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【二 ビリーさん】

 捜索救援隊が、これから電脳過去世界に突入しようとする一方、既にログアウト不可状態に陥り、自分達の置かれている状況を把握しているコントラクター達の行動は、ひとことでいってしまえば十人十色といったところである。
 何とかこの状況を脱しようと努力する者も居れば、意外にも、この危機的ともいって良い状態を敢えて無視して大正初期の大阪観光を目一杯楽しもうと考える者も居た。
 例えばルカルカとザカコの場合。
 ふたりは元々、誘い合ってこの電脳過去世界に遊びに来ただけだったのだが、ターミナルポートである恵美須館裏のドアを開けても、本来ならすぐにログアウトする筈が、まるでその気配が無かった為、何か異常が発生していると即座に悟った。
 そこでふたりは、ウォッチドッグプログラムのビリーさんと接触を取り、すぐにバグ除去の作業に協力しようと考えた。
 ルカルカとザカコがビリーさんことビリー・ケインと出会ったのは、ルナパークから更に南側、関西鉄道の線路に接する街路上であった。
 事前に山葉校長から、妙な姿のウォッチドッグプログラムが電脳過去世界で稼動している筈だとの情報を得ていたふたりだったが、ビリーさんの珍妙な容姿は想像を幾らか逸脱していたらしく、正直なところ、多少なりとも面食らってしまったのは事実であった。
 実際、ウォッチドッグプログラムがどういう形で映像化されるのかは全くの不明だったのだが、しかしまさかその容姿が、全長30センチ程の小太り親父(しかも坊主頭)だとは、さすがのルカルカとザカコも予想だにしていなかった。
 対するルカルカは、丹前に袴、学生帽という服装で、ビリーさんなどよりも遥かに、この時代の人物っぽい格好ではあるのだが、行動のし易さを見込んで男装したのが、どうも失敗だったらしい。
 彼女は胸のふくらみを無理矢理サラシで巻いて覆い隠しているのだが、そのふくらみの大きさが却って目立ってしまっており、折角この世界に溶け込もうという意図で身につけた衣装が、妙な違和感を覚えさせてしまう結果になっていた。
 それはさて置き、ビリーさんはルカルカの容姿など全く気にした様子も見せず、けらけらと笑って曰く。
『わてがこないに可愛いからって、そんなびっくりせんでも宜しいがな』
 ビリーさんが本気で照れている様子で、自身の頭を右掌でぺたぺたと叩く。
 乾いた笑いで応じるルカルカの隣で、ザカコは軽い頭痛を覚えた。
 妙な話のように感じられたが、仮想世界の中であるにも関わらず、感覚は全て現実と同等であった。だがそれも、当然といえば当然である。現実世界の場合でも、人間は神経が受信した信号を脳内で相応に解釈して、これを『感覚』として理解しているだけの話である。
 脳内に走る電流をトレースして同様の『感覚』を生み出す場である電脳過去世界に於いて、現実世界と同様の感覚を得られるのは、決して不思議な理屈などではなかった。

 ともあれ、無事にビリーさんと遭遇が叶ったふたりは、早速デバッグへの協力を申し出てみたところ、ビリーさんはさも嬉しそうに大きく頷いた。
『いやぁ、助かりますわぁ。カレーニナのエイコさんは、わてが直接いじれる相手ちゃいますからなぁ。頼りにしてまっせぇ』
「で、そのカレーニナのエイコさんっていうのは?」
 ルカルカの問いに、ビリーさんは何ひとつ隠し立てする様子を見せず、ぺらぺらと喋り続ける。
『この電脳過去世界を管理するOSですわ。見た目はかなりアレなんやけど、普通に優秀なシステムでっせ』
「優秀……って割には、バグ持ちだったんですね。ま、取り敢えずはそのエイコさんとの接触が先になるでしょうか。デバッグの基本は条件を絞り込んでバグ箇所を特定することですからね」
 かくして、ふたりはビリーさんと協力して、デバッグ作業に加わる運びとなった。
 通常ビリーさんは姿を消しているのだが、呼び出せばいつでもどこでも姿を現してくれるだけでなく、他にログインしているコントラクター達との中継役も担当してくれるらしい。

     * * *

「もしかして、あなたは……」
「あれっ、美晴さん!?」
 セレスティアと理沙がいささか声を裏返して呼びかけると、その人物も驚いたような表情を作ってふたりに振り向いた。
 海老茶式部の衣装に身を包んではいるが、その女性は間違いなく、料理研究部『鉄人組』の副長である三沢 美晴(みさわ みはる)であった。

 以下、少し余談。
 海老茶式部というのは、大正時代に女学生の間で流行した服装を指す。現代でも女子大生が卒業式などで着用する、あの袴を履いた女学生スタイルといえば分かり易いだろうか。
 起源は下田歌子が校長を務めた華族女学校の制服にある。
 この華族女学校の女学生達が海老茶色の女袴を着用していたことから、当時の人々はこのスタイルを海老茶式部と呼んだ。華族女学校の袴はカシミア製で、色は海老茶であった。この海老茶というのは、紫がかった暗赤色で、下田歌子が、宮中袴では十六歳未満の色とされる「濃色(こきいろ)」をもとに発案したと察せられる。
 或いは、紫は当時華族が用いていた高貴な色であり、そのままでは畏れ多いという理由から、平民の紫使用はタブーとされ、それに代わる色として海老茶色が採用されるようになったという説もある。
 いずれにせよ、その後、全国の女学校でもこのスタイルに倣った為、彼女達女学生を紫式部になぞらえて『海老茶式部』と呼ぶようになったというのは、ほぼ間違いない。
 尚、この海老茶式部の他に、独自の色彩で『紫衛門』と呼ばれたのが跡見女学校の女学生達であるが、これ以上続けると余談が長くなるので一旦擱く。

