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リアクション
2
工房を訪れたクロス・クロノス(くろす・くろのす)は、すぐに違和感に気付いた。
とはいえ、挨拶の言葉が「お久しぶりです」だったくらいにご無沙汰していたため、数秒その違和感を覚えながらも気付けなかった。
まじまじとリンスの顔を見、
「……なんだか、顔つきが柔らかくなっていませんか?」
思ったことを口に出す。
顔つきだけでなく、全体的に柔らかい。
「なんというか……女性っぽい?」
「だって今俺、女だもん」
「ええ? どういうことですか」
そうして、今朝からのいきさつを聞いて。
大変でしたね、と頷く一方、
「カメラを持ってくれば……」
と呟かずにはいられなかった。
「そうすれば、女性のリンスさんを記録出来たのにっ」
「記録してどうするの」
「ふふ、それは秘密です」
「やだなあ」
「大丈夫、冗談ですから」
あくまでにこにこと、相手の気分を害さぬように。
「笑顔だから嘘か本当かわかりづらいや」
ただしそんな弊害も生みながら。
どっちでしょうね。飄々と答えて、クロスはクロエに歩み寄る。
「こんにちは、クロエちゃん。今日はあの日の約束を果たしに来ました」
「うん! まってたの!」
頷くクロエは、既にエプロンを着用しておりやる気満々といった様子。
あの日の約束。
それは、もう随分と前になる。一昨年のハロウィンの日のことだ。
一緒にケーキを作りながら、料理を教えてあげると約束した。
「遅くなっちゃいましたけど」
「だいじょうぶよ。それに、おぼえていてくれたことがうれしいの」
「忘れるものですか」
「ふふー。ありがとうっ」
「では、リンスさん。クロエちゃん、お借りしますね」
リンスに向けて手を振って、クロスはクロエの手を取ってキッチンへ入る。
*...***...*
「……ここの主人って、男だって聞いたけど」
人形工房の玄関先、開かれたドアから中の様子を窺いながらリアン・アルタートゥーム(りあん・あるたーとぅーむ)は呟いた。
中にいる子は、リンスは、どう見たって女の子じゃないか。
「女顔だけど男だからねー、って言ってたくせに。謀ったわね」
情報源となった人物は、まあ信用できる方ではないから驚きも大してない。どうせからかわれたのだろう。むしろそうであってほしい。だってあんなに可愛い子が『いえ実は本当に男なんです』とか、
「……へこむわ」
先読みして落ち込んでいたら、いきなり頭を叩かれた。
「何一人百面相してるんだよ」
振り返ると同時、吉崎 樹(よしざき・いつき)が呆れた顔で言った。
「あの身体つきで男ってことはないだろ。妹さんだとかお姉さんだとか、そういうオチじゃないの」
なるほど。それはそれで、
「……アリね!」
思わず握り拳を作ると、今度は冷めた目をされた。
「いいから入るよ。これじゃ俺たち不審者だ」
こんにちは、と挨拶をしながら工房に入る。いらっしゃいませと素っ気無く言ったのは、暫定妹さんだった。
工房内には、件の暫定妹さんと、それから来客が数名見えるだけ。人形師の青年、はどこにもいない。
「樹」
どうするの? とリアンが問いかけてきた。……どうしようか。樹は今日、人形師に会いに来た。修理が必要になった人形を治してもらうために。
出直す? 一瞬そんな考えも過ぎったが、すぐに選択肢から消えた。タシガンから、人形工房があるヴァイシャリーまでは相当な距離がある。無駄足になってしまうのは嫌だった。
――まあ、妹さんでもなんとかなるだろう。多分!
