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第7章 ジュリエットの死の波紋

 ジュリエットが小瓶の中の液体を、一気にあおろうとしているのを見て、
「わーっ! ちょっと待った待った待ったーっ!!」
 和葉はあわてて駆け寄ると、小瓶を奪い取った。
「何飲もうとしてたんだよ! これ! まさか毒!?」
「ち、違うわ。それは……あの……お薬なの…」
 しどろもどろで説明するジュリエットの姿には、全然説得力がない。
「ふーん。じゃあボクが飲んでも大丈夫だよね」
 と、ジュリエットの真似をして一気に飲もうとしたら。
「駄目ーっ!!」
 あわててジュリエットがその手に飛びついた。
「やっぱり毒じゃん!」
「違うわ。本当に薬なの。でも飲むと死んだように見えるって、修道士さまが…。それに、それだけしかないの。あなたが飲んでしまったらなくなってしまうわ」
「死んだように見える薬? どうしてそんなのが必要なのさ」
「それは…」
 意識不明だった父親が目を覚ましてくれた喜びと、そしてその願いをかなえたい一心でパリスとの結婚を一度は承諾したものの、翌日現れたパリスを見て、やはり無理だと悟ったからだ。
 身も心も、魂までもロミオに捧げ尽くした。
 もはや他人に触れられるなど、堪えられない。
「でも、婚礼は動き出してしまったわ。教会に告知書が貼り出され、招待も出されてしまった。準備は着々と進んでいて、どうにもならないの」
 あとは死ぬしか…。
「それでわたし、どうせ死ぬのであればロミオさまと結婚式を挙げた修道院で死にたいと思ったの。清い体ではありますが、わたしはロミオさまの妻です、あの方の妻としてどうか天に受け入れてくださいとお願いしていたら、ロレンスさまがいらっしゃって…」
 こう言ったのだ。

『ジュリエット、よく聞きなさい。きみのロミオへの愛が、このヴェローナを巻き込んで長く続いている両家の諍いを終わらせる希望にもなると、私は信じているのだ。
 さあ、これを持っていきなさい。もしもパリス伯爵と結婚するくらいなら自殺してもよいというほどの強い意志があるのなら、この中の液体をすっかり飲まれるがいい。たちまちのうちにそなたの中を冷たいものが駆け巡り、脈拍が消え、呼吸を失う。生きた兆し全てを失い、そなたはだれが見ても死人同然となるだろう。そしてそのあわれな時間はちょうど42時間続く。その間にそなたは死したものとして、代々キャピュレット家の者たちが眠るあの古い墓所の地下霊廟へと運ばれるのだ。その間にロミオに使いを出して、そなたを迎えに来させよう。ロミオが来れば、そなたは名もなき1人の女性となって、マンチュアでロミオとともに添い遂げればよい』

 そして、あの小瓶を手渡した…。
「みんな、わたしが病で死んだと思えば、お父さまもパリスも、恥をかくことはないでしょう。キャピュレットの名誉は保たれます」
「でも肝心のその薬、本当に息を吹き返す保証はあるんですか?」
 背後から、そんな問いが飛んできた。
 メイド服姿の鳳 フラガ(おおとり・ふらが)東雲 いちる(しののめ・いちる)七瀬 歩(ななせ・あゆむ)、それに制服姿のエルセリア・シュマリエ(えるせりあ・しゅまりえ)ルートヴィヒ・ルルー(るーとう゛ぃひ・るるー)影野 陽太(かげの・ようた)がこそっと部屋に入ってくる。
「あ、あなたたちは?」
 シッ、と口元で人差し指を立てる。
「お静かに、お嬢さま。わたしたちはあなたとロミオさまのお味方です」
「まさか…! そんな、どこでそれを――」
「ごめん、ジュリエット。ボクが彼女たちに話したんだ」
 どこまで秘密を知られてしまっていたのか、うろたえるジュリエットに、あわてて和葉が説明をする。
「大丈夫、ほかの人たちは知らないよ。それに彼女たちは本当に味方なんだ。だから安心して、相談にのってもらおうよ」
「――和葉が、そう言うなら…」
 ジュリエットは不安に震える手で、ぎゅっと和葉の手を握り締めた。



