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【九 御来光】

 最後尾でブギー・スケキヨを足止めする戦いが続いている間も、深夜のゴミ拾い登攀は続いている。
 主力である第二次清掃班に選ばれた歩と六花は、ヴァイスとセリカが掲げるランタンの灯りの中で、懸命の清掃活動に注力していた。
「このペースだと、丁度上手い具合に、御来光が拝めるかも知れないな」
 山頂方面を仰ぎ見ながら、ヴァイスがふと、そんなことを呟いた。
 普通に進めば、水晶亭から三時間程度で到達することが出来る山頂であったが、ゴミ拾いを併行している為、その倍の時間を要する。
 しかし出立時刻から換算すると、ゴミ拾いを終えて山頂に到達する時間が、日の出の時刻とほぼ合致するのである。偶然とはいえ、これ程までに絶妙なスケジュールも、そうそう無いであろう。
 水晶亭で正子から御来光の意味を教えて貰い、更にテンションが上がったところでこのゴミ拾い登攀という騒ぎに巻き込まれた形になったが、それでも何だかんだいいつつ目的が達せられるのであれば、ヴァイスにとっては結果オーライであった。
 ところが、世の中そうそう簡単に物事は進まない。
 ランタンの灯りが届くぎりぎりの範囲の中、六花が思わず、ゴミを拾う手を止めた。彼女の視線が、暗闇の向こうに佇む凶悪な姿を認めたのである。
「い……居ます……そこに……」
 六花の震える声に、ルカルカ、ザカコ、理沙、美晴、エース、リカインといった顔ぶれが一斉に反応し、六花を守る形で円陣を形成した。
 続いてセリカが足早に六花の元へと近づき、ランタンの灯りの範囲を、その位置へと広げる。そこに中折れ帽を目深に被った、爪手袋の殺人夢魔の姿があった。
「……とうとう夢の世界だけじゃ飽き足らず、ここまで出てきたって訳ね」
 緊張した面持ちながら尚、不敵な笑みを浮かべる理沙であったが、全身から噴き出る闘気は、既に彼女が臨戦態勢に入っていることを雄弁に物語っていた。
 来賀・イングランドは、中折れ帽の鍔の下に覗く美貌を、悪意に満ちた笑みの形に歪めた。
 その端整な面は、誰もが思わずはっと息を呑む程の洗練された美しさを誇ってはいるが、禍々しい空気を漂わせる凶悪な双眸を見れば、この美しさが偽りの仮面であることが、誰の目にも明らかであった。
「エース……あんた、接近戦は?」
「まぁ、それなりには、ね」
 美晴を幾分庇う形で身構えているエースは、この期に及んでも女性を守るという気質を前面に押し出し、美晴の苦笑を誘った。それでも美晴は悪い気はしないらしく、エースの肩口に軽く触れて、小さく囁いた。
「頼りにしてるよ。勿論、やばくなったらあたしが助けてあげるけどね」
 エースの耳元で美晴の笑みを含んだ声が終わるかどうかというタイミングで、まず来賀・イングランドが先に動いた。
「来るよ!」
 ルカルカの叫びに応じて、ザカコとリカインが左右から飛び出し、敵の進路を塞ぐ。と同時に、理沙が六花を背負う形で一歩踏み込んだ。
 一方、歩の周囲ではヴァイス、レティシア、ミスティ、梓紗、セレンフィリティの五人が一斉に守備陣形を組んだ。来賀・イングランドが六花ではなく、歩に照準を切り替えた際のバックアップである。
「このクソカスどもが! Jなんぞに手ぇ貸してんじゃねぇよ!」
 耳障りな老人の声が、来賀・イングランドの艶っぽい唇から発せられた。見た目は美女だが、その本質は殺意に狂った老年男性といったところであろうか。
「六花さん、走って!」
「は……はい!」
 理沙の指示を受けて、六花は斜面を駆け上り始めた。
 その間も、来賀・イングランドの前に立ちはだかるルカルカ、リカイン、ザカコの三人が激しい戦闘を繰り広げている。
 歩の側も、一斉に斜面を登り始めた。
 今この場で重要なのは、六花と歩を守り切ることである。その為であれば、護衛役を敵の前に置き去りにするのも、戦術のひとつとして選択されるべきであった。

