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海の魔物を退治せよ!

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第5章 一線を越えた鍋


 その頃、調理班でも食材との格闘が始まっていた。
「…ぐぎぎぎぎっ! ふんんっ…!」
 蒼空学園の古森 モモ(ふるもり・もも)は、運び込まれた蟹の脚の関節を逆に曲げて折ろうとしていた。
「……ダメです。パラミタ蟹もパラミタ伊勢エビも半端なく硬いんですが……。海で料理って、こんなに体力を消耗するものでしたっけ…?」
 モモは吹き出る汗を腕でぐいっと拭った。手は力を込めすぎて真っ赤になっている。
「ボクが代わるよ!」
 葦原明倫館の鏡 氷雨(かがみ・ひさめ)が手伝いを申し出てくれた。小学生にしか見えない氷雨だったが、怪力の籠手を装備していたので、モモと力を合わせてなんとか蟹脚を分ける事が出来た。
「これは大変だねー」
 氷雨の言葉に、モモが同意する。
「しかも、まだまだ食材は増えそうですし」
 モモが海沿いで頑張っている皆の姿を遠い目で見つめた。
「ねー、これ、つかわないの?」
 氷雨のパートナーでアリスのリリア・フェンリル(りりあ・ふぇんりる)が、モモのホーリーメイスを指差した。
 リリアのアイディアに、モモと氷雨は顔を見合わせ頷きあった。
 モモはホーリーメイスを綺麗に洗って構え、氷雨とリリアが蟹脚を抑える。ホーリーメイスでもかなりの力が必要だったものの、素手での作業よりはかなり楽に蟹脚を下ごしらえする事が出来た。
 巨大カニの脚は、関節を折っても1メートルほどの長さだったので、それを食べやすい長さに切り分け、さらに身が楽に取り出せるよう殻に切りこみを入れるという力仕事で、3人はへとへとになった。
 それでもなんとか野菜を切って用意し、ようやくだし汁の入った鍋に下ごしらえした蟹脚を入れてひと息つく事が出来た。
 ぐつぐつと煮立って来た鍋から食欲をそそる匂いが溢れ出す。3人が味見をすると、だし汁に蟹の香りとエキスが染み出してコクのある味わいになっていた。
「美味しい!!」
 氷雨が言う。
「ほんとだ、すっごくおいしーよ!」
 リリアが続けた。
「はぁ〜、幸せ。調理班の役得ですね」
 モモがうっとりと呟く。
 野菜を加え、もうひと煮立ちするのを待つ間、氷雨はぼんやりと海を見つめた。手が空くようなら海で泳ぎたいと思っていたのだが、鍋の番があるのでそうもいかない。
「海、行きたいの?」
 氷雨がモモに問い掛ける。そんなに分かりやすい表情をしていたのかと少し恥ずかしく思いながら、モモは頷いた。
「いってきていいよ。鍋はボク達が見てるから」
 そう奨められ、それじゃほんの少しだけと、モモはエビや蟹の巣から離れた場所を見つけ、走って行った。
「うにゅ? ねー、ひーちゃん、なんかね、いろが、みどりになったよー。すごいー!」
「緑?」
 モモを見送った氷雨がリリアの声に振り返ると、今まで美味しそうに煮立っていた鍋から淀んだ匂いが立ち上り、中身が緑黒く変色して、なべ底からはごぼりごぼりと怪しげな泡が浮かんでいた。
「………リっ、リリア、何したの?」
「んとねー、ひーちゃんのかばんでね、うぞうぞうごいてたのをいれてみたの!」
 得意気に語るリリアに氷雨が青褪めた。
「それって、デローン丼だよね…蟹鍋がデローン鍋になっちゃった…デローン丼って、襲ってくるんだけど……。これは平気…かな〜……」
 氷雨が鍋を覗くと、ひと際大きな泡がごぼりと浮き上がり、ピンク色の煙を吐いた。
「まずい……よね?」
 状況的にも、きっと味的にも。これを食べたら絶対に何かが起こると確信した氷雨は、リリアにバーベキューの準備をしている人達に食材を分けてもらってくるよう頼むと、デローン鍋に蓋をして物陰に隠し、別の鍋に新しくだし汁を作り火にかける。残りの野菜を慌てて切り揃えているとリリアが帰って来た。同時にモモが海から戻ってくるのが見え、鍋や食材の準備が振り出しに戻ってしまった事への上手い言い訳が思いつかずに焦った氷雨は、リリアの腕をとった。
「うにゅ?」
「リリア、………逃げよっか!」
「うにゅうぅうう?」
 氷雨に引きずられるようにして、エビと蟹を抱えたリリアはそのまま星の砂の砂浜から逃走した。

「あれ?」
 海を満喫したモモが戻ると、鍋のそばには誰もいなかった。しかも、モモが鍋の様子を見ると中にはだし汁だけで具材がなく、調理台のまな板の上には切り揃えられたばかりの野菜が放置されていた。
 もしかして、鍋をこぼすか何かしてダメしたのを気にして姿を消したのかとモモが考えている所に、倒したエビを抱えたるしあが、マリハともう1人のパートナーで魔道書のトゥプシマティ・オムニシエンス(とぅぷしまてぃ・おむにしえんす)と共にやってきた。
「……鍋」
 るしあはエビをモモに差出しながら言う。
「あ、はい。ええと、切り分けるの、手伝ってもらえますか?」
 モモに頼まれ、るしあとマリハはエビの解体作業を手伝う事になった。
 トゥプシマティも手伝おうとパートナー達の後をついていったが、その時、物陰に隠されたデローン鍋を見つけてしまった。
「なぁんだ、もう出来てる鍋があるのですぅ」
 トゥプシマティが蓋を開けると、ゲップをするように、鍋から紫色の煙が上がった。
「これは……、きっと噂に聞く闇鍋なのですぅ!」
 怯えるどころか喜んだトゥプシマティは、自分も闇鍋に参戦するべく、持って来たマシュマロやアンパン、みかんなどの食べ物を鍋の中にドプリドプリと入れ、
「最後にカレーさえ入れておけば、たいがい何とかなるのです〜」
 と、ひと箱分のカレールーを投入して再び蓋を閉めた。
 こうして、氷雨とリリアとトゥプシマティの連携により、なにかの一線を超えた鍋は、人知れず熟成されていった。