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聖麺伝説

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<part3 インナースペース>


 峡谷に鳴り渡る咆哮。谷間から豪食竜が上昇してくる。
 六本木 優希(ろっぽんぎ・ゆうき)麗華・リンクス(れいか・りんくす)ミラベル・オブライエン(みらべる・おぶらいえん)は、山から宙に突き出た岩場の上で、小型飛空艇に乗って谷を見下ろしていた。各自の飛空艇の後部には、どでかいモヤシが縛りつけられている。
 麗華が豪食竜を見て目を光らせた。
「来たぞ、食材が。ネギがネギ背負ってな」
「来ましたわね。鍋焼きラーメンの具材が」
 ミラベルはうなずいた。
 彼女の飛空艇には、食材を収納するための鍋、瓶、リュックサック、ビニール袋などが積載量ギリギリまで積まれている。豪食竜の上下どちらから出られるか分からないので、万一に備えて食材をしっかり密閉しておかなければならない。
「あ、あの、皆さん? 飽くまでメインは麺屋さんの救出ですからね?」
 優希が不安そうに念を押した。
 麗華は自分の飛空艇で優希の隣に並び、優希の肩にぽんと手の平を載せる。
「ああ、分かっているとも」
「……分かっていただけましたか」
 安堵する優希。
「麺屋のご老人『も』助けるさ」
「全然分かってないです!」
 優希の不安は最高潮である。
 三人は小型飛空艇のアクセルを吹かし、岩場から飛び出した。豪食竜がモヤシの存在に気付き、飛翔してくる。三人は特に逃げもせず、ゆっくりと空を飛ぶ。豪食竜が大口を開け、三人を呑み込んだ。
 真っ暗な口内を、飛空艇のライトが照らす。巨大な舌が蠕動し、唾液が三人の膝辺りまで満ちている。
 上あごから滴り落ちてきた唾液が、ミラベルの口に流れ込んだ。ミラベルは目を丸くする。
「この唾液、絶品のグレイビーソースの味ですわ! 採取しなくては!」
 早速、飛空艇のエンジンを止めて降り、瓶に唾液を詰めていく。
 麗華は舌に刀を全力で打ち込んだ。体内は体外より装甲が脆いらしく、わずかに舌の肉が削げる。麗華は肉を拾って口に運んだ。
「こいつは噛めば噛むほど絶妙な味が染み出てくる。酒のつまみに最高だな」
 いそいそとビニール袋に集めていく。
 ――もうこの二人は駄目です……。
 優希は助力を期待するのはやめ、ペンライトをくわえて一人で喉の奥へと進んだ。


 優希たちが飛空艇で飛び立った岩場から、五十メートルほどの崖の上。
「じゃあ、僕がジローさんを連れて来るから、みんなで一流斉さんを助けにジローさんの口に飛び込もうね」
 崎島 奈月(さきしま・なつき)は笑顔で言った。男の子だが、ナース服形状の戦闘衣装を着ている魔法少女。要するに男の娘である。奈月の足元にはモヤシを持ったカゴが三つ置かれていた。
「私は別に人助けなんて興味ないんだけどね。噂のラーメンを食べたいから仕方なく助けに行くだけだよ。それと、食材ゲットにね」
 緋柱 透乃(ひばしら・とうの)がそっけなく答えた。
「私もラーメンのために頑張ります。透乃ちゃんが体内の食材を採りに行くなら、私は体の外を担当しますね」
 緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)も淡々としたものだ。
 ――シャイな人たちなんだなぁ。
 奈月はそう思ってニコニコしていた。箱入り育ちで人を疑うことを知らない奈月は、まさか緋柱婦婦が本気で麺屋一流斉のことをラーメン製造器ぐらいにしか考えていないなど、想像もしない。陽子が外に残ると言ったのは外からサポートするためだろうと良い方にとらえている。
「行ってくるねー」
 奈月はモヤシのカゴを一つ抱えて空飛ぶ箒にまたがると、崖から谷間へと飛んだ。ぐるりと辺りを回って感覚を掴み、豪食竜に接近する。
「はーい、ジローさん! ご飯だよー!」
 モヤシのカゴを放り投げた。空中に散らばるモヤシを、豪食竜はカゴごと呑み込む。これで、カゴには好物が詰まっていると認識してくれたはずだ。
 奈月は大急ぎで崖の透乃たちのところに戻った。追ってくる豪食竜。奈月は崖に置いていたモヤシのカゴを拾い上げ、豪食竜に投げる。豪食竜が大口を開けた。
「後でね、陽子ちゃん!」
 透乃が口に飛び込む。奈月も魔法の箒を急ターンさせ、豪食竜の口に突入した。顎が閉じられ、モヤシだらけの口の中で奈月は内壁にぶつかる。
「へにゃ!」
 顔を強打し、赤く腫れた鼻を押さえて魔法の箒から降りた。
「さあ、一流斉さんを助けに行――」
「胃壁か胃液! できれば心臓とレバーもだよ!」
 透乃はさっさと喉の奥に突っ走り、食道を火災時の脱出滑り台の要領で滑り降りていった。
 取り残された奈月は一瞬きょとんとするが、すぐにマイペースで跡を追う。きっと彼女はお腹が空いていて、早くなにか食べないと命が危ないのだろう。そう思った。