都合の良い願望だと理解しつつ、樹は少女に歩み寄る。椅子に座った彼女は、静かに黙って樹を見上げた。
「えっと。人形を治してもらおうと思ってきたんだけど」
「わかった。貸して」
樹の頼みに躊躇うことなく答え、人形に手を伸ばす。
ごく自然に、さも当たり前に、まるでいつもしているように。
直感的に、なんだか変だな、と思った。
「えー……っと。……妹さん……なんだよね?」
なので、問い掛ける。問いに彼女は一瞬きょとんとした顔をして、それから「ああ」と得心いったように頷いた。
「いや。俺が人形師本人」
「男だって聞いてたんだけど」
君の見た目は女の子じゃないか。
後方では、「現実ってこんなものね」とリアンが一人百面相を再開していた。
どういうことかと、失礼ながらまじまじと見ていたら、
「今朝方、知り合いの愉快犯が『面白そうだから』って理由で俺を女にしていきました」
説明してくれた。
「それは……あー、……なんというか、ご愁傷様、だ。……南無」
「夕方には戻してくれるらしいよ」
「ああ。ならまあ、よかったね?」
「どうかなあ」
ゆるい調子の会話を交わしていると、
「夕方までは女の子なのね?」
突然リアンが声を上げ、つかつかと歩み寄ってきた。あ、なんかするな、とまたも直感で解し、一歩引いておく。
「らしいけ、」
リンスの言葉を遮って、リアンがリンスに抱きついた。
「……いや、……え、何これ」
当然ながら、リンスは戸惑っている。
「だって今だけなんでしょ女の子なのって! ぷにぷにさせて! ぷにむに!」
「ちょっとよく考えて。今は女かもしれないけど、根本的に男なんだよ。男に抱きつくってどうなの」
「今女の子なら構わない!」
「とんだ刹那主義だな。ちょっと、パートナーなら止めてよ」
助けを求められたが、樹は樹で忙しかった。
――デジカメ、今日持ってきてたよな。どこしまったっけ?
女の子の姿のリンスなんて、滅多に見られるものではないし。
なにかこうして残しておけば、使えるかもしれない。何に、とは言わないが。
「きゃーうわーお肌すべすべ! きめ細かい! 羨ましいー」
「頬擦りやめなって。俺男なんだって」
「今は女の子!」
「もうそれ最強の呪文みたいになってるじゃない」
「あ、そうだお洋服を用意してあげる! ここ、ヴァイシャリーの街外れって言ってもそんなに離れてないものね。ちょっと走ればすぐよね。夕方なんて余裕で間に合うわね」
「嫌な予感しかしない」
「可愛いお洋服を着ましょう! メイド服とか絶対似合うわ!」
「似合ってたまるか。ちょっと本当止め――……なんできみカメラ構えてるの。あーもー、やめてってばー……」
*...***...*
リンスが大変なことになっている、丁度その最中。
クロエは、キッチンでキッシュを作っていた。
「ぐ、いためたー」
「粗熱が取れたら型に移しましょう。生地はちゃんと敷けていますか?」
「うん!」
型には、教えられたようにパイシートを敷いておいた。フォークで数箇所穴を開けることも忘れていない。
粗熱を取っている間に卵と牛乳、チーズを混ぜた液を作り、冷めた具を型に移したら卵液も流し入れる。
「あとは、チーズを乗せてオーブンで焼けばできあがりです」
「オーブンにおまかせねっ」
温めておいたオーブンに入れて、スタートを押す。焼けていく様を見ていたら、
「手際、良くなりましたね」
隣に立ったクロスが言った。
「リンスのごはん、つくったりしているからかしら。かんたんなものばかりだけど」
「作ってあげてるんですね」
「だって、じぶんじゃしないもの」
「あらあら」
「でもいいの。わたし、おりょうりすきだから。たのしいもの」
自分でもできることがある。
作ったものを喜んでくれる人がいる。
どちらもとても、嬉しいことだ。
「だからね、こうしてつくったことのないりょうりをおしえてもらうと、すごくうれしいわ」
「そうですね。今日は初めてだったから簡単な料理にしましたが、徐々に手の込んだ料理も教えていきましょう」
「たのしみ!」
焼き上がるまで、あともう少し。
工房には、いくつかの人の気配。
作っている間に来客が増えたのだろう。楽しそうな雰囲気がする。
「できたて、みんなにたべてもらうの!」
「私も提案しようとしていたところです。きっとみんな、喜びますね」