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【四 オブジェクティブ暗躍の裏に】

 マーヴェラス・デベロップメント社の出張オフィスはシャンバラの各地に点在しているが、蒼空学園付近では、ツァンダの街のやや南の外れに近い位置に、石造りの建物を間借りして営業している。
 ヴィゼント・ショートホーン(びぜんと・しょーとほーん)は、その出張オフィスを直接訪れ、事前に連絡しておいた通り、エージェント・ギブソンとの面会を果たしていた。
「お忙しいところ、申し訳ありません。なにぶん、事が事ですので、ミスター・ギブソンにお話を伺うのが手っ取り早い思いまして……単刀直入にお聞きしますが、何故今回、デュベール家に直接情報を流すようなことをなさったので?」
 応接室に通されるや否や、ヴィゼントはエージェント・ギブソンを前にして、早速に用件を切り出した。
 遠回しないい方で腹の探り合いなどやってみても、恐らく時間の無駄であろう。であれば、いきなり要点から突っ込んだ方が早い――ヴィゼント自身、決して確固たる自信があった訳ではないが、苦手な腹芸に出て裏をかかれるよりは余程ましだ、という判断が働いたのである。
 対するエージェント・ギブソンはというと、ヴィゼントの直球勝負に敢えて応じるつもりなのか、こちらもかねてよりヴィゼントが疑問に感じていた点について、訊かれもしないのに自ら口を割ってきた。
「もともと、オブジェクティブそのものには然程の価値も見出していなかった我々ではありますが……今回は、というよりも少し前から、社の方針が変わりましてね」
 曰く、マーヴェラス・デベロップメント社としては、オブジェクティブの完全殲滅を企図している、というのである。
「オブジェクティブは、もとはといえば私共の技術の産物。それが各方面で損害を出しているとなれば、社の信用に関わる重大事ということになります」
「成る程……企業にとって、風評は極めて重要な問題と化すケースが多いですからな」
 そういう話であれば、マーヴェラス・デベロップメント社が本気でオブジェクティブ対策に乗り出すのも頷ける。ここでヴィゼントは更に、膝を進めて問いを重ねた。
「しかしそれにしても、情報の質といい速さといい、いずれも驚かされるものばかりです。矢張りオブジェクティブの生みの親として何か特別な情報源をお持ちなので?」
 これに対しエージェント・ギブソンは、幾分複雑そうな色を瞳の奥に浮かべて、ヴィゼントの強面を真正面からじっと見据えてきた。
「まぁ正直なところ、全部が全部、私共の情報網だけで奴らの動きを捕捉している、という訳でもありません。実は半分近くが、馬場正子様ルートなのです」
 これにはヴィゼントも、いささか驚きを禁じ得なかった。
 何故正子が、マーヴェラス・デベロップメント社を上回る情報力を持ち得るのか。
 だがそこには、確固たる理由が存在した。
「ここから先はオフレコでお願いします……実は、オブジェクティブのもととなった学習型コンピュータウィルスの作成者は、伊ノ木美津子という女性だという話なのです」
「伊ノ木……美津子……」
 半ば呆然とおうむ返しに呟くヴィゼントに、エージェント・ギブソンは更に続ける。
 伊ノ木美津子は馬場正子の無二の友人であったが、現在は行方不明であり、生死すら誰も把握していないのだという。
 その伊ノ木美津子の思念が、時折正子の意識の中に流れ込んでくるのだという。
 正子の意識に送り込まれる伊ノ木美津子の思念は、全てオブジェクティブに関する情報ばかりであり、正子曰く、美津子自身がオブジェクティブの殲滅を願っているようだ、という話であるらしい。
「伊ノ木美津子なる人物に関しては、私共は深く関与する意思はございません。ただ、馬場正子様からオブジェクティブの情報を頂ける以上は、利用させて頂く、というのが弊社のスタンスです」
