蒼空学園へ

イルミンスール魔法学校

校長室

シャンバラ教導団へ

初日の出ツアー 馬場正子ご一行様

リアクション公開中!

初日の出ツアー 馬場正子ご一行様

リアクション


【五 キッチンコロシアム再び】

 その頃、水晶亭のキッチンでは。
「うわぁ〜! 正子さん、すっごく似合ってますよ!」
 ヒヨコ柄のエプロンを纏った正子を前にして、火村 加夜(ひむら・かや)が随分と嬉しそうに嬌声を上げている。実はこれ、加夜がまだ少し早いが、と前置きして正子に贈った誕生日プレゼントなのである。
 贈られた正子もまんざらではないらしく、サイズ、質感、デザインのいずれに於いても完璧に正子好みに仕上げられたこのエプロンを着用して、機嫌良さそうに分厚い胸板を反り返らせていた。
「礼をいうぞ、加夜。エプロンは女の戦闘服。良いものを身に着ければ、自ずと気分が引き締まり、集中力が高まるというものよ」
 大きな拳でサムアップを作り、珍しくその口元に大きな笑みを浮かべる正子に、加夜はこれ以上は無いというぐらいの華やかな笑みで応えた。
「敵ながら見事な晴れ姿だ。そしてどうやら、準備は整ったようだね」
 同じくキッチンで、奉納膳の調理支度に入っていた弁天屋 菊(べんてんや・きく)が、不敵な笑みを浮かべて正子に挑戦的な視線を送りつけてきた。
 実のところ菊は、ある勘違いをしていた。というのも、彼女は息子Jを『怒れる山の精』であるのを、どういう訳か『恐れる山の精』と思い込んでしまったらしい。
 怒っているのと恐れているのとでは、一字違いで大違いである。
 そして菊自身は、六合目付近で己の勘違いに気づいていたのだが、もう引き返せないとばかりにそのまま押し切り、あくまでも恐れる山の精に納める為の膳を調理するとの名目で、正子に料理勝負の挑戦状を叩きつけてきたのである。
 菊が正子に戦いを挑んできたのは、相変わらずのパラ実的思考が大いに関与している。
(霊峰フライデンサーティンこそ、西岳華山と対になる聖山に違いねぇ! 正子はもしや、ここで料理を奉納して、この霊峰を支配下に置くつもりか? んなこたぁ、この菊が許さねぇぜ!)
 ちなみに五岳とは、道教の聖地である五山の総称であり、五名山とも呼ばれる。それぞれ陰陽五行説から、東岳泰山、南岳衡山、中岳嵩山、西岳華山、北岳恒山と称され、正子の泰山包丁義は東岳泰山を発祥の地としている。
 尚、菊の挽擂料技は南岳衡山にて脈々と受け継がれてきた、秘伝中の秘伝奥義である。菊が正子を強烈にライバル視するのは、こういった事情に因る。
 ともあれ、菊と正子の料理対決である。
 当初の予定では、菊は山頂で御来光を拝みつつ奉納膳を完成させたかったのだが、場所の問題で、山頂では調理はまず不可能という情報が舞い込んできた。そこで仕方無く、この水晶亭である程度仕上げておいて、山頂にて盛り付けだけを行おうということで、折り合いをつけたというのが実情であった。
 そして今回の対決では、それぞれ助手を付けようという運びとなった。正子の俎板には加夜が、そして菊の俎板には親魏倭王 卑弥呼(しんぎわおう・ひみこ)が参戦する。
 元々加夜は、正子と料理の話でもしながら登山を楽しめればという程度の思いしか抱いていなかった為、まさか自分が料理対決のパートナーに指名されるとは、思っても見なかったらしい。
 対する卑弥呼は、道中、菊の材料集めを手伝っていた為、そのままの流れでこの料理対決にも名前が組み込まれる形となったようである。
 尤も卑弥呼の場合、菊と同じく『恐れる山の精』という勘違いで今回のツアーに参加したという経緯がある。卑弥呼はかつて、恐山でイタコ修行を積んでおり、その経験からフライデンサーティンに興味を持ち、遂にはツアーに参加するに至った。
 但し、卑弥呼の具材採集補助はあくまでもついでであり、メインは道中のゴミ収集であったらしい。近年の霊峰・聖山に於ける観光客のマナー悪化は卑弥呼にとっても重大な問題であり、だからこそ、清掃班に自ら志願して参加していた。
「煮立ってきたようだね。豆、芋、根菜、準備は出来てるよ」
 卑弥呼が笊に用意した洗浄済みの具材を掲げると、菊はうむと頷き、料理対決の開始を宣言する。
「よぅし……始めようじゃないか。制限時間は一時間!」
 これを受けて、正子は愛用の包丁を握り締める。
「加夜、段取りは既に伝えた通りだ。手際良く進めてくれい」
「は、はい!」
 この空間だけ見ると、彼女達は態々ここまで何をしに来たのか、よく分からない。

