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●True Colors

 冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)はチャイナドレスの頭にナプキン、腰にはエプロンという斬新な組み合わせで参加している。深いスリットの入った百合模様のドレスは少々きわどく、躰のラインがくっきりと映えていた。
「美緒さん、できそうですか?」
 ようやく包丁の使い方は理解したものの、なんともその扱いに戸惑っている美緒は顔を上げた。
「実は、玉ねぎの切り方がわからなくて……さきほど、恵様というかたが示してくれたのですが、いまひとつつかめないのです」
「ご安心を。教えますわ」
 小夜子は彼女の後ろに回ると、美緒の肩から顔を覗かせる形をとった。身体をくっつけてお手伝い、手を美緒の手に添え、包丁で野菜を切るときの動きをサポートするのだ。
「玉ねぎはカレーの基本、最初にうんと火を通せば美味しくなるんです。大きく切ると火が通らない可能性もありますからね……あ、でも」
 刻みながら涙が出てきた。
「……わたくしも」
 美緒も目をしばたいている。
 彼女が宝石のような目を、涙で潤わせている様は、思わず抱きしめたくなるような麗しさだ。
 多少の躊躇はあったが、小夜子は美緒の胸の下に腕を回し、そっと背中に頭を預けた。
「美緒さん、玉ねぎを切って涙が出るのは自然なことです……落ち着いて下さいね」
「はい……なにもかも、新鮮な体験ですわ」
 回された腕にそっと手を乗せ、美緒は言ったのだった。
 すぐ隣ではフィリップ・ベレッタ(ふぃりっぷ・べれった)が奮闘中だ。
「よし、玉ねぎが飴色になってきました。これくらいですかね?」
 彼が鍋底を見せると、フレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛ぃ)は笑顔になった。少なくとも、笑顔に見えるよう努力していた。
「……うん。フィル君、上手だね」
 明るく聞こえるように声色も作った。
 空は晴れ、青空の下での料理大会も楽しい――と言いたいところだが、どうしてもフレデリカの意思は、深い海の底に横たわっているかのようになってしまう。
 原因はわかっている。
 ずっと探し続けていたフレデリカの兄、セドリック・レヴィの行方が判ったのは先日のことだった。
 しかしその報せは彼女の望んでいたものではなかった。
 もたらされたのは、セドリックの死という現実だったのだ。
 以来、フレデリカは空虚の世界に生きている。
 食べ物を食べても味を感じない。
 眠ろうとしても眠れない。数時間煩悶したのち眠れたとて、兄の生きていたころの夢ばかり見る。
 泣いてばかりおり、そのうちそれが普通になって、ふとした契機に本人も気付かないうちに涙が零れていたりもする。
 フレデリカの目の前の世界は灰色だ。しかし今日は、それでもフィリップに会えるなら、と出てきたのだった。彼女の事情を知らないフィリップは明るかった。それが救いだった。今のフレデリカであっても、彼とその周囲だけは、天然色の世界が見えるのだ。
 さすがにフィリップは彼女の異変に気づいていた。無理をして笑っても、そこに違和感はあるものだ。
 声をかけるべきかためらっていたフィリップに、
「フィリップ君、手を止めちゃだめです」
 とルイーザ・レイシュタイン(るいーざ・れいしゅたいん)が声をかけた。
「玉ねぎ、焦げちゃいますよ」
「えっ!? あっ!」
 慌ててフィリップは鍋を火から上げた。フレデリカを気にしているうちに手が止まってしまったのだ。
「あらあら、焦げちゃってますね。もうやりなおしたほうがいいかも……うっかりさんですね」
 ルイーザはからかうような口調で言う。実際、鍋の中身は半分以上黒こげだ。
「うっかりさんでした」
 思わずフィリップも苦笑いした。ルイーザが遠回しに、『今はフレデリカのことはそっとしておいてほしい』と言っているのがわかったからだ。
「じゃあ、玉ねぎ、刻むところからやりなおしたほうがいいですね」
 と鍋の中身を捨てたところで、
「フィリポ、ちょうど玉ねぎなら刻んだところだよ♪」
 赤城 花音(あかぎ・かのん)がいそいそと、刻み玉ねぎをボウルに入れて持ってきた。
「カレー作り、ボクたちも混ざっていい?」
 花音はそう言ってフレデリカを見た。恋のライバルとしては同等のつもりだが、割り込みや抜け駆けのようなことはしたくなかった。無論彼らに否やはない。かくて花音はそのパートナーリュート・アコーディア(りゅーと・あこーでぃあ)と共に、フィリップたちに加わったのである。
 フィリップが玉ねぎを炒め、そこに花音が人参、ジャガイモを加えていく。
「フィリポ知ってた? ジャガイモ、人参は水にさらして濁りを抜けば、灰汁引きが楽になるよ」
 花音も、今日のフレデリカが元気がないのに気づいていた。
