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我らに太平の時は無し――『恋愛訓練』――

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我らに太平の時は無し――『恋愛訓練』――

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第三章:求愛



 騒動のあった区域とはまた別の所。
 水無月 睡蓮(みなづき・すいれん)は傷心に誘われて、祭りの中を当て所なくさ迷っていた。
 恋人をお祭りに誘ったはいいが断られ、しかもその理由が「水着コンテストで予定が埋まっちゃってて」なのだから、目も当てられない。
「うぅ……ひどいです、ひどいです……。よりにもよって水着コンテストだなんて……霧島さんは私より水着の女の子を取ったんですね……」
 ぐずぐずと涙ぐみながらも、彼女はやけっぱち半分、私だってやり返してやるんだからと言う気概半分で歩みを進める。
 或いは恋愛心理学に基づき考えるならば、恋人に対して蔑ろにされた――と彼女が思っているならば――為に他人を用いて自分の自尊感情を取り戻そうとしているのかもしれない。
 自分は誰かに愛される事が出来て、また彼に対して反撃とも浮気とも言える逢瀬を味わう事も出来るのだ、と。
 人は振られた直後に新たな恋に落ちやすく、それ故女性の恋は連鎖しやすいと言うが、それもまた自尊感情が関連している。
 ともあれ彼女はそんな時に一人の青年と、悲しみに潤んだ瞳から兆す視線を交わした。
 
 
 守屋 輝寛(もりや・てるひろ)は睡蓮と視線を交差させ、そのままの状態で立ち止まった。
 パートナーに「ナンパでもしてこい」と祭りに放り出されたのはいいが、周りは訓練の事を知る教導団員か、そうでなくとも二人連ればかり。挙句周りからは監査員からの無機質な視線や、嫉妬の徒から向けられる同情の眼差しまで向けられて。
 彼がほとほと辟易として時の、出会いだった。
 何やら瞳に憂いを浮かべた女性を放っておけるほど輝寛は賢しくない。――見ない顔、教導団員ではないと言う点にも若干目は泳いだものの――あくまでも誠実さを以って、彼は睡蓮へと声を掛ける。
「あー、えっと……御一人ですか?よかったら俺と一緒にまわったりとか……どうです? 何だか腹に抱える物もあるみたい、ですし。俺でよければお話、聞きますよ?」
 精悍な顔立ちに、輝寛は誠実さを湛える。
 彼の真摯な態度に睡蓮は一瞬言葉に詰まり、
「あ……えっと、私でよければ……よろしくお願いします……」
 それから誰に対してかは分からぬ後ろめたさに俯き、控えめに彼を見上げて、そう返した。


「あらあら、いきなり女の子をゲットだなんて、輝寛さんもやるものですねえ」
 物陰に潜んだ、ナディア・ウルフ(なでぃあ・うるふ)は頬に手を当ててうっとりと呟く。
「……ナディア殿、これはどう見ても覗きでは?」
 ナディアの背後では大祝 鶴姫(おおほうり・つるひめ)が、双眸を細めて彼女を睥睨していた。
「於鶴さん、私たちが侍っていては出来るものもできません、そっと見守りましょう」
 鶴姫の視線などは特に気に掛けた様子もなく、ナディアはマイペースに輝寛を見守る。
「ほら、そこでぶちゅーっと。強引さが足りませんよ」
「もっとこう気の効いた事言えないんでしょうか、まったく……」
 とは言ったものの、やっている事は完全に出歯亀なのだが。
「……ナディア殿、やっぱりこれは覗き……」
「違いますよー。見守っているだけなのです。覗きと言うのは……そう、丁度あの方みたいな……」
 言いながら、ナディアは視界の端にいた一人の男を差し示す。
 それから一瞬沈黙して、
「……あら?」
 何かがおかしいと小首を傾げた。