 同じキッチンスペースでは、コルネリア・バンデグリフト(こるねりあ・ばんでぐりふと)が肉まんを蒸し器にかけ、早くも第一陣が蒸し上がろうとしていた。
「んにゃにゃ〜! 美味しそうにゃ〜!」
 どういう訳か、本来のパートナーであるあゆみではなく、コルネリアにべったりくっついているミディア・ミル(みでぃあ・みる)が蒸し上がった肉まんをガスレンジの脇から覗き込み、興奮した面持ちで小さく叫んだ。
 と、そこへ愛用のデジカメを携えた森田 美奈子(もりた・みなこ)がミディアを蹴散らして割り込んできた。蒸し上がった肉まんを激写しようとの勢いだが、もうもうと噴き上がる蒸気にレンズが曇ってしまい、撮影どころではない。
「た、大変ですお嬢様! 折角お嬢様が蒸し上げた肉まんの出来立てほやほやを激写しようとしたら、レ、レンズが曇ってしまいました!」
「美奈子、無能にも程がありますわよ」
 鋭い突っ込みを入れたのはしかし、コルネリアではなくアイリーン・ガリソン(あいりーん・がりそん)である。いつものジャッジ癖だが、この場合の美奈子に対する評価は正しいといえよう。
 しかしながら、情状酌量の余地もある。
 この水晶亭に至るまでの道中では、美奈子は随分と重い荷物と格闘しなければならなかった。これはアイリーンの策略に因る極大負荷なのであったが、この重量と戦いながら、様々な被写体をデジカメのレンズに収めてきた為、いつもの激写タイミングの勘が幾分、鈍ってしまっていたのである。
 ところで、ここまで美奈子が被写体として選んできたのは、女性の場合は『人間タイプ』ばかりであり、ミディアに対しては目もくれなかった。
 これがミディアには相当腹が立ったらしく、この水晶亭到達までに、ミディアと美奈子の間には強烈な敵愾心が芽生えるに至っていた。
 この時も、ガスレンジ前から蹴散らされたのが余程頭に来たようで、ミディアはすかさずコルネリアに泣きついた。
「んにゃー! 酷いにゃ酷いにゃ! ミディー、何も悪いことしてないのに、蹴っ飛ばされたにゃ!」
「あらあら、これはうちの美奈子が大変な粗相を……どうか肉まんで、お心を静めてくださいましな」
 コルネリアになだめられてしまうと、ミディアとしてもそれ以上、騒ぎ立てる訳にはいかない。ここはコルネリアの顔を立てる為にも、引き下がっておくのが吉だという大人の判断が働いた。
「う……しょうが無いにゃ。お嬢様のお顔に泥を塗る訳にはいかないにゃね」
 その傍らで、美奈子が別の肉まんを手に取り、妙に嬉しそうな表情でその辺を走り回っている。どうやら肉まんの質感が別の何かに似ているようで、酷く興奮しているらしい。
 このまま放っておくと、どこに飛び出していくか分からない。アイリーンはすかさず美奈子を土間の床に引きずり倒し、三角絞めで絞め落としてしまった。
「うぐっ……が、がはっ……」
 落ちる寸前、美奈子は白目を剥きながら必死のアイリーンの二の腕辺りをパンパンとタップしてみせたが、それで力を緩めるアイリーンでは無いことは、先刻承知の筈である。
 すぐ隣で繰り広げられている菊と正子の料理対決を差し置いて、文字通りキッチンの格闘技を演じてみせたアイリーン。料理対決以上に、一体何をしに来たのかよく分からない有様である。
 尤も、美奈子が絞め落とされたことで、ミディアが幾分溜飲を下げたのも事実ではあるが。

