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サンサーラ ~輪廻の記憶~ #1『書を護る者 前編』

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サンサーラ ~輪廻の記憶~ #1『書を護る者 前編』

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 第3話 絡み合う、記憶の糸
 
 
 
 
    忘れることが
    思い出すことが
 
    否定することが
    肯定することが
 
    辛いのです
 
 
 
 
 滅多に使わない携帯で電話をしたシキから、トオルの所在について知らないかと訊ねられた早川 呼雪(はやかわ・こゆき)は、トオルの行方不明を知り、その捜索に向かった。
 まずは、他のトオルを捜す面々と連絡を取ることにする。
「このタイミングで……。
 もしかして、彼も、思い出したのだろうか?」

 呼雪の記憶では、自分の前世は、ヤマプリーのディヴァーナだ。
 神職に就いていた。
 治癒系の魔法と、祭器の如き先見の力を持つアザレアは、神殿の巫覡を務めていた。
 戦いに赴く戦士達へ、祝福の歌を捧げる役も担っていたが、内心では、二つの大陸が争うことに疑問を抱き、多くの者達が傷つき、命を落とすことに胸を痛めていた。

「……呼雪……?」
 思いを馳せていた呼雪は、不安そうなヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)の声に振り返る。
 じっ、と彼は呼雪を見ていた。
「大丈夫」
 呼雪は言った。彼の不安には気付いている。
「何を思い出しても、俺は俺だ。
 勝手に何処かに行ったりしない」
「……うん」
 ヘルは頷くが、不安は消えない。
 ぎゅっ、と彼に抱きついた。呼雪は拒まない。

 勝手に何処かに行ったりはしない。それは嘘ではない。
 だが、何か大切なことを忘れている気が、ずっとしていた。
 少しずつ視えてくるこの記憶の中に、その答えはあるのだろうか。

 ――そしてヘルは、そんな呼雪を、ずっと見ていた。
 時々遠くを見つめて、あるはずのない記憶を思い出そうとしている、その姿を。
 その度に、呼雪が何処かへ行ってしまうのではないかと、漠然とした不安を感じていたのだ。
 トオルの件を聞いた時にも、心配はあったし手伝うが、それ以上に不安もあった。
 いつか、呼雪がいなくなってしまうのではないかと。
 自分は、彼を此処に繋ぎとめる存在になれるだろうか。



「ハルカは大丈夫なんかいの?」
 光臣 翔一朗(みつおみ・しょういちろう)は、トオルの捜索に出る前に、今回の騒動に、ハルカが巻き込まれていないかをまず確認しに行った。
「ハルカは、何も思い出してないのです」
 ハルカも前世云々の噂は聞いていたが、かの世界に前世を持ってはいないらしい。
「皆と一緒じゃなくて、ちょっと残念なのです」
「ま、行方不明とかになっとらんで安心したわ」
 最も、行方不明という名の迷子なら、それはそれで通常営業という気もするのだが。
「とりあえず」
 と、翔一朗はハルカに『禁猟区』を施す。
「もしも何かあったら駆けつけるけえ。今は、トオルを捜しに行かんと」
「私は、『書』の護衛にリンネさんの所へ行きますね。
 ハルカさんは安全なところに居てください」
 ソア・ウェンボリスも、出かける前に声を掛けて行こうと、ハルカの所に寄っている。
「おう、先にそれに一緒してええか?
 森に居る連中に、一応トオルのことを聞いておきたいけえ」
「二人とも、気をつけてくださいなのです。何かあったらハルカが駆けつけるのです」
 ハルカはそう言って二人を送り出す。

 翔一朗は、まずトオルのパートナー、シキの所に寄って軽く話を聞き、彼にも『禁猟区』を施す。
 それから、オデット・オディール(おでっと・おでぃーる)達にトオル捜索の同行を誘われているシキとは別れ、『書』を護衛する一行に話を聞きに行った。
 だが、そこでは芳しい話は得られなかった。