「ふむ、次のターゲットはあの二人でござるよ」
 出店の影に身を隠して、椿 薫(つばき・かおる)は口角を吊り上げた。
 彼はこの祭りの間、カップルや嫉妬に燃える連中を見つけては、その動向を密かに覗き見していた。
 とは言っても、写真を取ったり録音をする訳ではない。彼の所属する『のぞき部』の活動は何処まで行っても覗きであり、それ以上でも以下でも無いのだから。
 それにしてもこの祭りでは多様な対象を覗く事が出来て有意義であると、彼は二度深く頷く。
 初々しい恋愛模様も、頑固な男と気丈な少女の顛末も、嫉妬の旗を掲げる輩達の大暴れも、機知に長けた吸血鬼の一言一句も、勿論先程の大騒動も。
 薫はその全てを覗いていた。
 そして今、彼は睡蓮と輝寛を次の標的として定める。
 遠目に見る限りでは何やら訳ありそうな傷心の美少女と、誠実そうなハゲ坊主。

 少女の抱える憂いとは一体何なのか。ハゲ坊主はどうするのか。
 覗きの本質とは、情欲や下世話な願望を叶える事ではない。
 見届け、知る事なのだ。ならば彼らは覗き見の対象として悪くない。
 それどころか、事の顛末によってはとても面白いものになるかもしれない。
 期待を胸に、薫は二人を覗き続ける。
 
 
「ひどいんですよ霧島さんったら……。私より水着コンテストを取るだなんて」
 えぐえぐと涙目になりながら、睡蓮は愚痴を零していた。
 我侭を言ってはいけないと思いながらも、彼女の口は止まらない。
 下手に自分を抑圧するあまり、却って蓄積された鬱憤が燃料となっているのだろうか。
「いえ、いいんです……。夏は年に一度しかやってきませんから、その間だけ我慢すればいいんですよね……」
 最後こそいいんですよねと締めてはいるものの、その言葉からは一度しか来ない夏への未練の響きを過分に含んでいた。
 睡蓮に対して苦笑いを浮かべながら、テルヨシはただ彼女の愚痴を聞くに徹していた。
 彼女は何も彼に意見を求めている訳ではない。あくまでも彼に求められているのは、愚痴を聞いてもらい、慰めを受ける事だ。
 何とはなしにそれを察していたテルヨシは、特に言葉を発するでもなく黙っていた。

 だが彼からすれば気遣いである沈黙は、しかし睡蓮に不安の感情を与えていた。
 彼女は自分が浮気に準じる行為をしていて、更には愚痴を垂れ流していると自覚しているのだから。
 こんなはしたない浮気者と一緒にいて彼は楽しいのか。うんざりしているのではないか。不安は募り、その矛先は他ならぬ自分へと向けられる。
 不安はいつしか、自己嫌悪へ変貌していく。
 
