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月夜に咲くは赤い花!?

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月夜に咲くは赤い花!?
月夜に咲くは赤い花!? 月夜に咲くは赤い花!?

リアクション


『追撃・4』

「どうしたんだい、ステファニア!? ちょっと、あまり引っ張ると転んでしまうよ!」
 ステファニア・オールデン(すてふぁにあ・おーるでん)にぐいぐいと手を引かれながら、コンラッド・グリシャム(こんらっど・ぐりしゃむ)は屋上へ続く長い廊下を歩いていた。
 その姿は、一見娘に手を引かれる父親のような微笑ましいものであったが、コンラッドの手を引くステファニアの顔には、子供らしい無邪気な笑顔はない。
 ただ決意と使命感に満ちた真摯な表情だけが、ステファニアの顔に浮かんでいた。
「……あたしの言葉なら」
 ぎゅっと、ステファニアはコンラッドの手をきつく握りしめた。
「あたしの言葉なら、ミラさんに届くかもしれないって思うの!」
「……ステファニア」
 コンラッドは一瞬、キョトンとした顔でステファニアを見たが、すぐにその顔には、娘を見る父親のような、慈愛に満ちた笑顔が浮かんだ。
「――驚いたな。まさか私と同じようなことを考えている奴がいたとはな」
「おそろいらお、ねーたんとおそろいらお!」
 カツン、と軍靴の足音も高く、林田 樹(はやしだ・いつき)がステファニアの隣に並んだ。
 樹が背負ったバックバックの中から頭を出して、デフォルメされたカエルのような見た目の林田 コタロー(はやしだ・こたろう)が、勇ましくハエタタキを構えていた。
「大切な人を失意のうちに失った気持ちなら、私は誰よりよく分かるつもりだ。……あの娘がどんな選択をしても、奴の命を繋ぎ止める言葉が、私には紡げる自信がある」
「こた、おーえんするお! なんだかよくわかんないけろ、ねーたんたちがんばるお!」
 ステファニアと樹は、屋上へ至る螺旋階段へたどり着いた。
 ステファニアは樹に先んじて、螺旋階段に足をかける。
「……待て。引け!」
 樹は、ステファニアの腕を掴んで螺旋階段から引き戻した。
 みしりと何かの歪む嫌な音がしたかと思うと、次の瞬間には、轟音と共に螺旋階段が崩れ落ちた。
 無数の瓦礫の塊になった螺旋階段が、暗いザンスカールの森にばらばらと落下していく。
「なに? どういうこと、これ!?」
 呆然と言ったステファニアに、樹が答える。
「あの娘は、たしか月楼館の作りを知り尽くしているんだったな……」
「だからって、簡単に崩せるもの!?」
「……どうだろうな。建築当初から、緊急時に崩せるような仕掛けでも作ってあったのかもしれないな」
 足場のなくなった階段の終わりをきつく睨みつけてから、ステファニアはくるりときびすを返した。
「階段なら、確かもう一つ……」
「――ないわよ」
 夜闇の奥から、儚げな声が響いた。
「向こうでも、階段が崩れる気配がしたから」
 犬塚 銀(いぬづか・ぎん)におぶさった鬼桜 月桃(きざくら・げっとう)が、やわらかな笑みを顔に張り付かせたまま言った。
「どうやら、もう誰にも邪魔させる気はねえらしいな」
 月桃たちから一歩遅れてやってきた鬼桜 刃(きざくら・じん)が、瓦解した螺旋階段を眺め見た。
「本当に崩れかけてるのは、階段じゃないわ。……ミラさんの心は、このままだと本当に崩れてしまうんじゃないかしら」
 ぽつりと言った月桃の言葉に、ステファニアと樹が静かに頷いた。
「……あら、でも」
 ふと、月桃は銀に背負われたまま、背後を振り返った。
「向こうに空気の流れがあるわね」
 樹がはっとした。
「そうだ、三階の天窓が割れてる! あそこから、屋上へ行けないか!?」
 ステファニアも、それに続く。
「もし行くのは無理だとしても、声は届くかもしれないわ!」
 その場にいた全員は顔を見合せて、三階へ至る階段目指して走り出した。

