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蝉時雨の夜に

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蝉時雨の夜に

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「…………」
 闇の中をひらすら駆け抜けながら、シェディは思い悩んでいた。
 ヴラドの偽物を倒すべきだ、ということは分かる。理屈では理解している。あれは偽物なのだ。倒した所で、何ら問題は無い。しかし、最後の一歩を踏み出す事が、シェディにはどうしても出来なかった。
 ただ走るシェディに、並走するクリストファーがふと声を掛ける。
「シェディ、あれは確か……」
 彼の視線の先には、見覚えのある姿があった。
 クライス・クリンプト(くらいす・くりんぷと)。彼もまた剣を握り、偽物のパートナーと対峙していた。
「ローレンスの戦い方や癖なら、充分すぎる程に把握していますよ!」
 自信ありげに言い放つクライスは、言葉通り優勢に戦いを進めていた。剣撃を進める最中、ふっと姿を消すローレンス・ハワード(ろーれんす・はわーど)の偽物に、しかし彼は戸惑う事も無く真上へと切っ先を振り上げる。
「真似るにしても、素直に真似過ぎですよ」
 迷いなく放たれた【アルティマ・トゥーレ】が、正に上空へ逃れた偽物の体を包み込む。凍り付いた部分から砕けるように消滅していくローレンスの名残を浴びながら、クライスは緩やかにシェディ達を向いた。
「お久し振りです。やはりあなた方も巻き込まれていたんですね」
 剣を収めつつ語り掛けるクライスへ、シェディは素直に頷いた。直後思い出したように背後を振り向く。そこには正に偽のヴラドが迫っていた――の、だが。
 偽のヴラドは魔法を放つよりも前に、その場から掻き消えた。胸元から覗く切っ先。横薙ぎに刃を斬り払い、六黒は冷酷な瞳で一同を見回した。
「さあ……我の愉しみに、付き合ってもらおう」
 六黒が緩やかに切っ先を持ち上げ、真っ直ぐにクライスを指し示す。すぐに剣を抜き直したクライスは、彼の傍らに蝉がいない事に気付くと、怪訝と眉を寄せた。
「あなたは……?」
「さあ、貴様の強さをわしに刻め。そしてわしがぬしに恐怖を刻んでやろう」
 クライスの疑問を意に解した様子も無く、六黒は厳かに言い放った。びりびり、と肌が痺れるのを、シェディは感じる。
「……よくも、ヴラドを」
 恨めしげなシェディの言葉に、六黒はフンと鼻を鳴らした。
「何を言っておる。ここにいる誰もがパートナーの姿をしたものを壊した。みな、わしと同類ではないか?」
 くつくつと愉快気に喉を鳴らす六黒に、クライスは柄を握る指先へ力を込めた。平静を保つよう、意図して落ち着けた声音で反論を投げ掛ける。
「僕たちは偽物と判断した上で、自分のパートナーを仕方なく倒しただけです。問答無用で斬りつけてきたあなたとは違う!」
「ふむ、青臭い事を言う。……ならばわしを倒して、それを証明して見せろ!」
 素早く振られた六黒の刃を、咄嗟に構えられたクライスの剣が受け止めた。不意の一撃に応えたクライスに、六黒は満足げに歪んだ笑みを浮かべる。
「その意気だ」


『シェディ……』
 シェディの偽物を早々に倒してしまったヴラドとクリスティーは、ローレンス・ハワード(ろーれんす・はわーど)との合流に成功していた。しかしクライスの偽物を倒したばかりの彼らの前にも、六黒の偽物が立ちはだかる。
『やるしかありませんね……』
 ブレードを構えたローレンスがやはり先頭に立ち、六黒の刃を受け止めた。
『主! そちらもお気を付けて』
 ローレンスの言葉に、クライスは頷く。互いの世界で同じ相手と刃を交わす異様な感覚に、しかし二人の調子が揺らぐ事は無かった。
 その隙に、ヴラドはクリスティーと共にその場を抜け出す。背後から響く斬撃の音から逃れるように、あてもなくひたすら駆け続けた。しかしやがて、終わりは訪れる。


