蒼空学園へ

イルミンスール魔法学校

校長室

シャンバラ教導団へ

【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第3回/全3回)

リアクション公開中!

【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第3回/全3回)
【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第3回/全3回) 【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第3回/全3回) 【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第3回/全3回) 【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第3回/全3回)

リアクション


■第27章 バァルとセテカ

 ザムグでの軍議のあと。
 アバドン襲撃のため東カナン神聖都の砦へ向かう者たちと分かれたエリヤ救出部隊一行は、途中の台地で野営を張っていた。
 見渡す限り枯れ木以外何もない荒野は風が吹き抜け、気温が下がりやすい。獣避けの意味もこめて焚いた火を囲み、セテカは、請われるままに北カナン漆黒の神殿のおおまかな見取り図を地面に描いて説明した。
「漆黒の神殿は大きく分けて、外門、参道、拝殿、遠方からの客をもてなすための直会殿(なおらいでん)、神官たちの住む御饌殿(みけでん)、そして最奥に女神イナンナの神殿、さらにその奥庭に世界樹セフィロトがある。石化された人質がまとめて保管されている貴婦人の間があるのは拝殿だ」
 ガリガリ、ガリガリ。
 地面に四角形でそれぞれの位置関係が描かれる。
「ここが女神様のおられた光の神殿であったころ、門は神殿を訪れる者たち全員に向けて開放されていた。だれもが自由に中へ入り、女神様に感謝の祈りを捧げたり、神官から助言や助力を得ることができていた。
 今も表向き開放されてはいるが、目立たない位置に神官戦士の詰め所が複数あり、不審者は中へ入ることができなくなっている」
 門からすぐ内側に四角がいくつか描かれる。
「拝殿の入り口へつながる参道にも、下位の神官にまぎれてやはり神官戦士たちが見張っている。俺たちが内部へ潜入しているうちに、援護部隊にはどうにかしてここまで入り込んでいてほしい」
 でないと、とっさのときに対処できないのは目に見えていた。
 援護部隊の面々が、セテカに応えて頷く。
「救出部隊は飛空艇等を置いて行くことになる。北カナンではこういった乗り物はそうめずらしい物ではないだろうが、東カナンにはない物だ。陸路を来たふうを装った方がいい。こちらも潜入中に援護部隊に移動させておいてもらった方がいいだろう。馬は、北カナンにある館の者に外壁まで連れてくるよう連絡済みだ」
「どうやって?」
「伝書鳥で」
「ああ…」
「陸路は、普通ならアガデ−キシュ間は10日前後かかる日程だが、10名程度の精鋭騎士なら1〜2日早めに着いてもおかしくはない。アバドンの大部隊と違って少数でなら通れるルートも複数ある。この点で疑われることはないだろう」
 セテカは最後に馬を受け取る場所を描き入れ、もう付け足すことはないか確認して、手の中の枝を火にくべた。
「何か質問は?」
「遙遠がバァルさんの役をやるのは構いませんが……神殿の神官の中にはバァルさんを見知っている者たちが多数いるんじゃないですか?」
 緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)からの質問に、セテカはもっともだと頷いた。
「バァルは領主の地位につく前は、北カナンには数度しか行っていない。領主の地位についてからも東カナン安定のためにそうそうアガデを離れることができなかった。
