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リアクション
■■■其の序
これはイルミンスールと扶桑が繋がる少し前の一時の物語だ。
∞
――それは数日前。
「あら、これは武神牙竜様、こんなところにどうしました? ……なるほど、その様なご用件で……わかりましたご協力いたします。これで貸し一つですね、ふふっ有効活用させていただきますよ」
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遅咲きの桜が一つ。
薄紅色の花弁の最後の一枚が、朧月夜の薄闇の最中、宙へと舞う。雲の陰影を際だたせる満ちた月は、雲を透過させ、蒼闇色の空に灯る星々の光を従えていた。鴉が飛んでいく。
――そこは東雲遊郭。
東雲遊郭とは、マホロバ城下にある幕府による唯一公許の遊女街である。幕府の規制もあり、出入口は大門のみだ。そう、ここはマホロバだ。
マホロバとは、パラミタの東に浮かぶ島国である。鎖国を行い、独特の文化で繁栄してきたこの国を治めるのは、幕府を開いている鬼城将軍家だ。大地には世界樹『扶桑』が根を下ろしている。
その『扶桑』のお膝元こそが、扶桑の都と呼ばれる一都市だ。
「遊郭からはそう何度も抜け出せない……頼まれてくれるか、葛葉。遊郭に縛られず動けるのはお前しかいない。都に留まって動きを伝えてくれ」
東雲遊郭の一角、薄暗いその場所で天 黒龍(てぃえん・へいろん)が、紫煙 葛葉(しえん・くずは)にそう声をかけた。
黒龍は、東雲遊郭の影蝋なのである。影蝋とは、俗に言う男娼の事だ。だが客には女性も多い。
「……、……」
現在声のでない葛葉は、静かに首を縦に動かした。それに頷き返した黒龍は、目に付かぬように、表には出さずに葛葉から貰った柘榴石のペンダントを秘かに握り締めている。
黒龍は、葛葉に対して信頼以上の感情を抱いているのだ。
葛葉の茶色い瞳を、緑色の女性的な瞳でしっかりと見据えた黒龍は、続いてその隣にいた黄泉耶 大姫(よみや・おおひめ)へと視線を向ける。
「黄泉、お前も頼まれてくれないか?」
「黒龍……妾とて用心棒の身ぞ、さほど自由がきくわけでは……」
遊郭の外壁を見上げながら、大姫は嘆息した。
「分かっている」
しかし真摯な黒龍の眼差しに、おずおずと頷いて返す。
「……借りは高うつくぞ」
「すまない。――所で黄泉、必ず仮面を外して、編み笠を被って出て欲しい」
「それは……」
大姫は、人を寄せ付けない荘厳な龍面で、通常は口許以外を隠しているのである。仮面の下には生まれつきの痣と、昔恋人に付けられた傷跡があり、本人はこれを見られる事を最も恥としているのだった。だから何故、黒龍がそのように言うのかと、彼女は溜息が漏れそうになる。
だが大姫は、強く扶桑の事を想っていた。
――妾はあの扶桑が愛しい。……何をしてでも、散らせとうはない。
「……貸しは、二つじゃな」
その声に葛葉が、妖艶さの滲む眼差しで、僅かに微笑み黒龍と大姫を交互に見た。
「私は今回は遊郭に残る。何か動きがあれば教えて欲しい」
綺麗な髪に月明かりを反射させながら、黒龍が大きく頷いて応えたのだった。
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夜が明け、朝が来た。
その朝も過ぎ、日が次第に高くなっていく。
春を告げる鳥の声は既に遠ざかり、葉桜が周囲に新緑の気配をもたらしていた。
その一角にある出店街、軒を連ねる茶屋や問屋。
ここは扶桑の都の繁華街である。
この扶桑の都へと観光で訪れた氷室 カイ(ひむろ・かい)と雨宮 渚(あまみや・なぎさ)は、反物屋の正面で足を止めていた。色とりどりのお手拭きが並んでいる。丁度渚の瞳の色と同色の蒼いハンカチを手に取り、カイはまじまじと眺めた。対照的に渚は、カイの瞳と同色の赤い布を手に取っている。どちらも兎の刺繍が施された代物だ。
そこへ瓦版屋が、横道へと走り出てきた。
「号外だよ、号外。なんと、あの梅谷才太郎が暗殺された! さぁさぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい」
