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【●】月乞う獣、哀叫の咆哮(第1回/全3回)

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【●】月乞う獣、哀叫の咆哮(第1回/全3回)

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 イルミンスールの森付近で、激しい攻防が行われていた頃。
 一向はトゥーゲドアの町に到着していた。
「……思っていたより、変わっていませんね」
 リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)は、ほっとしたように息をついた。
 地輝星祭の折、超獣の出現によって混乱に陥ったものの、建物が破壊されなかったことと、危惧されていた土地の力の急激な枯渇もなかったためだろう。幸いにも被害者のなかったことで、人々は日常を取り戻しつつあるようだった。
 ストーンサークルのあった町の中心へ向いながら、そんな町並みを眺めていた早川 呼雪(はやかわ・こゆき)は、不意に「ひとつ、確認しておきたいんだが」と口を開いた。
「その体の持ち主は、今どうなっているんだ」
 その問いに、この町に暮らしていた少年――ディバイスの体に憑依している状態のディミトリアスは、考えるように僅かに首を捻った。
「どうもしない。俺に主導権を預けて、眠っている、という感覚が近いが……何故だ?」
 首を傾げたディミトリアスに、呼雪は僅かに目を細めた。
「ちゃんと元に戻れるんだろうな」
 鋭いが、その言葉の中に少年への心配を察して、ディミトリアスは頷いた。
「俺の魂は体を間借りしているだけだ。体を奪うつもりはない」
 最悪の場合、クローディスが嵌めさせた腕輪の力を使えば、憑依は解けるだろう、とディミトリアスが続けるのに、呼雪は僅かに安堵の息を漏らした。
「それなら、そちらは任せて構わないか。少し、調べて起きたいことがある」
 流石に、ディバイスの父親の死の真相を調べてきます、とは、意識が無いとはいえ本人の体を目の前にしては言えない。意味深に呼雪から目線を向けられた天音が、それを察して頷いた。
「わかった。そっちは頼むよ」
「じゃあ、行ってくるね」
 早々に踵を返す呼雪と、その横でヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)が手を振るのを見送ると、一向は町の中心へと足早に歩を進めたのだった。



「これは、太陽、かな」
 ストーンサークルのあった町の中心は、今はそのシンボルを失ったせいか、妙に殺風景だった。
 そんな中、柱の立っていた場所にしゃがみ込み神崎 優(かんざき・ゆう)が地面をなぞった。その指先には、恐らく太陽を象ったものと思われるマークが刻まれている。柱が立っていた時には、見つからなかったものだ。
「……確か、碑文にも太陽の刻印、とありましたね」
 このことでしょうか、と、先日の事件の折の記憶を引っ張り出しながら神崎 零(かんざき・れい)が言うのに、優は頷いた。町の構造が作る太陽の十字架の力を、ここに接続する役割もあるのかもしれない。だが、そう言った優に「けど」と神代 聖夜(かみしろ・せいや)が口を開いた。
「地下の封印を移した、って言うなら、月になるはずじゃないのか?」
「そうですね……」
 陰陽の書 刹那(いんようのしょ・せつな)も、それに同意する。
「封印の意味合いが違うわけですから、多少は変わってしまうにしても、できるだけの類似性は保つ必要があったはずです」 
 だというのに、月ではなく太陽、それも満ち欠けも無い具象が刻まれているのは不可解である。その疑問には、ディミトリアスが口を開いた。
「月は俺の象徴であり、太陽は兄さ……アルケリウスの象徴だ。あくまで想像だが、術式を正確に発動させるために、自身の象徴を使わざるを得なかったんだろう」
 大掛かりな術だ、生粋の術士であるなら兎も角、アルケリウスは戦士であったというから、それも仕方の無いことだったのかもしれない。そうやって観察に余念の無い一方で、違う印象にその地面に触れたのはアキュート・クリッパー(あきゅーと・くりっぱー)だ。先日の事件の折も、ここに立っていたが、今はその場所はがらりと違ってしまっている。
「しかし……わかってても、いざ無くなってるのを見ると、変な感じだな」
 柱が運び出され、跡だけとなったストーンサークルの中心で、アキュートは複雑な声で言った。そうですね、と応えたのはツライッツ・ディクスだ。
「必要なことだとは言え、過去ここにあったものが失われるのは、何とも複雑な気持ちになりますね」
 調査団としては、微妙に割り切れないところがあるのか、そう呟くツライッツに、クローディスも思わず苦笑した。
「超獣がなんとかなれば、結界は必要なくなるんだ」
 そうすればまた、ちゃんと元通りに修復すればいいさ、と慰めるようにその肩を叩くクローディスを見やり、ディミトリアスは何故か複雑な表情で首を緩く振って、その視線を足元へと落とした。
 その様子を横目で見ていたブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)は、軽く首を傾げながら、「あの封印の腕輪だが」と小声でクローディスに声をかけた。
「使い方について、他に誰が知っている?」
 その問いに、質問の意図を問いかけるようにクローディスが首を傾げるのに、ブルーズは続けた。
「いつ、どう、何があるかは判らないからな。用心に越したことは無いかと思うが」
 クローディスはちょっと目を細めたが、そうだな、と苦笑した。
「私のほかには、ツライッツが知っている。秘密というわけでも無いし、後で他にも伝えさせよう」
 言って向けた視線で、ツライッツが了解と頷くのを見て、クローディスは続ける。
「ちなみに方法は簡単だ。腕に嵌めた相手の名前と、封じよ、という一言でいい」
 ただし、腕輪を外すのだけは、その所有者――現時点では、クローディスにしか出来ないという。
「使うことが無いに越したことは無いが……万が一ということもある」
 ブルーズは言って、視線をディミトリアスに戻した。
「あの男たちは、地輝星祭の絵に描かれていた白と黒の男を髣髴とさせる」
 そしてあの絵では、二人の男は槍をあわせていた。そしてあの二人の配置が、ブルーズには引っかかるのだ。
「アルケリウス……そしてディミトリアス。まるで表裏を表しているかのようにも、思えてならない」

