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リアクション
一章 第二幕、開演
霧の隙間からかすかに見える夜空には、何倍にも膨らんでいる少しばかり欠けた月が浮かんでいる。
ぼやけた月の明かりは優しく刻命城を輝かせ、屋根の上で佇む愚者をも煌々と照らしていた。
「しかし、君も色々と舞台に手を加えてしまって、傍観者ではなくなってしまったな」
刻命城の屋根の上でもう一人、月光に当てられる者である長尾 顕景(ながお・あきかげ)は穏やかな笑みを浮かべ愚者に話しかけた。
「ええ、どうやら今宵招かれた役者達は名優ぞろいのようですから。
良ければ、貴方様もどうでしょうか? 舞台の上で踊るのも悪いものではありませんよ」
「いいや、お誘いはありがたいが遠慮しておくよ。私は最後まで見るだけに徹する」
顕景は愚者の傍まで歩いていき、眼下に広がる孤島の景色を眺めた。
先ほどまで激しい戦闘が繰り広げられていた所為か、島の至る所に赤黒い血液が飛び散り、焼け焦げ、壊れた武具や建物の破片が地面に突き刺さっている。
「兵(つわもの)どもが夢の跡。それは一時の夢と消え、今では草が生い茂るばかり、というところか。
……戦いの後というのは今も昔も等しく空虚なものだね。まるで嵐の過ぎ去った後のようだ」
「ええ。しかし、戦いということ自体は愚かではない。なぜなら争うことはただの手段にすぎず、目的のための道のりに過ぎないのですから」
顕景の静かな呟きに、愚者は気味の悪い微笑を浮かべ答えた。
それは人間の笑みとはどこやら違う。血の重さ、とでも言おうか、生命の渋さ、とでも言おうか、そのような充実感はひとつもない。
羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして笑っているのだ。
「へえ……君はこの刻命城を相手に役者達は戦っているのに、そんな客観的な感慨を抱くのか」
顕景も負けず劣らず底知れぬ笑みを返し、意味深な言葉を言い放った。
愚者は表情一つ変えず、気味の悪い笑顔のまま答える。
「……言って分からぬ相手に筋を通したいのなら、力ずくで言うことを聞かせるしかないでしょう」
愚者のその言葉に、顕景は穏やかに微笑した。
愚者も同じように異様な笑みを顔に貼り付け、片手を前にして腰を曲げる。
「では、私はこれにて失礼させていただきます」
「ああ。私は君の役者ぶりを拝見させてもらうよ」
ぼやけた月明かりに生まれる少しばかりの影に、愚者は溶け込むように消えていった。
――――――――――
「あれは自らを愚者と言った」
数多の契約者たちが城内へと進むなか、無人の孤島の対岸にメンテナンス・オーバーホール(めんてなんす・おーばーほーる)はいた。
メンテナンスは愚者の居なくなった屋根を見つめるのを止め、果てなく長い時間を経験した所為で古びた刻命城へと視線を移す。
「そして刻命城の従士達はそれぞれ「魔術師」「征服者」「剛殻」「隠者」「正義」「死神」「節制」「悪魔」「塔」「月」の称号を持つ者達。
……つまり愚者を含めれば足りない物もあるが、それらはタロットカードの絵札と同じということだ」
メンテナンスは顎に手を添え、思考する。
「そこから考えられるのは刻命城とは彼らに合わせると「世界」、死した者を生き返らせる魔剣が正位置で復活の意を持つ「審判」、そして現在その所有者のフローラが「皇帝」」
メンテナンスは刻命城から視線を外して、壊れた入り口から城内へ侵入を試みる契約者達に注視した。
「愚者の言う役者……つまり契約者が正位置で希望の意を持つ「星」ということなのではないだろうか?」
メンテナンスのその問いに答えてくれる者は誰もおらず、吹きすさぶ風に流されて消えていく。
「答えてくれる者はいない、か。当たり前だな」
「……そりゃ、愚者本人に聞きませんと」
メンテナンスの独り言に、鳳 美鈴(ふぉん・めいりん)がどこか呆れたように反応する。
そして美鈴は彼の傍まで近づき、その仮面を被った顔を見上げながら呟いた。
「で、あなたはどうするんですか。……もしかして、今回の劇に役者として参加するおつもりで?」
「……愚者はこれから起こることを第二幕といった。ならば私は愚者と同じくそのくだらないという昔話の演目を見守る傍観者……もとい観客でいい」
「見守る、ですか……」
メンテナンスの返答に、美鈴は青色の瞳を細めいぶかしむように彼を見た。
「まるで、このお話のなかの愚者ですね」
「……どういう意味だ?」
「傍観者として結末を見届ける、という点がですよ。あなたがしようとすることは愚者と同じじゃないですか」
美鈴の言葉を耳にして、メンテナンスの表情が変わったように思えた。
その表情が笑みなのか怒りなのかは分からない。なぜなら彼は、決して素顔を晒すまい常に仮面をつけ尚且つフードを被っているのだから。
「……俺は誰でもない」
素っ気なくそう返したメンテナンスは、美鈴から視線を外して刻命城を見つめた。
これから起こる第二幕を最後まで、見届けるために。
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