◇ ◇ ◇


「いきなり……行方不明、ですか? お会いしたことはないのですが……。
 無事だといいのですが」
 行方不明になった者がいると聞いて、神楽坂 紫翠(かぐらざか・しすい)は、その捜索に加わっていた。
 何処で手がかりが得られるか解らないので、街で地道に情報集めを続ける。
「ふうん……。
 街で誰かと会話をしていたのを目撃されている。その後は、情報らしい情報はなし……」
 そこで聞き込みを、そのぶつかった相手に絞ってみる。それは銀髪の男らしかった。
「……銀髪の男……」
 そういえば、自分が前世を夢に見るようになったきっかけも、銀髪の男とすれ違ったことだった気がする。

 翠珠
 それが紫翠の前世、ディヴァーナの名だ。
 彼女はディヴァーナでありながら、他には無い能力を持っていた。
 それは「存在するだけで様々な幸運を呼び込む」というものだ。
 居れば繁栄し、去れば衰退する。
 それ故に、子供の頃からその人物の支配を受け、拘束具をつけられて、監禁されていた。
 鍵を掛けられた部屋の中で、拘束具など必要なかったのに。
 他にも様々な制限がされ、長い年月の間に感情を抑える癖がつき、人形のようになってしまっていた。

「……人に幸福をもたらす自分が不幸だなんて、笑い話ですね……」
 紫翠は苦笑する。
 自分を支配していた者。彼女の名前も、最近思い出した。
 同じディヴァーナの、そう――アーリエと。


▽ ▽


 立ち寄った町で、宿に向かう道すがらに市場があった。
 今まさに、仲のよさそうなディヴァーナの夫婦に買い求められた魚を見て、ローエングリンの瞳が輝く。
「はっ、それは……!
 10年に一度獲れるかどうかという、幻の魚ですねっ!?」
「あら……、そうなのかしら?」
 ルクミリーは、おっとりと首を傾げて、グリフィンを見上げる。
「確かに、希少と言われる地方もあるようですが、この辺では、もう少し頻繁に獲れるんですよ」
 グリフィンの答えに、ローエングリンは店先を見る。
 しかし今日は、これが最後の一匹だったらしい。
「……仕方ないですね。それが食べられるなら、何でもします!」
「そんな、命を懸けるような雰囲気になることは。良かったら、うちで夕食をどうです?」
 いいよね、と、彼は妻を見る。
「食事は、大勢の方が楽しいわ。腕を振るいますね」
 ルクミリーも快諾する。
「ありがとうございます! よかったね、瑞鶴くん!」
「…………おまえなー」

「ごちそうさまでした! とてもおいしかった!」
「それは良かった。ルクミリーの料理は絶品でしょう」
 ローエングリンの言葉に、グリフィンが微笑み、そうでしょう、とルクミリーも頷いた。
「それなのにどこかの旦那様は、しょっちゅう旅に出てしまうんですもの、損してるわよねえ」
「え、旅に? 奥さん置いて?」
 瑞鶴が訊ねる。
「ええ、まあ……」
 グリフィンは肩を竦めた。実は近く、また家を空ける予定でいる。
 だからルクミリーはわざと口にしたのだろう。
 寂しい思いをさせてしまって申し訳ないと思う。
 けれど、今の現体制のこの世界は、間違っていると思うから。
 より良い方向に持って行く為に、色々な人と話し合い、方々を飛び回っているのだ。
 ルクミリーも、そんな自分を理解してくれている。
「争い、長く続いてますもんね。この辺は平和みたいですけど」
「ええ。それに甘んじているわけにはいかない。何とかしないと」
 グリフィンは、力強く頷いた。


