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リアクション
さっきから何かがおかしい。ふとした拍子にどうにかなってしまいそうだ。不安感からだろうか。
(私が眠る前……真くんの音楽を聞いて目覚める前……覚えて、ない……)
普段は気にしないような事が思考の表面に浮かび上がり、それが彼女をますます不安にさせる。倉庫にいた、前は……
「京子ちゃん、飲み物買ってきたよ!」
「真くん……」
帰りを待ち望んでいた椎名 真(しいな・まこと)の姿を認め、ベンチで休んでいた双葉 京子(ふたば・きょうこ)は緊張させていた表情を緩めた。それでも、その笑みはどこか弱々しい。真は、彼女の異変にすぐに気付いたようだ。紙コップを両手に持ったまま、心配そうに京子を見る。
「って……具合悪い? 大丈夫?」
「うん……ありがとう……」
京子は真からジュースを受け取る。しかし、その手は小刻みに震えていた。ストローに口を付け、甘い柑橘系の液体を喉に通す。それとほぼ同時――
紙コップが手の中から滑り落ちた。
「……あっ」
小さく叫ぶ。プラスチックの蓋が取れて、スカートに中身が零れる。そんな状況の中で、京子はまず真に申し訳なく思った。
(せっかく真くんが買ってきてくれたのに……)
「きょ、京子ちゃん落ち着いて!?」
びっくりした真は急いでハンカチを出し、京子の服についたジュースを拭き取り始めた。
(やっぱり変だ……。早く帰って休ませた方がいいんじゃ……)
片膝をついているので、ズボンにジュースが染み込んでくる。そんな真を見て、京子は慌てて彼を制止した。
「大丈夫、このくらい自分でやるから。真くんの服が汚れちゃうから……」
ハンカチを出そうと自らのバッグに手を伸ばし――
それが、最後だった。突然、京子の様子が変わる。伸ばしかけていた手を振り上げ、怒りを込めて真の頬に叩きつけた。
「……触るな!」
べっちーん、と派手な音が響き、真はよろけて床に手をついた。周囲の人々が驚いて振り向く中、京子は立ち上がり、彼を見下ろして叫ぶ。
「君がそんな風だから、彼女は言い出せないんだ!」
「……!?」
京子は身を翻して走り去っていく。だが、真は平手打ちを食らったショックで放心し、動くことが出来なかった。
彼の服を、ジュースが徐々に侵食していく。
どれだけ放心していただろうか。
「どうしました? 何かお困りならお手伝いしますよ?」
横から声を掛けられ、真はのろのろと顔を上げた。そこには、友人の連れである霞憐が立っていた。
「君は……」
気付いた時に霞憐が分かったのは、自分が立っているのが高層の部類に入る建物の屋上であるという事と、周囲がやけに騒がしいという事だった。その騒がしさが平穏な理由ではなさそうだと見てとると、霞憐は歩き出す。この場にいる理由は分からないが、それがどういう経緯であっても、今ここに居るという事実は変わらない。
ならば。やることは1つである。
「皆さんお困りのようです……困っている人が居るのであれば、助けないとですね」
そして、目に入ったのが空のベンチの前で頬を腫らしている真だった。とりあえず話を聞かないと始まらないので、まだ少しぼうっとしている彼に質問していく。
「ほっぺに見事な手の型がついていますが……。誰かに叩かれたんですか?」
「あ、うん……、それより……」
真は彼の話し方が気になった。いつもと全然違う。何だろう、この丁寧な感じ……? 性格自体が変わったみたいな……
「何故そのような事態に? 私でよければ話してみてください」
「それが、よく分からなくて……」
とりあえず、訊かれるままに話していく。霞憐ふむふむと相槌を打っていたが、やがて気遣わしげな表情になって言った。
「大変ですね……パートナーが突然……。それでしたら……探すのを手伝いますよ!」
「え?」
「大丈夫です、きっと仲直りできますよ! 気を落とさないで下さい」
「あ、ありがとう……でも、なんで……?」
「困っている人が居るのであれば助けたい。ただそれだけです。それだけでいいではないですか」
「…………」
その答えを聞くと、真はふっと微笑んだ。
「……うん、そうだね」
「他にも、困っている方がいるようです。……喧嘩ですかね?」
「喧嘩? あれは……光条兵器?」
