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サンサーラ ~輪廻の記憶~ #1『書を護る者 前編』

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サンサーラ ~輪廻の記憶~ #1『書を護る者 前編』

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▽ ▽


 ――世界が、滅ぶ。
 けれどキアーラのこの絶望は、滅びを前にしたからではなかった。

 愛しい人の、死を知った。
 彼はきっと、自分の思いを知らなかったろう。自分達は敵同士だった。
 幾度となく戦場で相見え、時に助け合い、時に助け、助けられることもあった。
 実らない恋と解っていた。
 その悲報は、世界の滅亡よりも深い悲しみを、キアーラに与えた。

「……あなたの、後を追いますわ。エセルラキア
 叶うならばどうか……死後、赴く世界で、貴方と再会できますことを」
 滅亡を前に、キアーラは自ら命を絶った。


△ △


 行方不明者と聞いて、そういうことなら教導団の出番かしら、とニキータ・エリザロフ(にきーた・えりざろふ)も捜索に加わった。
 聞き込み調査の為にトオルの写真を入手して、
「あらっ、可愛い子ね」
 などと呟く。
「こうして見ると少年も良いわねえ。
 体が出来上がる前のアンバランスさがいいわ」
 ふふふ、と一人不気味に笑っていると、どしん、と背中に誰かがぶつかった。
「あら、ごめんなさい」
「ごめんなさいっ」
 二人は同時に謝ったが、ぶつかった相手は、ニキータを見てぽかんとした。
「……マユリ先生?」
「あら、あたしを知ってるの」
 それは最近夢に見るようになった、自分の前世の名だ。
 雄の孔雀を彷彿とさせる、豪華な翼を持つディヴァーナ。
「だって私、先生の学校に通ってたもん」
 小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)はそう言って笑った。
「ああ、成程……」
 ニキータも微笑む。
 あの世界で、孫と祖父ほど年の離れた富豪に十代で嫁いだマユリは、数年後に夫と死別して莫大な財産を相続し、その余りある私財で学校を設立したのだ。
 生徒は主にディヴァーナの高貴な子女で、稀にアシラや祭器の娘達を入学させることもあるが、いずれも才に秀でた者、美しい容姿の者が多かった。
「マユリ先生もトオルの捜索? 私達もだよ。
 今、『不可思議な籠』からヒントを貰って、『人気のない場所』って出たところ」
 ニキータの持つ写真に気付いて、美羽は言う。
「人気のない場所? それはまた、アバウトねえ。
 それはそうと、あたし今ニキータよ、――ミルシェちゃん」
 そう、それが彼女の名前だったはず。
「そうだった。ごめんなさい」
 美羽は肩を竦めて謝った。


 美羽達の様子を見て、リネン・エルフト(りねん・えるふと)には思うところがあった。
「……ねえ、シキ。
 もしかしてトオル、いなくなる前に、前世の話なんてしてなかった?」
「いや、俺は聞いていない」
 シキはそう言うものの、リネンは推測を捨てきれずに、考え込む。
(まさか、トオルも『前世の記憶』を……?)
 トオルもまた、同じ前世の記憶を得、それに動かされたのではないかと、リネンは推測していた。

 今迄、自分の前世について積極的に語ることを、リネンはしなかった。
 話す時も「知り合いがこんな夢を見て」というように濁していた。
 いきなり話しても、危ない人と思われても仕方ないような内容だったからだ。
 だが、その前世を持つ者が、今は集まっている。リネンは思い切って切り出した。
「実は……ね。私も前世を思い出してる。
 あまり大声で言えたような内容ではないのだけど……」
 そう、サディストのディヴァーナだった、なんて。
 リネンは内心で頭を抱える。
 少しずつ、思い出す度に困惑した。けれど、それは今の自分ではないのだ。そう言い聞かせている。
「皆も、詳しく話してくれない?
 それが手がかりになるかも、しれない」
「私、パンツ見られちゃったんだよ!」
 美羽が真っ先にそう言って、リネンはぽかんとした。
「……え?」
「スワルガの軍に襲撃された街を護る為の、防衛戦だったんだけど、戦いの最中に、味方のシャクハツィエルにパンツ見られちゃって、思わず平手打っちゃった。
 そんな記憶なんだけど」
「……美羽らしいわ……」
 くす、とリネンは思わず微笑む。
「見た目は高貴で清楚で美少女で天使みたいなんだけど、中身はおてんばでね。
 でも民の前では頑張ってそれ隠してた。
 なのに平手打ってたらダメだよねー」
「……私は、魔剣でした。敵ですね……」
 テレジアが言う。
 リネンはふと思った。
「もしも、トオルも前世を思い出してたら、私達の敵だったのかしら、味方だったのかしら……」
「生きているといいんだが」
 シキがぽつりと呟いた。
「パートナーのシキに変調が無いのだから、無事でいるはずよ」
 リネンの言葉に頷くも、ぽつ、と何かを呟く。
「え?」
「いや……」
 シキは首を振ったが、リネンの耳に、微かに届いた。約束を、と。