「私の案はこうよ」
 椅子が足りなかったので、ベッドの上にルートヴィヒと並んで座って、フラガは切り出した。
「まず、ジュリエットをどこかにかくまうの。そして彼女が吸血鬼にさらわれたといううわさを流すのよ。もちろん全く姿を見せないとあやしまれるから、その役割はこのルーイにさせるわ」
「いかにもあやしい吸血鬼の格好になって町をうろついてみたり、未遂で女性を襲ってみたりして、工作をしましょう」
 いかにも、というのがちょっとルートヴィヒ的にはひっかかるところだったが――中が赤い黒マントを着せられたり、シルクハットをかぶったり、黒のスーツ姿になったり――それもフラガのためなら堪えてみせると思った。
「それでロミオが吸血鬼を倒す芝居をうつのよ。そうすれば町を救った英雄として追放だって解けるでしょうし、娘を助けてくれた恩人と、キャピュレットだってロミオを受け入れてくれるのではないかしら」
「それは駄目です」
 はい、と右手を挙げ、陽太が意見する。
「ここはキリスト教圏です。それもカソリックの力がかなり強い。ここで「吸血鬼」という言葉は破戒者を意味し、キリスト教義を守れず死後化け物と化した最も卑しい存在として忌み嫌われています。そんな者に接触したというだけで、2人には致命的です。よくて死刑でしょうね」
「ではただの誘拐ではどうかしら?」
「同じです。この時代、さらわれた女性というのはイコール傷物です。よく物語で「姫を助けた者には姫を与えよう」って王様がおふれを出すでしょう? あれは、傷物になった娘には価値がなく、だれももらってくれないから、押しつけようとしているんです」
 ロミオと結婚することはできるかもしれない。しかしどこへ行っても汚されたジュリエットの名誉は回復されず、2人に未来はない。
「――女性には生きづらい世界ね。この時代に生まれなくて本当によかったわ」
「まったくです。フラガさんがこの時代でなく、あの時代に生まれてくれてよかったと、心から思いますよ」
 そっと手をとり、触れるか触れないかのキスをするルートヴィヒから、フラガはため息をついて手を引っこ抜く。
「じゃああなたはどうしたらいいと思っているの?」
「俺は…」
 訊き返され、陽太は少し言いよどんだ。
 ちら、と暖炉のそばで俯いて立っているジュリエットに目をやり、言う。
「俺は、もうこの物語はかなり動き出していると思うんです。だから流れが止まるまで、彼女の好きにさせてあげるわけには――」
「却下!!」
 最後まで言い切らせてももらえず、陽太の案は女性陣たちに全力で却下されてしまった。



 何が2人にとって最善か。
 考えが行き詰って、だれもが黙り込んだとき。
 コツコツと、窓を叩く小さな音がした。
「……ロミオさま!!」
 まるで死人のようにずっと暖炉脇で立っているだけだったジュリエットが、その瞬間命を吹き返した。
 和葉の手を振り払い、入ってきたロミオの元へ駆け寄る。
 ひしと固く抱き合う2人に、和葉はぎゅっとこぶしを作った。
「……なんでボクじゃ駄目なのかなぁ…」
 ボクなら、あんなに泣かせたり、死を考えるくらい思い詰めさせたりなんか、絶対させないのに。
「だからなんですけどね」
 ぽつり、緋翠がつぶやく。
「何か言った?」
 緋翠は首を振って見せ、和葉の頭をそっと抱き寄せた。

「ロミオさま……ああ、ロミオさま…。もう二度と会えないのではないかと思っていました!」
「あなたがパリスと結婚されると聞いて」
「それは――」
 あせって説明しようとするジュリエットの唇に指をあて、ロミオは首を振った。
「分かっています。何もかも。
 聞いてください、愛しい人。マンチュアの町で出会った少女に言われました。あなたのことを勝手に決めつけてはいけないと。ぼくとともにマンチュアへ来てくれますか? あなたに約束できるものは何ひとつない。お屋敷も、召使いも、持つことはできるでしょう。ぼくにもそれなりに資産はあります。しかしあなたの故郷であるこのヴェローナにも、お父上にも、あなたを会わせてあげることはできなくなる。どちらもかけがえのないものです。それでも一緒に来てくれますか? もし来ていただけるというのであれば、ぼくはあなたをさらって行こう」
 ジュリエットは次々とこみあげてくる熱いものに胸と喉をふさがれ、ただ頷くことしかできなかった。
 幾度となく懸命に頷く彼女の唇をロミオのそれがふさぐ。


