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第二章:カカオの決死圏


「では……行くぞ……」
 クルード・フォルスマイヤーの呼びかけで、グラウンド側窓からの掘削チームが移動を開始する。
 メンバーは、クルード、地図を持つミルディア・ディスティン、御凪 真人(みなぎ・まこと)、白波 理沙、十倉 朱華(とくら・はねず)、そうして彼らのパートナー達。
 校内の見取り図を確認したミルディア・ディスティンが、まずは道を開くことにした。
「切り離し可能な位置は確認できてるよ」
 可愛らしい姿に似つかわしくないハルバードをぶん回すと、ミルディアがにこりと笑った。ヒマワリのような笑顔のそばで、イシュタン・ルンクァークォン(いしゅたん・るんかーこん)が目をきらきらさせながら膨張巨大ケーキを凝視している。
「うゎあ〜! でっかいケーキぃ〜! ……ねぇ、これ食べていいのかな?」
「えっと、……いいんだよね?」
 ミルディアの問いに十倉 朱華が答えた。
「いいんじゃないかな? 量を減らしてくれるのなら、むしろ歓迎だと思うよ」
「じゃ、まずはあたし達が窓からはみ出た部分を切り離すね。中はお願い」
 ハルバードを構え、ミルディアは駆け出した。機敏な子猫のように無駄のない動きで校舎へと近寄ると、息もつかずにハルバードを振り下ろす。
「んしょ、っと!」
 断。
 打撃から来る振動が一瞬響き渡り、氷山がゆっくりと崩れるようにシフォンケーキの大きな塊が切り落ちた。
「わーい! いしゅたんもケーキ〜」
 たなびく赤い髪を追って、イシュタンもケーキへと走り寄った。ケーキの塊を手に取ると、八重歯をちらつかせながらぱくりとその端に噛り付く。
 いや噛り付くなんてものじゃない。膨張とほぼ同スピードで、吸い込まれるようにケーキが胃袋へと消えていく。
 ハルバードを振るうミルディアのそばに立ち、十倉 朱華がケーキを見上げる。
「これで食料難とか解決しないかな?」
 ケーキを見上げて呟いた朱華に対し、たしなめるようにウィスタリア・メドウ(うぃすたりあ・めどう)が言った。
「今は、そんな事を言っている場合ではありません」
「分かってるよ、人の命がかかってるからね。……でもこれで、困ってる人が助かりそうなのになあ」
 ゆったりとした口調。だがひとたび剣を抜いた瞬間、口調からは想像出来ない瞬発力で、朱華がツインスラッシュを打ち込んだ。
 ざっくりと切り落ちたケーキの破片を、ウィスタリア・メドウが受け止める。
「丁寧に切って貰えますか? 騒ぎが落ち着いたら皆で頂くことができそうですから」
「もっと滑らかに切れって事? ケーキナイフじゃないのに、無茶言うなあ」
「あなたなら出来ると思うから、お願いしているのです」
 どうかな、と笑いながら首を傾け、朱華が刃をケーキに向ける。先程よりももっと美しい切り口に、満足したようにウィスタリア・メドウが微笑んだ。
 ミルディア・ディスティンと十倉 朱華がまずは大きく道を開いて。
「今のうちに、ほらあ」
 ミルディアの促す声に、御凪 真人が応じた。
「進みましょう。じっとしている間にも、中の人達には危険が迫っている。ただ、無闇に掘り返す訳にもいかないでしょう」
 真人の言葉に、クルードが頷き返し。
「ああ……細心の注意が、必要だな……」
「もう! いいから早く行こうよ!」
 白波 理沙の一言で、走り出す。
 綿密な計画を立てながら駆け寄っていく面々を眺めながら。
 のほほんとした口調で、イシュタンがミルディアに向かって呟いた。
「のどが渇いちゃった。お茶がほしいなあ〜」
「そうだね、……みんなが出てきたら、お茶の用意して待ってようか」
 どうかみんな無事で、楽しくお茶が飲めますように。
 小さく祈りを捧げるミルディアの目に、自分と同じ制服の二人組の姿が映る。
「あれ? あの子たち……」
 ケーキを見上げながら歩いてきたのは、毒島 大佐(ぶすじま・たいさ)とそのパートナーのプリムローズ・アレックス(ぷりむろーず・あれっくす)
