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蝉時雨の夜に

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蝉時雨の夜に

リアクション

「蝉の声はパートナーを求める声だと言うけれど、この蝉達は誰を呼んでるんだろうね?」
 奥へ奥へと足を進めていく天音とブルーズを誘い込むかのように、森は闇の中に閉ざしていた道を開いていく。それが夢の中で次々と蝉が倒されている所以だと彼らが知り得る事は無く、天音はおもむろに呟いた。
 答えを期待している訳ではない問い掛け。それを知っているからこそ、ブルーズは何も答えずにただ彼の後に続く。
 すると不意に、倒れている人影が彼らの視界に飛び込んできた。興味深げに傍らへ屈みこんだ天音がその口元へ手をやる。息をしていることだけを確認すると、天音はすぐに身体を起こした。
「眠っているだけみたいだ。……なんだい、浮かない顔をしているね」
 振り返り、そこでようやくブルーズの様子に気付いたように声を掛ける。鱗に覆われた表情は一見分かり難いものの、長い月日を過ごした天音に彼の消沈は容易く汲み取られた。
「ふむ。そんな事はないぞ、不思議な事だと思っているだけだ。む……また人が倒れているな。この森で一体何が起こっているんだ?」
 平然を装い発された返答には、それ以上追及することも無く「そう」とだけ声を返す。ブルーズの言葉通り、開けた道の先には所々に倒れている人影があった。
「さあね、それを探っているんじゃないか。……行くよ、ブルーズ」
 知的好奇心を刺激された天音の声音は、どこか愉しげなもので。止めることも出来ずに頷くと、警戒を周囲へ張り巡らせながら、ブルーズもまた足を進めていった。


***


「お? 闘……神じゃねぇな……気配が違うぜ?」
『お! ラル…ち…げぇな。おぬしは違うな』
 ラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)秘伝 『闘神の書』(ひでん・とうじんのしょ)はほぼ同時に声を上げると、それぞれに豪放な笑みを浮かべた。声はすれども姿は見えず、当ても無く闇の中を彷徨い続けていた二人にとって、それは歓迎すべき出来事でもあった。
 互いが同じ状況に置かれていることを互いの声から確認すると、更に笑みは深みを増す。一方的なものであれば抱き兼ねない罪悪感も、お互い様となれば気に掛ける必要はなかった。
「ちょうどいい。これも修行の内だってぇんなら受けて立つぜ! ……この動き、捉えられるもんなら捉えてみろ!」
 【神速】のスキルを発動したラルクが吼え、目にも止まらぬ速さで偽物の懐へ潜り込むや否や、【ドラゴンアーツ】を乗せた拳の一撃を放った。殴りつけられた偽物の体が浮き、ラルクはそこへ【鳳凰の拳】で更に連打を加える。
『まぁいい、我も相手をしてやろう!』
 闘神の書の放った爆炎波が偽物のラルクを呑み込み、拳の一撃で炎を裂き現れたラルクの蹴りを【スウェー】で見切ると、抜刀した栄光の刀で完全に受け流した。擦れ違いざまの一太刀で偽物の体勢を崩しつつ一度距離を取ると、肩の高さで構え直した切っ先を、真っ直ぐに偽物目掛け突き出す。
『相手が悪かったな! これで仕舞いでぃ!』
 加減の無い【疾風突き】の一撃をまともにくらった偽物は耐え得るべくもなく、貫かれた部位からさらさらと闇に溶けるように霧散していく。それと同時にラルクの拳を浴び続けた偽物もまた耐え切れずに形を失い、蝉と共に消え去った。
「ま、偽物じゃこんなもんか」
 物足りなげなラルクが拳を打ち鳴らし、闘神の書も一つ頷く。そこへ、不意に駆け込んでくる姿があった。