よく通る瓦版屋の声に、興味津々といった様子で若い女衆が集まっていく。その中にいた一人の別嬪さんに鈴木 周(すずき・しゅう)が、声をかけた。
「そこのお嬢さーん! 俺と大人のお医者さんごっこしようぜ!」
正直モテたことがなく、世渡り下手な彼の声に、瓦版を読み耽っている少女は目も合わせなかった。彼の将来の夢は、素敵な恋人を作る事である。
そんな事には我関せず――葉桜を堪能していた黒崎 天音(くろさき・あまね)が、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)へと向かい呟いた。
「綺麗な景色が沢山あるねぇ……出会いもあるかな?」
「ふむ……風の香りに夏の匂いが混ざっている気がするな。おぉ――あの建物は変わった形だな」
応えたブルーズは、初めて見る和風建築に興味津々といった様子で、赤い瞳を揺らしている。
「ブルーズ、そんなにあちこちきょろきょろしてたら、まるでお上りさんみたいだよ」
「仕方あるまい。このような建物の街並みを見るのは生まれて初めてだからな……そういうお前も随分と楽しそうではないか」
「ふふ、それは確かに。地球の日本にだってこういう風景は観光用の施設くらいにしかないからね」
パートナーの声に、懐かしそうな表情を浮かべた天音は、一軒の店へと視線を向けた。
それを追いかけたブルーズが、出ている看板に首を傾げる。
「ふむ。今日はゆっくり堪能するか……あの水まんじゅうとは何だ?」
茶屋を指さしたブルーズに対し、天音が頷いた。
「行ってみようか」
こうして二人は、一時の涼を求め茶店へと向かったのだった。
その隣には、明里が出している『お針子さん』の店がある。
天音達はここに辿り着くまでに、他にも八木庄左衛門が構えた『小間物屋』も見てきた。こちらは、水波羅遊郭の畔にある。
水まんじゅうが売りの茶屋の店内では、一人の暁津藩士がお茶をしていた。暁津藩家老の継井河之助である。彼は、下人としてアルバイトをしている高坂 甚九郎(こうさか・じんくろう)を伴っていた。傍には甚九郎が連れている犬、パトラッシュの姿もある。パトラッシュは現在では、暁津藩のアイドルだ。
そんなパトラッシュが新たな客人に、人懐っこく一声鳴いた。
その声は、逆側に隣接している万屋『叢雲の月亭』にも響いてくる。『叢雲の月亭』は、ウィング・ヴォルフリート(うぃんぐ・う゛ぉるふりーと)が営む、冒険者の店のマホロバ店である。扱っている主力商品は輸入物だが、他と違うのは『万屋』即ち『何でも屋』という名前の通り、傭兵からペットの捜索まで、仕事なら幅広く承っている所である。紳撰組と扶桑見廻組が協力して、ある亡骸の遺体の『サイコメトリ』を依頼していたり、紳撰組の監察方が情報を依頼したりと、何かと実力派のお店である。
叢雲の月亭の正面にもまた、『よろずや』という看板を掲げた、相田 なぶら(あいだ・なぶら)とフィアナ・コルト(ふぃあな・こると)が立っていた。なぶらは、フィアナの帰りがあまりにも遅い為、やきもきとしてここまで来てしまったのである。
事は少し前に遡る。マホロバ観光に出かけたフィアナ達が帰ってこないという事態が発生したのだ。帰還を待っていたなぶらは、様々な事を思案した。
――流石にフィアナの帰りが遅いな……。
彼はまず始めに、そう考えた。
――もしかして何か事件に巻き込まれてるのかもしれない、得物もおきっ放しで出かけたし……。
そこで心配になった彼は決意したのである。
――……よし、マホロバにいっちょ行ってみよう。
フィアナの得物も持って……と考えた彼は、思わずうめいた。
「って、重……よくこんなの振り回せるもんだ……あのバ怪力……」
こうして、なぶらは、パートナーを探しにマホロバへと旅立ってきたのである。
その頃フィアナはと言えば、友人達と共に猫探しをしていたのだった。理由は、友人達と共に観光をしていた最中に、お財布をすられ旅費を失ってしまったからである。なぶらが訪れた事で旅費は工面できたとはいえ、思いの外繁盛していて依頼がまだ残っている為、フィアナは、なぶらも同伴して『よろずや』を続けているのだった。
彼らの正面では、瓦版を受け取り戻ってきた東條 カガチ(とうじょう・かがち)と東條 葵(とうじょう・あおい)が、顔を見合わせている。