「――あの2人、絶対あたしたちのこと眼中にないよね」
 見ちゃいけないと、プライバシー尊重で顔を覆ったものの、指の隙間からしっかり覗き見しながら歩がつぶやく。
「イ、イタリア人って情熱的なのね…」
 とはいちる。
「チッ、なんで夢の中で『も』らぶらぶなやつらを見なきゃなんねーんだ」
 エルセリアは少々ムカついているようだ。
「いいか! おまえらな! 思いが通いあってるだけで充分だろ! そんなに好きなら駆け落ちしてでも一緒にいろ! 簡単なことじゃねーか!」
 言えない、伝えられない思いなんかじゃねーんだろ? それならまだ全然幸せだ。
 両腕を組むエルセリアの横で、
「駆け落ち!」
 ぱん、といちるが手のひらを合わせる。
「やっぱりそれが一番だと思います」
「そうね! ヘタにいろいろ策を講じるより、そっちの方がいいかも!」
 歩も賛成する。
 いちると2人でにっこり笑い合ったあと。
「あたしたちに任せて! 絶対駆け落ちを成功させてみせるから! それにもちろん、町に帰れるようにもしてあげる!」
 抱き合う2人に向け、歩はVサインを出した。



 ついに運命の木曜日が来た。
 花婿であるパリスが花嫁を起こそうと音楽隊をひきつれてキャピュレット家に到着する。ジュリエットの部屋のバルコニーの下で音楽隊に演奏させ、自身は部屋へと向かう。しかしそこに生あるジュリエットは存在せず、ベッドの上にはただ、冷たくなった死体があるだけだった。
 パリスは最愛の女性の死を前に、へなへなとその場に膝をついた。
 彼女を奪ったのが恋敵であるならばいかようにも戦えるが、死の神の手からどうすれば彼女をかすめとることができようか?
 この日が来るのをあんなにも待ちわびていたのに、今目にしているのはこの有り様! あわれ13歳の歳若き花嫁は、死神の花嫁となって黄泉の国へ嫁いで行ってしまった。
 祝いの席は、あっという間に弔いの支度へとはやがわり。音楽隊が演奏するのは祝歌ではなく葬儀の歌に、教会の人々が歌う賛美歌は鎮魂歌へと変わった。新床を飾るはずだった花は棺の中で遺骸とともに葬られる。
 悲しみに包まれたキャピュレット家。まさか2度もこのような不幸が訪れるとは、だれが予想できたであろうか。ヴェローナ中を捜しても、だれも見つかるはずがない。そう、ただ1人、修道士ロレンスを除いては…。


 パチパチパチと拍手するエピに向け、シヅルは気取ったおじぎをする。
「こんな手間かける必要あるのかな? さっさと2人で駆け落ちすればすむ話じゃん?」
 エピのツッコミに、ち・ち・ちと指を振った。
「それだとあっという間に捕まってしまうよ。彼らはヴェローナの町では知らない人はいない有名人だし、1人は本日の花形、花嫁だ。父親からもパリス伯爵からも追手がかる。そして万一捕まれば、花嫁誘拐の罪でロミオは死罪だな」
 でなくても追放者が戻っていたのが知れただけで死罪だろうけど。
「さあ、いよいよ物語はクライマックス突入だ。みんな、気合い入れてリストレーションしろよ」
 闇の中、足下にじわじわと広がり始めた葬式の場面に向け、シヅルは言った。



 鳴り渡る弔いの鐘の中、粛々と棺は地下霊廟まで運ばれた。
 花に埋もれる中、ジュリエットの青白い面だけが見守る人々の前を通りすぎる。やがて硬直した彼女の体は地下霊廟の台座の上に移された。
 ばたばたと足早に葬儀人たちが走り出て行く。それも無理はない。ここにはティボルトとキャピュレット夫人のくさりかけの死体が、屍衣に包まれているのだ。彼らの悪霊がいつ物陰から現れてもおかしくはない。
 短期間に3人もの死者を出したキャピュレット家の呪いがわが身にふりかかっては大変と、彼らが考えるのは当然のことだった。
 口々に聖書の言葉を唱え、大慌てで扉の鍵をかける彼らの音を聞きながら、アイン・ブラウ(あいん・ぶらう)は柱の影から姿を現した。
 かつんかつんと足音を響かせて階段を降り、台座に眠るジュリエットの遺骸へと近づく。
 そこには、青白いジュリエットと二重写しになって眠る蓮見 朱里(はすみ・しゅり)の姿があった。
「きみがこんな役に志願するなんて…」
 そっと頬に触れようとして、その手を引き戻した。
 死者となった朱里に触れるのは――たとえ仮死だとしても――嫌だった。そんなものを覚えたくはない。彼女は常に光、温かな存在でいてほしい。
 マントで身を包み、台座を背に座り込む。
 冷え切った地下の霊廟は、わずかな月明かりが差し込むだけで、白い闇にぼんやりと沈んでいる。寒々しい場所。生者のぬくもりを求めて死霊がうろつくと言われても仕方のない場所だ。そしてすぐ近くには、死んで間もない2人の死体…。
 こんな場所に朱里だけを寝かせておくなんてできない。
 仮死が解けるまであと1日と少し。
 アインは抱き寄せた右膝に頬を押しつけた。