「……どうも、あれは悠美香ちゃんではなくて偽物らしいな」
 左腕を押さえ走りながら、月谷 要(つきたに・かなめ)は苦々しげに呟いた。切断された腕の断面に、本来零れるであろう赤々とした液体は見当たらない。代わりに粘性を帯びたオイルが、足跡の代わりに彼の辿った道筋を示していた。
 出会い頭の一撃。油断していたことは確かだったが、それにしても随分と趣味の悪いやり口だ、と思う。
『要! 大丈夫!?』
 脳内で響く霧島 悠美香(きりしま・ゆみか)の声に、要は「おー」と気の無い返事を返した。
(とはいっても、姿だけとはいえ……オレは本当に、パートナーを撃てるのか?)
 悩む要は、それとは別に、今の自分の状態で彼女を倒せるとは思わなかった。悠美香は既に要の偽物を倒したらしい、が。
(誰か、協力者を……!)
 そうして走った先で見付けたのが、ラルクの姿だった。屈強な彼に要は素早く目を留め、声を張り上げる。
「ねえ、ちょっと手伝ってくれないか!?」
「ん、俺か?」
 声に引かれたラルクが視線を向けると、そこには片腕を失った男の姿があった。ぎょっと双眸を見開くラルクの視界に、次いで彼を追う悠美香の偽物の姿が飛び込む。
「なるほど、こんな状況に巻き込まれてんのは俺たちだけじゃねぇみてえだな」
 先程の経験が無ければ、パートナー同士の喧嘩かと判断したかもしれない。しかしラルクの拳には、まさしく偽物のパートナーを殴り付けた、そんな錯覚が残っていた。
「おう、任せときな! お前はその辺で休んでると良いぜ」
「いや、オレも援護する」
 ラルクの言葉に首を横に振ると、要は片腕でカーマインを構えて見せた。驚いたのはラルクの方である。
「おいおい、無理すんなよ?」
「こんな状況以外にいつ無理するのさ! 大丈夫、あくまで支援に徹するよ」
 そう言い放って、振り返ると同時に偽の悠美香へと銃を乱射する。そう言われてしまえばそれ以上返すべき言葉も無く、要の張った弾幕に怯んだ隙をついて、ラルクは一気に偽物と距離を詰めた。
『無理するってあなた、怪我でもしてるの!?』
 要の頭の中には、悠美香の心配そうな声が響いた。見えないと知りつつ頷いて、要は【サイコキネシス】を使って偽物の動きを鈍らせることに意識を集中する。身動きの取れない偽物へラルクの拳が打ち込まれ、弾けるように霧散していく姿を、要は黙したままに眺めていた。
「……終わったよ、悠美香ちゃん。だけど、こうなってるのはオレたちだけじゃないみたいだ」
 やがて偽物を形作る光の粒子が闇へと溶けた頃になって、要は疲れたようにがっくりと肩を落とした。忘れていた片腕の痛みが再発し、肩を押さえる指先へと力が篭る。
『なら、他の人達を助けないと!』
「うん。オレも助けられちゃったしね。……ありがとう」
 思い出したようにひらひらと片手を振る要に、ラルクは軽く肩を竦めて見せた。


 ぴこり、と【超感覚】の犬耳が跳ねる。
 愛らしいその反応とは裏腹に、清泉 北都(いずみ・ほくと)の面持ちは強張っていた。
 理由は簡単だ。パートナーであるクナイ・アヤシ(くない・あやし)の掲げたアックスが、迷いなく北都へ向けて振り下ろされたから。どこか鈍い動作で繰り出された一撃に、しかし北都はショックを隠し切れずにいた。
(……でも、違うよねぇ)
 数秒の時を要して、北都の思考は冷静なものへと切り替わる。目にしたクナイの動きは、普段の彼の優雅で無駄の無いそれから遥かに劣ったものであった。偽物だ、そう判断した北都は、素早く意識を集中した。光を放つべく光精の指輪を嵌めた片腕を上げ、しかしそこでほんの一瞬、躊躇った。
 その僅かな隙に、偽物の刃が北都へと迫る。咄嗟に横っ跳びに飛び退いた北都の服の袖を、三日月形の刃は易々と斬り裂いた。
(……なんで?)
 体勢を立て直しつつ、北都は愕然と双眸を丸めた。自分で自分が理解出来なかった。これが仮に友人の偽物であったなら、北都は何の躊躇いも無く、冷静な判断のもとに行動できただろう。
 しかしクナイの姿をした偽物を前に、北都は動揺を抑え切れなかった。そもそもあれが偽物なのか、北都の胸には確信があったが、それを裏付ける証拠は無かった。ぐるぐると思考が巡り、刀を握る北都の手袋へ、汗が一筋落ちる。
(僕は、弱くなりたくないのに)
 自分に言い聞かせるように、切っ先を持ち上げる。しかしその刃を振るえるかと問われれば、北都には自信が無かった。偽物の姿が揺らぐ。攻撃に移ろうとしている、北都にはそれが分かった。
『北都!』
 それと同時、不意に、脳裏にクナイの声が響いた。間違えようもない、パートナーの声。
 それが切っ掛けとなった。北都は刀を放り捨てると、真っ直ぐに迫ってくる偽物を待ち構えるように身を屈める。鈍い動作で振るわれたアックスの一撃が空を切った時には、則天去私の一撃が偽の体躯へと叩き込まれていた。
『偽物、ですか。……本物はもっと強いですよ。大体、可愛さが足りません』
 脳裏ではクナイの声がどこからともなく響き続ける。声を掛けようとして、北都は唇を閉ざした。
『偽物とはいえ、北都に攻撃するのは気持ちの良いものではありませんが……仕方ありませんね』
 相手が偽物である事を確信している、クナイの声。迷い無くはっきりとしたそれに安心している自分に気付くと、北都の耳はぺたりと垂れた。


