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月夜に咲くは赤い花!?

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月夜に咲くは赤い花!?
月夜に咲くは赤い花!? 月夜に咲くは赤い花!?

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『真実・上』

 人気も失せてがらんとしたロビーに、真っ赤な夕日が満ちていた。
 ロビー中央には、空のガラスケースが一つきり、ぽつんと残されている。
「……どうにも非協力的だな、呼び寄せた生徒たちは」
 ガラスケースに歩み寄り、ぽんと手をついて、オーナーは憂いのこもった溜息を吐いた。
 ガラスに散った真っ赤な夕日は、もともとここに納まっていたブラッドルビーの血の赤には、遠く及ばぬさびしげな紅葉色だ。
 オーナーは、軽く握った拳で、ガラスケースをこつこつと叩いた。
 硬質でくぐもった音が、広いロビーに低く響く。
「こんなもの、はじめっから無ければよかったのに。……こんなもの、完成しなければ良かった」
 ケースに乗せた握りこぶしに、オーナーはぎゅっと力を込めた。
「いいや……こうなる前に、さっさと壊してしまうべきだったんだ。義姉さんが、最終的にこれに頼ることなんて……わかりきっていたんだから……ッ!!」
「オーナーさん。ちょっと、いいですか?」
 どこか不慣れな敬語で声をかけられて、オーナーはガラスケースに注いでいた視線を上げた。
 神崎 優(かんざき・ゆう)と、傍らに立った水無月 零(みなずき・れい)を見て、オーナーはこわばらせていた顔に柔和な笑みを浮かべる。
「ああ、蒼空学園の生徒さんだね。御苦労さま。なにか質問かい?」
「ええ。……ええっと、一年前のことを、詳しく教えてほしいんです。前のオーナーさんが亡くなった事故のこととか、前のオーナーさんの奥さんのこととか……」
 オーナーの顔が笑みの形のまま、またぎこちなくこわばった。
 優が、あわてたように早口で付け加える。
「えっと、ミラさんのことを追うのに必要な情報だと思うんです。もちろん、その情報をもとに、オーナーさんやスタッフの皆さんに協力することを約束します」
「……わかった」
 さっきより若干声のトーンを落として、オーナーが頷いた。
「協力してくれると言うなら、情報は惜しまないよ。もともと、情報不足だったものね。済まない事をした。……それで」
「――その話、俺も混ぜてもらって構わないか?」
 固い足音を立てて中央階段を下り、ロビーに降りてきたエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)が言った。その背中に隠れるようにして、ミュリエル・クロンティリス(みゅりえる・くろんてぃりす)がちょこちょことついてくる。
「俺も、依頼を受けたからにはお前さんがたの仕事を片付けちまいたいんだが、どうにも情報が足りないんだ」
 オーナーの正面で立ち止まり、エヴァルトが空のガラスケースに寄りかかる。
 ミュリエルがその背後から、おずおずとオーナーの顔を覗った。
「君たちもかい? いや、協力してくれる生徒さんが増えるのは喜ばしいんだけれど……えっと、なにが聞きたいんだったっけか」
 優が一歩前に出て、先ほどの質問を繰り返す。
「まず、前のオーナーの奥さんのことです。……回りくどくする必要もないので聞いてしまいますけど、前のオーナーの奥さんとは、ミラさんのことじゃないですか?」
 優の質問に、オーナーは一呼吸置いてから、
「……そうだよ」
 ぽつりと答えた。
「それでは、去年の事件のことですが……前のオーナーさんが亡くなった事故は、どのようなものだったのですか?」
「……それは、今回の事件と関係が?」