 鳴り響く弔いの重い鐘の音。
 悲劇的なジュリエットの死にヴェローナの町が悲しみに包まれた水曜日。
「さあ、舞台は整った」
 本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)扮するロレンスは、さっと衣を返して修道院の入り口に向かった。
 ロミオをマンチュアから呼び寄せなければならない。あのあと、彼は戻ってきていることを大公に知られる前にと、いったんマンチュアへ引き返していた。そこでジュリエットを迎える準備をしているはず。
 彼に迎えにきてもらわなければいけない。
「本当は、そこも私たちに任せてほしかったんだけどな」
 彼がヴェローナの町に侵入するのは命がけだ。しかし、ジュリエットを迎えに行くと言ってきかなかったのだから仕方がない。
「ジョン神父はいらっしゃいますか? ジョン神父。どちらに?」
 ロレンスは若い修道士を呼び寄せ、様子伺いの手紙だからと適当に言いくるめ、ロミオへの手紙を託した。
「必ず届けてくださいね」
「分かりました」
 頭を下げ、旅立って行く修道士の背を見送るロレンスの後ろから、ひょこりとヴァルキリーの集落 アリアクルスイド(う゛ぁるきりーのしゅうらく・ありあくるすいど)が頭を出す。
「使者の人、行っちゃったけど。本当にボクも必要?」
「おまえは念のため。あの使者が無事マンチュアへ着き、ロミオに手渡してくれたらいいけど、道中が不安だからね」
「そのための安全策ってわけだねっ」
 ぴょんっ。
 だれもいなくなった通りに、アリアが飛び出す。
「アリアも気をつけろよ。この世界、女の子の1人旅はかなり危険だからな」
「まーかせて! 涼介はせいぜいそのしけった修道院でお祈りでもしてたらいーよっ」
 いや、しないから。
 そう返す暇もあればこそ。アリアは元気いっぱい、猛ダッシュでジョン神父のあとを追うように走って行く。途中で追い抜かしてしまいそうな勢いだ。
(あれは、出会う盗賊の方こそ不運だな)
 涼介はそう結論づけ、ため息をついた。



 実際のところ、ジョン神父が襲われたのは盗賊ではなかった。そしてアリアも。
 町の検疫官である。
 ジョン神父が1夜の宿にと求めた店が、不運にも伝染病患者を出してしまったのだ。宿の入り口は宿泊客ともども封鎖され、決して外出してはならないと見張りまで置かれてしまった。
「ちょっとちょっとぉ。どうしたらいいの? これ。ボクも出られないの?」
 こうなったら外の見張りを蹴り倒して突破するか? でも追手をかけられるのは間違いないし。その状態でロミオの元へ行くというのも…。うーん…。
 悩んでいると、窓の下からこそこそと声がかかった。
「アリアちゃん、ロレンス神父の手紙を渡して」
 綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)だった。
「綾原さん!」
 すぐそばでは、アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)が見張りが来ないか周囲の様子を伺っている。
「すぐ来れなくてごめんね〜」
 なにしろこういう機会はめったにないと思って、ちょっと観光気分でドレス着て、町をいろいろ見て歩いてたりしちゃった☆
「ううん、ううん」
 ぶるぶる首を振ったあと、アリスは腰に吊るしてあったきんちゃくの中からロレンス――涼介から渡された手紙を取り出した。
「これ、お願い! ロミオくんに渡して!」
 ぱっと窓の下へ放る。それをさゆみがうまくキャッチして、胸元にたくし込んだ。
 任せて、とウインクひとつ。窓のアリアにばいばいと手を振って、さゆみはアデリーヌと一緒に走り出した。