「伊ノ木……美津子」
 ヴィゼントはもう一度、小さくその名を呟いた。

 一方、デュベール邸では相変わらずマダム厚子を囲むひとの数が後を絶たなかったが、中でもエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)の三人は異色中の異色であったといえる。
 この三人はいずれも、マダム厚子をレディーと扱う方針で臨んでおり、特に紳士道を究めんとするエースは、マダム厚子に対して『素敵なご婦人』などと、他者が口にすれば明らかに歯が浮いて総入れ歯状態になりそうな台詞を、顔色ひとつ変えずにさらっといってのけたりしていた。
 エースは、深紅の薔薇を両手一杯の花束に仕上げ、マダム厚子に手渡した。
 これに対しマダム厚子は、満面の笑みを浮かべて心底嬉しそうに笑う。
「あらぁん、こらまた嬉しいこと、いうてくれはるやないのぉ」
 エース達の貴婦人接待攻勢は、マダム厚子には余程に効果的だったようである。
 ここまでは、順当な流れであった。
 ところが。
「にぃちゃん気に入ったから、これあげるわなぁ」
 いいながら、マダム厚子がハンドバッグの中から取り出したのは、何故かラップでくるまれたベーコンの塊であった。
 エースは流石に驚きを隠せず、引きつった笑みでそれを受け取る。
「あの……これは、その……ベーコン、ですよね?」
「そやねん。昨日お隣のセベンテスさん家に遊びに行ったらなぁ、これ丸々一個もろたんや。折角やから、薔薇のお礼にこれ、あげるわぁ」
 よもや、薔薇の花束がベーコンの塊に化けようなどとは、これまでのエースの人生ではただの一度も無かったといって良い。
 それでもエースは、脂が染み出したラップの表面に嫌な顔ひとつ見せず、丁寧な仕草でベーコンの塊を受け取る。
 そんなエースの半端無い気合(?)に感化されたのか、メシエもエオリアも、『お嬢さん』或いは『麗しのマダム』とまでいい切りながら、紳士的に接しようとしていた。
 だが勿論、彼らとて意味も無くマダム厚子を淑女扱いしようと考えた訳ではない。そこには矢張り、彼らなりの目的意識がしっかりと根柢に流れていた。
「ところで素敵なご婦人。実はイーライさんのことでご相談が」
 エースは幾分調子を改め、リビングのソファーでくつろぐマダム厚子にかしずくような格好で、そっと膝を進めて曰く。
「イーライさんがネックレスを取り戻す為に怪物と対峙するかも知れないのですが、出来ればマダムにも、手を貸して頂けると有り難いのです」
「勿論その場合、お嬢さんにも、危険な場所ではあるけれどもご足労頂きたい、ということでお願いにお伺いした、という訳なのだが」
 エースに続いて、メシエが口添えする。
 この辺はもう、かなり思い切った感があるのだが、それでも彼らにしてみれば誠意を最大限に示した方であろう。
 すると、マダム厚子は。
「せやなぁ。私も最初からそのつもりやったけど、にぃちゃんらに乗せられて、もっと気合入りそうやわぁ」
 相当に苦戦するものかと思いきや、マダム厚子は端からイーライと共にネックレス奪還戦に加わる腹積もりだったらしい。
 エースとメシエは、どこか拍子抜けした様子で互いの顔を見合わせた。
 大阪のおばちゃんなる存在は、恐ろしく自分勝手で我儘だ、という変な先入観は持っていなかったが、しかしこうもあっさりとふたりの言葉を聞き入れられてしまうと、何となく仕事をし損ねたような不完全燃焼感が心の中に残ってしまった。
「そ、それではマダム、僕からはこちらの贈り物を……」
 いいながら、エオリアが持ち出してきたものは、何故かメイド向け高級セットであった。
 ところがマダム厚子は興味無さそうに軽く一瞥しただけで、それ以降は全くといって良い程に反応を示さなかった。
(うっ……し、失敗しちゃった、かな……?)