△ △


「……そんなこともあったっけ」
 ローエングリンを前世に持つオデットは、その記憶を懐かしく思う。
「オデット?」
「ごめん。何でもないよ。
 それより早く、トオルくんを見つけよう」
 シキの言葉にオデットは気持ちを切り替える。
「トオルくん、心配だよ……。
 何だか嫌な予感がするの」
「いなくなる当日の様子はどうだったのでしょうか?」
 テレジア・ユスティナ・ベルクホーフェン(てれじあゆすてぃな・べるくほーふぇん)が訊ねた。
「連絡もなく行方不明になる筈がないということは、裏を返せば、シキさんに最低限その日の予定か、シキさんにならそれを推測できるような情報を残して行ったのではないでしょうか」
「トオルは、町をブラついてくると言って出て行った。適当に買い物してくると言って」
 シキはそう答える。いつもと違うところは、何もなかった。
「その日の服装は?」
「いつもの普段着だった。シャツにジャケット」
「いつも寄る店なんかは知ってるの? そこから聞き込みして行こうよ」
 オデットが訊ねる。
「……少しくらいなら。
 普段いつも、一緒に出かけているわけじゃないからな……」
 シキは困ったように言う。
「では、そこからトオルさんの行動ルートを探って行きましょう。
 まずは目撃情報を得るところからですね。
 そして、足取りが途絶えている地点が分かれば、そこから捜索範囲を広げていけば……きっと、見付かります」
 テレジアは、そう言ってシキを見た。
「トオルさんは、きっと大丈夫ですよ」
 励ましの言葉に、シキは頷く。
「ありがとう」
 しかしその笑みには力が無いように見えた。


◇ ◇ ◇


 今の自分とは、全く違うその姿、その心のありように戸惑う。
 セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は前世で、ヤマプリーのディヴァーナだった。
 人間不信で、そして、他人を陥れた。
 相手は、同じディヴァーナ、レキアという青年だった。
 痩せた、しかし仲間思いの熱血漢だった。
 身近な彼女にも、その思いは勿論、向けられていた。
 そう、レキアはミフォリーザには無いものを持っていた。
 そして、身近にその存在があることが、ミフォリーザにはとても苦痛だった。
 どんなに悲願し、切望しても得られないものを、彼は持っている。いつしか呪い、そして思ったのだ。
 いっそのこと、と。

「ばかばかしい!」
 情報交換をしつつ、手分けしてトオルを捜索しながら、不意に脳裏を占めたその記憶に、セレンフィリティは、その思いを振り切るように声を上げた。
 何てくだらない嫉妬。
 ミフォリーザとやらの胸ぐらを掴まえて殴ってやりたい。
「大体前世の夢なんて……そんなの、オカルト雑誌でよくある超常現象ネタじゃないの。
 ここのところ、教導団の任務が立て込んでたから疲れてるのかしら」
 夢と一蹴するのは簡単だった。
 けれど、それらは妙にリアルで、回を追うごとに鮮明になっていく。
「……ああ、もう。冗談じゃない。
 何でこんなシリアスな状況で、バカバカしい妄想が頭の中に浮かぶわけ?
 あたし、どうかしちゃったの?」

 ――信頼していた仲間に裏切られたレキアの、絶望に満ちた表情が忘れられない。
 そう、自分は彼を陥れ、濡れ衣を着せてヤマプリーを追放させたのだ。
 許せなかった。どうしても。

「何が? 何がよ。何が許せなかったの?」

 だって彼は、私から何もかもを奪っておきながら、そのことに無自覚だった。
 だからあの時……そう、あの事件が起きた時、私は、アリバイがあやふやだったレキアに全ての罪を着せたのだ。
 そうするしか、彼に勝てる方法がなかった。

「あの事件て何よ……っ」

 だが、記憶は虫食いのようにところどころが曖昧で、全てを思い出せてはいない。
 セレンフィリティは天を仰いで息を吐き、ああ、と呟いた。
「……いけない。冷静にならないと」
 とにかく今は、トオルの確保、身の安全が最優先だ。事故や事件に巻き込まれていないとも限らない。
 けれど、時折脳裏を掠めて来るこの記憶に、焦燥は募る。
「……まさかとは思うけど……。
 もしかして、トオルも“思い出した”というの……?