「俺は昔……罪のない人を沢山殺した……」
「えっ!?」
司に光条兵器を向けたまま、セアトは言う。
「パートナーに騙されていたんだ。後になってから利用されていた事に気付き……光条兵器で殺害した。今、常に感じている倦怠感と睡魔は……その代償だ」
「……セアトくん……記憶が……?」
眠る前の事は覚えていない。そう言っていた。思い出したことは嬉しいけど、それが、こんな辛いことだったなんて……。
「セアトくんに、そんな過去があったんだ……」
「俺は、二度とパートナーを持たないと心に決め、自ら眠りについたんだ。それなのに……」
彼は、司に言葉を叩きつける。
「何故俺を目覚めさせた。目覚めたくなどなかった……!」
「な、なぜって……」
「所詮、剣の花嫁は代替品なんだろう?」
……ぷちん。
戸惑っていた司は、その台詞で一気にキレた。刺されてもおかしくないほど近くにある剣先を無視して、彼の左頬をぶん殴る。
「セアトくんの……ぶぁああかぁあああああ!!」
乙女の右ストレートが炸裂し、セアトは思い切りぶっとんだ。設置されているテーブルに突っ込み、デザインの凝ったチェアと共に派手に倒れる。
「代わりって何なの!? そんな事思った事もないよ!」
叫ぶものの、既にセアトはぴくりとも動かない。完全にノックアウトされている。
「え? あれ? ちょ、ちょっと……、セアトくん!?」
「えっと……取り込み中の所、ごめん。ちょっと、何があったか教えてくれないかな。もしかして、突然様子がおかしくなったりとか……?」
そこに話しかけてきたのは真だ。我に返った彼は、剣の花嫁とトラブルになっている司達に、先程の自分達と同じ匂いを感じたのだ。
「あ、うんそうだよ。いきなり……」
「……どういうことなんだろう……」
司の話を聞いた真は考える。霞憐も不思議そうに首を傾げ、他の客を見回してみる。
「もう少し詳しいことを知っている方が居るかもしれません。話を聞いてみますね」
離れていく霞憐を見送って、真は言う。
「京子ちゃんにセアトさん、それに霞憐さんも……。皆、剣の花嫁だ」
「霞憐さんも?」
「うん、普段はもっと子供っぽい、やんちゃな男の子っていう感じの喋り方なんだけど……」
「屋上に来てからなんですよね、おかしくなったのは」
司が言うと、真も頷く。しばらく、2人は腕を組んで考え――先に口を開いたのは司だった。
「そういえば、もう一組様子がおかしい人達がいました……。もしかして、誰かに何かされた、とか?」
「……人為的なものって事か……」
そこに霞憐が戻ってくる。
「だめですね。何組か諍いめいたものは見ているようですが、新しい情報はありません」
「…………」
彼を見て、真は一つの結論を出した。
「今日は陣さんや歌菜さん……遙遠さんと来たんだ。皆を探そう。情報を持っているかもしれないし……何より、心配だ」
「京子さんは、いいのですか?」
『遙遠』という言葉に特に反応を示さない霞憐に危機感を募らせながら、真は答えた。
「京子ちゃんは……一刻も早く見つけないと! 司さんはどうする?」
「私は犯人を探します! セアトくんにあんなつらい事を思い出させて……。ぜったい、許さないんだからっ!」
「え、ちょっと、彼は……!」
走り去っていく司に、既にその声は聞こえない。
「えっと……」
ノックアウトされたままのセアトを屋上の片隅に寝かせ、真は考える。
(前の人格……契約前の記憶……どういうことだろう。そうだ、俺をひっぱたいた時の京子ちゃんはどんな口調だった? 仕草は……。思い出せ……考えろ)
女性らしさよりも男性に近い話し方だった。だが、指を揃えて頬をはたいたその仕草は女性のようだった。少し気品の高い、そう、喩えて言えば騎士のような。
では一方で、普段の京子はどうだったろうか? 「彼女」は現在の京子の記憶も持っているようだった。では、京子が好きなものも把握しているはずだ。
彼女が好きなもの。苦手なもの。
……何となく、どこに行くか分かった気がした。そして、傍らの霞憐に声を掛ける。
「……じゃあ、行こうか」
「はい」
(……あれ?)
答える霞憐の姿がぶれて見えて、真は目を擦った。一瞬、綺麗な女性の姿が……。一体、これはどういう現象なんだ?
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