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●壱ノ島
南カナンから出港した船に乗って数時間。壱ノ島へ降り立つなり、ウァール・サマーセット(うぁーる・さまーせっと)は感嘆の声を発した。
「うわーーあ」
辺りを見回し、さらに「すげー」とつぶやく。
まだ港に入ったばかりなのに、仮装衣装と分かる、きらびやかな衣装をまとった人たちがあちこちを歩いていた。もちろん地上から来た者から見れば古代大和風に見える、いつもの服を着ている者たちもいたが、圧倒的に仮装している者たちが多い。
彼らを見て、自分の普段着を見下ろして、胸に手をあてているウァールの姿にツク・ヨ・ミ(つく・よみ)はくすりと笑う。
「船で着替えてきた方がよかった? まだ間に合うわよ?」
ぴょん、と横へ並んで覗き込む。ツク・ヨ・ミもまた普段着だが、イルギス村でいるときと違って浮遊島群の服装をしている。裾の広がった白いワンピースはチャックがなく、紐止めだ。
ウァールは考えを読まれたことに照れ笑った。
「いや。ホテルで着替えるからいい」
「そう?」
「それより、早くホテル行って荷物預けて楽になろうぜ」
「うん。でもちょっと待ってね、クコたちがまだ――」
タラップを降りてくる人混みの方を爪先立ちして見ていたツク・ヨ・ミは、逆に、乗船しようとする人の中に風森 巽(かぜもり・たつみ)を見つけて言葉を止めた。巽に隠れてよく見えなかったが、反対側にはティア・ユースティ(てぃあ・ゆーすてぃ)らしき頭も揺れている。
「ウァール、あれ」
「ん? ――あ。風森さんじゃん。
おーい、風森さーん!」
「やあ、ウァール、ツク・ヨ・ミ。こんな所で会うとは奇遇だな」
駆け寄ってくる2人に気づいた巽も歩くのを止めて、彼らが近くまで来るのを待つ。
「風森さん、早いね! いつこっちへ着いたの? ホテルはどこ? おれらと一緒?」
矢継ぎ早の質問に苦笑しつつ、巽は「いや」と答えた。
巽はオオワタツミとの戦いが終息しても地上へ戻らず、2カ月前からずっと浮遊島群に滞在していたのだ。故郷を持たないティアのため、もしやここがティアの故郷なのではないかとの可能性から……。
だがしかし、そうして巡った浮遊島群の5つの島のいずれもティアの故郷ではなかった。
そして昨夜、2人はこの旅に見切りをつけて、シャンバラへ戻ることを決めたのだった。
壱ノ島の新太守になったセ・ヤに面会し、ツク・ヨ・ミの逃亡補助を行った件であらためて状況説明と謝罪をすませて帰るところだと、巽は締めくくる。
「そっか。残念だったな」
「大丈夫? ティア……」
ティアもまた、もしかしてとの期待を持っていたに違いないのだ。1つの島で、そうでないと分かるたびに幻滅と次への期待をふくらませ……。だけどそれがかなわなかった今、彼女はどれだけ胸を痛めているのだろうかと、心配そうに見つめてくるツク・ヨ・ミに、ティアは思いのほか元気そうに笑顔になった。
「大丈夫! どこにもないってわけじゃないから。ここじゃなかったってだけ。
また探せばいいんだ。ねっ、タツミ」
「そうだな」
めげないティアの明るさに救われる思いで、巽もまた笑みを返す。
そして、あらためてウァールとツク・ヨ・ミを見た。
「それはそうと、ツク・ヨ・ミ。シャンバラへ帰る途中、きみたちに会いに村へ行くつもりだったんだが、もしかしてヒノ・コもこちらへ来ているのか?」
