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鋼鉄の船と君の歌

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鋼鉄の船と君の歌

リアクション

 熾月 瑛菜(しづき・えいな)のライブステージは、滞りなく進行していた。
 艦内の混乱は甲板上には伝播せず、一見して平穏そのものであった。
「おっきな海の上で歌うのって、すっごく気持ちいいね」
 瑛菜はマイクパフォーマンスを通じて、今の気持ちを会場に伝える。
 ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)エリシュカ・ルツィア・ニーナ・ハシェコヴァ(えりしゅかるつぃあ・にーなはしぇこう゛ぁ)も、想いを載せて楽器を鳴らし、会場を沸かせた。
「順調にいけば、航海終了まであと二時間ちょっと、か。このまま、何事もなければなによりなのだけど」
 一般客に紛れて会場を警備する天貴 彩羽(あまむち・あやは)は、自分の出番は無さそうだと内心ほっとしていた。
 会場に怪しい動きをする人物はなく、仮に何か事が起きてもすぐに鎮圧できるだけの手段は整えている。
 瑛菜の歌を聴きながら、今度はもっと気を抜いて拝聴したいなと、そんな事を思っていた。
 しかし、あやしい人物が常にあやしい行動をとっているとも限らないのが、世の常なのであった。
 終わりから数えて、三曲目の演奏が終わる頃。その曲の切れ目に、事件は起こった。

「ああ! 私、空を飛んでいるわ。熾〜〜〜月!!」

 その瞬間、会場中の注目が艦首先端へと集まった。
 彩羽も思わず、拳銃を抜きかけていた。
 艦首先端には、レオーナ・ニムラヴス(れおーな・にむらゔす)がパートナーのクレア・ラントレット(くれあ・らんとれっと)に自分の身体を支えさせ、
 沈みゆく船でのラブロマンスごっこに勤しんでいた。
「はぅぅ……、皆様に注目されています、レオーナ様……」
「その調子よクレア! もっと、もっと傾けて!」
「こ、こうですかぁぁぁ……!」
 ぐぎぎと苦しそうな表情で、クレアはさらにつらい角度でレオーナを支える。
「あぁ! いぃ! 私達は今、この海の中心で紛れもなく誰よりも輝いてる! 熾〜〜〜月! 愛してるぅぅぅ!」
 そんな彼女たちの様子を見て、ライブステージの面々はそれぞれが複雑な心境だった。
「ぅゅ……アホなの……」
「ねぇ、瑛菜……。あの子たちが騒いだ瞬間に怪しい動きをする人間を探せって言ってたけど、どう考えてもあの子たちが一番あやしいわよ……」
「うーん、返事を誤ったかなぁ……」
 瑛菜は苦笑しながら頬をかいた。
「レオーナ様……っ、そろそろ、いいんじゃ、ないでしょうか……」
「まだよっ! 私の熾月への愛は、たとえ船が沈んだって止められはしな――」
 刹那。
 海面が巨大な波を上げて吹き荒れ、海底から巨大なモンスターが飛び出した。
「ふぇ……」
 その衝撃が艦を襲い、会場全体が大きく揺れ動く。
「きゃあぁぁぁ!!!」
 会場は途端に、大パニックとなった。

「な、なんなんですの、アレ!?」
 サラダに跨り、仲間と共に艦の近海警備を行なっていたイコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)は、突如現れたモンスターの姿に驚きを隠せなかった。
「さっきまで、あんな子いませんでした。いったい、どこに隠れていたのでしょう……」
 ティー・ティー(てぃー・てぃー)は、不安げに源 鉄心(みなもと・てっしん)の服の裾をつまんだ。
「解らん。だが、放っておくわけにはいかない。とにかく、奴の注意を艦から逸らすぞ」
「はいっ」
「うぅ……、どうか話の解る方であってほしいですの……」
 サラダは何も解ってなさそうに、一声フギャアと鳴いた。

 現れたモンスターは、首長竜プレシオサウルスのような姿をしていた。
 だが、その皮膚は醜く爛れ、片目は零れ落ち、ドラゴンゾンビと呼ぶに相応しい風体であった。
「こんな近くまで接近されて警報も無しだなんて、ブリッジは何をやっているの!?」
「はわ……ローザ……とにかくみんなを避難させるの……」
「えぇ、そうね。瑛菜、あなたも早く逃げ……て。瑛菜……?」
 普段からずっと行動を共にするローザだからこそ、彼女は瑛菜の異変にいち早く気づいた。
 瑛菜はまるで、感情がすっぽりと抜け落ちてしまったかのような表情をしていた。
 普段の、強気で健気で優しくて、誰よりも輝いている彼女の瞳が、そこには無い。
「あなた……、誰?」
 まるで聞こえないかのようにローザの問いかけを無視して、瑛菜はドラゴンゾンビの居る方向へと歩き出した。
「待って! 危ないわよ瑛菜っ!」
 ローザは瑛菜の腕を掴もうとしたが、まるで見えない障壁に阻まれるかのように弾き飛ばされてしまった。
「きゃ!」
「はわわ……! だいじょうぶ、ローザ……?」
「違う……。瑛菜、誰かに操られている……!?」
「ぅゅ……」
 心配そうに見つめる二人を背に、瑛菜は躊躇なくドラゴンゾンビの下へと歩み寄った。
「……あれは、瑛菜さんですの?」
 艦首でドラゴンゾンビと対峙する瑛菜を見つけ、イコナは首を傾げた。
「なにをやってるんだ、キミ! 戻れ!」
 鉄心はスレイプニルを加速させ、ドラゴンゾンビの頭部目掛けて飛び込んだ。
 周囲を飛び回り、ドラゴンゾンビの注意を惹こうと試みるも、まるで相手にされなかった。
 ドラゴンゾンビは巨大な口を開き、艦首ごと瑛菜を飲み込むかの勢いで喰らいつく。
 声にならない誰かの悲鳴が、大海原に響き渡った。

「――――――――♪」

 それは、歌だった。
 けれど誰も、それが彼女の歌だとは気づかなかった。
 ドラゴンゾンビの獰猛な牙を、彼女の歌が、受け止めたのだ。
「……なんですの、アレは……」
 イコナは、戦慄していた。
 あるいは、恐怖を覚えていた。
 彼女の歌が、声が。魔力に似た【何か】を帯びて、ドラゴンゾンビの牙を受け止めるほどに強力な障壁を形成していた。
 その事実を明確に理解できる人間は、今この場には存在しなかった。
 彼女は、ドラゴンゾンビに手を差し伸べる。
 そして、歌った。
 その歌声には、怒りも、悲しみも、喜びも、込められていはいなかった。
 その歌声はただただ無慈悲に、破壊の力となって。
 強大なドラゴンゾンビの肉体全てを、一瞬にして、塵ひとつ残さずに消滅させた。