 ブルーズがそんな呟きを漏らしているとは知らず、ディミトリアスは暫く足元を眺めていたかと思うと、数歩その足を進めて、また足元を見下ろした。
 ストーンサークルの中心点となるその位置は、かつて空間の亀裂が入っていた場所だ。そこに何か感じるものがあるのか、ディミトリアスは手に持った錫杖の先端をかざすと、ゆっくり呼吸をして、しゃらん、と音を立てながらそれをぐるりと円を描くように回転させた。
 すると、ゆるりと空気が歪んだような感覚と共に、以前亀裂の生まれたところに、同じような、いや、もっと丁寧に円にくり抜いたような空間が開いた。
「……随分あっさり開くんですね?」
 多少面食らったような優の言葉に、ディミトリアスは苦笑した。
「ここは既に土台が出来ている。何より……ここは、俺の領域だからな」
 その言葉の意味が良く判らず、どういうことかと優は問おうとしたが、それより早くディミトリアスは躊躇いなくその入り口をくぐっていってしまった。
 クローディスもそれに続いたので、皆も慌しくそのあとに続き、遺跡の中に足を踏み入れた一行は、増幅の呪文と思われる文様の刻まれた、地下へと斜めに伸びる一本の道の中ほどに立っていた。 
「……出るところは違うのか」
 クローディスが呟いたのは、空間を潜り抜けた地点のことだ。
 亀裂を割った時には、ドームへと伸びる道の一番奥まったところだったが、ディミトリアスの開いたのは、その通路の丁度中央ほどのあたりだ。以前あった空間の亀裂については知らないらしいディミトリアスは、首を傾げつつも、説明のために口を開いた。
「あの位置から真下に道を開いても良かったんだが、いきなり中心に出るのは危険だと思ったんでな」
「真下が中心……?」
 その言葉に首を傾げたクローディスに、ディミトリアスが頷く。
「そうだ。この通路は……そうだな、上にあった町の端あたりに伸びている」
 どうやら、空間の亀裂は、そのまま地下のポイントとを結んでいるのではないようだ。
 不思議な気持ちで通路を眺めながら、念の為、といった調子で清泉 北都(いずみ・ほくと)が首を傾げた。
「この壁……触れても大丈夫?」
「問題ない」
 即答に、懐中電灯で照らしながら、そっと指先で壁面をなぞったが、特に反応らしきものはない。見たところ、以前訪れた時から、何ら変化していないように見えるが、そんな見た目とは別に感じるものに、「気のせいかもしれないけど」と北都が口を開いた。
「何というか……前に来た時と、空気が違う感じがするねぇ」
 以前訪れた時には、状況のせいもあるのだろうが、どこか不気味な雰囲気が拭えなかったのだが、今はもっと別の何か……張り詰めてはいるが、冷たいものではない何かが満ちているような気がするのだ。
「そうですね。少なくとも、危険な気配は今のところ感じられません」
 フライシェイドの女王がいた時は、もっと濃い不穏な気配がありましたが、とクナイ・アヤシ(くない・あやし)も同意に頷く。それに同意しながら「それに」と口を開いたのは、この遺跡を初めて訪れた騎沙良 詩穂(きさら・しほ)だ。
「この壁は増幅の呪文があるといいますし……既に魔術的なものを受けてるんでしょうか」
 言いながらぐるりと巡らせた視界には、懐中電灯の灯りに淡く照らされた、古い呪文の刻まれた壁面がある。それを撮影する誌穂に、ディミトリアスは「そうだな」と頷いた。
「無影響ではないだろうな。多少なりと、魔力を持った類のものは、その力を強めるはずだ」
「それは、貴方がここにいるから……かなぁ?」
 北都の問いに、ディミトリアスは再び頷く。
「先も言ったが、ここは俺の領分、俺の管轄だ」
「管轄……管理者、ということですか?」
 優が問えば、ディミトリアスは考えるように少し首を捻り、そうとも言えるし、そうでないとも言える、と曖昧に言って首を振った。生きた時代があまりにも遠すぎて、言葉のニュアンス等が上手く合致しない部分があるのだろう。
「兎に角、俺が戻ってきたことで、何かしらの影響を受けてはいるのかもしれない」
 それを聞いて、はあ、と誌穂が感嘆と共にため息をついた。
「長い時間が経っているのに、効果が残っているなんて……凄い遺跡だね」
 ふと、その言葉にディミトリアスが軽く目を開き、すぐに苦笑を浮かべた。
「遺跡……か、そうだな。あんた達にとっては、そうなるのか」
 呟きは、複雑な感慨の響きがある。彼以外の皆にとっては、この場所は遥か太古の遺跡だが、彼にとっては自身の過ごしていた場所なのだ。過ぎた膨大な時間を嘆いたのか、それとも感嘆したのか、長く息を吐き出すと、ディミトリアスは、ようやく辿り着いたドーム状の空間を背に振り返ると、まるでその門番のように立ち、錫杖を鳴らした。

「ここは、あんたたちの言葉で言えば神殿のようなものだ。いや……だったものだ」