「あります。前のオーナーさんの奥さんがミラさんなら、前のオーナーさんの死亡事故と、それに伴うミラさんの失踪は、重要な要素です」
「なるほど」
 オーナーは腕を組み、しばし俯いた。先ほどより長い時間を置いて、オーナーはまた、言葉を紡ぎだす。
「……去年の事故は、もちろん警察の手を借りて捜査をしたが、基本的にはまったく何の変哲もない、単なる爆発事故だった。ただ一つおかしな点があるとすれば、本来料理には用いるはずのない可燃性の薬品が、厨房にあったことだ」
 オーナーは、指でコツコツとガラスケースを叩いた。
「その薬品は事件当日、兄さん……前のオーナーが自ら持ち込んだものだった。前オーナーは、自分が持ち込んだその薬品が爆発したために、命を落としたんだ。だが、なぜ前オーナーがそんなものを厨房に持ち込んだのかは、警察も、もちろん僕にも、分からずじまいだった」
 こつ、と長く音を響かせて、オーナーはガラスケースを叩く指を止めた。
「ミラ・カーミラは、契約者でもあった前オーナーが亡くなったことで、しばらくの間体調を崩していた。それから数日して、はた目からみれば体調が回復したようだから安心していたんだが……どうやら、心の方はまだ弱っていたままだったらしい。何度説明しても、前オーナーの死を受け入れてくれず、夜な夜な出歩くようになり、ついには姿を消した」
 言葉を切って、オーナーは一度目を閉じた。深く、深呼吸して、また目を開く。
「……僕が知っている去年の事件の顛末は、そこまでなんだ。ミラ・カーミラに会ったのはそれ以来初めてだし、なんでブラッドルビーを持ち逃げしたかもよく分からない」
「あのブラッドルビーは、もともと誰のものなんですか?」
 オーナーは、また一瞬黙ってから、言葉を続けた。
「あれは、僕がザンスカールへ旅行したときに手に入れた魔法具だよ」
「……では、前のオーナーさんやミラさんとは、特に関係ない品?」
「だね」
「では……」
 優は、オーナーを真似るように一呼吸置いた。
「では、あの指輪がミラさんに持ち逃げされても、当面は問題ないのでは? 要は、『赤い糸の契り』に間に合うように、指輪が返ってくればいいんでしょう?」
「言いたいことが分からないな」
 オーナーの声に、力がこもった。
「つまり、まずは我々が協力して、ミラさんに指輪を使って果たしたい目標を果たさせるんです。その後、指輪を返してもらって、『赤い糸の契り』を行う。そうすれば、ミラさんに妨害されることもなく、指輪が取り返せて合理的です。……だろ?」
 優に話を振られて、あさっての方向を向いていたエヴァルトは、
「さあな。俺はとりあえず、さっさと仕事が終わればそれでいいよ。作戦なんかはそっちで考えてくれ、俺はオーナーの指示に従って動くからよ」
 それだけ言って、またそっぽを向いた。
「……とにかく、俺はミラさんに一度協力するべきだと思います」
 青い目で、優がまっすぐオーナーを見据えた。オーナーも、優をまっすぐ見据える。
「駄目だね」
「なぜです!?」
「――ミラに指輪を使われちゃ困る理由があるんだろ? オーナーさん?」
 ふう、と口から紫煙を吐き出し、御茶ノ水 千代(おちゃのみず・ちよ)が会話に割り込んできた。
「……君は?」
「教導団の御茶ノ水千代だ。一応は、あんたの協力者と考えてもらっていい」
 千代は、懐から取り出した携帯灰皿でタバコをもみ消しながら、優を押しのけてオーナーの前に立った。
「さっきのあんたの話を聞かせてもらったが……あんた、ところどころ意図して伏せてる情報があるだろう?」
「なぜ、そう思うのかな?」
「簡単なことだ。あんたが、ミラへの想いを伏せようと必死だからさ」
 ぐっ、とオーナーが押し黙った。千代が微笑む。
「図星だね」
「……何を、適当なことを」
「根拠が要り用かい? いいだろう」
 千代は口角を吊り上げて、がらんとしたロビーを見渡した。
