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螺旋音叉『怠惰』回収

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螺旋音叉『怠惰』回収

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2.黒く厚い壁


 冬の大気は澄んでいる、というのは思い込みで、普通の人間が暮らす地表近くの空気はむしろ汚れているのだという。
 空気の滞留の関係で、上空に舞う塵が少ない代わりに地表近くの空気はいつもより目に見えない塵が多く舞っているのだという。
「……というワケなんだよ」
 彩祢 ひびき(あやね・ひびき)はバイクをコントロールしながら一人頷く。
「はぁ……」
 加能 シズル(かのう しずる)はひびきのすぐ隣をバイクで併走しながら首を傾げる。
 ひびきが突然冬は星がよく見えるなどと言い出した理由がよく分からない。
 昇ったばかりの朝日が、シズルの目を射る。陽光がまるで、自分の目をめがけて放たれた光の矢のように感じられる。隣に純白の三角巾を頭に巻いたひびきが射る生で余計にまぶしく感じるのかもしれない。
「……それにしても、まるで砦か要塞のようですわね」
 レティーシア・クロカス(れてぃーしあ・くろかす)はバイクを停止させ、目の前にそびえるタール状の壁を見上げる。報告書を信じるならば、高さ2メートルほどの黒くどろどろとした塊は、スライムの集合体なのだという。
 クレーター状にえぐれた地表の外縁部を、スライムもどきの壁が途切れなく囲んでいる。要救助者たちをスムーズに助け出すためには、スライムの排除は必須だ。
 空からの救助を試みる者たちが、頭上を追い越していく。
「なんだ、鳴いてないじゃないか」
 パラ実生の証であるツナギもまぶしい国頭 武尊(くにがみ・たける)が呟く。ちなみにバイクはパラ実生御用達のスパイクバイクではなく軍用バイクだ。
「おい、ねぇちゃん。あの情報に間違いはねぇんだろうな!」
 学ランを着て長靴を履いた猫ちゃん、こと猫井 又吉(ねこい・またきち)がひびきに向かってすごむ。『鬼魔狗野獣会』総長の又吉の発する凄みに、ひびきは孫を出迎えるおばあちゃんのような笑みを浮かべて頷いてみせる。
「うんうん、大丈夫だよ」
 又吉は事前にひびきと接触を持ち、スライムもどきの動きから解析した周波数の情報を得ていた。又吉の音波銃にその周波数と干渉する音波を出すように設定し、スライムをコントロール、あるいは動きを阻害しようと試みようとしているのだ。
「……俺を猫ちゃん扱いするヤツは」
 又吉はホルスターから音波銃を抜いて構える。
「不運(ハードラック)と踊(ダンス)る事になるぜ」
「……えーと、スタンバイを勧めてもよろしいでしょーか」
 なんだかファンシーな衣装を着込んだ騎沙良 詩穂(きさら・しほ)が小首を傾げている。
 その小さな手にはオルゴールが置かれている。
 詩穂と又吉が並んでいると、まるでテレビアニメの魔法少女とマスコットキャラのようだ。
「さぁ、始めましょうか」
 詩穂の手の上のオルゴールがメロディーを奏で始める。彼女はそれに合わせてハミングする。ハミングはやがて歌となって広がっていく。
「どうだ?」
 武尊はスライムもどきによって構成される壁を見つめる。壁には今のところ何の変化も見られない。
 詩穂は、スライムの壁の向こう側の螺旋音叉にまで干渉するつもりだが、地上からは螺旋音叉がどのような状況になっているのか分からない。
「いくぜ!」
 又吉もスライムもどきの壁に向けて音波銃を放つ。
 音波銃から放たれる音波でタールにも似た壁がぶるぶると震える。
「あ、なんか旨そう。プリンっぽい」
 誰かの声が武尊の耳に入ってくる。無意識のうちに武尊の口元がゆがむ。
「――どうでしょう!?」
 額にうっすらと汗をかいた詩穂が手元のオルゴールを止めてスライムもどきの様子をうかがう。
「相手が大きすぎたか」
 武尊はアゴに手をあて考え込む。彼はスライムに直接攻撃を試みようとする。
 そのときだった。
 スライムもどきの壁が、泡立ち始めた。

 草原の上に巨大なスピーカーが並んでいる。
「む、ほかの方も同じようなことを考えたようですな」
 フランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)は、アコースティックギターをチューニングしながらうなずく。名前から察せられるとおり、かの有名な音楽家シューベルトの英霊である。
 英霊としてよみがえった影響なのか、クラシック音楽の大家というよりはフォークシンガーのような、妙にすすけた生活感を漂わせている。
「フランツさん、スピーカーはこれで良いですか?」
 レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)は飛空挺から降ろしたアンプ内蔵型のスピーカーに配線を終えてシューベルトを振り返る。剣の花嫁であるレイチェルは、螺旋音叉・螺旋の効果範囲外とされるスライムもどきの壁の外でシューベルトの補佐に当たっている。
(フランツさん、いつもより大きく見える……)
 シューベルトの身長はおよそ160センチ。レイチェルの身長はシューベルトより10センチほど高い。
 しかし、ギターを構え不敵に笑うシューベルトは、いつもよりずっと大きく見える。
「あの、なんだかつまみが一杯ついてますけど」
 アンプ内蔵スピーカーには、レイチェルにはよく分からないつまみが無数についている。シューベルトは
「よし、それじゃあ頼んだで」
 大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)は蒼空学園から借り受けた特殊仕様の飛空挺の上からシューベルトたちに声をかける。
「ふむ」
 讃岐院 顕仁(さぬきいん・あきひと)は尊大にうなずく。
 レイチェルは、高度を上げる飛空挺に手を振った。
 そして、シューベルトの指がギターの指板の上を舞い始めた。
 探るように、旋律が紡ぎ出されていく。