「ううん。わたしとウァールだけ。おじいちゃんは……」
ツク・ヨ・ミの視線が下に落ちて、言葉が途切れた。
ヒノ・コはこの地を去ってイルギス村に落ち着いてから、みるみるうちに衰弱していった。オオワタツミを倒し、浮遊島群を救うという7000年に渡る望みを達成することができて、よほどうれしかったのだろう。それまで張り詰めていた糸がふつりと切れてしまったようだった。
今では一日のほとんどを浮遊島群が見える庭の揺り椅子で日光浴してすごし、時折り夕方に村を歩いて散歩しているぐらいだ。
「そうか」
無言でうつむいてしまったツク・ヨ・ミの様子からそれとなく察した巽は、それ以上深く追求するのはやめることにした。ただ、彼に残された時間がほとんどないというのであればなおのこと、できるだけ早く謝罪はしておくべきだと考え、やはり村へ寄って行こうと思う。
そのとき、ボーッと船が蒸気を吹き上げる音がした。出港10分前を知らせる合図だ。
「タツミ、船が出ちゃうよ」
「ああ。そろそろ行かないと。
じゃあ、ウァール、ツク・ヨ・ミ」
「うん。またな」
「道中気をつけて」
別れのあいさつをして離れかけて、巽は足を途中で止める。
「ああ、そうだ。ツク・ヨ・ミ。2カ月前はすまんな、あまり力になれなくて」
「そんなことない! 2人が一緒にいてくれたから、わたしは……。
わたし1人だったら、あのとき怖くて動けなくて、捕まっちゃってたと思う。あのとき逃げられたのは風森さんやティアのおかげよ。あのあと、船に乗れたのも、弐ノ島へ行くことができたのも……」
当時のことを振り返って、間違いない、とツク・ヨ・ミはうなずく。
人が殺されたのを見たのはあれが初めてだった。しかも、大好きなコト・サカさまで。もうそれだけで震え上がっていたツク・ヨ・ミは、たとえあの場はうまく逃げられたとしても、戻る場も頼れる人もいなくて、何もできずにその場に泣きながら座り込んでいたに違いなかった。
「2人がいてくれたから、わたしは動くことができたんだわ。
一緒にいてくれて、ありがとう」
「本当なら、責任持っておれが一緒にいなくちゃいけなかったんだよな。おれが連れて来たんだから」ウァールは内心でずっと悔やんでいたことを打ち明ける。「おれが自分のことばっかりになってバカなことしてる間に、大変なことが起きてた。そのとき、ツク・ヨ・ミを1人にしないでくれてありがとう」
2人からの言葉に、巽はなんでもないというふうに首を振り、ティアは照れくさそうに少し赤くなった。
「ウァール、貴公がオオワタツミに最後に言ったことについてだが」
「んっ?」
「確かにオオワタツミを力で倒したのは、あの場にいた我らだろう。しかしオオワタツミが怨霊ならば、倒されたことによる憎悪さえも力にして復活していたかもしれない。貴公の言葉が、オオワタツミを浄化した。我はそう信じる。
そっちの方が、まだしも夢があるからな」
「ヒーローのお仕事は悪を倒すことじゃない。人を護り、救うことだってね」
ティアが胸を張って、指を立てて言う。
「タツミにもできなかったんだもん。自信持っていいと思うよ、未来のヒーローは自分だってね」
未来のヒーローと言われたことに、ウァールは照れ笑いながらも「ありがとう」と言う。そして気づいた。
「ヒーロー?」
「あ、知らない?仮面ツァンダーソークー1って?