 透乃は胃袋らしき場所にたどり着いた。周囲では内壁がぎゅっぎゅっと収縮したり拡張したりを繰り返し、胃液がじんわりと染み出している。
 そこではミラベルが狂喜乱舞しながら胃液を瓶に詰めていた。
「採っても採っても出てきますわ! 極上の鍋焼きラーメンがたくさんできますわよ!」
「しばらくはつまみに困らないな……」
 麗華は大汗を掻きながら胃の内壁に斬りつけ、少しずつ肉を削いで鍋に収めていく。
「あー、先客かー。ねえねえ、麺屋のお爺さんいた?」
 透乃はミラベルたちに尋ねた。ミラベルは透乃をちらっと振り返り、採取作業にすぐ戻る。
「さあ? 見かけませんでしたわよ」
「そっか。やっぱり死んだのかな。まあしょうがないか。食材採って自分で料理しよー」
 透乃は一秒も経たず思考を切り替え、胃壁に思いっきり拳を叩き込んだ。胃壁は凹むが、即座に形が元に戻る。今のはコンクリートぐらい破砕できる威力だったのだけれど。
「ふーん、さすが強いねー。殺る気出てきたよ!」
 透乃は凶悪に口角をつり上げた。


「一流斉さーん! どこー? いたら返事してー!」
 奈月は大声で呼ばわりながら体内を捜索した。
「あれ!? 誰かいるんですか!?」
 そんな声がして、優希が臓器の奥から走ってくる。奈月は久しぶりに人に会った気がしてホッとした。
「一流斉さんを捜してるの。いなかった?」
「いいえ。麺屋さんはいないし、仲間のところには戻れないし。散々です……」
 優希はしょげ返っていた。
「だったら一緒に捜そうよ。二人の方が安全だしね」
「はい!」
 奈月と優希はやわらかい臓器の内壁を踏んで進む。
「一流斉さーん!」
「麺屋さーん!」
 必死に呼んでいると、どこからか弱々しい声が漏れる。
「ここ……じゃ……」
 二人は足を止めた。声は内壁の向こうから聞こえていた。内壁には放射状の皺が寄っており、よく見るとそれは皺というより出入り口のようにも見える。
 二人は出入り口をこじ開け、隣の臓器に踏み込んだ。そこにはガタイのいい初老の男性が仰向けに寝そべっていた。横には大剣が置いてある。男性の顔はやつれきっており、顎は無精髭だらけだった。
「大丈夫!? 麺屋一流斉さん!? 一流斉さんだよね!?」
 奈月が駆け寄ってかたわらにしゃがみ込むと、男性は目だけを奈月に向けた。
「ああ、わしが一流斉じゃ。助けが来たかと思ったが……、こんな可愛い看護婦さんが地獄に現れるとは、そろそろわしの頭もおしまいかのう……」
「看護婦じゃないよ。僕、男の子だし」
「こんな可愛い子が女の子のはずがないのじゃ……」
 一流斉は錯乱しているのか、わけの分からないことをぶつぶつとつぶやく。肩から胸にかけて深い牙の跡があり、布で一応の止血はしてあるものの血がにじみ出していた。どうやら豪食竜との戦いで深傷を負ったせいで、脱出する体力が失われてしまったらしい。
「ちょっと待っててください。すぐに治します」
 優希は傷の上に手を差し伸べた。瞬く間に傷口が塞がっていく。
 治療が済むと、一流斉は深々と息を吐いて起き上がった。ちょっとふらつく一流斉の体を、奈月が慌てて支えるが、体格が違いすぎて押し潰されそうになる。
「きゅ、急に動いちゃ駄目だよ!」
「いや、もう問題ない。ありがとな、嬢ちゃんに、嬢ちゃん? 外に出たらなんでも礼をするからのう」
 一流斉は大剣を拾い上げ、豪快に笑った。
 優希はジャーナリストの顔で一流斉に尋ねる。
「今回の食材でどういうラーメンを作るおつもりですか?」
「究極の一杯じゃ。馳走してやろう」
「はい。それと、私は『六本木通信社』というところで働いているのですが、できれば取材をさせていただければと」
「おうおう、なんでも訊けばよい。じゃがまずは、脱出じゃな」
 一流斉は大剣を肩に乗せて歩き出す。頼もしい味方を得た奈月と優希は、戦うラーメン屋さんに遅れないよう早足でついていった。