 この機にフィリップを独占し、彼の気持ちを自分に引き込むのが常套手段だろうが、花音はそんなことはしない。ライバルかもしれないが、友達でもあるのだ。(「フレデリカさん……色々と事情があるみたいだけど……少しでも! 意志を強く持ってね!」)と、彼女を元気づけるように明るく告げた。
「今日はね、ちょっと変わり種カレーにしたいんだけどいいかな☆」
「変わり種といいますと?」
 というルイーザに、
「これを……使います」
 リュートが紅茶の葉を取りだして見せた。
「紅茶カレー??」
 ルイーザが目を丸くすると、
「間違えました。似ていたもので……」
 リュートにしては珍しことだが、彼は少々照れくさげに、
「こちらです」
 乾燥ひじきを出して来たのであった。花音が言葉を継いだ。
「作るのは……特製和風黒カレー!」
 ひじきがポイントなんだ、と言う。彼女は手早く生姜と玉葱のみじん切りとでひじきを炒めた。
「薬味と炒める事で、ひじきの臭みを消すんだよ」
 ひじきカレーの肉は鶏ささみ、下味にはめんつゆを使い、林檎と蜂蜜で有名な某カレールゥの辛口で作るのだという。
 フランス人のフィリップだが、最近はひじきにも親しんでいるとのことで興味津々のようだ。
「ミネラル分って不足しがちですからね。カレーで取れるのはいいと思います」
「良かった。フィリポがひじきを怖がったらどうしようかな、と、ちょっと心配だったんだ!」
「もずくなんかも最近は食べるようにしてます……ポン酢がちょっと酸っぱいのだけは慣れませんけど」
「そうそう」
 と花音はてきぱきと調理をすすめつつ言った。
「フィリポに聞いておきたい事があるんだ。お母さんの得意な料理は何かな?」
「私も知りたいな」
 家族の話になってフレデリカはまた胸が痛んだがあえて聞いた。彼のことなら何でも知りたかった。
 フリッカが聞いてくれてる……そのことが嬉しかったのか、フィリップは元気な声で言った。
「ええと、母はそれほど料理が得意なほうではなかったと思いますが。フランスでは一般的な家庭料理をたくさん作ってくれました。ポタージュスープとか、カニクリームコロッケとか、あとは、エビとホタテのムースなどが好きでした」
 話しながらフィリップは目元が弛んでいた。故郷が懐かしくなったのだろうか。
 カレー作りは進んだ。鼻歌を歌いながら花音が鍋をかき混ぜている間、フィリップはルイーザとサラダ用の野菜を切ることにする。
 小声でルイーザがフィリップに呼びかけた。
「あの……フィィリップ君、できたらこれからもフリッカの力になってあげてくださいね? あの子、あれで意外と打たれ弱いですから……」
 はっとなったような顔をフィリップは一瞬浮かべるも、軽く首肯するにとどめた。
「……はい」
「お皿は……こんなものでよろしいでしょうか……」
 次にリュートがやってきて、示し合わせたものでもないのにルイーザはそっとその場を離れた。リュートからもフィリップに言いたいことがあると察知したのだろう。
「率直に聞きます……花音に苦手意識はありますか? お姉様の誰かに印象が似ている? と……花音はずいぶん気にしていたりします」
 フィリップは目を丸くして、
「いえ、姉に似ているということはありません。それに、花音さんのことが嫌いというわけではありません。たしかにちょっと圧倒されることは……ありますが、花音さんの元気さは眩しいくらいです」
「良かった」
 一言告げてリュートは立ち去った。
「フィリップさんになら……花音を託せると思います」
 というリュートの微かなつぶやきは、フィリップに聞こえただろうか。

 白い皿をならべる。試食用の小皿だ。
 テーブルに花柄のテーブルクロスを敷く。秋を感じさせる薄茶のクロスを。
(「やっぱり、来て良かった……」)
 フレデリカはいつしか、世界がまた色を取り戻しつつあるのを自覚していた。
 哀しみが消えるわけではない。
 兄を喪った心の傷は、永遠に彼女の一部であろう。
 いま、こうして働いている間にも、ふと頬を涙が伝っており、フレデリカはそれを拭っていた。
 それでも自分にはルイ姉――頼れるルイーザがいる。セドリックの死は、彼の恋人だったルイーザにも大きな傷を残しているだろうに、彼女は明るく振る舞ってくれる。
 友達の赤木花音がいる。パートナーのリュートともども、いつだって優しく接してくれる。
 イルミンスールの友人たちもいる。たくさんいる。
 そして、大好きなフリッカ、つまりフィリップ・ベレッタがいる。フィリップはとうに、自分のことに気づいているだろう。今日、彼の瞳に、気遣ってくれるような温かさを何度もフレデリカは見た。
 すぐに立ち直るのは無理だと思う。いや、『立ち直る』ということ考え自体、無理だ。
 だけどこの哀しみ、心の傷と、共に生きていく方法を見つけていきたい――そうフレデリカは考えていた。
「いい匂いがしてきたね」
 鍋の前のフィリップに彼女は呼びかけた。
「もうすぐできますよ」
 彼は微笑した。