実はこっちにいる間も、何かあったら変身して悪者捕まえたり、人を助けたりしてたんだけど、変身ヒーローなんてこっちじゃ認識ないから不審人物扱いされちゃって、警備の人に追い掛け回されたりしたんだよね。
ちょっとほとぼり冷めるまではこっちに来れそうもないねぇ……」
「まあ」
驚くツク・ヨ・ミに、今度は巽が照れ笑う番だった。
「ま、そういうことだ。
ティア、そろそろ行こう。本当に船が出てしまう」
「あ、そうだ! やっばーい」
忘れてた、とあわてるティアの背中について行こうとした巽は、ツク・ヨ・ミを手招きして、彼女にだけ、あることを伝える。そして彼女が軽く目を見開いてなぜそんなことをと困惑げにしているうちに、今度こそティアと2人で南カナン行きの船に向かって去って行った。
「風森さん、何て言ったの?」
「えっ? ええ……」
ツク・ヨ・ミが話そうとしたとき、巽が消えた方からまたも声がした。
「お待たせしてすみません」
それは、クコ・赤嶺(くこ・あかみね)を伴った赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)だった。愛娘の赤嶺 深優(あかみね・みゆ)を腕に座らせるように抱いて立っている。
深優のためにも、混雑のなかで牛歩するのを避けて、落ち着くのを部屋で待っていたのだろう。
「平気。さっき偶然風森さんに会って、話してたから」
「そうですか」
「どうかしたの? ツク・ヨ・ミ。変な顔して」
ウァールと会話する横で、クコはツク・ヨ・ミの様子がおかしいことに気づいて問いかける。
「え……えーと……」
「とりあえず、移動しましょうか。いつまでもここにいるのは邪魔でしょうから」
「そうだな!」
霜月の提案で、彼らはホテルまで移動することになった。
赤レンガでできたゆるやかな坂道を上りながら、霜月はウァールと並んで歩き、荷物をホテルに預けてからについてを話し、ツク・ヨ・ミはクコに、巽とのことを話す。
「ナ・ムチに伝言?」
「ええ。でも、意味が分からないの」ツク・ヨ・ミは口元に指を添え、巽が口にした言葉を復唱する。「どういうことなのかしら」
「まあ、伝言っていうのは本人が聞いて意味のある言葉だから。きっと、2人の間で何かあったことに通じてるのよ。だからあなたは気にしないで、ただそれを伝えてあげるといいわ」
「ええ……。ただ、このことでナ・ムチ、機嫌を悪くしないかな、と思って……」
「気にしない気にしない。もしそうなったとしても、それは風森くんとの問題でしょ。あなたは関係ないわ」
そのとき、それまでじっと霜月の肩にしがみついて、後ろの2人を見ていた深優が、ぐいっと霜月の肩を押して身を離した。
「深優?」
突然バランスが狂って少し驚いた霜月だったが、船からずっと抱かれっぱなしで飽きたのだろうと下へ下ろす。深優はツク・ヨ・ミに駆け寄った。
「深優ちゃん」
両手を伸ばして駆け寄ってくる深優をツク・ヨ・ミは抱き上げる。
「あのねっ」
「なぁに?」
「あのーねっ、ツク・ヨ・ミ、あのー……」
「こら。ツク・ヨ・ミじゃなくて、ツク・ヨ・ミおねえちゃんでしょ。
ごめんなさい。わたしがそう呼んでるから真似をしてるのね」
「いいえ」
「……うーっ」
一生懸命何かを伝えようとするが、深優はまだ3歳。思っていることををきちんとした文章にして、人と対話をするには難しい年齢だ。慣れている両親のクコや霜月とは違い、小さな子どもを相手にすること自体、経験の少ないツク・ヨ・ミでは無理だった。
「深優ちゃん、かわいい」
うーっとうなって顔を赤くしている深優を、ぎゅっと抱き締める。それはそれで深優もうれしいが、しかし伝えたいことはそうではないのだ。
「ううーっ」
うまく伝えられないことがもどかしい。
「ツク・ヨ・ミは、伍へ行くの」
「ううん、どこにも行かないわよ。ここで深優ちゃんと一緒に遊ぶの。お着替えして、いろんなとこ、いっぱい行こうね」
そうじゃなくて。
自分はいいから伍ノ島のナ・ムチの元へ行かなくちゃいけないということを言いたいのに、全然反対の意味にとられていることにもだもだしているうち、深優はチカッと目にまぶしい光が入ってそちらを振り仰いだ。
はるか上を黒い影が横切っていく。それが太陽の光を弾いてきらきら光っていたのだ。
「トリさんっ!」
パッと右手を上げて指す。
「え?」
「ああ。トトリね」
深優が見ていたものを仰ぎ見て、クコがうなずく。そこに、ふわりふわりと落下傘が降ってきた。結びつけられていたのはあめ玉と、夜に開催されるパレードの告知広告だ。あのトトリがばら撒いているらしい。
おそらく去年のものだろう、きらびやかな衣装をまとった人々が乗る花車の姿が描かれたそのチラシを見て、クコが目を輝かせる。
「パレードがあるのね。きれい!