 その理由の1つとして、彼の叔父にあたるナハル・ハダドの存在があった。7年前、前領主夫妻が事故死したとき、彼は18歳のバァルでは若すぎて領主として不適格であると言い出したんだ。そして、前領主の弟である自分がその地位にふさわしいと。これにより、東カナンの騎士は真っ二つに割れた。バァル派とナハル派だ。
 以前も言ったが、当時バァルは東カナンの各地で開かれていた武術大会で賞を総なめにするほど武勇に優れ、東カナン一の使い手として兵からの人気が高かったが、もともとは学者肌の人間だ。城でのバァルは、ほうっておけば寝食も忘れて本を読んでいるし、部屋で一日中論文を書いたりその資料集めで学者とやりとりするのを日課にしていた。控えめでおとなしい甥と、ナハルは考えた。バァルをあなどったんだな。ちょっと脅せばバァルがその地位を簡単に譲ると思ったんだろう。
 しかし当然のことながら、バァルは一歩も退かなかった。父親のあとを継ぐのは自分だと宣言し、ナハルやその派閥の地方領主たちに真っ向から挑んだ。内乱にいたらなかったのは圧倒的にバァルが有利だったこともある。バァルに心酔していた軍のほとんどが彼の側についたこと、そしてタイフォン家の後押しだ。タイフォン家はハダド家に代々仕える有力な名家。その発言力は騎士のだれより強い。
 しかしバァルが若く、未熟で、政治に対し何の実績もなかったのは事実だ。当主である父が多くの地方領主を説得して回り、味方としていく一方で、バァルには一刻も早く政を学んでもらわなければならなかった。バァルもまた、自分が領主の地位にふさわしい人間であることを騎士たちに証明しなければいけないと考えた。それで東カナンの政はしばらく混乱したわけだ。
 水面下でいろいろあったものの、結果的にはバァルの成人でナハルは継承権を第三位に落とし、今では落ち着いているように見える。そして何かとバァルに、早く婚約者である自分の姪と結婚しろとせっついている。バァルは、今はそれどころではないと退けているが…。
 おっと、横道にそれた。
 つまりそういうことがあって、バァルは東カナンを離れることができなかったんだ。いつ、どんなことをナハル派が仕掛けてくるか分からない。年に1〜2回、北カナンでの重要な祭儀にのみ出席していたが、滞在期間は短く、さっさと切り上げてアガデに戻っていた。下位の神官たちではバァルのそば近くに寄ることもできない。遠巻きに見ていただけだから、十分ごまかせるだろう」
 それに、おそらく当時の神官とはかなり顔ぶれが変わっているに違いない、とセテカは踏んでいた。
 ネルガルについた日和見な神官が重用され、イナンナの寵愛を受けていた神官や女神官たちは神殿から追い払われるか退けられているはずだ。もしいたとしても、イナンナがそばにいることで味方につけることができる。
「何か不審に思う者が現れたとしても、東カナンの護衛兵の服装をしている者が周囲を囲っていれば……そしてバァルの格好をして堂々と立っていれば、人はそれをバァルだと考え、思い込む。人の意識とはそういうものだ。
 たとえ俺を見知っている者がいたとしても問題ない。俺が離反者となって反乱軍にいることは、北カナンでは知られていないはずだ。なにしろ報告する当の相手のネルガルたちはアガデにいて、このことを知っていた。神殿に詳細に伝達する必要性はない。反乱が起きてまだ日が浅い今なら、俺が首謀者であると、あの遠方の地まで知られているとはとても考えにくい」
 しかも彼は、バァルの側近中の側近。忠誠心厚い彼が反乱を起こしたとはだれも考えないに違いない。
 むしろ、横にセテカがいるからあれはバァルだと思う可能性の方が高い。
「だが、まぁこれは最後の手段だな。なるべく危ない橋は渡りたくない。俺も髪を染めて、名前は伏せて入るとしよう。
 空路を行ったネルガルはもう神殿に帰っている可能性が高いのが難点だが……話によると、ネルガルは各地の巡察に出かけてほとんど神殿にはいないらしい。その隙を狙うしかないな」


