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リアクション
7
テスラ・マグメル(てすら・まぐめる)とリンスが顔を合わせるのは、幾日ぶりだろう?
――確か、最後に会ったのが病院でだから……。
もう、一ヶ月も前になるのか。
最後に交わした会話は、ちょっと、いや結構意地悪なもので。調子に乗ったと自覚もあるもので。
会わない日が続いた分、顔を合わせづらく感じていた。
――最初の一言さえ、しっくりいけばな……。
さあ、なんて声をかけようか。
クロエが工房に来てから三年になるから、それを記念にと言ってみようか。うん、たぶん、自然だ。大丈夫。
いざ対面せんと工房のドアを開けると、そこには。
「……なんで、そう厄介事に巻き込まれるんですかね」
――話しかけるきっかけをありがとうございます、って魔女さんに言えばいいのかしら。
指先で軽く眉間を押さえていると、リンスがこちらに気付いたようだった。ひらり、軽く振られる手。応えて、傍に寄る。
「こんにちは。……また、何か大変そうですね」
「うん。困ってる」
「その割には慌てていないみたいですけど」
「慌てても仕方ないしね。夕方には戻るらしいよ?」
「魔女さんの気まぐれで?」
「そう。気まぐれで」
あの人らしいといえば、らしいのだろうか。
――それにしても。
テスラは、リンスの姿を見た。失礼にならない程度に、でもしっかりと。
少し丸みを帯びた身体のラインは、どうしてまあ。
「…………」
黙り。自分の胸を、見る。
……平たい。
「……なんで私よりあるのかなぁ」
「何が?」
「いえ、何も。……はぁ」
リンスは、スタイルだとかなんだとか、そういったところはあまり気にしないかもしれないけれど。また、テスラだって普段は気にしないけれど。
――現実に見せられると……。
ため息しかでなかった。それも、よりにもよって自分が好いている相手よりない、というのは、ちょっと。
「大丈夫だよ」
「何がです?」
「なんとなく。悩んでそうだったから」
「あはは。……大丈夫ですかねー?」
「うん」
人によっては、無責任に思えるかもしれない言葉だったけれど。
なんだかちょっと、安心した。
「ねえ、リンス君」
「ん?」
「もしリンス君が戻れなかったら、私、魔女さんにお願いして男性にしてもらうのもアリかな、って思ったんですけど」
男性の声域に、興味ありましたし。
そう続けると、いっそうリンスが胡乱な顔をした。「やめなよ」と短く否定する。
「まあ、嘘ですけど」
「心臓に悪い嘘だな」
「いくら私より女の子っぽいとか、私より身長が低いとか、私よりフリルとか似合いそうだなって感じでも、」
「似合いたくないよ」
「リンス君は男の子、ですもんね」
微笑んでみせた。リンスは、黙り、それから「うん」と頷く。
かちん、こちん、と時計の秒針が時を刻む音が、工房に響く。
会話は、ない。
静かな時間の中で、テスラは考える。
「考えたんですけど」
そして、伝えることにした。
「私も、リンス君は男性でないと嫌です」
「色々言ってたのに」
「それとこれとは別ですよ」
机の上に置かれていた、リンスの手を取る。
――好きなんです。
「繊細だけど、しっかりと骨を張っている指とか」
今は、柔らかでしなやかな指だけど。
テスラが好きになったのは、リンス・レイスという男性で。
だから、やっぱり、元に戻って欲しくて。
「魔法って、王子様のキスで解けるのが定石ですけど」
ぽそり、呟いてみた。
リンスは、自分の指を見ていて発言の意図に気付いていない。
言っちゃえ、と思って後に続く言葉を口にした。
「……不束者ですが、私でよければ」
瞬間、ぱちりと目が合う。一気に恥ずかしくなった。顔が赤くなるのが、自分でわかる。握っていた手を離し、ばっと後ろを向いた。
「う……嘘です今のナシ!」
目を瞑ってかぶりを振って、次に目を開けたとき、魔女のあのひらひらの服の裾が視界の端に映った、気がした。
ほぼ同時刻。
マナ・マクリルナーン(まな・まくりるなーん)は魔女ことディリアーに花を差し向けていた。
一輪のカーネーション。魔女は、すっと受け取った。作り物めいた笑顔を浮かべながら。
「綺麗ね」
真偽のほどが定かではない言葉と表情。けれどマナは気後れすることなく、穏やかに微笑む。
カーネーションは、テスラがクロエとリンスに、と作ってきた花束から理由を話して拝借したものだ。
「もう直に夕方になりますが。今日は楽しめましたか?」
「どうかしらァ? もうちょっと、困った顔をしてもらいたかったのだけど」
「リンス様も、心が強くなられましたので」
「そうねェ。前までのぐずぐずしてるリンちゃんも可愛かったのに」
「ですが、今のほうが面白いと感じられているのでは?」
楽しみがいがある、と。
指摘すると、魔女はクッと笑った。今まで浮かべていた笑みよりも、感情のある笑いだった。当たり、なのだろう。
退屈だったのよ。
謡うように魔女が言った。
「ちょっとは楽しかったから、約束どおり戻してあげるわァ」
そして、微笑む。強い風が吹いた。ディリアーの長い髪が、風に揺れる。けれど、カーネーションの花びらは微動だにしなかった。
「五月の第二日曜日。今日、これを渡した意味はアタシを『母』と見立てて?」
「いいえ。貴女様を母だなんて失礼な」
「あら、そォなの。じゃァどういう意味かしらァ?」
「カーネーションの花言葉には、『あらゆる試練を見守る誠実』というのがあります」
善い魔女、にはお似合いですよね?
終始笑顔を絶やさずに言うと、やはり魔女も笑い。
「ありがとう。飾っておくわ」
彼女はそのまま、風に溶けるように消えていった。
ディリアーが居なくなると同時に風は止み。
日が落ち、オレンジ色に染まった空を鳥が横切った。
工房では今頃、また急に性転換が起きて戸惑っていることだろう。
ハーブティを淹れよう。飲んで、リラックスしてもらおう。そう考えながら、マナは工房への道を歩く。