 嬉しそうにケーキを見つめながら、プリムローズが毒島 大佐の手を引いている。
 通りすがりに目に入った巨大ケーキ。これを食べずにいられようか。
「その方角は卦が悪いのだよ。水脈地脈どちらも今ひとつで……」
 特にケーキに興味のない毒島 大佐は、相方を説得しようと試みた。周囲の状況からして、何か奇妙な事件が起こっているに違いない。
 だが。
「そんなのどうでもいいでしょう、ケーキがあるんですもの」
 ケーキさえあれば正義、とでも言いたげなプリムローズに、毒島 大佐が渋い顔を向ける。
 が、にっこりと笑い返されると毒島 大佐はあきらめた。
 もう自分が折れるしかない。ほれた弱みだ、毒島 大佐はうな垂れたままケーキへと連行される。
「好きにすれば良いであろう」
 こうなったら自棄食いだ。食って食って食えるだけ胃袋に詰め込むのだ。
 そう心に決めた毒島 大佐に、ミルディア・ディスティンが声をかける。
「えっと、何しようとしてるの?」
「自棄食いの予定であるが」
「今ちょっとたてこんでるんだ。終わったら皆でお茶しようとおもってるんだけど、どうかな?」
「……同じ自棄食いでも、お茶とセットの方が良いであろうな」
 せっかくだから、ことが片付くまで待っているとしようか。
 毒島 大佐とプリムローズ・アレックスは、事件が片付くのを待つことにした。


 いよいよ家庭科室の掘削に取り掛かろうと、各々が掘削の道具を手にした時だった。
「え?」
 上から。……空しかない筈の、上から。
 アシャンテ・グルームエッジ(あしゃんて・ぐるーむえっじ)が、降ってきた。
 不機嫌な顔つきのアシャンテが、その顔つきのままでクルードを見やる。
「……この中ですか?」
 そうだ、と、クルードが返事をする間もなかった。左手で村雨丸を抜くと、アシャンテがケーキに向かって切りかかる。左目の金の虹彩が、忌々しそうにケーキを睨み付けていた。
 それも、そのはず。
 こんな騒ぎにならなければ、アシャンテは極上の午後を過ごす予定だったのだ。
 ケーキが蒼空学園を襲う、ほんの少し前。
「……いい風」
 アシャンテは、屋上にねそべっていた。
 雲一つない空の高さが、実にすがすがしい日だった。太陽も程よく照っていて、冬だというのに暖かい。
 こんな日はのんびり昼寝に限る。銀色の瞳をそっと閉じて、アシャンテは午後の昼寝を楽しむ事にした。
 いや、楽しむ予定だったのに。
「……何、この騒ぎ……」
 ぴくん、と不意に髪の間から伸びた耳。
 その耳の先だけを右側へと向け、不機嫌な顔つき、いや耳つきでアシャンテは立ち上がった。
 酷く地上が騒がしい。この屋上まで届くほどに。
 屋上の手すりに近寄る。不意に鼻をついた甘ったるい匂い。
 階下を見下ろして、アシャンテは無言になった。
 ケーキ。……一階から屋上に迫るほど巨大でなければ、これはケーキに見えるがしかし。
 騒ぐ声に耳を澄ます。どうやらこれは本当にケーキで、しかも中に人が閉じ込められているらしい。
「……なんて事」
 幾らなんでも! ケーキに閉じ込められなくても良いだろう。
 見開いた左目が金色に輝く。人が救助を待っているというなら、助けに行くしかない。何よりこの騒ぎ、昼寝の邪魔をするこの騒ぎに、さっさとけりをつけなければ。
 手すりに手をかけ軽々と飛び越すと、アシャンテはそのまま外づたいに階下へと降り立ったのだった。
「……まったく……」
 アシャンテが仕掛けた手前、今更綿密な計画も何もあったものではない。
「……仕方ない、続くぞ……」
 クルードはすっと刀へ手をかけた。
「……っ!」
 縦に一閃。ひらりと飛ぶ燕のように鮮やかな切っ先で、シフォンケーキに刃が突き刺さる。更に縦横へ切りつければ、きれいな真四角のブロックにケーキがくり貫かれる。
「わぁ、相変わらず凄いですね。クルードさんの抜刀術」
 ぼす、と鈍い音を立てて切り出されたケーキの破片を、しっかりとユニが受け取った。