 第二次清掃班は、ほとんど夜通し、七合目から山頂に至る山路でのゴミ拾いを続けた。その甲斐あって、頂上を除く全ての山路に於いて、目に見える範囲内からは一切のゴミが姿を消した。
 そして気が付くと、東の水平線辺りの空が紫色に変じ、夜明けが近いことを告げている。
 山頂付近に達していた先頭集団は相当に疲労が蓄積してはいたが、自分達が達成した成果に思いを馳せれば、そんな疲れも吹き飛ぶような爽やかな気分に浸っていた。
「よぉっし。もうあとひと息だよ!」
 残るは、山頂付近のゴミだけである。葛が最後の気力を振り絞り、リリィが掲げる光術の照明下で明るい笑顔を弾けさせて他の面々に呼びかけた。
 練や秘色、或いはダイアやヴァルベリト達は、さぁもう後ひと仕事だと気合を入れて直して、山頂付近の清掃に取り掛かろうとした。
 ところが――。
「そうはさせねぇぜ、糞共!」
 突然、斜面の陰から来賀・イングランドの長身が躍り上がり、美羽の頭上に襲い掛かってきた。どうやら、下方の護衛を振り切って、ここまで登ってきたようである。
 更に足元の斜面に視線を転じると、ラバーマスクの姿も見えた。
「白竜! 清掃班をわしらの後ろに纏めい!」
 正子が指示を出しつつ、来賀・イングランドの脇に一撃を加えてから、美羽と防衛線を構築した。更にミリアが飛び込んできて、防衛線を補強する。
 その際、ミリアは僅かに視線だけを白竜に向けて叫んだ。
「白竜さん、翠とアリスもお願い!」
 もうここまで来ると、翠やアリスの世話だけをしていれば良いという問題では無い。敵は全てのツアー参加者を襲うつもりでいるのだ。ここで迎え撃たなければ、翠とアリスにも累が及ぶ。
 それだけは、絶対に避けなければならない――ミリアは腹を括った。
 一方、ブギー・スケキヨに対してはミネルバと円、そして本来なら清掃要員である筈のブルーズまでもが防衛線を構築し、迎え撃つ態勢を整えた。
 ブギー・スケキヨに決定的な打撃を与え得るリリィは、更にその少し後方に控えている。リリィが後ろに陣取ることで、ブギー・スケキヨの突破を封じようという作戦であった。
「敵は正子さん達に任せよう! さぁ、ゴミ拾いを続けるぞ!」
 輪廻の号令で、清掃班の残りの面々は慌ただしくゴミ拾いに着手した。白竜、羅儀、翠、アリス、そして華花といった顔ぶれも参加し、頂上付近のゴミは見る見るうちに姿を消していった。
 これだけの高さの山の頂である。気温はマイナスを計測し、吹きつける強風も並みの強さではない。それでも輪廻達は相当な速さでゴミを始末し続けた。
 山頂付近に於いても、視界の範囲内から全てのゴミが撤去されるまでには然程の時間を要しなかった。ところが、来賀・イングランドとブギー・スケキヨは依然として、彼らの前に立ちはだかっている。
 息子Jは、未だその力を回復させられないというのだろうか。
「くそっ、どうなってるんだ!? もうこれ以上、ゴミは無い筈だぞ!」
 羅儀が苛立った様子で、地面を蹴り上げた。地中に埋もれているのか、とも思ったが、どうもそういう雰囲気は無さそうである。
 やがて、来賀・イングランドが正子達の張る防衛線を突破し、輪廻達の眼前にまで迫ってきた。
「行ったぞ!」
 追いすがってくる正子達を嘲笑うかのように、来賀・イングランドの凶悪な眼差しが、恐怖に硬直する翠の姿を、じっと捉えた。
 その時、不意に東の方から眩い光が射し込んできた。
 日の出である。

 遥か東方に居並ぶ峰々の稜線を越えて、白銀に彩られる強烈な輝きが、ひとびとの視界を覆い尽くした。
 まさに、御来光。
 青紫の天を背負い、神々しいばかりの光の渦が、全ての大地にさんさんと降り注ぐ。本来であれば、安らかな気分でこの瞬間を迎える筈であったが、しかし実際は、危機に直面している中での夜明けであった。
「明けましておめでとう、お嬢ちゃん……どんな死に方が、お好みかね?」
 凄惨なまでに凶悪な笑みを向けられ、翠はただ、恐怖に震えて身じろぎひとつ出来ない状態に陥っていた。
「逃げて、翠っ! この、化け物っ! 翠から離れなさい!」
 手酷い打撃を受けて、地面に這いずるのが精一杯のミリアが、声を嗄らして叫んだ。
 そんなミリアの想いを受けてかどうかは分からないが、輪廻と白竜が来賀・イングランドの前に飛び込んできて、翠を庇う姿勢を取った。
 勿論、ふたりの接近戦能力では焼け石に水であったろうが、それでも指を咥えて見ている訳にはいかない。
 来賀・イングランドは狂気に満ちた笑みで口角を釣り上げながら、爪手袋を装着した右腕をゆっくりと振り上げた。
 陽光は尚も、東から水平に射し込んできている。この時、葛と練が、あるものに気付いた。
 山頂の一部を形成する断崖の途中の窪みに、何かが光っている。位置が位置だけに、陽光が射し込むまで全く気づかなかったのだが、それは紛れも無く、壊れたラジオであった。
 御来光は文字通り、神の導き――葛と練に、一発逆転のチャンスを与えてくれた希望の光だったのだ。
「葛!」
「うん!」
 練の呼びかけに葛が応じる形で、断崖に向けて舞った。練ではなく、葛が飛び降りたことに、意味がある。
「コハクさん!」
 続けて練は、絶叫に近い声でコハクを呼んだ。対するコハクも、練にいわれる以前に宙を舞い、葛の頭上を滑空していた。
 コハクの体格では、練の身長は無理だが、葛の小柄な体躯であれば、宙空でも十分に抱きとめることが可能だったのである。
 来賀・イングランドも、葛の意図を敏感に察知していたが、一瞬遅かった。
「く、くそっ! この餓鬼がっ!」
 獰猛に罵倒するも、それが精一杯である。
 断崖沿いに落下する途中でコハクに抱きかかえられた葛は、断崖途中の窪みに引っかかっていた壊れたラジオを掴み取り、手にしていたヴァルベリトの大風呂敷に押し込んだ。
 その瞬間――コントラクター達は、見た。
 御来光を浴びながら突如出現した息子Jの巨大な幻影が、来賀・イングランドとブギー・スケキヨに向けてふたつの拳を叩きつけ、一瞬にして粉砕してしまったのである。
 悲鳴を上げる余裕すら与えず、一撃で勝負は決まった。
 御来光は尚も、山頂付近を眩い輝きの中に包み込んだままである。