 ひと通り話を終えたセテカに、おもむろに榊 孝明(さかき・たかあき)が切り出した。
「セテカ、きみはエリヤとも親しかったのかな? 3人でよく一緒にいたりしたのかい?」
 探るような質問。
 セテカは砕顔し、後ろに手をついた。
「もちろんだ。エリヤのことは生まれたときから知っている。あいつは俺にとっても弟も同然。バァルが忙しいときなんかはもっぱら俺が遊んでやっていたんだ。なにしろ少々しり込みしても「おまえくらいのとき、バァルもやったんだぞ」と言えば、率先してやりたがったからなぁ」
 まさに魔法のひと言。兄を敬愛するエリヤは、面白いように冒険に頭から突っ込んでいった。
 そのせいで、乳母にはかなり敵視されたものだったが。
 当時のことを思い出しても、セテカには何が悪かったのかサッパリ分からない。子どもは泥まみれ、すり傷だらけになって遊ぶものだ。自分もバァルもそうだった。毎日のように青アザを作っては、それ以上の達成感に笑い合っていた。
 たしかに、バァルでもしなかったことをやらせたときはさすがにまずかったとあとで思い直したりもしたが、大けがは絶対させたりしなかった。
「タイフォン家は、過去に幾度かハダド家と婚姻を結んでいる。その意味で言えば血のつながりもあるから、あいつは本当に弟と言えるかもしれない」
 そう言うセテカの顔にも声にも、本物の愛情があふれていた。
 そんな彼を見て、孝明は膝で頬杖をつく。
「じゃあ何か聞かせてくれないか?」
「エリヤと? バァルと?」
「どちらでも」
「――あれは10歳の誕生日だったかな。バァルが、ポニーはいやだと言い出した。おとなしすぎるというんだ。もう10歳だし、大人の馬に乗りたいと。それで俺たちはまず厩舎主任にかけあった。実際に乗れるところを見せて、領主様を驚かしたいと言うと、主任は、おとなしい年寄りの牝馬を出してきた。バァルは牡馬がいいと言ったがこれ以外は駄目だと言い張られてしまった。当然だな。それで俺たちは考えた。大人には話しても無駄だ。やれるところを見せるしかない。それで、俺たちが目をつけたのは別の柵に入れられていた大きくて立派な牡馬だった。どうせならあれに乗ろうと」
 孝明が話の先を読んで顔をしかめる。
「しかしその馬はかなり巨大だった。俺たちは作戦をたてた。俺が柵を開けて、おびき出す。柵を通りすぎる寸前、バァルが柵の上から飛び移るというものだ。ところがその馬は去勢馬でなく種馬だった。種馬は気性が荒い。馬のかたちをした野獣と呼ばれるほどだ。俺は柵を開ききる前に柵ごと蹴られた。乗り移ったバァルは、跳ね落とそうとする馬にしがみついたがポーンと飛ばされた。まったく、命があっただけ幸運だったな。馬は駆けつけた厩舎員たちが取り押さえ、俺たちは全身傷だらけになり、そろって腕を折った。もちろん大目玉をくらったよ。厩舎には立入禁止を言い渡されるし、治るまでポニーにも乗れなかったし。さんざんだったなぁ」
 当時を思い出し、くつくつ笑う。
「……それ、創作してないか?」
 笑いが、ニヤリになった。
「作り話じゃない、本当にあったことだ。俺とバァルを入れ替えただけでね」
「ああ、なんとなく分かる。きみが思いつき、バァルがそれにのる」
 セテカは心外だと言いたげに胸に手をあてた。
「それはかいかぶりすぎだ。立案はたいてい2人でする。実行するのも2人だ。バァルも分別がつくまではかなりいたずらをしまくって、城や都の者をあたふたさせていた。どっちの仕業か分からないからと、怒られるのも2人一緒だったほどだ。お互い何度とばっちりを受けたことか…。「まさしくおまえたちは2人で1人だ」と、よく言われていたよ」
 ふと思い出したように胸のロケットを服の下から引っぱり出す。
「俺の母だ。もう亡くなったが、やっぱりバァルの母と親友だった。
 2人は、お互いが身ごもったと分かったときに、俺たちの名前を決めた。どちらも男だったらバァルとセテカにしようと。まぁ、女友達同士のやりそうなことだな。
 セテカはバァルの別名、つまり俺もまた「バァル」なんだ。あいつが「セテカ」であるように」
 そして2人は彼女たちの願い通り、互いを第一の親友として育った。
 まさしく互いこそ半身、もう1人の自分であるかのように、どんな苦境であろうと2人で乗り切ってきた。
(もっとも、今あいつは俺を親友とは口が裂けても呼びたくはないだろうが…)
 激怒したバァルの姿が目に浮かぶ。
 彼は滅多なことでは声を荒げず、怒りを表に出さない。内側で静かに火を燃やすタイプの人間だ。
 しかし全てを悟ったであろう今、これまでにないほど激怒しているのは容易に想像がついた。
(殺したいほど俺が憎いなら、追ってこい、バァル)
 セテカはそっとカップに口をつけた。



