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【六 河童軍団】

 さぁこれからいよいよ、敵の本拠地に乗り込もうかと皆が意気込んでいる傍らで、何故か冷やし中華をすする一団が出現していた。
「うん、やっぱり暑い時期は冷やし中華が美味しいよね〜」
 月美 あゆみ(つきみ・あゆみ)が中庭のテラステーブルでずずずーっと美味そうな音をたてて麺をすすっていると、傍らから森田 美奈子(もりた・みなこ)が、デジカメ片手に随分と近くまで顔を寄せてきていた。
 だが、美奈子の表情はいつになく生気が欠けており、ひと言でいってしまえば、どう見てもやる気が無さそうであった。
「あれー? 美奈子ちゃん元気無いね」
「にゃにゃにゃ。だったらミディーの、超せくしーなピンナップを激写するにゃ。そーすれば、元気百倍間違い無しにゃ!」
 ミディア・ミル(みでぃあ・みる)があゆみの声に反応して、上体を反らす仕草を見せながら自信満々な表情を向けるが、美奈子はただ黙って冷笑するだけで、一瞥すらくれようとはしなかった。
 これにはミディアも相当に腹を立てたらしく、顔を真っ赤にして地団太を踏んでいる。
「ふにゃー! 相変わらず失礼なカメラ娘にゃ!」
「まぁ、毎度のことで申し訳ありませんが、悪い癖だと思って放置しておいてください」
 アイリーン・ガリソン(あいりーん・がりそん)が美奈子の首根っこを掴まえて引きずり倒しながら頭を下げた為、ミディアも幾分、留飲を下げた気分で再び冷やし中華の皿へと顔を向ける。
「それにしても、ちょっとした初心者頑張れキャンペーンの筈が、とんでもない大事になって参りましたわね……」
 優雅な仕草で冷やし中華をすする姿に凄まじい違和感を発揮しながら、コルネリア・バンデグリフト(こるねりあ・ばんでぐりふと)がつと小首を傾げた。
 当初聞いていた話では、ここまで大変な事態に発展しようとは、誰も予想していなかった筈である。
 だが実際に蓋を開けてみれば、フィクショナル・リバースが出現するわ、スキンリパーが挑発してくるわ、おまけにまだ一度も遭遇していないオブジェクティブが二体も出てきそうだわで、ちょっとした地獄を拝めそうな勢いになりつつある。
「もうね、何でも良いです。男の護衛なんてね、適当にやっとけば良いんです。フリューネ様がおいでになられたら有り難く激写させて頂きますから、もうそれで許してやろうでございます」
 全身から負のオーラをまき散らしながらぶつぶついっている美奈子だが、デジカメを操る手だけは全く動きを止めようとはしない。
 ここまでくると流石に不気味に思えてならなかったのか、ひっつきむし おなもみ(ひっつきむし・おなもみ)が珍しく、微妙に顔を青ざめさせてアイリーンに視線で訴えかけてきた。
「ねぇアイちゃん。美奈子ちゃんの心と体が乖離しちゃってるよ。本能だけでデジカメ激写しまくってるよ」
「おや、それは……脳波を研究対象とするオブジェクティブとやらには、格好の撒き餌になりますね」
 アイリーンは美奈子を心配するどころか、囮にしようという発想に頭が傾いてしまった。
 するとおなもみが、冷やし中華の具材の中から胡瓜を箸先でつまんで持ち上げた。
「相手が河童ってんなら、やっぱ胡瓜に目が無いのかなー?」
「それはどうでしょう? 河童というのはあくまで外見の話であって、実際は電子映像ですから……」
 コルネリアの冷静な分析に、おなもみは一瞬微妙な表情を浮かべてから、箸先につまんだ胡瓜を口の中に放り込んだ。
 傍らでは、
「冷やし中華いぇーい!」
 などと嬉しそうに騒ぐあゆみが、周囲の白い視線を一身に浴びている。
 ところが、ひとりだけ例外が居た。
「何やて、冷麺食べてんの? そら美味しそうやないの」
 いつの間にかマダム厚子が、例の派手な格好で庭先に飛び出してきて、あゆみ達のテラステーブルへと一直線に駆けつけてきた。小太りの腹回りが、ぶよんぶよんと揺れていたのは見なかったことにする。
「わぁーい! マダム、とっても美味しいよ!」
 嬉しそうに応対するあゆみだが、一方の美奈子は露骨に嫌そうな顔を見せて、そそくさとコルネリアの後ろに隠れてしまっていた。
 そのコルネリアはというと、マダム厚子の台詞に興味を掻き立てられた様子。
「大阪では、冷やし中華のことを冷麺と呼ぶのですか?」
「んな細かい話、どうでもエエがな。私にもちょっと分けてぇな」
 コルネリアの話をあっさりぶった切ったマダム厚子に、美奈子は強烈な殺意を覚えたのだが、顔を見るのも嫌な相手なので、結局幽鬼のような視線をゆらゆらと送りつけるだけであった。
 マダム厚子は、優雅のゆの字も無い勢いで、豪快に麺をすすっている。