◇ ◇ ◇


 ブラブラと街を歩いて幾つか店を覗いた後、街を歩いていたらしい。
 人通りが多く、具合が悪そうに体勢を崩す、トオルの姿が目撃されていた。
 彼は誰かと話していたらしい。
 そしてその後、その相手が立ち去り、トオルもフラフラとそこを去った。

 皆でその後の足取りを追い、公園で暫く休んでいたらしい、という情報を得た。
 トオルは暫くぐったりと座り込んでいだか、不意に何かを見て立ち上がると、突然走り出して行ったという。
 その奇異な行動に、憶えていた者がいたのだ。

 山葉 加夜(やまは・かや)も、ベンチ周りから公園内を探し回った。
 トオル本人はいなくても、何か手がかりが無いかと思った。
「電話も通じず、連絡もないなんて……」
 どうか無事で、と願いながら捜す。
 そして、藪の中からそれを見つけた。それは、壊れた携帯電話だった。
「トオルくんの……」
 加夜は携帯を拾い上げる。
 こく、とひとつ息を飲み、サイコメトリを掛けてみた。


 トオルはベンチから、殆どぎょっとした表情で立ち上がった。
「……何だ……?」
「我等が解るか?」
 前方に、一人の男が佇んでいる。
「知るわけねーだろ」
 トオルは、じり、と後退する。
「ならば、思い出して貰おう」
 ばっ、とトオルは逃げ出した。男も後を追う。
 逃げながら、トオルは携帯を手に取った。
 だがそれは、何処からかの攻撃で弾き飛ばされる。
「他にもいんのかっ!?」
 携帯は地に落ち、トオルはそのまま走り去った。


「……誰かに追われてた……。誰?」
 映像が途切れ、加夜は目を開けた。
 早くシキ達に知らせないとと思いながら、ふと疑問に思う。
「どうしてトオルくんは、一人で逃げているのでしょう?
 シキくんのところにも、私達のところにも、来ないで……」
 携帯を失って連絡は出来なかったにしろ、まだ捕まっていないのなら、シキのところへ逃げ帰れるはず。
 トオルの身に、何が起きているのか。
 不安にかられて、加夜はぎゅっと壊れた携帯を握り締めた。
「どうか、トオルくんが無事でありますように……」


▽ ▽


 その啓示は、ヤマプリーの上層の者にとって不都合なものと言えた。
「ばっかじゃないの。
 そんな啓示、この大事な時期に流布させられるわけないじゃんよ。
 もうちょっと考えて口にしたら?」

 世界に危機が訪れる。二つの世界は争っている時ではない。

 そう言ったアザレアを、真っ向否定したのはアーリエだった。
「余計な口は、切っちゃえば?」
「早計だ、アーリエ」
 いつもの不機嫌そうな表情で黙っていた、隻腕のディヴァーナ、ジャグディナが口を開く。
「どこがよ。どうせ男でしょ。今はどうだか知らないけど」
 アーリエにとって、男という時点で存在する価値などなかった。
 言葉の意味は、殺せということだ。
「貴様がかつて、何処の三下男にどれほどの屈辱的な目に遭ったかは知らんがな」
 皮肉を多大に込めた口調に、アーリエの表情がカッと険しくなる。
「“この大事な時期に”、民に支持のある者を安易に処刑するわけにはいかん。役に立つなら尚更だ」
「……勝手にすれば!」
 きつくジャグディナを睨みつけた後で、アーリエは足音も荒く、その場を立ち去る。

 結局、アザレアは幽閉されることになった。
 鳥籠のような釣鐘型の、身分の高い者用の、調度品などの整えられた牢で、鉄格子の窓辺に来る鳥達にパンを分け与えながら、届く者の無い予言の歌を、アザレアは口ずさみ続けた。


△ △


 その日は月夜だった。
 窓の外から歌声が聴こえて、呼雪は宿の外に出た。
 夜空を見上げてハンプティ・ダンプティの歌を歌っている、普段は何処かで呼雪達を見守るラファ・フェルメール(らふぁ・ふぇるめーる)の姿があった。
「今晩わ」
 呼雪に気付くと、ラファは歌をやめて笑みかける。
「思い出したのかい?」
「……何を?」
「君の過去は、私の過去でもあるかもしれないからね」
「……俺の前世に、何か関係が?」
「まさか。でも」
 謎掛けのような会話。
 ラファは前世の記憶を持たないし、その知識も無い。けれど呼雪の変化を感じている。
「砕け散った魂は、もう元には戻らない。
 現世の浜辺に打ち上げられ、互いに存在を認められるのももう君と私だけ……。
 私も、そう遠くない未来に、ただの残滓と成り果てるのかもしれない。
 けれど、君は見つけられそうかい?」
 そう言って、呼雪の答えを待たずに、ラファは光の翼を広げて飛び去った。