「まったく剣閃が見えません。一瞬キラッと光るくらいにしか……」
 ユニの褒め言葉に返事をせず、クルードは愛刀・月閃華の刃先を見つめた。そうしてわずかに付着したケーキの粉に顔をしかめる。
「……くっ!……またつまらない物を斬ってしまったな……」
「つまらない物はたくさん斬ってますからね、これくらい平気です」
 この騒ぎが済んだら念入りに刀の手入れをせねばなるまい。そう心に決め、クルードは再度刀を構え、ケーキを見た。と同時に、一つ舌打ちをする。
「……チィッ……切った端からこれか……」
「うん……やばいかも」
 クルードの横から白波 理沙が顔を出す。
 くり貫いた部分が、みるみるうちにふさがってゆく。シフォンケーキの膨張は、予想以上に早い。
「衝撃波でふっとばせちゃえば簡単なんだけど、中に人がいるものね」
 中にいるリシェルと未散の事を考えれば、手荒な事もできない。
「ということは、無理しちゃだめだけど相当気合入れて掘らなきゃいけないって事ね」
 深く息を吐くと、理沙は拳をかまえ直した。
「チェルシー、姫乃、退避通路の確保をお願い」
「了解ですわ」
「退路は守り通します。理沙さんもどうかお気をつけて」
 後ろをチェルシーと姫乃にまかせ、理沙はその拳をケーキへと打ち込んだ。
 だが、ずぼ、と突き刺さるだけでうまく切り取れない。
 どうしよう。理沙は途方にくれた。


 ……入り口付近にも、途方にくれる者達がいた。
 幾ら削っても止まらないシフォンケーキに、ミルディア・ディスティンは小さな溜息をついていた。
 イシュタンは嬉しくてたまらないみたいだけど、これじゃきりがない。早く誰かが膨張を止めると良いんだけど。
 同じく入り口付近を確保していた十倉 朱華とウィスタリア・メドウも、きりのないケーキの攻勢に少しずつ疲れの色を見せ始めている。
 そこへ、走って来る者があった。影野 陽太(かげの・ようた)だ。
 何故か陽太は、近くの消火栓から引っ張ってきたホースをもって走ってこちらに向かって近づいて来る。
「救出に来たんだけど、こっちでいいかな?」
「いいけど、どうするの? それ!」
 ミルディアが、驚いて掘削の手を止める。
「水でふやかせば作業が早くなると思って。その部分のケーキは食べられなくなるけどね」
「そっか、じゃあ試してみようよ! まずはこの、どんっどん大きくなる部分に水を撒いてくれないかな?」
「分かった」
 消火栓の出水弁を全開にし、陽太はホースを前方に向けた。とどろく音とともに大量の水がしぶきをあげる。「わっ!」
 思わず陽太が後ずさる。
 水分でふやけたシフォンケーキの破片は、そのまま水圧でばらばらに砕け散った。どうやら水圧が強すぎたらしい。しかも。
「いしゅたんのケーキ……」
 イシュタンが悲しそうな視線を向けた。濡れたケーキは食べる事ができないからだ。
「またすぐふくらむから待ってて。……ごめんね。手伝ってほしいんだけど、ケーキ食べれないとあの子が困るみたい」
「だったら中の手伝いに行くよ。もう少し水圧を弱めたら大丈夫だと思う」
 陽太の言葉にミルディアが頷く。
「うん、弱めなら中でも使えるんじゃないかな?」
 ずるずるずる、ホースをもったままケーキのトンネルへ駆け込む陽太。
 その姿に一瞬、皆の目線が集まる。
 だが、陽太を見て、白波 理沙はにっこりと笑った。
「ここに! ここに水を撒いてくれる?」
「いいよ、ちょっと離れてて」
 陽太のホースから、ケーキの壁に水がぶちまけられる。
「……なるほどな……それなら確かに有効だ……」
 理沙の意図に気付いたクルードが呟いた。
「なるほどって、あれじゃ柔らかくなっちゃいますよ? 打撃じゃ堀りにくいんじゃあ?」
 ユニの疑問に、クルードが短く答える。
「……いや……固くなる……」
「え?」
 満遍なく壁が濡れると、理沙が拳を握り込む。
「チェルシー、凍らせてみて!」
「分かりました、理沙さん」