 中庭での冷やし中華祭りはさて置くとして、レックスフット討伐に意欲を燃やしていたエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)などは、スキンリパーや他のオブジェクティブが出現するとの報告を聞き、更なる闘志が全身に満ち溢れていた。
 エヴァルトは先発隊として、イーイラ達の本隊の露払いをすべく、ひと足先にデュベール邸を発っていたのであるが、移動を開始して30分も経過しない内に、早くも敵の方から近づいてきた。
「……来やがったか」
 なだらかな斜面を覆う、一面の緑。
 この穏やかな草原の景色を、粘液にまみれた濃緑の影が集団となって汚しているような錯覚を覚えさせる。
 濡れそぼった黒髪と、両生類を思わせる黒目がちな無機質な瞳、汚らしい涎のように粘液を垂らす嘴――どれをとっても、まさに河童そのものであったが、亀のような甲羅を背負い、摺り足で素早く前進してくる様は、見る者を不快にさせる不気味さに満ちていた。
「あいつらが、レックスフットか……」
 先発隊の一員に参加していたゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)が、腕を組んだまま、うむ、と小さく頷いているが、その傍らでは何故かグラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)が可笑しそうに笑みを必死に噛み殺していた。
 ゴルガイスは困った表情を浮かべながら、粘っこい視線をグラキエスに送る。
「グラキエス、そこまで笑わずとも良かろう」
「いや、済まない……でも、やっぱり無理だ……」
 しきりに顎を気にしていたゴルガイスの姿を思い出し、グラキエスはまたもや、我慢出来ないといった様子で小さく噴き出してしまう。
 実はこの少し前、ゴルガイスは以前戦ったオブジェクティブパイルファングの能力が一部発動するような感覚に襲われ、そのことをグラキエスに話していた。
 しかしグラキエスはというと、パイルファング――彼なりに訳すと飛来する牙、というところで妙に受けてしまい、ゴルガイスの歯が敵に向かって飛んでいくという図を想像しては、笑いが止まらなくなるという状態に陥ってしまっていたのである。
 ゴルガイス自身も、己の歯が一本残らず飛んで行ってしまっては堪らないとばかりに、しきりに顎を気にしているものだから、その仕草が余計にグラキエスの笑いを誘っていた。
「ゴルガイス……義歯職人には心当たりがありますので、どうかご安心を」
「エルデネスト、貴公までそういうことをいい出す訳か……」
 エルデネスト・ヴァッサゴー(えるでねすと・う゛ぁっさごー)の冗談めいたひと言に、ゴルガイスは心底、げんなりした様子でがっくりと項垂れた。
 しかし、敵はもうすぐそこまで迫ってきている。
 いつまでも呑気な空気の中で、笑いを浮かべているグラキエス達ではない。
「しかしあの数は、矢張りちょっと脅威だな」
 グラキエスは魔力の多用を、即座に決めた。
 彼の意図を察したエルデネストが傍らにすっと音も無く寄り添い、グラキエスのサポート態勢に入る。
 その一方で、エヴァルトと肩を並べて前衛に立つゴルガイスが、視線だけを振り向かせてグラキエスに頷きかけた。
「グラキエス、エルデネストの傍に居るのだぞ」
「まぁ、何とか調整してみるさ」
 ゴルガイスに笑いかけるグラキエスだが、実際のところはかなり辛そうであった。
 尤も、戦場に身を置いてしまえば、辛いだのしんどいだの、いっていられない。
「俺が最初に仕掛ける。仕損じた奴の始末を任せるからな」
 いうが早いか、エヴァルトは河童軍団のほぼど真ん中めがけて、一直線に駆け出してゆく。そのすぐ後ろに、ゴルガイスが続いた。
 エヴァルトもゴルガイスも相当な長身だが、レックスフットは更にその上を行く巨体であり、ふたりは体格で上回る化け物の群れの中へ、猛然と突っ込んでいこうというのである。
「バティスティーナ・エフェクト……認証完了!」
 口の中で小さく叫びながら、エヴァルトは更に突進速度を上げて切り込んでいった。
(オブジェクティブ共……絶対に、許さん)
 一瞬、エヴァルトの脳裏にピラー事件で悲しく散った盲目の少女の面影が、ぼんやりと浮かび上がった。
 あの時の怒りが、彼の能力を更なる高みへと昇らせてゆく。

 イーライの居る本隊にも、先発隊がレックスフットとの遭遇戦に入ったという連絡が飛び込んできた。
「うっ……は、始まったんですね……!」
 緊張の汗にまみれて喉をごくりと鳴らすイーライだったが、その背中を、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)が明るい声でどやしつける。
