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リアクション
1
魔女、ディリアー・レッドラムの悪戯で女の子になりました。
そう、リンス・レイス(りんす・れいす)がかいつまんでクロエ・レイス(くろえ・れいす)に話すと、さすがのクロエも驚いたようだった。
「おんなのこなの?」
「信じたくないけれど」
喋ってみて気付いたのだが、声も若干高くなっている。元々中性的な声をしていたのだけれど、いまでは完全に女の子のそれである。
膨らんだ胸も、隠しきれる程度ではないし。
「だから、今日は工房、お休みに――」
しようか、と言いかけた時。
ドアを叩く音が聞こえた。目を向ける。
ああ、なんてタイミングの悪い。
――いや、まあ、いつものことか。
それに今回は、魔女が絡んでいるのだ。楽に一日が終わるなんて思えない。
早くも疲れた顔になりながら、リンスは「はい」と返事をした。
*...***...*
「ご、御機嫌よう……」
僅かに開いたドアの隙間から、雷霆 リナリエッタ(らいてい・りなりえった)は視線をめぐらせた。広がるは、数々の可愛らしい人形と、「こんにちは!」と微笑みかけるクロエの姿。
まったくこの子はいつ見ても可愛らしい。ときめきが高まって、工房に入るや否やリナリエッタはクロエの頭を撫でた。くすぐったそうに笑うのがまたなんとも愛おしい。
「こんにちはー、クロエちゃん。今日も見学させてね」
「うん! ゆっくりみていってね」
お許しも貰ったことだし、と工房の中を歩いて回った。
と、キッチンに人影。不審に思って覗いてみると、隠れるようにしてリンスが立っていた。
「? どうしたんですか、リンスさ……、……あ、あれ?」
声をかけながら近付いて、異変に気付く。
カーディガンを羽織っている、その胸のあたりが膨らんでいることに。
「じょ……女装、とかですか?」
「そんな趣味はないよ」
「ですよね。……えと、じゃあどういうことで……?」
けだるそうなリンスが言うに、『魔女』が退屈しのぎに性転換の魔法をかけていったということらしい。
「夕方には戻るらしいんだけどね」
説明を終えたリンスが嘆息する。
リナリエッタはこの事態に驚いたものの、冷静だった。
別に、リンスが女の子になったところで彼を(彼女を?)尊敬する気持ちに変わりはないし、だからどうしたとも思う。
それゆえ、頭が働いた。
「あの、リンスさん」
「?」
「今日、すぐ身体が変わったってことは、つまり……」
ああ、でも、こんなデリカシーのないことを言ってもいいのだろうか?
恥をかかせてしまわないか。あるいは、セクハラだとでも思われないだろうか。
どうしよう。言わなきゃいけないことだ。女である自分が、言ったほうがいい。
わかっていても言い出せないでいるリナリエッタの背後から、
「リンス様、大変失礼かもしれませんが……」
アドラマリア・ジャバウォック(あどらまりあ・じゃばうぉっく)の声がした。振り返る。
ちょっと待った。そう、目で告げる前に、アドラマリアは言葉の続きを口にする。
「……お胸用の、下着は?」
――言っちゃった!
再び振り返り、リンスを見ると。
「つけてない」
いっそ男らしささえ感じるほどにあっさりと言ってのけた。気分を害すことにはならなかったようだ、とひとまず安心。
……している間もなく、アドラマリアがリンスに詰め寄って、
「駄目です! 駄目駄目です!」
「だ、……え?」
「美しい身体を支えるもの。それはなんだとお思いですか?」
「さあ……食生活? 睡眠もかな」
「いいえ、外れです。答えは下着。美しい身体を美しく保つには、美しい下着が必要不可欠なんです!」
声高々に、言ってのけた。
アドラマリアは仕立て屋だ。仕立て屋として、見過ごせなかったのだろう。変なスイッチが入ってしまったらしい。
リンスはというと、困ったような顔でリナリエッタに視線を送っている。どうにかして。そう言いたいのが、手に取るようにわかった。
「ちょ、ちょっとマリア、」
止めようと声をかけるも、
「工房にワイヤーとレースはございませんか? 私、仕立ててまいります」
スイッチ全開の彼女は止まらない。
「こら! リンスさん、困ってるでしょ!」
「ああリナ様。丁度良いところに」
「さっきからいたわよ!」
「下着を作る参考までに、リナ様の今日おつけになられているブラジャーを見せてください」
「……は?」
「ささ、すぐに。時は一刻を争うのですよ? 殿方が工房へ参られたらどうなりますか? リンス様は、下着無しで応対されることになるのですよ?」
「いや、う……そ、そうだけど。そうだけど!」
――リンスさんの前だし! 下着を外して渡すなんてそんな真似!
