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遅い雛祭りには災いの薫りがよく似合う

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遅い雛祭りには災いの薫りがよく似合う

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                              ☆


「ちょっと、お話を聞かせて貰えませんかね?」
 と、クロセル・ラインツァート(くろせる・らいんつぁーと)は切り出した。相手は特に人間を襲おうとはしていない殿人形だ。
「――お主のような面妖な者とする話はない」
 面妖とは失礼ですね、とクロセルは顔をしかめた。とはいうものの、あくまで和風の節句人形である殿人形にとってみれば、マスクで顔を隠したクロセルの姿は面妖に映っても仕方がないとは言える。

「そうそう。おまえさん、人の話は聞いとくもんだよ?」
 と、ひょっこり現れたのは若松 未散(わかまつ・みちる)。後ろにはパートナーの神楽 統(かぐら・おさむ)の姿もある。

「おや、気が合いますね」
 と、クロセルは未散に目をやった。未散もまたクロセルを見る。
 その瞬間、お互いの中に流れる血が何かを通じさせた気がした。


 天邪鬼でお調子者、そのくせ素直じゃなくて自分の本音は明かさない。そんな面倒くさい性格の血が。


 クロセルは話し始めた。
「いやあ、どうもあのお姫様、かなり鬱憤が溜まっているようだと思いましてね? それにお殿様、あなたも」
 それに未散が答える。
「あ、そうそう。私も思ったよ。ありゃあ相当頭に来てるね、お殿様もストレス溜まるだろぉ〜?」
 すっかり息を合わせた二人。ともすれば主題であったはずの殿人形がおいてけぼりになっているくらいだ。

「――それで、何をしたいのだお主らは」
 と、呆れ顔で問う殿人形に対し、クロセルは答えた。
「いやあ、雛人形と言えばお二人はご夫婦なわけですが、どうしてお殿様はお姫様に従って他人を襲ったりしないのかな、とね?」
 意外なほど冷静に、殿人形は答えた。
「ふむ。それは我々がそれぞれ別の役割を担った人形であるからだ。それに――夫婦と言えど全ての目的が一致するわけではあるまい?」
 そこに未散が割り込んでくる。
「いやいや、それでもやっぱり夫婦ってぇものは分かり合うべきだと思うよぉ? ねぇクロセルさん?」
「そうですねぇ、やっぱり夫婦仲は良い方がいいですよねぇ。あ、それともひょっとして奥さんが怖いとか?」
 おどけた口調のクロセルだが、その実内心では常に情報分析を怠らない。わざと挑発的な口調で殿人形に軽口を叩き、反応を見る。
「ふ……怖いか。そのような感情は我の内に存在しない」
 ほぅ、と口を丸くするクロセル。殿人形の表情に動きはない、人の手に作られた人形という存在だからか、それともよほど本心を隠すのが上手いのか。
 そこに、未散も口を挟んだ。
「いやあ、やっぱ夫婦は愛だよ愛。お殿様もそうなんだろぉ? お姫様に対する愛があるから黙って姫のやることを――」

「ぷ、愛だって……ぷふふ」

 未散の台詞を遮って、統が吹き出した。噺家の未散としては憧れの存在である統、まだまだ未散の話術は未熟、と物申したいところもあるのだろうか。
「もう、笑わないで下さいよ〜。こっちは真剣にですねぇ」
「いや、ごめんごめん……どうぞどうぞ、お話を続けてくだせぇな。愛のお話をぷふふーっ!」
 完全におどけた様子で未散をからかう統。その様子に笑い出したのは、意外にも殿人形だった。


「ふ、ふははははは!!!」


 きょとんとしてその様子を見守るクロセルと未散。ひとしきり笑い終えると、殿人形は二人に向き直った。
「うむ、お主らの話は良く分かった。我と百々とは作られた目的、役割が違うために我は今こうして大人しくしておる。成程、百々は確かに鬱憤が溜まっておろうし、我が今すぐに百々を止めることができぬのは事実じゃ」
 すらすらと話し始める殿人形。だが、異常を察知したクロセルは次の瞬間には飛び上がっていた。
「――危ない!!」
 殿人形が一瞬の内に腰の刀を抜き、居合術でクロセルと未散を薙ぎ払ったのだ。

「ひゅーっ!!」
 未散も、統が庇ったおかげで間一髪助かった。まだ戦闘経験の浅い未散一人だったら、首と胴体が離れていただろう。
 殿人形は、クロセルと未散、そして統に鋭い眼光を向けた。

