あるいは、一般人の尺度では測れないほど高度な指し手同士でなければ実現しそうもない盤面であった。
 このとき、本に囲まれた小部屋の扉が音もなく開いた。
「おや、ここがわかる人間がまだいたとはね。もう撃ち尽くしかと思ったが」
 シータは座ったままチェアを回転させ、来客を迎えた。
「クランジの狙いはエリザベート殺害ではない……すくなくとも、それだけではないと思った」
 涼やかな目をした青年が、ドアのところに立っていた。
 少年、というには大人びているが二十歳には達していないだろう。教導団の制服を着ていた。
「大量の機晶姫が導入されているのも何かから目を逸らようとしているのではないかと」彼は、シータの目の前のチェス盤に目を向けて続けた。「それと、トレジャーセンスが君の骨董チェスセットに反応したみたいだ」
「なるほど……それで私を見つけた、と? なかなかやるね。おめでとう」
「ところで君は何者?」
「怪しい者だよ、とでも返答したら満足かな? 私はクランジΘ(シータ)、高等クランジ『タイプI(ワン)』ということになるね。君の知っているようなクランジが大衆車だとすれば、私は高級車というやつになる。いや、F1カーかも」
 シータが笑うのを聞いても、彼は肩をすくめるだけだった。
「ところで軍人さん。お名前は?」
「クローラ・テレスコピウム」
「ははあ……情報は得ているよ」シータは眼鏡を直し、唇を歪めた。「クランジΥ(ユプシロン)――諸君の呼び方だとユマ・ユウヅキということになる――に懸想して振られた子だろう?」
「振られたつもりはないよ」
 平然とこたえる彼に、シータは少々興を削がれたような顔をしたがすぐに余裕の表情に戻った。
「ところで、チェスの相手をしてくれないか? 話はゲームをしながらということで」
「チェスや囲碁はあまり得意じゃないんだけど……僕が勝ったら、何かくれるのかい?」
「そうだね……じゃあ」
 シータは眼鏡を外した。髪を解いて左右に振る。赤毛のロングヘアと思っていたが見間違いだったようだ。彼女はボブカットで、しかも菫色の髪をしていた。そして顔は……眼鏡をしていなかったので気づかなかったが……。
「私を、好きにしていいです。クローラさん」
 ユマと瓜二つではないか。
 いや、声、口調、それらがユマそのものになっている。
「私、実はユマ・ユウヅキだったんです。クローラさん」
 彼は呆然として、魂を抜かれたような口調で答えた。
「え……あ、そ、そうだったのか……ところでハーブティ持ってきたんだけど、飲む?」
 ぺたん、と彼は座り込んでしまった。
 シータはくっくと笑った。猫なで声で言う。
「あらどうしたんですクローラさん? 勝負しましょうよ〜」
 だがこのとき、
「ああ、勝負しよう」
 そこにも黒髪の教導団員がいた。まるで虚空から急に出現したかのように。
 弾かれたようにシータは立ち上がった。やはり彼女はユマに似ているわけではない。眼鏡をとっただけの赤毛のシータだ。
「古典的な催眠術か……傍目八目というが、横で見ていると丸わかりな上に田舎芝居でしかないな」
 黒髪の青年は凛然とした雰囲気だった。まんまと催眠術にかかり、シータがユマに変貌した夢を見させられている彼とはタイプが異なる。
「念のため俺はマントで姿を隠し、俺のパートナーセリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)に代役をしてもらったわけだ。悪いな、試すようなことをして。しかしそちらも騙す気満点だったわけだからイーブンということにしてもらおう」
「……一本取られたね」
 シータから余裕の表情が消えている。
 今、立っている黒髪の青年こそが本当のクローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)なのだった。
 彼女はチェスセットに手を伸ばすが、やめた。すでに催眠術と看破されている以上、今さら試したところで無意味だろう。
「セリオス……セリオス……!」
 クローラはセリオスに活を入れて目覚めさせた。
「ちっ」
 シータは上着の胸ポケットに手を入れた。武器がしまってあるのだろう。
 しかしクローラは攻撃するそぶりすら見せずセリオスの隣に座った。
「殺し合いに来たわけじゃない」
 クローラは駒を並べながら言った。
「言っただろう? 改めてチェスの勝負を申し込む」
「あえて私の得意分野で勝負しようというのか……!」
 クローラは軽く首を振った。
「チェスは戦術的思考を養うのに役立つ……俺にも少し、心得がある」
 心得がある、という言い方に自尊心を刺激されたのだろう。シータは苛立たしげに問うた。
「いいよ。じゃあ、勝負してあげよう。勝ったら何がほしい?」
「量産型機晶姫を止めると言うのはどうだ?」