 エオリアはある意味、マダム厚子の性向を見誤っていた。
 マダム厚子は気の好い大阪のおばちゃんではあったが、メイドのように職業としてひとにかしずくようなことは、絶対にしない人物だったのである。
 あくまでも己の善意のみでひとを助けるのが大阪のおばちゃんであり、仕事、即ち何らかの強制力が働いて誰かの為に何かをしようというのは、絶対に有り得ない話であった。
(うむ……なかなか難しい年頃のお嬢さんだ……)
 メシエはものの見事に拒否されてしまったエオリアを、気の毒だとは思いつつも、しかしその一方で妙に納得した思いで眺めていた。

 しかし、デュベール邸に居るコントラクターの皆が皆、イーライかマダム厚子にかかりっきりかといえば、そういう訳でもなかった。
 例えば桐生 円(きりゅう・まどか)アストライト・グロリアフル(あすとらいと・ぐろりあふる)の両名は、デュベール邸にお邪魔してはいるものの、ふたりが真っ先に向かったのは故・メリンダの自室とされていた一間であり、そこでふたりは、諸々の調査に手を付けていたのである。
 円の場合、いの一番に知りたかったのは、何といってもレックスフットがメリンダの形見のネックレスを奪った理由、その一点に尽きる。
 何故レックスフットは、イーライではなく、ブランダルが所持している時を狙ったのか。或いはそれは単なるタイミングの偶然に過ぎず、もっと他に重要なポイントが隠されているのか。
 矢張り、ネックレスそのものに何かしらの意味が含まれているのか。
 一方のアストライトは、デュベールの家系、或いはデュベールに輿入れしてきたメリンダの実家の家系にポイントを絞って調べてはいるが、結局はネックレスそのものに行き着く可能性もあった。
 が、ともかくふたりして同じところを調べても仕方がないということで、アストライトは円と手分けして、それぞれの調査ポイントに神経を集中していた。
 朝早くから調査に着手し、もうそろそろ昼時を迎えようかという頃合いになって、アストライトはメリンダの輿入れ品目録一覧の中に、妙な記述を発見した。
「なぁ、お嬢ちゃん……これ、見てくれねぇか」
 アストライトが指差す目録一覧のその一角を、円は神妙な面持ちでじっと凝視する。
 そこには、『マインドプール:ネックレス』の一文が記されていた。
「輿入れ品って、普通、家具とか調度品を書くもんだよな? 何で、ネックレスみたいな装飾品がここに書かれてるんだ?」
 アストライトの疑問も尤もではあるが、しかし円の意識はそこではなく、マインドプール、という名称そのものにすっかり囚われてしまっていた。
「マインドプール……これ、聞いたこと、あるよ」
 円からの思わぬひと言を受けて、アストライトはぎょっとした表情を見せた。
「前にワイヴァーンズのスタインブレナーさんから、雑談の中で聞いたことがあるんだ」
 曰く、ツァンダの一部の貴族の間では、先祖の家訓を直接言葉として記録する為、思念波を格納する魔装具を家宝として受け継ぐ習慣がある、とのことであった。
 その、思念波を格納する魔装具というのが、マインドプールという名称で呼ばれているのだという。
「簡単にいえば、意識レコーダーってなところか……いや、ちょっと待てよ。意識ってのも、確か脳波の一種……」
 そこまでいいかけて、アストライトは口をつぐんだ。
 一方で円は渋い表情を浮かべながらも、大体の結論を既に導き出しているようであった。
「多分、これがビンゴ、だね」
 イーライには一応確認する必要があるだろうが、恐らく、メリンダの形見のネックレスというのが、この目録に記されているマインドプールそのものであろう。
 早速、この目録をイーライに見せて確認を取ろうとしたふたりは、室のドア付近に、いつの間にか何者かが佇んでいるのに気付いた。
 その姿を見た瞬間――円とアストライトは、全身が雷にでも打たれたかのような衝撃を覚え、その場に愕然と凍りついてしまった。
 ふたりの前に姿を現したのは、タキシードに身を包んだ長身の人物。
 それだけなら別段、驚く程のものでもないのだが、その首から上はふたりに恐怖と緊張を与えるに十分な要素を孕んでいた。
 その人物は、病的な程に真っ白な肌を持つスキンヘッドの男性であった。
 だが何よりも異様だったのは、首から上の至るところで、鋭い刃物の先端が皮膚の内側から切り裂くようにして、無数に突き出してきているのである。
 円は、この魔人の正体を知っていた。
「ス……スキンリパー……!」
「おめでとう、桐生円、アストライト・グロリアフル。君達は最初のゲームに勝利した」
 相変わらず非生物的な、どこか機械的な合成音を思わせる耳障りな声音を漏らしながら、スキンリパーは静かに微笑みかけてきた。
「な、何だ、てめぇ……何しにきやがった!?」
「君達に、更なるチャンスを与えよう。これは、ゲームだ。気楽に挑んでくれたまえ」
 スキンリパーの口からゲームなどという台詞が飛び出してきても、それが本当にただの遊戯であろうなどとは考えられる筈もない。
 円とアストライトは素早く臨戦態勢を取ったが、スキンリパーは相変わらず、優雅に佇むのみである。
「マインドプールは、私が新しく構築したフィクショナル・リバース内で預かっている。突破してきたまえ……これが、次なるゲームだ」
 それだけいい残すと、スキンリパーはまるで最初からそこに居なかったかのように、忽然と姿を消した。