「まず一つ。人のいないロビーだ。知っての通りロビーには、この館で一番大きな出入り口がある。ミラが指輪をもって館の外に逃げることを考えれば、まず一番に警戒しておかなければならないのは、ここのはずだ」
 千代の言葉に、優があっと呟き、エヴァルトが鼻を鳴らした。
「だと言うのに、ロビーにはスタッフが張っていない。理由は簡単。あんたは、ミラが指輪をもって外へ逃げ出さないことを知っているからだよ」
 押し黙ったままのオーナーに、千代はにやりと笑いかける。
「指輪の効果からして、ミラはおそらく想い人の居場所を探すためにブラッドルビーを使うはずだ。そして、あんたはそれが見たくない。これが、あんたがミラを好いていることの、一つの証拠」
「……でもそれだけじゃあ、オーナーさんがミラさんを好きな理由としては不十分だよな?」
 優が、千代の言葉を止めた。
「たとえば、たとえばだぜ? オーナーさんが、前のオーナーを監禁しているとしたらどうだ? ミラの指輪は、夫である前オーナーの居場所を指し示すだろうから、オーナーさんには都合が悪い」
「まったく、その通り。だがね君、人の心を、理屈だけで立証しようとは思わないことだ。人の心と言うのは、実はもっと簡単なことで推し量れる」
 千代は懐から手帳を取り出し、パラパラとめくった。
「オーナーは、ミラのことを何と呼んだ?」
 オーナーは黙ったまま答えず、代わりに優が答えた。
「ミラ・カーミラ?」
「そう。さっきは確かにそう呼んだね。けれど、スタッフの前では「あの人」と呼んでいた」
 千代は、メモに目を走らせながら言う。
「そして、スタッフの中でも古株の、前オーナーの代から働いていた数少ないスタッフに聞くとだね、オーナーは直接ミラを呼ぶ時「義姉さん」と呼んでいたらしい」
 ぱたん、と千代は手帳を閉じた。
「ミラ・カーミラなんて呼び方、スタッフの誰からも聞かなかったよ。だいたい、兄の配偶者を名字つきで呼ぶなんておかしな話じゃないか」
「パラミタには、夫婦の名字を合わせないところもあるそうだが」
 エヴァルトがつぶやくように言うと、千代は頷いた。
「ああ。前オーナー夫婦もそうだったかも知れない。けれど、少なくともオーナーの生まれ故郷……日本では、名字は合わせるのが一般的だ。たしかに、場所が変われば風習は変わる。だがね、人は生まれた場所の風習を、体の中にルールとして持ってしまうもんなんだよ」
 千代はガラスケースに腰かけ、オーナーに詰め寄った。
「自分の義姉を名字付きで呼ぶのは、あんたにとって不自然な呼び方だ。ましてや、日常的にその呼び名を使っていたわけでもない。しかしあえて、この場ではよそよそしいその呼び名を使った。なぜかと言えば簡単だ、「義姉さん」「あの人」という呼び名の中に、私たちに知られたくない思いが込められていたから、あんたは無意識にその呼び名を避けたんだ」
 挑むような目つきで見据えてくる千代から、オーナーは目をそらした。
 千代は「ふん」と鼻で笑う。
「無論、これは心理分析だ。事実と論理に基づく立証じゃない。あんたが「違う」と言えば違うことになる。それでも……」
「いいや、正しいよ」
 ため息をつくように言って、オーナーは視線を千代に向けた。
「君の分析は正しい。確かに僕は、義姉さんを愛している」
「だろうね。だからあんたは、ミラから指輪を……」
「でもね、この事件にとって、それはただのオマケでしかない」
 千代は、ぴくりと眉を跳ねあげた。
 優がオーナーを見据え、零が、乗り出すようにオーナーに詰め寄った。
 一方のエヴァルトは天窓を仰ぎ、じわじわと夜空に変わりゆく夕焼け空を見ていて、ミュリエルはエヴァルトの足にしがみついて、こっくりこっくり船を漕いでいた。
「わかった。君たちには、包み隠さずすべてを話すよ。義姉さんが何をしようとしているのか。どうして僕が、こんなに躍起になって義姉さんを止めようとしているのかを」