 国頭武尊は並んで歩くテルヨシと睡蓮の姿を受け、怒りに拳を震わせていた。
 先の騒動は多大な戦果を上げる事が出来たが、にも関わらず祭りには未だカップルに溢れている。
「あんの野郎……! ハゲ頭のくせに何であんな可愛い子と並んで歩いてやがる! 許せん……! 恥晒してついでにこっ酷くフラれやがれ!」
 怒りに任せ、彼は釣り具を振るう。滑らかな放物線を描き放たれた釣り針は、ハゲ頭の隣に立つ美少女のスカートの裾に見事食らい付き、そして武尊は一本釣りの要領でそれをたくし上げる。
「よっしゃ流石オレ! ついでにハゲ頭の方はビンタでも喰らってフラれる幻覚でも見とくんだなあ!」
 輝寛にその身を蝕む妄執を仕掛け、武尊は二人がどうなるのかを嬉々として想像しながらその場から走り去る。
 しかし不意に、彼の視界に鋭い閃きが横断した。
「……そなたは少々、やり過ぎだ。ここらで退場願おう」
 閃光の正体は、グロリアーナの投擲したさざれ石の短刀。
 武尊は光学迷彩を被ってはいるが、先程のような騒動になければ殺気看破で位置を特定する事は容易い。
 とは言えこのまま人混みにまで逃げられてしまえば、それも困難となるが、
「……あぁそうそう。ローザから伝えるように言われていたのだがな。「私はお前と違って相手がいて、今日は都合が付かなかっただけだ。勝手に仲間扱いするな非モテ男」……だそうだ」
 それは既に、ローザマリアが対策を見出していた。
 わなわなと震え、武尊は釣り具を放り捨てて野球バットを手に取る。
「ぬ、ぬ……ぬがああああああああああああああああ! ふざけやがって!」
 そして光学迷彩を解き、代わりの嫉妬の炎を力とした驚異の踏み込みで、グロリアーナに迫った。
「カップル禁止! カップル粉砕! カップル……死ねええええええええええええええええええええ!」
 怒りに任せた一撃を前にグロリアーナは微動だにせず――それでも武尊のバットがグロリアーナを捉える事は、無かった。
 代わりに響くのは、一発の銃声。
 グロリアーナを囮としたローザマリアが、姿を現した武尊をスコープの十字線に捉え、気絶射撃を繰り出していた。
 弾丸が命中する直前に、武尊は遥か遠方にスコープの反射光を見た筈だ。
 そしてそれが誰の物なのかも、直感的に察しただろう。
 それでも、彼に放たれた弾丸を避ける術は、残されていなかった。
 
 スカートがたくし上げられたと同時に、カメラのシャッター音を睡蓮は聞いた。
 途端に、彼女の顔色が蒼白となる。
 もしも今の痴態が写真に撮られていたら。あまつさえ、何処かへ出回ってしまったら。
 訪れるであろう顛末への恐怖の余り、彼女の思考は真っ白に染まる。
 けれども不意に何処かへ逃げるように走り出す男が視界に映り、彼女は正気を取り戻した。
「お、お願いです! あの人を捕まえて下さい! あんな写真が出回ったりしたら……私……きっと霧島さんに嫌われちゃいます!」
 そして輝寛の手を取って、涙に潤んだ瞳で懇願した。

 その身を蝕む妄執を受けて、輝寛は幻覚に囚われていた。
 目の前でスカートをずり上げられた少女。彼女から放たれる鞭の如き張り手、誤解と偏見に満ちた罵倒の数々。
「お、お願いです! あの人を捕まえて下さい! あんな写真が出回ったりしたら……私……きっと霧島さんに嫌われちゃいます!」
 だが睡蓮の悲痛な声色の懇願に、彼は小刻みに顔を横に振って、意識を現実へと呼び戻す。
 そして次の瞬間には、人混みを掻き分けて走り出していた。

 例えば覗きや尾行の際に、観察者は観察対象に対しては当然十全の警戒心を発揮する。
 だがそれ故に周囲に対してまでは気配りを出来ない事が大抵なのだ。
 故に尾行の存在を看破したい時、『尾行の尾行』のような存在が用意される。
 ――そんな訳で、覗きを続ける薫の肩に、重く冷たい何かが乗せられた。
 手の主は、鉄 九頭切丸(くろがね・くずきりまる)。漆黒の体を持つ旧式――戦闘以外の機能に乏しい機晶姫である。
 発声能力を持ち合わせない彼は無言のまま、薫へと一枚のメモを突き付けた。
『カメラを出せ。フィルムを破棄しろ』
「……へ? いや、拙者はあくまで覗いていただけ……。写真などは撮っていないでござるよ!?」
 突然現れた黒の巨体に呆然としながらも、薫は弁解する。
 対して九頭切丸はやはり無言でメモ書きを握り締め、次に野分を抜いた。声も筆談も必要なしに、問答無用の敵意を表す。
「えぇえええええええ!? ちょ、ちょっと待つでござるよ!」
 薫の制止など些かも聞き入れず、九頭切丸は野分を振り上げる。
 雷の如く振り下ろされた一撃を、薫は辛うじて避ける。そのまま話は通じまいと脱兎の如く逃走を図った。