 内外それぞれの生徒達の活躍によって、“夜”は終わりを迎えつつあったのだ。
 最早偽物は六黒、そしていつの間にか暴れ始めたイオマンテを残すのみ。自然とその元に、生徒達は集結していく。
 放たれた銃弾が攪乱し、魔法が動きを鈍らせ、剣が切り裂く。今までに倒された蝉たちの力を合わせたかのように六黒とイオマンテの偽物は倒れる様子を見せず、彼らの刃と爪牙によって次々と生徒達が倒されていく。
「あれを倒せば良さそうだな」
『うん。ボクたちも手伝おう、クリストファー』
 クリスティーとクリストファーも武器を手に駆け出し、シェディとヴラドだけが輪の外側に佇んだ。
 夢の外側で蝉の数を減らしていくファルたちの活躍もあって、偽物の二人は次第に動きを鈍らせている。アルティマ・トゥーレ、チェインスマイト、ファイアストーム、様々な技が次々と放たれ、遂に六黒は膝をついた。
 偽物のイオマンテもまた、彼らしくない真面目な表情で緩やかにその場へ崩れ落ちる。そこでようやく、二人の傍らへと蝉が姿を現した。
「やれ!」
 発された声は、放たれた技は、誰のものだったか。判別も付かない程に一致した攻撃が、真っ直ぐに蝉へと向かう。
 ヴラドとシェディは、見た。貫かれた蝉がほんの一瞬淡く輝き、そして莫大な光の粒子へと化す様を。
 偽物の姿は消え、雨のように降り注ぐ光が闇に覆われた空を優しく照らし出していく。


 そうして、“夜”は明けた。



 ***


 辿り付いた森の最深部で、天音は見た。
 二匹の巨大なパラミタゼミが、穏やかな雰囲気で寄り添い眠っている姿を。
「これは……?」
 歩み寄ろうとした天音を、ブルーズの片腕が制する。彼の判断は正しかった。緩やかに開かれた二匹の蝉の眼には、確かな殺意が宿されていた。
(ダメダ)
 何者かの声が、不意に天音の脳裏に響く。それはブルーズも同じようで、彼は警戒を濃く滲ませた双眸を真っ直ぐ蝉へと向けていた。
(セメテ、“ミチヅレ”ニシテヤロウト、オモッテイタガ)
「……道連れ?」
 怪訝と問い返す天音の言葉に、セミはキシキシと笑い声を立てる。
(セメテ“キズナ”トヤラヲミチヅレニシテヤロウト、……ダガ、ダメダ)
(ケンゴナモノ、ユルギナイモノ、ハナカラソンザイシナイモノ――コレデハ、ドウニモナラナイ)
(ザンネンダ、マッタク、ザンネンダ)
(マア、タノシマセテモラッタ)
 二匹の蝉は交互に語り掛け、キシキシと同時に笑った。
((ダカラ、オイテイッテヤルヨ))
 言葉と同時に、蝉の身体が眩い程の光を帯びる。
 天音を庇うように躍り出たブルーズの薄い視界の中、光を溢れさせた二匹の蝉は、何事も無かったかのようにその場から掻き消えていた。
「……蝉の命は儚いというけど、こんなくだらないことを考える蝉もいるんだね」
 しばらく間を置いて、天音はぽつりと呟いた。ああ、と気の無い返事を零すブルーズに構わず、既に興味を失った様子で、元来た道を辿り始める。
 だが、正に焦燥に包まれるブルーズには何となく分かるような気がした。蝉の命は、あまりに儚すぎるのだ。ドラゴニュートの彼が、人間である天音に対して抱くのと同じような焦燥を、彼らは彼ら自身に対して抱いていたのだろう。
 その時が来たら、自分も彼らのように自暴自棄になるのだろうか? そもそもこの感情は、天音がパートナーだから抱いているものなのか?
「蝉の声はパートナーを求める声、か……」
 天音の呟いていた言葉を、ブルーズは静かに反芻した。彼らもまた儚すぎる命の中で、パートナーとなり得る存在を妬み、羨み、欲していたのだろうか。それは、誰にも分からない。