「ったく、面倒くせえな……」
 後ろ髪を掻きつつ独りごちた北条 御影(ほうじょう・みかげ)は、やる気満々といった雰囲気を漂わせるマルクス・ブルータス(まるくす・ぶるーたす)を前に、やれやれと溜息を吐き出した。目の前のパンダのきぐるみが偽物であることは、脳内で延々と響き続けるパートナーの悲鳴が物語っている。
『なんで我に攻撃してくるアルか!? こんな可愛くてか弱いパンダに、ひでーアル!』
「うるせぇぞマルクス! ……ま、日頃の鬱憤を晴らさせてもらうとしますかね」
 苛立たしげに怒鳴った御影の口元には、裏腹な笑みが浮かべられていた。両手に装着されたカタールを構え、御影は迷いなくマルクスの偽物へ向けて駆け出す。
「偽物なら、全力でいっても問題無いだろ。わりぃが、気晴らしに付き合ってもらうぜ!」
 偽物のマルクスは本物とは異なったずんぐりむっくりとした動きで、手にしたメイスを緩慢に振り上げる。
『動物愛護協会に訴えてやるアルー! 謝るなら今のうちアルよ!』
 マルクスの言葉に構う事もなく、メイスの一撃を潜り抜けた御影は、アッパーの要領で片腕の刃を振り上げた。きぐるみの表面を引き裂いたかのように思えるそれに、しかし手応えはない。怪訝と眉を顰めた御影は、殴り付けるように反対の刃で深く切り込んだ。
「……おお。マルクス、生きてるか」
『当ったり前アル!』
 途端に弾けるように光の粒子へと変わる偽物を呆気に取られたように眺めながら、御影は一応パートナーへと呼び掛けた。当然の如く、不満げなマルクスの悲鳴が返される。
『でも今まさに死にそうアルよー! そこの誰かっ、ヘルプミーアル!』
 光学迷彩と煙幕ファンデーションを駆使して必死に偽物から逃げるマルクスは、丁度正面に見付けたクナイへ向けて叫び声を上げた。偽の北都を倒したばかりのクナイは、声に反応してマルクスを向く。
 偽物は真っ直ぐマルクスのみを追い駆ける。擦れ違うクナイの存在にすら気付かぬ程一途な偽物の懐へ容易に飛び込んだクナイは、未だ手にしていたクレセントアックスを勢い良く振り抜いた。
『……お怪我はありませんか?』
 重い一撃に、堪らず御影の偽物もまた光へと散る。闇へ溶け込むそれへは目もくれず、クナイはマルクスへと呼び掛けた。ヒールの準備をする彼へ、マルクスはがばりと飛び付く。
『わーん、ありがとうアルー! ほーら御影、こんなに優しい人もいるアル! お陰で助かったアルよ! んじゃ!』
 一頻りまくし立てては嵐のように去っていくマルクスを呆然と見送り、未だパートナーと会話できる事を知らないクナイは不思議そうに首を傾げた。

 緩やかに夜が明けていく。酷く緩慢なそれに気付く者こそ少ないものの、夜明けは少しずつ、しかし着実に、迫りつつあった。