 ※

 三階の廊下から、割れた天窓を抜けて、空へ。
 夜気を震わす切なげな旋律が、響いていた。
 高 漸麗(がお・じえんり)の奏でる筑の音に、屋上に現れたミラの足が止まった。
 漸麗の隣に立った天 黒龍(てぃえん・へいろん)は、ミラを見て身体に緊張を走らせつつも、ぐっと口をつぐんで、会話を漸麗に託した。
「美しい音色ですね」
 白虎の背からするりと降りて、ミラは血の気のない頬に柔らかな笑みを浮かべた。
 漸麗は演奏の手を止めないままミラの方を見上げて、微笑み返す。
「ありがとう。……今日の月夜を想って演奏してみたのだけど」
 視線をまっすぐミラへ、その背後の月へ向けたまま、漸麗は言う。
「今宵の月は、ちゃんと綺麗?」
 ぴくりと、ミラの片眉が跳ねた。
「あなた、目が?」
「ああ。ほとんど見えないんだ。もったいないよね、せっかく綺麗な満月らしいのに」
「……綺麗でございますよ。あなたの奏でる旋律と同じように」
「そうかい。よかった」
 ミラは、ブラッドルビーのピンキーリングを左手の小指にはめた。
 黒龍は慌てたように漸麗を見た。
 だが、漸麗は慌てた様子もなく、美しい旋律を奏で続ける。
 ミラは小指にはめた指輪を空にかざそうとして……ふと手を下げて、漸麗の方に再び視線を落とした。
「……不思議ですね、その旋律。なぜだかとても、胸に響きます」
 ミラは、指輪をした左手で目をぬぐった。
「感動で涙ぐんだのなど、何時ぐらいぶりでございましょう。……少なくとも、一年以上何かに感動したことなどございません」
 漸麗は、演奏の手はそのままに、ふと微笑んだ。
「この旋律はね、不完全なんだ。本当はここに歌が入る。この旋律に真に和する歌声だよ。……もうずっと昔に、失われてしまったけれど」
「なぜでございますか? 聞くところ、あなたの喉は健康そうでございますが」
「歌はね、僕の友人が歌っていたんだ。その友人にしか、歌えない歌だったんだ。友人は、まだ僕が生きていた頃に、死んでしまったけれど」
 ミラが息をのんだ。ざわっ、と白い長髪が夜風にざわめく。
「だからかも知れないね、君の胸に僕の旋律が響くのは。同じ想いを共有するもの同士は、たとえ言葉が通じなくても、より深いところで、響きあってしまうものだから」
「……」
 ふっと、ミラは漸麗から目を離した。
 左手を持ち上げ、月光にルビーを浸す。
「その光が君の死ではなく、君の未来を指すことを、祈っているよ」
 漸麗の旋律は響き続けていたが、ミラはもう視線を空に向けたまま動かさなかった。
「待ってくれ、義姉さん!」
 悲鳴のような声が、天窓を抜ける。
 息を切らして駆けつけたオーナーを、ミラはちらと見下ろした。
「義姉さん、待ってくれ! それを使っちゃいけない!」
 ミラはちらと牙を見せて微笑み、可愛い弟を見守るような眼差しでオーナーを見下ろした。
「あの人が呼んでいるの」
「ああ、そりゃ、兄さんは義姉さんを呼んでいるさ!」
 オーナーが吠えた。
「兄さんは義姉さんを呼んでるよ。でも、そこへ行っちゃいけないんだよ義姉さん! いっちゃ駄目なんだ!」
「あの人が寂しがるから、だめよ。知ってるでしょ? あのひと、寂しがりで寒がりだから」
 ミラは柔らかく言って、また空へ指輪をかざした。
「義姉さんっ……」
 オーナーは、きょろきょろと周囲に目をやった。
「言葉だけじゃ届かない……くそ」
 三階の廊下から屋上までは、背伸びした程度ではとても届かない。
「オーナー!」
 オーナーの後ろから、生徒たちが続々と三階に駆けつけてきた。
「オーナー、ミラを一番よく知るあなたの口から聞いてみたい。もし今指輪を使ったら、ミラは死ぬ?」
 朔の急かすような言葉に、オーナーも焦ったように頷いた。
「そうじゃなかったら、こんなに焦ってない!」
「了解したであります!」
 スカサハが、突然声を張り上げた。
「わかったって、何が!?」
 促すカリンに、スカサハは工業用ドリルをグイと持ち上げて見せた。
「上まで直通トンネルを掘ればよいのです!」
 耳に突き刺さるような轟音と共に、ドリルが回転し始めた。