「だがな、我とて口先だけで誰かを動かそうとする輩と力を合わせるつもりはない。出直すがよい」
 そのまま、くるりと背を向ける殿人形。その背中に隙はなく、一行はその様子を眺めるしかなかった。
 クロセルが、やれやれ失敗ですかと呟くと、殿人形は一度振り返り、言った。


「――未散とやら。愛であったな。覚えておくぞ」


 未散は、ひょっとしたら何かは通じたのかもしれないと、思った。


                              ☆


 空京の空を見上げつつ歩く殿人形の前に、雛祭りイベントの出店から声をかける者があった。ロゼ・『薔薇の封印書』断章(ろぜ・ばらのふういんしょだんしょう)である。彼女はリリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)のパートナーであるが、リリは従者のフリをしてロゼの傍らに立ち、二人の様子を見ている。
「これ、そこの殿御」
 と、ロゼは殿人形に声を掛けた。
 殿人形もロゼの声に足を止める。
 ロゼはザクロの着物を大きく着崩した妖艶な格好で、殿人形を呼び寄せる。
「見ておったぞ。見目良きおのこが荒ぶるは雅にあらず、じゃ。近う寄りて、わらわの盃を受けてたもれ」
 全身から吹き出るような色香。
 ガーネット、アメシスト、パール、オパール……彼女の雰囲気に合わせるならば柘榴石、紫水晶、真珠、蛋白石と言うべきだろうか。数々の宝石で飾り、大きく足を組んだロゼ。細い煙管から吹き出した紫煙が、派手ではあるが男を惑わす色っぽさを引き立てていた。
「……どうした、おなごの酒は受けられぬか?」
 しばらく黙ったままの殿人形を挑発するロゼ。それを聞いた殿人形は、よかろう、とロゼの方へと歩み寄って隣に座った。
 わずかに、その端正で切れ長な目を細めたような気がした。

「……ひっかかったのだよ。平安男ならスケベと相場が決まっているのだ、色気虫のロゼの誘いに乗らないわけはないのだ」
 と、リリは内心ほくそ笑んだ。
 ロゼは色気で殿人形を懐柔し、どうにかして百々の弱点、節句人形を浄化する方法を聞きだそうという魂胆なのだ。

「……何か申したか?」
 と、殿人形はリリの方も見ずに呟いたが、リリは無言で首を振った。
「ほれ、従者のことなど放っておくがよい。そもそも、わらわの酒を受けながら他のおなごに目をやるとは、まったく失礼というものではないか?」
 しなを作って盃に酒を注ぎながら、ロゼは軽く殿人形の膝をつねってたしなめた。
「……ふ、無粋であったな、許せ」
 と、殿人形はその酒を飲み干した。間を置かずに次の酒を注ぐロゼ。
「ほう、良い飲みっぷりであるなぁ。酒ならまだまだあるゆえ、存分に飲んでたもれ」
 ロゼは殿人形にしなだれかかり、どんどん酒を飲ませた。
 もちろん、酔っ払わせて正常な判断力を失わせようという魂胆だ。

「ふむ、美味い酒だ。このような美味い酒を飲めるとは思わなんだ、礼を言おう」
 と、殿人形はロゼに向き直り、熱くその瞳を見つめた。
 かかった――と思ったロゼはいよいよ殿人形にしなだれかかり、情報を聞き出そうとした。
「やれ、うれしや。――されどわらわはあの奥方が恐ろしゅうて……」
 と、顔を背けるロゼ。
 だが、その横顔に向けられた殿の一言は、まさに冷や水だった。


「――やはり、目的は百々の弱点か」


「――!!」
 気付いた時はもう遅い。長くしなやかに伸びたロゼの足の下に素早く片腕を入れた殿人形は、思い切り腕を引っ張り上げてロゼを後ろ転倒させた。
「――ロゼ!!」
 作戦が失敗したことを感じたリリはロゼを助け起こそうとするが、その喉元に殿人形の刀の柄が当てられる。
 殿人形の冷たい声が、二人に浴びせられた。
「まさか人形相手に色仕掛けを仕掛けてくるとは思わなかったぞ。面白い企みではあったが、我は人形――肉欲はない。残念だったな」
 刀を納めた殿人形は、二人から離れて道へと戻った。


「いや、なかなかの色香であった。確かに並の男であれば抗えまい、だがな娘」
 殿人形はロゼを助け起こすリリに向かって、言った。


「確かに雛人形は平安の世の装束であるが……我は江戸生まれだ、返す返すも残念であったな」
 と。