「ほらほら、何ビクついてんのよ! さっきちゃんと、レクチャーしてあげたでしょ? いう通りにしてたら、全部上手くいくって!」
「セレン……それは幾らなんでも、楽観的過ぎるわよ」
 イーライとマダム厚子の教師役として本隊に参加していたセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)だが、セレンフィリティへの突っ込みも依然として健在である。
 セレンフィリティもセレアナも、イーライが今後、コントラクターとして失敗しない為のノウハウをあれこれと教え込んでやっていたのだが、特にマダム厚子というある意味特殊なパートナーを持ってしまった運命に対して、どのように順応していけば良いのかという部分に力を注いでいた。
 逆にマダム厚子に対しては、ふたりが予想していた程の教授内容は無かったといって良い。
 確かにコントラクターとしてはまだまだ初心者のマダム厚子だが、それを補って余りある豊富な人生経験が、彼女を既に一人前のコントラクター然とさせる貫録のようなものを身につけさせていた。
 寧ろセレンフィリティやセレアナの方が、マダム厚子の深みのある言葉のひとつひとつに、妙に感心させられることの方が多かった、というのが実情であった。
「ま……教える相手がふたりからひとりに減ったから、やり易いっちゃあやり易いんだけどね」
 小さく肩を竦めながら苦笑するセレンフィリティだが、しかしセレアナはそこまで楽観視してはいない。
 実のところ、イーライ程ではないにしても、セレンフィリティとセレアナによるレクチャーを要する者が、この本隊にはもうひとり居た。
 月見里 九十九(やまなし・つくも)である。
 九十九自身も、己が新人コントラクターであることは重々承知しており、だからこそ、無理な突撃は控え、先輩コントラクター達と同じ隊に所属し、その教えを素直に乞う姿勢を見せていた。
「そもそも、レックスフットって何なんだ? オブジェクティブってのも、よく分からないんだが」
「そぉねぇ……こればっかりは、口で説明するより、実際に見た方が理解が早いだろうけどねぇ」
 九十九の疑問に、セレンフィリティは幾分困った様子で小首を傾げた。セレアナも同様で、この敵に関しては特に、百聞は一見にしかずという諺が強く当てはまるといえる。
 とはいえ、皿一文字事件は情報でしか知らないセレンフィリティとセレアナだから、レックスフットと遭遇するのは、実はこれが最初であった。
「ま……他のオブジェクティブよりは弱いって話だから、どうとでもなるって!」
「セレン……新人に厳しさを教える立場の者が、いきなり目の前で楽観論を吐きまくってどうするのよ」
 これは、セレアナが正しい。
 流石にうっと詰まったセレンフィリティは、話題を変えて誤魔化すのが得策だと断じた。
「あぁー、でもほら、たまには教導団の軍服で戦うのも、良いもんじゃない? 何ていうか新鮮な気分になるっていうかさ、初心に帰れるっていうか」
「えっ……ふたりとも、普段はどんな格好してんだ?」
 話題を変えてひと安心といく筈だったが、今度は九十九から見事に揚げ足を取られる始末。
 今日のセレンフィリティは、出だしからつまずきっ放しである。
 だが幸いにも、九十九の興味はセレンフィリティの日頃の服装から、すぐにメリンダの形見のネックレス、即ちマインドプールへと移っていた。
「けど、お前のネックレスがそんなに特殊なものだったなんてな……お前は、知っていたのか?」
「いえ……全然、知りませんでした」
 ただ単に、母メリンダの大事な形見だという意識しか無かったらしいイーライは、今回の件で初めてその重大性を知る格好となり、面子丸つぶれである。
 これには九十九も多少の同情を禁じ得なかったが、しかしセレアナはそんなイーライに容赦無く厳しい態度をぶつける。
「今はそんなことでくよくよしてる場合じゃないのよ。しゃきっとしなさい、しゃきっと。これから、命を削り合う戦いに入るんだから」
 命を削り合う、とはいい得て妙である。
 実際、フィクショナル・リバース内に足を踏み入れれば、己の意思をしっかり維持しないと、本当に命が失われてしまうかも知れないのだ。
 そんなこんなで、先輩コントラクター達から厳しく諭されながらも、イーライは先発隊が切り開いた道をどんどん進み、そして遂に、フィクショナル・リバースが構築されているという遺跡発掘現場へと辿り着いた。
 この直後に正子達の隊が到達するのであるが、更にその後にブランダル達の隊が続けて到着するということまでは、イーライはまるで把握していなかった。