「ちょちょちょ! そんなことしたら、下手したら月楼館ごと崩れるよ!」
 カリンの言葉にも、スカサハはかぶりをふった。
「ここで放っておきたくないであります! なぜだかはわかりませんが……スカサハには、ミラ様の気持ちが痛いほどわかるのであります!」
 巨大なドリルを、スカサハは手近な壁に突き立てた。
 ――ぐるん。
 ドリルの触れたあたりの壁が、ひとりでに一回転して、開いた。
「……え?」
 スカサハが、その場の全員が、茫然として、突然開いた隠し扉を凝視する。
「――おっとと。やっと当たりを引きました?」
 扉の奥から歩み出てきた霧島 春美が、居並んだ生徒たちを見回して言った。
「この人の集まり具合はきっとそうだよ! 事件解決パートの真っ最中だね!」
 春美の後ろからトコトコ歩いてきた、角の生えたウサギにしか見えない獣人のディオネア・マスキプラは、小脇に抱えていた紙を広げて、何かをごそごそと書き込んだ。
「えーっと、今どういうシーンですか? 春美の推理披露してもいいですか?」
「ちょっと時間ないので勘弁してください。ラストシーンには違いないと思うんですけど」
 朔が、皆を代表するようにこめかみをかきながら答えて、
「……それは!」
 目を丸くして、ディオネアが広げた紙に飛びついた。
 そこには、精巧な月楼館の見取り図が描かれていた。それも、本来存在しないはずの通路が、いくつもいくつも書き込まれている。
「これ、なんですか!? この地図!」
 ディオネアの角が刺さりそうなほど近くまで詰め寄って、朔が叫ぶように問う。
「え? ええっと、これはボクらが調べ上げた月楼館の隠し通路リストだよ?」
「隠し通路! ……その手があったじゃないか。その通路の中で、屋上につながっているものは!?」
「あ、えーと、これからマッピングするつもりだったけど、何本かはあると思う。なんどか、偶然屋上に行けたことがあったから……」
 朔は、髪を振り乱してオーナーを振り返った。
「オーナー、隠し通路だ! それで何とかミラのところに行ってやれ!」
 朔に吠えられて、オーナーが戸惑う。
「え……」
「あんたを見た時だけ、ミラは笑ってた! あんたしかいない!」
「笑っていた? 義姉さんはずっと笑ってただろう?」
「違う! 気づかないのか? ミラのいつもの笑顔なんて、顔に刻まれた傷跡のような偽物だ。けど、あんたを見た時だけは、ミラは前のオーナーと一緒に写ってた写真と同じ顔で笑ってた!」
「……」
「行け!」
 朔はディオネアから離れ、オーナーを隠し扉の中へと突き飛ばした。
「君は……」
 振り返ったオーナーに、朔は振り返らないまま言う。
「どうしようもなく、あらゆるものを失った時、地獄のような妄執に心を蝕まれた時、それを少しでも救ってくれるのは、共にそれを背負ってくれる誰かだ」
 朔は、カリンを、スカサハを、そしてアンドラスを見た。
「……自分にはそれが分かる。ミラの分を背負うのは、あんただ、オーナー」
 オーナーはぐっと息をのんで、朔の背中を見据えていたが、やがて大きく頷き、春美に向きなおった。
「道案内を頼めるかい? なんとか、屋上に行きたいんだ」
 真摯な声でそう言われ、春美は「うーん」と唸った。
「……わかりました。何とかしてみましょう。名探偵が道案内と言うのは、少々不満が残りますけど」
「安心してよオーナーさん! 春美にかかれば、隠し扉や隠し通路なんて、あっという間に見つかっちゃうんだから!」
 春美はディオネアから地図を受け取って、隠し扉の奥へと歩を進め始めた。
 オーナーは、朔たちに会釈をして、春美のあとを追う。
 扉の奥の暗闇に、オーナーの背中が消えたころ、朔は「ふう」と、小さく息を吐いた。
「あとは……オーナーが着くまで、なんとかミラの儀式を止めておかないとな……といっても、言葉はほとんど響かないし、どうするか」
「――あたしたちに話をさせて!」
 階段を駆け上がってきたステファニアとコンラッド、樹とコタロー、刃と月桃、それに銀が、まっすぐな視線を天窓に向けた。