「やっと見つけました! こんなところにいたんですね!」
 優希はミラベルと麗華を発見して駆け寄った。
「申し訳ございません、優希様。わたくしとしたことが、主の姿を見失うとは……」
 ミラベルは優希の前にひざまずく。
 優希と同行していた奈月が、一流斉の顔を見上げた。
「ここ、どこなのかな? どうやったら外に出られるの?」
「分からぬ! わしはほれあの通り、ずっと伏せっておったでな!」
 一流斉はムキムキの腕を組んで自慢げに言い放った。
「そっちも迷ってたのか?」
 麗華に問われ、奈月も問い返す。
「そっちも、ってことは、そっちも?」
 ミラベルたちと一緒に行動していた透乃が口を尖らせる。
「もー困ったもんだよー。誰かマッピングしてくれてれば良かったのにさー、変わった素材を探してたら、いつの間にか迷っちゃってさー」
「臓器を攻撃して吐き出させようとしても、ドラゴンは苦しんでる様子もありませんの」
 ミラベルが肩を落とした。
 つまり結局、ここにいる奈月、優希、ミラベル、麗華、透乃、一流斉の六人全員が迷子になってしまったらしい。一同は弱り果てて周囲を見回した。
 妙に暑い臓器の内部だ。真っ赤な壁からは所々に穴が空いて蒸気が噴き出しているし、壁面の赤い粘液はぐつぐつと煮立っている。こんな場所をさまよっていたら、いつ釜ゆでにされてしまうか分からなかった。


 ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)の操縦する小型飛空艇の座席に、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)は同乗していた。
 劣悪な環境にも耐えるエクソスケルトンで完全防備し、二本繋いだ長いザイルを腰に巻き付け、もう片方の端を小型飛空艇に結んでいる。
「準備はいいか? アプローチするぞ」
「ばっちりだよ!」
 ルカルカがVサインを作ると、ダリルは飛空艇を斜めに傾かせて空中の豪食竜に接近した。豪食竜の周りを蠅のように飛び回り、食欲を誘う。
 豪食竜は口を全開にして追いかけてきた。ルカルカは飛空艇の座席に立ち、ジャンプのタイミングを計る。
「行ってきまーす!」
 両腕を差し上げ、海にダイブするときのように豪食竜の口に飛び込んだ。真っ暗な口内ですぐに暗視を使い、状況を確認してダリルにテレパシーで話しかける。
 ――ひゃー、べっちょべちょだよー。
 ――急げ。間合いを取るのが意外と難しい。
 ダリルは小型飛空艇で豪食竜の鼻先を飛び、豪食竜に食われずザイルも切れない距離を保つのに苦心した。
 ルカルカは駆け足で体内を奥へと進む。
 一時間近く放浪してようやく、人の話し声が前方に聞こえてきた。ルカルカは地獄の釜のような臓器に足を踏み入れる。
「また迷子か……」
 一流斉がしかめっ面でルカルカを迎えた。ルカルカは手を振る。
「あ、違う違う! 迎えに来たの!」
「帰り道は分かるんですか?」
 優希が不安と期待の入り混じった眼差しを向けた。
「うん、ほら! 腰にロープ巻いてきたし!」
 ルカルカは自分の腰を指差した。
 迷子一同の顔に安堵が広がる。
「よくやった、嬢ちゃん! お主には特大のラーメンを馳走するからのう!」
 一流斉が約束した。
「ありがと! みんなついてきて!」
 ルカルカはザイルをたどって来た方向へと戻っていく。一流斉たちはその後を駆ける。ルカルカは走りながらポケットから機晶爆弾を取り出した。
「でね、お土産にこの機晶爆弾を残していこうと思うの! さすがに体内で爆発したら豪食竜もデッドエンドでしょ?」
「待て待てい! 殺してどうするのじゃ!」
 目を剥く一流斉。
「そしたらたくさん食材採れるよね?」
「じゃが、それで終わりじゃ! 金の卵を生むガチョウを殺してはならん! 豪食竜ジローから食材が採れなくなったら、わしの店は潰れるぞ!」
「あー、そういえばそっか!」
 ルカルカは機晶爆弾をポケットにしまった。
 彼女に先導され、一同は豪食竜の口まで戻ってきた。ルカルカはテレパシーでダリルに合図する。
 ――ただいま! モヤシお願い!
 ――了解した。
 ダリルは小型飛空艇を操縦しながら、モヤシを背後に放り投げた。
 豪食竜が食べようと口を開き、光が口内に流れ込む。
「今よ!」
 ルカルカは口から飛び降り、空を自力で飛ぶ。
 ミラベルは麗華を背負い、優希に肩を貸しながら口から飛び立った。
 一流斉と透乃はダリルの小型飛空艇に飛び移り、奈月は空飛ぶ箒で飛翔する。
「しっかり掴まっていろ!」
 ダリルは小型飛空艇のアクセルをフルスロットルにし、豪食竜から離れた。一同は散り散りになって山中に逃げ込み、じっと身を潜める。
 豪食竜はしばらく皆を捜していたが、やがて新しい獲物を見つけたらしく飛び去っていった。