 セテカを囲む火の輪からそっと抜け出すイナンナを見て、葉月 可憐(はづき・かれん)アリス・テスタイン(ありす・てすたいん)があとを追った。
「イナンナ様」
「ん? なに?」
 自身を呼ぶ声に、最初、相手はちょっとした、気軽な会話を求めているのだろうとイナンナは思った。だから気さくに応じて肩越しに振り返った。
 けれど、そこに立つ2人の立ち姿――真摯な眼差し、組まれた指先に無意識に込められた力を見て、イナンナは笑顔を消した。正式に、きちんと、彼女たちへ正面を向ける。
「イナンナ様……ぜひ、お聞かせいただきたいことがあります」
「いいよ。言って。なんでも聞くから」
 自分から切り出したものの、可憐は、見るからにためらっていた。その口から出る言葉が、耳に心地いい話でないことぐらい分かるというもの。
 そして可憐はイナンナに促されたことで、ついに退くことのできない瞬間がきたと悟って、意を決めた。
 真っ向からイナンナの目を見つめる。
「イナンナ様は、ネルガルを倒した後の統治を、どうお考えなのでしょうか? 今まで通り、あなた様御1人の御力で国を支え続けるおつもりですか? またいつネルガルのような輩が現れて、イナンナ様と国を脅かすか知れぬまま、御1人で支え続けるおつもりなのですか?
 ある御方が「護国の力さえ引き出せれば、女神イナンナはどうなってもいいというのか。イナンナもまた人の心を持つ御方」とおっしゃりました。その通りだと思います。その通り過ぎて、悲しくなります。人の心を持つ御方が、何百年も、何千年も、たった1人で国という大きな存在を支え続けてきたのか、と。それを、この国は良しとしてきたのかと…。
 信仰とは、恩恵があるから信仰するものではなく、自らの手で得た実りに感謝する為にあるものです。祈れば豊作が約束されているから祈ろう……それでは、本末転倒です。
 本来、神とは――そうですね、私の国には天皇と呼ばれる方がいます。その人自身が何かを為すのではなく、あくまでも「全」としての象徴。女神という存在は、本来ならそうあるべきだと、私は思います。人々を見守り、自らも人として在るべきだ、と…。
 女神イナンナ。あなたは、ネルガルを倒した後……そして全き御自身を取り戻された後、どうなさるおつもりなのですか?」
 以前と同じままでは、何も変わらない。可憐はそう言っているのだった。
 ネルガルの存在を歴史から抹殺し、謀反をなかったこととして、女神イナンナが再びカナンの国家神としてよみがえるのは簡単だ。時を待てばいい。ネルガルはしょせん人の子で、その治世は永遠ではない。――イナンナと違って。
 だが、はたしてそれでいいのか?
 ネルガルが起ったこと、ネルガルという人物が現れたこと、それをなかったことにしてしまうのが、はたして正しいことなのか?
「――そうか……そういうことだったんだね、ネルガル…」
 イナンナは北の空をあおぎ、だれにともなくつぶやいた。
 その心に去来するのは、今のネルガル、そしてかつてのネルガルの姿。光の神殿にいたどの神官よりも公平無私で、民のために尽力し、他人にも自分にも厳しかった高潔な神官――そんな彼がなぜこんなことをしたのか、イナンナは今まで深く考えたことがなかった。
「ネルガル、なぜ? どうしてこんなことを?」
 そう問い詰めたい気持ちは幾度となく持ったけれど、なぜなのか、何のためなのかを考えたことは一度もなかった。
 ただひたすらに、相手から答えを求めるばかりで…。
「「あなたのやり方は間違っている」と真っ向から挑戦を挑まれて、それに賛同する人たちがいて。あなたがその者たちに力で勝ったとして、結局以前と同じ統治を続けるのかどうか。それがわからないと、まとまるものもまとまらないですよ? カナンという国も、あなたに味方するシャンバラの能力者達も」
 黙したままのイナンナに焦れて、アリスがさらに言葉を継いだ。可憐よりもはっきりと、具体的な言葉で答えを促す。
「現状、シャンバラのコントラクターは個人で各々動いています。自らの信念の元、ばらばらに動いています。これをまとめるだけの力を、かつてのあなたの統治は、今もきちんと持っていますか?」
 イナンナは羞恥の痛みに堪えるようにぎゅっと両手を握り締め――それから、返事を待ってくれている可憐たちに再度目を向けた。
「……今は、先のことまではまだ考えられないけど、もう二度とネルガルのような者が出ない政を行うつもりだよ。だれも、ネルガルがしたような行動を起こさなくてもいいような、そんな国づくりを…。
 あなたたちの教えてくれたことについては、よく考えてみる。それでいいかな?」
 あやふやな返答だったが、今のイナンナにはこれ以上言葉にできることはなかった。今は仮の姿。そして他の者の助力なしには元の地位に返り咲くことすらかなわぬ身上だ。
 可憐たちもまた、今訊いたことに対し即座にはっきりとした答えが返ったなら、それは自分たちを適当にあしらう、口先だけのおためごかしだと思ったに違いない。そしてイナンナに失望しただろう。
 そうではなかったことにほっと息をつき、可憐は緊張を解いた。
「もちろんです。お話しして、本当によかった。実は、すごく勇気がいったんですよ? こんなこと、お聞かせしていいものかどうか…」
「ううん、そんなことない。あたしも聞けて、うれしかった。言ってくれてありがとう」
 イナンナに笑顔で返され、可憐たちもまた、笑顔で頷いた。