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●桜並木に春が降る(5)

 時間が過ぎるにつれ、舞い落ちた花弁が並木道を満たし、ほの白くかつほの温かいカーペットが、敷きつめられたようになる。
 それでも頭上の桜はまるで尽きることを知らぬかのように、鮮やかなるものを枝一杯に咲かせているのだ。見上げても桜、足下も桜、降りきたるものもすべて桜――まるで絵の中の光景である。
「お、桜満開じゃねぇか。来てみるもんだな」
 腕組みしてベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)はこの桜一面の世界に頬をゆるめた。
「マスター、桜並木って凄い綺麗ですね!」
 応じるはフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)、彼女は瞳に情熱の光を帯び、この光景がまるで、自分に与えられたとっておきのプレゼントであるかのように喜んだ。
「私、今まであまり桜を眺めることがなかったので、この度はご一緒できて嬉しいです!」
 そうかい、とベルクは黒い瞳絵で笑んで、
「そういや俺も最後に観たのがいつだったのか……。そもそもお花見した事があるのか覚えてねぇわけだが」
 いいもんだな、と言った。
 ベルクはふとフレンディスを見る。彼女の無垢なる姿を。
(「お世辞や社交辞令で言ってるわけじゃねぇようだな。ま、そもそもそういう腹芸ができるフレイじゃないが」)
「マスター、どうかしましたか?」
 視線に気づききょとんとするフレンディスに、
「いや、どうもしねぇ」
 空咳して彼は答えた。
 実は……未だにフレンディスは超感覚の発動をコントロールしきれていないようで、喜怒哀楽に応じて無意識にこれを発動させてしまうことがしばしばなのだ。現に今も、満開の桜を目の当たりにした喜びと驚きゆえか、頭に出てきた耳と腰の尻尾をピコピコさせている。とりわけ尾がせわしなく左右する様子は愛らしく、本人曰く狼なのに、その挙動はどうにもこうにも犬っぽいのだった。
(「うーん、これで自覚症状がない、ってところがフレイらしいというか……まあ、簡単に考えていることが読めるから俺は楽でいいけどな」)
 このとき自分に向けられた意味ありげな視線を感じ取ったらしい。フレイは唇をとがらせて言った。
「あ、マスター、また私を見ましたね? 本当に何もないんですか?」
「いや、何もねぇぞ。うん」
 ベルクも見落としていることがあった。
 それは、己の状態には鈍感なフレイも、ベルクの視線にはびっくりするほど敏感だということだ。
「これで帰るのもなんだ。ちょっと、歩いていかないか?」
「いいんですか!?」
「いいも悪いもないだろ、言った通りだ。ほら、足下が桜で埋もれてるからって転ぶなよ」
 桜舞う中、かくて二人はどことなく寄り添うような、それでも手を握りあうにはまだ遠いような距離で並び歩いた。
「思えばパラミタに来てまだ半年なのですよね」フレイが言った。「皆様のお陰で充実した毎日を過ごせているためか、大変長い時間ここで暮らしているような気がします」
「そういやまだ、そんなもんか」
「任務続きだったせいもあるかもしれません。今日だって護衛任務ですし」
 狼耳を寝かせた状態でフレイは言うのだ。
(「やっぱり任務だと思ってやがるな、この娘は……」)
 ベルクの口元に苦笑いが浮かんだ。
 まあ、彼女の思いこみの強さは承知している。この言葉も予想の範囲内だ。
 だからといってどう言えばいいのか、それは彼にもわからない。
「任務じゃない。デートだ」
 とでも言えばいいのか? 言えるのか?
 それができる自信は……ない。少なくとも、今はまだ。
「でも」
 と、フレイがその言の葉で、ベルクの思考を中断させた。
「でもやっぱり、ずっとここで暮らしていたような気がするのは……ここを故郷のように思えるのは、そう思える程に楽しい日々を送ってきたからだとおもいます。えぇと……その」
 また、彼女の耳と尾がひこひこと踊った。上目づかいでフレイは告げたのである。
「私は……、マスターに出会えて本当に良かったです」
 少女は時としてその目線と囁きだけで、男の胸を貫けるものだ。
 このときのベルクがまさにその状態だった。
 ――伝えたい。
 ベルクははっきりと自覚したのである。
 誓えというのならこの桜に、春の訪れに、誓おう。
 近いうちに必ず、フレイにこの胸の内を明かすと。
 だから彼にとってこの日は、特別な春の一日となった。
 願わくば彼女にとっても、そうあらんことを。

「写真、ですか」
 桜並木を歩きながら、ウィラル・ランカスター(うぃらる・らんかすたー)は六花の髪についた花びらを指先でつまみつつ問い返した。
 当の雪住 六花(ゆきすみ・ろっか)
は、楽しみが抑えきれない様子で、瞳をきらきらさせながら話を繋ぐ。
「ええ、これから毎年、春になったら二人で写真館へ行って写真を撮りたいの。後で見たときに、きっと楽しいと思うわ。この時はこんな髪型だったねとか、この服は本当にお気に入りだったなぁとか」
 残酷な言葉だ。
 ――毎年、写真を残していく。
 無邪気に微笑む彼女は、それがどういう意味かわかっているのだろうか。
 鋭利なナイフで切り刻まれているように感じる。
 ウィラル・ランカスターは吸血鬼だ。
 不老不死である吸血鬼にとって、数十年しかない人間の一生などあっという間である。
 それこそ、咲き誇ったと思えばすぐに散ってしまう桜に似ている。
 春の日差しに、そのどうしようもない遠さを思った。いつのまにか拳を握りしめている。
「ウィラル?」
 促すようなその声音に胸を締め付けられる気持ちになりながら、ウィラルはかろうじて言葉を吐き出した。
「六花……その写真の中の私は、私だけは……年を取らないのですよ?」
 舞い散る桜に手を伸ばしても、むなしく空を掴むだけだ。
 自由な魚のように、時を駆けていく彼女。
 碇を落とされた船のように、置いていかれる自分。
 同じ空間を共有するのは一瞬、魚と船の距離は開いていくばかりだ。
 ……すいすい泳ぐ銀の魚は大海原に、あっという間に見えなくなってしまうことだろう。
 しかしウィラルの声に、六花は屈託なく返した。
「そんなの当たり前じゃない」
 と。
「だってそうでしょ? 私は地球人で貴方は吸血鬼なんだもの。でも私は、ずっと一緒にいたいって思ってるわ。もしウィラルもそう思ってくれているなら、どうしてそれが悲しいことなの?」
 思いがけないその言葉に、ウィラルは声を奪われる。
「確かに、私がしわくちゃのおばあちゃんになっても今のウィラルの隣で写っていたら、ちょっと格好がつかないかもしれないわね……でも大丈夫よ。そんなこと気にならなくなるくらい、毎年の楽しみになるわ♪」
 手を開くと、風に遊ぶ花びらが舞い込んだ。
「……ええ、そうですね」
 ウィラルはようやくそれだけ言って微笑むと、その花びらを愛おしそうに見つめた。