 マンチュアの町にて。
 ロミオは2人の新居にと用意した家で、ロレンス神父からの連絡をいまかいまかと待っていた。
 はじめは苦労させることになると思う。ヴェローナから一歩も出たことのない彼女が見知らぬ土地、見知らぬ人々に囲まれて暮らすことになるのだから。だけどきっと、いつか必ずヴェローナの家に戻れるようにしてみせる。父親にも会えるように。必ず。
「ロミオさん……きっとうまくいきますわ」
 支度を手伝っていた久野川 アリシア(くのがわ・ありしあ)が、そっと声をかける。
「ありがとう、アリシア」
 振り返り、笑顔で見つめる彼女に笑みを返した直後。
 バリンと窓が割られるような音が客間の方で起きた。続いて、ガタガタと物が倒される音、バキバキ破壊される音がする。
「出てこいロミオ!!」
 窓を破って侵入し、棒を振り回す彼らは、ティボルトの手下たちだった。


「見つけたぞ、ロミオ! ティボルトやキャピュレット夫人が死んだっていうのに、きさまは追放だけだと!? そんな不公平があるか!!」
 肩で息をしながら、男の1人が破壊したテーブルから棒を引き抜いた。邪魔なソファを蹴飛ばし、転がる花瓶を踏み割って、ずんずん近づいてくる。
「逃げて! ロミオさん!」
 部屋の様子に呆然となっているロミオを突き飛ばし、アリシアは部屋のドアを閉ざす。すばやく鍵をかけ、すぐ横にあった花瓶立てから花瓶を払いのけてつっかえ棒のようにドアの下に押し込んだ。
「さあ、逃げましょう! 早くこの家を出るんです!」
 こんな場所では戦えない。
 アリシアはロミオの手をとり、外へ駆け出した。

 

「ロミオさん、お待たせー……って、あら? いない?」
 開け放たれた玄関ドアの前で、きょとんとするさゆみとアデリーヌ。
 家に人がいる気配はなく、アリシアの姿もどこにもない。
 荒らされた室内から想像するに…。
「た、たいへん、大変! 早く見つけなくちゃ!」
 2人はあわててマンチュアの町に飛び出して行った。



 金曜日が過ぎ、土曜日となった。
 45時間が過ぎたところで、アインは不安になった。
 おかしい。あの薬の効き目は42時間のはずだ。なのになぜ朱里は目覚めない?
「朱里? 朱里!」
 冷たく凍えた両肩をとり、アインは揺すった。最初は控えめに、そしてだんだん強く。
 だが朱里が目覚める気配は一向にない。
「……あの……アインさん…」
 おそるおそるといった様子で、正悟が現れた。
 階段を下り、室内へ入る。その顔色は周りの死者と同じく、すっかり青ざめしまっている。
 そして目は、悲しみに曇りきって…。
「俺、俺…」
 ぎゅっと両手をこぶしにして、正悟は告白した。
「仮死になる薬と間違えて、本物の毒薬をジュリエットに渡してしまったんだ!」
「なんだって!?」
 正悟は風を感じたと思った次の瞬間、床をすべり壁に叩きつけられていた。
 あまりの激しさに、殴られた頬とぶつけた背中の痛みがあとがくる。
「おまえ、一体何のつもりでこんなことを…!」
「……まちがえ、たんだ……だから…」
 切れた口元を押さえ、激怒して立つアインを見上げる。
 殺意に燃える冷たい瞳。こんな目で自分を見る彼を、正悟は見たことがなかった。
 冷たい汗が背筋を伝う。
「うそをつくな。渡したのが間違いなら、そもそもなぜそんな毒を用意していた? 何に使う毒だったというんだ!
 ――――くそっ!」
 こんなやつを相手にしている暇はない!
 アインは台座の朱里のもとへとって返し、両手をついて彼女を見下ろした。
「朱里! ここはわれわれの思いが力になる世界! きみは死んでいない! 飲んだのは毒だと思っていないはずだ! さあ目を開けてくれ!!」
 そう叫んだが、アインにも確証はなかった。
 実際、朱里はぴくりとも動かず、ここに乗せられたときの状態のままだ。
 これは仮死でなく、本当の死だったのか。
 ――夢の中で心が死ねば、現実はどうなる?
 アインは夢中で朱里にキスをした。
 彼女を死なせた毒が、その唇に、口内に残ってはいないかと。
 1滴でも残っていれば、毒を飲んだとこの心を死なせることができるのに。
「朱里、目を開けてくれ…」
 お願いだから。
 鼓動を求めて、胸に額を押しつけるアイン。
「あの……彼女は眠っているだけだと思います…。わたしがすり替えておきましたから…」
 おずおずと、入り口をくぐって現れ、すり替えた正悟の小瓶を見せる。
 それは火村 加夜だった。