出来るわけない、嫌だ、と首を横に振りながら後ずさった。
が、アドラマリアは問答無用で間合いをつめてきた。そのまま、抱きつくようにリナリエッタを捕まえる。
「あっ……、い、嫌っ! いやあぁぁあああぁああ……!!」
リナリエッタやアドラマリアが何をしているのか知らない南西風 こち(やまじ・こち)は、一人工房の中を見て歩いていた。
すると、前方ほんの数歩の距離。クロエが立っているのが見えた。とことこと、近付いていく。
完全に近付く前に、クロエはこちの方を向いた。にこり、微笑みかけてくる。
「こちおねぇちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
挨拶を返すのは礼儀だから、としっかりお返事。
何を話すつもりでもないが、こちはクロエの横に並んだ。人形を見る。途中、ちらりとクロエを見た。クロエも、こちを見ていた。
「リンス様は女の子に、なられたのですね」
「うん。そうみたい」
「マスターは言ってました。女の子の、胸は……」
「むねは?」
「大きいほうが、ロマンがある」
リナリエッタの胸と、リンスの胸。
どちらが大きいかなんて、比べるまでもなく。
――マスターの勝ち、なのです。
リナリエッタの勝利はこちの勝利。ふふん、と胸を張ってみせると、クロエが言葉に詰まったような顔をした。
「ひんにゅうはステータスだって、おともだちのおにぃちゃんがいってたわ」
「それは一部のマニアに受けているだけなのです。それに、リンス様は貧乳と言うほど小さくもありませんでした」
「むう……」
「こちの勝ち、なのです」
「まけだわ。……でもこれ、なんのしょうぶなのかしら」
それはこちにもわからない。
ただ、クロエにはなんとなくライバル意識があるから。
「こちの勝ち、なのです」
と、繰り返してみた。
「つぎはまけないからねっ」
「いつでもかかってきなさいなのです」
ちびっこ二人が謎の対決を終えた頃には。
アドラマリアは、一対の下着を完成させていた。
甘いピンクをベースにして、白と濃いピンクのレースで華やかさを演出した、愛らしい下着。
「出来ました。どうぞ!」
「……いや、あの。……下も替えるの?」
「もちろんです。これで一揃いなのですから」
「なんか、俺、男として大切なものを失っていく気がする」
「あら、今は女性なのですから平気ですよ」
「うん、いやそういう問題じゃなくてね? ……ああもうなんでもいいや。どうにでもなれ」
最後の方はやけっぱちに聞こえたが、着けてくれるなら文句はない。
「お似合いになりますよ」
「ありがとうって言うべきなんだろうけれど、喜べない」
「結構です。仕立て屋としてのお節介ですから」
今となっては、少しやりすぎてしまっただろうかと急に弱気になるくらい。
リナリエッタから下着を剥いだり、随分と大胆なことをしてしまったものだ。
「どうしても、見過ごせなかったんです」
「まあね。そういう気持ち、わかる」
呟きを、思いがけず肯定されて目を開く。
「わかりますか?」
「俺だって職人だから。ちょっと強引すぎるかなって思うけどね」
「そこは、反省です」
小さく笑って、リンスが席を立った。下着を着けてくるらしい。アドラマリアも立ち上がる。
リナリエッタに謝罪とお礼をするために。