 妙に騒がしいキッチンが気になったのか、下川 忍(しもかわ・しのぶ)赤坂 優衣(あかさか・ゆい)が、土間に面する大広間からひょいと顔を出してきた。
「わっ、凄く良い匂い……」
 蒸し上がったばかりの肉まんの香ばしい匂いが、忍と優衣の鼻腔を強烈に刺激した。そのせいか、ふたりの腹から胃の鳴る音が盛大に鳴り響いた。
「あらあら、か弱い女の子がこんなにお腹を空かせていらっしゃるなんて……今、お皿に取って差し上げますから、少々お待ち下さいな」
 コルネリアが笑顔で応ずるも、忍は複雑そうな面を向けて頭を掻いた。
「いや、その、ボクはか弱くともなんとも無くて……」
 そこまでいいかけた忍を、優衣が横からずいっと口を挟んできて、忍の声を遮った。
「はいはい。戦うメイドさんだっていいたいんでしょ? でも腹が減っては戦は出来ぬ、ってね。折角なんだから、お呼ばれしようよ」
 折角の主張を中断され、忍は僅かに頬を膨らませて抗議の意を示したが、しかし肉まんの魅力には勝てないらしく、コルネリアが差し出す飲茶小皿を素直に受け取った。
 ところが、その時。
「た、戦うメイド様ですってぇ!」
 確かにアイリーンが絞め落とした筈の美奈子が、ジャックナイフの如き勢いでがばっと起き上がり、猛然たる勢いで忍に迫った。その余りの迫力に、忍は危うく飲茶小皿をひっくり返してしまいそうになった程である。
 対する美奈子はというと、その視線が忍の胸元に釘付けとなっている。
 慎ましいを通り越して、ほとんど洗濯板に近い平板な忍の胸元が、美奈子の意識をすっかり捉えていた。
「こ、こ、この、慎ましやかっぷり! 大変……大変素晴らしいですわ!」
 日本語になっているようでなっていない美奈子の台詞に、忍はぎょっとした表情で仰け反った。
 そして美奈子はというと、もうほとんど無意識の中で右掌が宙を彷徨い、そのままべたっと、忍の胸元に押し当ててしまった。これには忍も優衣も相当に仰天したのだが、しかしその一方で美奈子は妙な違和感を覚え、
(……あら?)
 と、小首を傾げている。
 美奈子の右掌に伝わってくる感触が、何かおかしいのである。
 女性の慎ましやかな胸に関しては相当に造詣が深い美奈子をして、強烈に困惑させる何かが、忍の胸元にあった。いや、美奈子の期待に応じるべきものが無かった、と表現した方が正しいのかも知れないが。
 だが、その奇妙な光景もそう長くは続かない。
 アイリーンが美奈子の背後からするすると両腕を絡ませ、あっという間にチキンウィング・フェイスロックを完成させてしまったのである。
「……美奈子、何をやっているのですか。忍様に失礼でしょうに」
 静かな戒めではあったが、アイリーンの声には怨讐の如き怒りの念が込められている。
 ちなみにフェイスロックは絞め技ではなく、極め技である。つまり意識が遠のくことは無く、激痛が延々と続く為、ある意味、絞め技以上にきつい折檻であるといって良い。
「大変、失礼致しました。この者には、しっかり教育しておきますので、どうぞご容赦下さいませ」
「あ、はぁ、いや、ボクは別に……」
 アイリーンが申し訳無さそうに頭を下げるものの、対する忍はというと、ぐわあぁと悲鳴を上げているのか唸っているのかよく分からない美奈子の惨状を目の当たりにして、すっかり怖気づいてしまっていた。
 即ち、来る場所を間違えたのではないか、と。