「こういう時はまずは聞き込みだよねえ」
カガチが後ろで束ねた黒い髪を揺らしながら、そう呟いた。
「さぁて、今度こそ美味い牛鍋が喰いたいなあ」
先日、朱辺虎衆を名乗る牛面の集団と接触した葵は、カガチに対して妖艶さの滲む白色の顔の内、頬を持ち上げて見せた。
そんな黄道でのやりとりに、桐生 円(きりゅう・まどか)とオリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)が息を飲んでいた。円は先日、暗殺されたと瓦版にて騒がれている梅谷才太郎の弟子となったのである。
「首が切られていただなんて」
緑色の髪の下、赤い瞳を揺らして円が呟いた。瞬間的に瞳に悲愴を宿らせた彼女だったが、すぐに気を取り直したように続ける。
「まず注目すべきは首」
その声にオリヴィアが深々と頷いた。
「一応私も梅谷さんとお知り合いになったし、円に着いていこうかしらね。何が起こるか解らないですし」
そうしたやりとりをする二人の斜め前方には、満天屋という旅館があった。
丁度そこから出てきたのが、秦野 菫(はだの・すみれ)と梅小路 仁美(うめこうじ・ひとみ)、そして李 広(り・こう)である。
「桜は散り、新緑が目にも美しい季節になりもうした。世間は相も変わらず、騒々しいようで、お気楽に行きたい拙者としても、気ままに生きることをとがめられているような気がするでござる。とはいえ、長年、のんびりと趣味を追求し、習い性となった現在、そうそう生き方は変えられないでござる」
本物の忍者を目指している菫がそう呟くと、仁美が静かに頷いて見せた。
「今日も一緒に扶桑の都の行楽行脚に出かけましょう」
「そうですね」
広もまた首を縦に振ったのだった。
その旅館の隣には、団子屋が軒を連ねている。
すぐその隣の店先では、アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)とルシェイメア・フローズン(るしぇいめあ・ふろーずん)が、三色団子を味わっていた。初夏の風が、アキラの黒い髪を揺らしている。何処か眠そうな表情の彼は、ぼんやりと周囲を眺めていた。ルシェイメアはと言えば、金色の長い髪を揺らしながら、知的な表情で街を一瞥しているのだった。どこからどうみても日が高い内から食べ歩いている無気力な遊び人風の二人である。丁度その茶屋には、坂東 久万羅(ばんどう・くまら)が、粉を卸に来たところだった。
「いやぁ、噂には聞いてたけどマホロバって中々棲み心地が良さそうだねぇ」
その正面の席で、皇 玉藻(すめらぎ・たまも)がそう呟いた。
「団子超うめえ」
玉藻の背中に乗りながら、もちもちの団子を頬張り柳玄 氷藍(りゅうげん・ひょうらん)が応える。
「なんか物騒なことになってるらしいが、俺は此処でのんびりしてたいんだがなあ……」
瓦版屋を一瞥しながら続けた氷藍の声に、玉藻が首を捻った。
「これでもっと男前がいっぱいいたら最高なんだけど……何?」
見れば、瓦版屋が高く口上を述べていた。
「さぁてさぁて犯人は、紳撰組なのか、はたまた扶桑見廻――」
「そんなはずがあるか! 鞘が落ちてたんだから紳撰組の近藤で決まりだろう。我々扶桑見廻り組が、そんな――」
「なんだって? 局長がそんな事をするはずがねぇ!」
すると瓦版屋を挟んで、久我内屋仕立ての上等な衣を纏う凛とした侍と、扶桑では未だ珍しい黒い洋装の侍が口論を始めた。金色の縁取りが成された制服の肩口には、誠の一字と桜の花びらの模様がある。紳撰組の隊士だ。
「紳撰組って人達とその他諸々が喧嘩してるって?」
訪れたばかりだというのに、その光景から玉藻はあっさりと推測して氷藍へ小声で返した。
「紳撰組? あれが? どうして分かるんだよ?」
「……直感的に分かるよ。そういう競り合いの場には男前がいっぱい集まるんだよね」
氷藍の笑み混じりのその声に、徳川 家康(とくがわ・いえやす)が目を細めた。
「……『紳撰組』じゃと?」
その声には険が含まれていた。
「むむむ、パラミタ独自の文化とはいえ、無性に頭に来る名前じゃの。誰の許しを得てその名を名乗っとる!!」