ねえ霜月、あとで一緒に見ない?」
「いつですか?」
2人がチラシに気を取られている隙に、深優がツク・ヨ・ミの腕でもがきだした。
ツク・ヨ・ミはあわてて押さえ込もうとするがクコと違ってこういうことには慣れていなくて、深優はするりと抜けだしてしまった。
クコや霜月の足元を走り抜け、きゃーーーっと笑い声を発して道の方へ駆け出していく。
「あっ、だめよ深優ちゃん!」
「深優!」
「深優、危険です! 戻りなさいっ!」
しかし深優の意識は完全に空から降ってくるあめ玉付きの落下傘へ向かってしまっていて、3人の制止は耳に入っていないようだった。4人で捕まえにかかるも、黒狐の獣人の深優はすばしっこい。みんなで鬼ごっこをしている気分になっているのかもしれない。
クコとウァールが左右から追い込んで、霜月がようやく抱き上げたとき、深優の両手には落下傘がいっぱい握られていた。
「もう、この子ったら! 周りも見ないでいきなり走ったりしたら危ないって、いつも言ってるでしょ」
心配からクコはしかりつけるが、周囲ではほかの子どもたちも深優のようにはしゃいであめ玉を拾っているので、なぜ怒られているか分からないようだ。仰いだ視界に同じように心配げに眉を寄せている父を見て、深優は笑顔で握った落下傘を差し出した。
「これ!」
あめ玉を舐めれば機嫌が良くなると思ったのだろうか。その天真爛漫さに、思わずくすりと笑ってしまう。そして結局、いつものように許してしまうのだった。
「今度だけよ。また同じことをしたら、許しませんからね」
もちろん今度という機会はない。今度はしっかりクコが抱いて運び、ホテルに荷物を預けた5人は身軽になって、さっそく街へ仮装用の衣装を揃えに出た。
島の人たちの着たきらびやかな衣装もいいが、こちらの古代大和風の衣装を着てみたいというクコの希望で、ウィンドーショッピングをしたなかで、これと思うブティックへ入る。ウァールと霜月は割合すぐに決まったが、やはり衣装というのは圧倒的に女性の分野なのか、クコとツク・ヨ・ミはなかなか決まらない。
「こんなにいっぱいあると、目移りしちゃうわね」
吊るされていた衣装を手に取り、体にあてて、クコが言う。
「そうね。
あ、それ、あなたにとっても似合ってると思うわ」
「そう?」
「ええ。……自分で服を選ぶのって、こんな感じだったのね。すごく楽しい」
生まれてからずっと軟禁生活を送ってきたツク・ヨ・ミにとって、服は配給品。ウィンドーショッピングをしたり、女性同士で服を選んだりするのは初めてだった。
ほおを上気させ、心から楽しそうにたくさんの服のなかから選んでいるツク・ヨ・ミの姿に、もういいかげん待つのにうんざり気味で、2人を急かそうと思っていたウァールも開いた口を閉じるしかない。霜月も同じか、「ここは忍耐です」と言うように目で語ってくる。
しかたない。ここは女性陣の好きにさせようと覚悟を決め、見守るウァールと霜月の前、クコはツク・ヨ・ミに深く同情し、さらにたくさんの衣装を選び出してきて彼女に試着をすすめる。そうして時間をかけて衣装を決めた2人に、さあこれでようやくこの店を出られると思ったのもつかの間、2人の女性たちは次に深優の衣装を選び始め――ウァールと霜月は互いを見合い、同時にため息をついたのだった。
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