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宵闇に煌めく

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宵闇に煌めく

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 深い森の奥に佇む、一軒の大きなお屋敷。
 適度に清潔なそのお屋敷の厨房に、二人の人影があった。

 一人は、佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)。彼の手元には様々な野菜に混じって、じゃがいもが幾つも積み上げられている。じゃがいもが苦手な弥十郎がそのじゃがいもを調理しているのには、あるワケがあった。
 話は少し遡る。ヴラド・クローフィ(ぶらど・くろーふぃ)のポスターを見た弥十郎が、早速食材の調達に出向いた時のことだ。

(水の中で食べるものかぁ……兄さんは何が食べたい?)
 ひとしきり野菜を見て回った弥十郎は、困ったように傍らの兄、佐々木 八雲(ささき・やくも)へ精神感応を使って問い掛けた。すると彼からは、即座に
(ロールキャベツ)
 との答えが返される。
(ロールキャベツだね、分かったよ)
 言葉には出さないまま一つ頷くと、弥十郎は早速材料を調達するべく歩き始めた。説明が無いままとりあえず後に続いた八雲は、疑問気に問い掛ける。
「ところで、何で急にそんなことを聞いたんだ?」
 仮にもう一人同行者がいたなら、突然の八雲の問いにこそ疑問を持ったことだろう。
 しかしこの場には幸いにも、会話相手の弥十郎の他に人影はない。
「いやぁ、料理が思い付かなくてねぇ」
 苦笑交じりの弥十郎の返答に「そっか」と納得の相槌を打った八雲は、その直後視界に山と積まれたじゃがいもを見付けた。ふ、と彼の口元に笑みが浮かぶ。
「じゃ、お前の嫌いなジャガイモを使おう。ジャガベーを追加で」
 単なる意地悪か、それとも弟を思う気持ちの為せる業か。とにかくそんな遣り取りを経て、弥十郎は苦手なじゃがいもを自らの手で調理することになったのだった。

「じゃがいもかぁ……」
 方々で料理を振る舞うバリエーションの豊富さ、そして何よりその味の美味さから料理上手と名高い弥十郎が、珍しく料理の手を鈍らせている。一歩離れて見守るだけの八雲は、興味深げにその様子を眺めていた。
 彼の前に積まれたじゃがいもは、全て皮を剥いた上で水に漬けてあった。ちなみにロールキャベツはと言えば既にすっかり完成し、八雲の摘まみ食いを防ぐように密閉用の袋に収められてしまっている。
「こういう食べ物でいいのかなぁ」
 首を捻りながら呟かれた弥十郎の言葉は、通常であれば非常に不安を誘うものである。しかしそこは弥十郎のこと、やや緩慢ながらも作業を進めていく手つきに狂いはない。


 こうして屋敷の厨房で一人の料理人が苦労している頃、湖の周囲ではまた別の戦いが繰り広げられていた。


「いや、息が出来るって言っても水だろ? 水の中なんだろ?」
 底の見えない水面を覗き込みながら、水着姿の東條 カガチ(とうじょう・かがち)は同じく水着を身に付けている東條 葵(とうじょう・あおい)へ捲し立てた。カガチと異なり全身タイプの水着を着ている葵は、取り合う様子もなくにっこりと笑って見せる。
「大丈夫、水を克服するにはいい機会だ」
「あんたのその笑顔がかえって恐ろし……って、おお!?」
 溜息交じりのカガチの言葉は、しかし紡ぎ終えるよりも前に激しい水音に掻き消されることとなった。大きな水飛沫を上げて湖へ落ちたカガチを蹴り落とした体勢のまま暫し眺め、何事も無かったかのように優雅な動作で、葵もまた湖へ飛び込んでいく。

 ばたばたと四肢を藻掻かせているカガチの手を掴んで、葵は水を蹴る。始めはややぼんやりと、次第にはっきりと現れ始める光に導かれるように、暗く深い湖の底へ。
 水面付近に漂っていた魚たちの姿は半ばを過ぎてからはすっかり見当たらず、ただ暗く冷たい水ばかりが彼らを包む。唯一目標となる葦の蒼い輝きは、そんな空間の中で、一際幻想的な雰囲気を帯びていた。広くサークル状に生えたその葦の内側を目指し、葵はカガチの手を引いて行く。
「……ほら、着いた」
 そして気付けば、言葉を発することができるようになっていた。半ば呆然としているカガチへ、「大丈夫だったでしょう?」と声を掛ける。
「……ああ。本当だ、大丈夫かも……」
 ふわふわと漂う感覚が落ち着かないのか、水底へ足を着いてから、カガチは嘆息交じりに呟く。しかしすぐに「いやいや」と左右に首を振った。
「これ息が出来るからってだけでしょ、やっぱり水の中は怖えよ」
「そうかな? ほら、見上げて御覧」
 促しながら、しかし自分はカガチを向いたまま、葵は語り掛ける。
「ほら、水底から眺める空は綺麗でしょう」
 遠く、微かに差し込む光。水に揺らぐその煌めきを見上げ、カガチは納得したように頷いた。
「確かに、こりゃきれーだ……葵ちゃんは見ないの?」
「僕は、もうその美しさを知っているから」
 当然の問い掛けに小さく笑って、葵は含むように呟いた。怪訝と向けられる視線に従い、静かに唇を開く。
「昔、水が苦手だった僕の手を引っ張って、『大丈夫、怖くない』って言ってくれた人がいたから。だから、同じように――」
 そうしてようやく、葵は緩やかに水面を見上げた。
「“ほら、水底から眺める空は綺麗でしょう”って」
 水面に浮かぶ光を見上げたまま、カガチは改めて首肯を落とす。暫しの沈黙の後、葵は視線を落とすと、空間の中心へ向けて足を進め始めた。
「それがいつの話だったか……五十年、百年、千年。……一万年前かな」
「迷う範囲が広すぎやしねぇかい」
 いつしか、周囲には二人の他にも何人もの人影があった。各々にパーティーの準備を進める人々を見渡して、葵はアルカイック・スマイルを浮かべる。葦の光を受けてぼんやりと輝きながら、彼は軽く両手を広げた。

「さあ、一時の水中パーティーを楽しもうか」