かの徳川家康の英霊である彼は、その銀色の髪の奧に隠された金色の瞳を静かに揺らした。
その様子に、氷藍は溜息をついた。
――しかし家康の奴、やけにピリピリしてやがるな……。
「オマージュか! リスペクトか! あるいは偶然かもしれぬが……我が天下の元に生まれた勇士達の名に似通った名を名乗るならば、それ相応の行いをしてもらわねばなるまい」
続いた家康のその声に、氷藍が肩をすくめた。
「……ま、そんなことだろうとは思ったが」
すると一人、きまぐれそうな色が滲む端整な顔立ちを、口論する紳撰組隊士へと向けながら玉藻が微笑んだ。
「で、何で私がのられる側なんだろうな? 出来ればのりたい側なんだけどねぇ……ま、そうも言ってられないか。これでも獣人の端くれだし、思う存分駆け回ってみようかな」
「どこに行く気だよ?」
氷藍が尋ねると、玉藻が首だけで振り返った。
「紳撰組――氷藍が見てた同じような名前の集団が出て来るドラマもイケメンまみれだったしな……うん、行こっか紳撰組♪ 薄幸の美少年でも精悍な武人でも熟練のおじ様でもドーンと来い!」
その声に、氷藍が再度首を傾げた。
「行ってどうするんだよ?」
「男前狩り。さて、男前狩りに出るとしようか♪」
何とはなしに脱力感を覚えながら、氷藍は細く息をついた。
――玉藻も何故かは知らんが、やたらと紳撰組とやらに興味があるみたいだし……折角だ。
「喧嘩の一つ二つ、土産の代わりに、かってくか」
――今ん所、職もないしな……近藤とか言う奴に頼めば隊士に加えてもらえるんだろうかね?
内心そう続けながら、氷藍は地に足を着いた。その様子にパートナーの二人も立ち上がる。
こうして三人は、紳撰組の屯所へと向かう事にしたのだった。
紳撰組とは、扶桑の都の治安維持を行っている組織である。
誰にでも門戸を開いているが、実力主義の集団だ。対して、扶桑見廻組とは、同様に扶桑の都の治安を維持する組織であるが、重点的に扶桑の警備や要人の護衛を行うなど、紳撰組とは役割が些か異なる。
これは、此までの間に、多くの人々が対立を減らすよう、両組織の編成や分担を行った事に由来する。その為今では、以前よりも両者の諍いは減ってはいたが、それでも口喧嘩を始め些末な争いは今でも止まない。
三人が歩いていく姿をアキラ達が眺めていると、丁度そこへ馬の嘶きが響いてきた。
緩慢な蹄の音が続く。
アキラとルシェイメアが見上げると、そこには白馬にまたがった松風堅守の姿があった。その周囲には、守りを固めるような扶桑見廻組の姿と、武神 牙竜(たけがみ・がりゅう)と武神 雅(たけがみ・みやび)、そして龍ヶ崎 灯(りゅうがさき・あかり)と重攻機 リュウライザー(じゅうこうき・りゅうらいざー)の姿がある。
松風堅守は、鬼城松風家の当主だ。扶桑守護職であり、紳撰組を預かってもいる。
堅守は、馬上からアキラと視線が合うと、短く息を飲んだ。
「堅守殿、どうされた?」
牙竜の問いに、彼のパートナー達の八咫烏が視線を周囲に向ける。
「いや……別に」
馬上から降り挨拶をするのが礼儀だろうと、不意に目があった鬼城家後見人の姿に堅守は思案したのだったが、ここは茶店の並ぶ黄道――お忍びなのだろう、そう判断し、彼は素知らぬふりを決め込む事にした。
事を荒立てては野暮というものである。
八咫烏の面々も気づいたようだったが、堅守の動向におし黙った。
八咫烏とは、将軍家公認の忍者部隊である。雅と灯、そしてリュウライザーは、その一員なのだ。
「それにしても良い日差しですな――このような時期だからこそ、人々には娯楽も必要なのだがな……」
再び歩みを進めながら、堅守がそう口にした。
「桜も一興、葉桜も一興だな」
頷いて返した牙竜は、ふと思いたって堅守へと視線を向けた。
「確かに娯楽は必要かと。扶桑を観に行きませんか? 民に娯楽をと考えるならば、花見などが良いかもしれません――民だけではなく、日々扶桑の都を案じて働く者にとっても、良い労いとなる」
「一理ありますな」
そんなやりとりをしながら、街の視察をしている松風堅守と、共に視察している陸軍奉行並の牙竜は、都を進んでいったのだった。
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