 チェルシーが氷術を使った。水でぬらしたケーキが、一瞬にして凍りつく。カチカチにかたまったそのケーキの塊に、理沙は思い切り拳を打ち込んだ。
「やっ!」
 予想的中。
 刺さった拳を中心に、と凍らした部分だけがバリバリと砕け散った。
 これなら打撃が有効だし、凍り付いていない部分には衝撃が伝わりにくいから、危険度も少ない。
「うん、いけそう! ……この調子で水を撒いてくれる?」
「分かりました!」
 頷きあう理沙と陽太に、御凪 真人が声をかけた。
「パワーが必要でしょう、助力します」
 真人が、理沙と陽太にパワーブレスをかける。みなぎってくる力に理沙が微笑む。
「ありがと! これでガンガンいけるわ」
 理沙たちに呪文を施した後。
 真人は自分の後ろを振り返り、やれやれと苦笑した。
 パートナーのセルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)トーマ・サイオン(とーま・さいおん)が、それぞれ剣と手を使ってケーキを掘削している。それは問題ないのだが、さっきから頻繁につまみ食いを繰り返しているのが分かる。トーマにいたっては、掘るのと食べるのが同じくらいになってきていた。まだ子供だけに、周りを取り囲む甘い匂いに耐え切れないらしい。
「つまみ食いもいいですが、もう少し真面目にしましょうね」
 柔らかくたしなめる真人に、トーマ・サイオンが尻尾を振った。
「そうだよ、オイラはいいけど、ねぇちゃんは食べちゃ駄目だよな、だってダイエットちゅ……」
「やだなあ、トーマクンは何言ってるんでしょうね」
 あくまで、顔は可憐ににっこりと。
 だがその手でトーマの頭を鷲掴みにするセルファ。
「真面目にやるよね?」
 少しも笑っていないセルファの目に見据えられ、トーマはがくがくと頷くしかなかった。
「じゃあ、作業を続けましょう。この右側の壁を削っていってください。少しだけ、真面目にね」
「分かってるわよ! ケーキなんか食べたりしないもの」
 そう言い切ると、真人の視線から逃れるように後ろを向き、セルファが剣をケーキに突き刺す。
 真人は、その背中に微笑みかけた。それからセルファの両肩に手を置いて。
「パワーブレス。……あんまり無茶して、怪我だけはしないようにしてください」
「言われなくても分かってるってば!」
 真人の顔を見ることも出来ず、セルファがケーキを滅多切りにする。とにかく集中、まず集中。穴掘りに全神経を傾けて、セルファは作業に没頭した。
 とはいっても。
 女の子は、ケーキの誘惑に勝てないものなのだ。
 剣の先で1センチほどの欠片を作り、こっそり口に放り込む。
「あ、ねぇちゃ……」
 また余計な事を言いかけたトーマを一にらみすると、楔を打ち込んだようにトーマが居竦まる。何も見なかったよね? 無言の圧力に屈して、トーマは穴掘り作業に戻った。
 セルファとトーマの様子を伺いながらも、真人は他の作業者に声をかける事を忘れなかった。
「誰か、パワーブレスの必要な人はいますか? 体調が悪くなった人も……」
 ふと見ると、誰かがケーキの壁にもたれている。
「大丈夫ですか?」
 そこにいたのは、クルードだった。
 そもそも、見ただけで吐き気がする位甘いものは苦手なクルード。口に放り込まれたら確実に体が拒否してしまう程だ。
 それが、相当に匂いの強いココアケーキ、そのど真ん中にいるのだから、逃げようにも逃げ場がない。
 入り口から遠ざかるにつれ、匂いはどんどん濃くなってゆく。このままケーキの甘ったるい匂いを嗅ぎ続けていると、頭がどうにかなってしまいそうだ。
「……この匂い……」
「大丈夫ですか? クルードさん。なんだか本当に調子が悪そうですよ?」
 心配そうなユニの声にも、クルードは固く目を瞑ったままだ。
「このままこの中にい続ければ……封印が……」
「ええー! 何ですか封印って!」
 急がなければ、色々とやばい気がする。
 そんな危険をはらみながら、救出作業が続いてゆくのだった。