 さて、理沙、セレスティア、そして美晴である。
 三人は新世界の北西角に当たる、恵美須町交差点で出会っていた。ここから南東方向に目を向けると、恵美須通り(現在の通天閣本通)が交差点から斜めに延びている。
 丁度美晴は、この恵美須通りに足を向けようとしていたところを、理沙とセレスティアに呼び止められる格好となった。
「いや……びっくりしたな。ふたりも来てたのかい?」
「美晴さんこそ……何ていうか、いつもとは随分雰囲気が違うね」
 理沙が目を丸くして美晴の衣装を指差すと、セレスティアも見惚れた様子でじっと凝視している。
「あぁ、これか。いや、折角過去体験すんだから、格好もそれっぽくした方が良いかなぁ、なんて思ってさ」
 大きな紅いリボンでテールアップにまとめた長い黒髪と海老茶式部という組み合わせの美晴からは、鉄人組副長としての威圧感が微塵にも見られず、理沙はむしろ、新しいものを発見したかのような錯覚に囚われていた。
「っつーか、そんなに変かい?」
「いえ、そのう、美晴さんもやっぱり、女の子なんだなぁ、なんて」
「なんじゃい、そりゃ。そういうあんただって、いつもはメイドカフェのオーナーやってる時はすんげぇ格好してるじゃんか」
 美晴が笑うと、理沙は照れ臭そうに頭を掻き、その傍らでセレスティアも可笑しそうに口元を押さえる。第二家庭科室でメイドカフェ『第二』のオーナーを務める理沙は、『第二』店内ではその高い身長をタキシードで包んでいるのである。
 いわば男装の麗人といったところであろう。背が高い分、非常に見映えがするのだが、本人はいつも照れ臭いと感じているようであった。
 と、その時。
『おーぅ、ここに居てはったんかぁ。探しましたでぇ。位置登録したから、これからはいつでも接触出来まっせぇ』
 突然ビリーさんが三人の頭上に現れた。思わずぎょっとした顔で頭上を振り仰ぐ三人。
 当然ながら、道行く人々はビリーさんの姿が見えない為、理沙達の挙動に眉をひそめて、そそくさと周囲から離れていく者が多かった。

     * * *

 また、別の地点では。
 救出の為に電脳過去世界へとダイブした筈が、同じようにログアウト不可に陥ってしまったシズルと、彼女を囲むようにしてクド、つかさ、孝明、椿といった面々が共に行動していた。
 だが、どうにも和気藹々という雰囲気ではなさそうである。いや、少なくともクドは和気藹々のつもりだったのだが、彼の癖の悪い手がどうしてもシズルのスカートの方に伸びていってしまう為、その前につかさが壁となって立ちはだかり、鼻息を荒くしているという妙な構図が出来上がってしまっていたのである。
 仕方が無く、クドのくねくねする変な動きの手先が椿の方に伸びようとしたのだが、すると今度は目に見えない圧倒的な力が彼の手首に襲い掛かり、ごきり、と変な音がしたのだから堪らない。
「お兄さんちょっと場を和ませようと思っただけなんだけどねぇ」
「いや、どこがだよ」
 椿の取り付く島も無い突っ込みにも屈することなく、クドは更なる侵略の魔手を伸ばすのかどうか。
 傍らで乾いた笑いを漏らす孝明も、椿の剣呑なオーラを抑える手立てを知らない。
「ね、シズル様、そのぅ、ビリーさんというお方は、今はここにはいらっしゃらないのですか?」
 シズルの腕に自身の華奢な体躯を絡めつかせるような格好で、つかさが妙に甘ったるい声で問いかける。
 訊かれたシズルは、このような状況に於いて尚、いつもの調子を崩さないつかさに苦笑を禁じ得ない様子ではあったが、ビリーさんとしばらくコンタクトが取れていない状況については、多少の不安を覚えているらしく、一瞬難しい表情を浮かべた。
「そのビリーさんとやらが、ここでは唯一の手がかり……というか、味方なんだよな?」
「そうね……ええ、多分そうだと思うけど」
 どうやらシズルも、あまりよく分かっていないらしい。
 であれば、自分達で直接疑問をぶつけてみるしかないのだろうが、肝心のビリーさんが居ないのでは、話にならない。
 などと思っていた矢先。
『あー、おったおった。あんさんらも今、位置登録したからな〜。これからはいつでも呼び出してもらってええでぇ』
 突然現れた珍妙な小型親父の禿げ頭に、つかさも孝明も椿も、すっかり面食らってしまっていた。
 唯一の例外はクドで、彼は興味津々といった表情を浮かべつつ、指先で自身の顎先を軽く撫でながら、ほうほうと感心した様子で頭上のビリーさんを眺めていた。
「意外だねぇ。お兄さんにゃあ見えないと思ってたんだけどねぇ」
「私はちっとも見たくありませんでしたわ……私の瞳に映るのは、シズル様だけ……」
 鼻にかかったつかさの甘ったるい声で、その場に妙な空気が流れ始めたところで、孝明がずいっと身を乗り出してビリーさんに問いかける。
「知ってたら、教えて欲しい。ここでは今、何が起きているんだ?」
『知ってたらも何も、大体の状況は分かってっさかい、全部教えたげるがな〜』
「へぇ……もう少しもったいぶるかと思ったけど、案外、あっさりしてんだね」
 椿のこの感想は、この場に居る全員の思いをそのまま代弁しているといって良い。