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第8章 この春は花のもとにて縄つきぬ


 午後三時ごろ、そろそろフラワーショーのミスコンも終わって、投票が佳境に入る頃のことだ。
 百合園女学院の教育実習生・宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)はパートナーのヴェロニカ・バルトリ(べろにか・ばるとり)と共に、フラワーショーの会場を眼下に歩いていた。
「シャンバラの外を見るのも良いと思い来てみたが……今の世は、どこでも騒ぎは起きるものなのだろうか」
「そんなこともないわよ。それに花盗人はそう深刻でもないし……」
「こういうとき、日本では罪を憎んで人を憎まずというのだったかな?」
 祥子から聞いた諺を思い出しながら、ヴェロニカは歩みを進める。
 せっかくの特別な日にその主となる花を盗まれるのは腹立たしいことではあるが、そんな日であればこそ騒ぎを大きくはしたくないものだ、と思う。
「罰するだけが解決策というわけでもないだろうな」
「そうね、事件を解決するっていうのは、犯人を捕まえるっていう事じゃないわ」
(アナスタシアを見ていると人のやることに貴賎はないのだなと思ってしまうわ。さて、探偵さんのお手並みに期待しながら私は……)
 祥子は頷きながら、向かう先を見た。オークの大樹へまっすぐ伸びた吊り橋は、木のうろの中へと伸びている。
 彼女たちが向かう先、それは族長のドリュアス・ハマドリュアデスのところだった。
「フラワーショーの準備でお忙しいことだと思うけど、少しだけお時間を頂けないでしょうか?
 この特別な1日だけはどんな季節の植物も花を咲かせ実をつけさせることができると聞きました。族長と樹の力をお借りして、その花に種を実らせてもらい、それを分けていただきたいのです」
 門番にそう言うと、彼は族長補佐のところへ案内してくれた。
 族長は滅多なことでは姿を見せないというのだ。落胆を感じたものの話さないよりはと思い、祥子は事情を説明することにした。
「最近この都市で花泥棒が頻発しているのはご存知でしょうか?」
 祥子は、早速花泥棒について分かっていることを簡単に話した。
 事件は小学生くらいの男の子の仕業で、ここ最近の出来事。病院の付近で目撃されていること。
「ふと思い浮かんだのですが、これは少年の大切な人が入院したために、お見舞いにと花を贈るためにやっているのではないでしょうか。
 いえ、根拠はありません。私の思い過ごしかもしれませんが、子供のしたことに騒ぎ過ぎるのもよくありません」
 補佐の守護天使の男性はしばらく黙って聞いていたが、納得したように深々と頷いた。
「ああ、息子が何やらやっているのが見えましたが、あれはそういうことだったのですか」
「当たっていても外れていても花を育てる楽しみと苦労を学ばせる機会になるし、当たっていれば花を贈られた人も悲しまずに済みますから」
「……花の種ならいくらでもあったはずです。盗まれたものでは持ち主の許可も必要でしょうから。予備の種でよければ幾つか持って行って下さい」
 祥子は、丈夫で育てやすいという花の種を小さな紙の袋に小分けにして、アナスタシアの元へ渡しに行った。
「後は探偵さん達のお手並み次第ね」
 パートナーの言葉にヴェロニカは頷き、都市を飾る花に目を向けた。その一つは懐かしい花もあった。彼女の名、髪を飾るヴェロニカの花。
(花になど縁がないと思っていたが……どんな花にも想いがこもるものだな)



 樹上都市の病院は、オークの大樹から少し東に行ったところにある。大樹ほどではないが、この樹木ひとつが病院に使用されており、幹の中と枝の間に診察室と病棟が、幹から太い枝が別れた部分は中庭になっていた。
 白鳥 麗(しらとり・れい)サー アグラヴェイン(さー・あぐらべいん)は、その病院の入り口で張り込みをしていた。
 勿論、目当ては花泥棒の少年である。
「ふうん……都市の病院の周辺で犯人の子供の姿を見かけた……?」
 麗は一人で何やら考え込んでいたが、ある時ぱっと顔を上げた。
「判りましたわ……つまり犯人の少年は……病院の花も手折って盗んでいるというのですわね! これはもう、ギルティ・オブ・ギルティですわ!
 この白鳥麗!そのような悪事を見逃すなどと、思ってもらっては困りますわね!」
 得意げに言い放つその様子は可愛らしいのだが、振り回されるアグラヴェインはたまったものではないようだ。
 言いにくそうに、しかし控えめに。
「お嬢様……僭越ながら、あらゆる面からその推理は間違っているとい言いましょうか……イングリット様よりも暴走の方向がアナスタシア生徒会長様とそっくりでございますな」
 控えめすぎて聞こえていないのだろうか。
「ん? アグラヴェイン? 何かおっしゃいました?」
「いえ。私は何も言っておりません」
「何も言っていない?わたくしの聞き違いかしら……」
 咎められそうになって、アグラヴェインは言わなかったことにした。どうも主人の麗はノリノリで、口を挟まない方が平和的解決なようだった。代わりと言っては何だが、
「ところで、私、少々調べたき事が御座いまして、病院へ行かせていただきたいのですが……。お許しいただき有難うございます」
 恭しく言えば、麗は腕組みをして考えて頷く。
「うーん…そうね、いいですわよ。病院の方に『病院の花を手折るイタズラ少年はきっちりわたくし達が捕まえる』と伝えてくるのですわね!
 よろしい、気が利いていますわ。別行動を許します。病院の方々にもう安心である事をしっかりとお伝えしておきない」
 それはいつもの勘違いだ。あからさまに否定することもなくアグラヴェインは再び恭しく言った。
「それでは私は、病院の看護婦の方などにあの少年を知らないかどうか、そしてあの少年の家族や知り合いが入院していないかどうかを確認させて頂こうと考えております」
「さぁ、それではわたくしは病院で待ち構えて少年を捕まえると致しますわ」
 麗は彼の言葉を聞いているのかいないのか分からない。アグラヴェインを送り出すと、獲物を目を輝かせて待ち構えていた。

 一方中庭では、ミア・マハ(みあ・まは)がのんびりとベンチに座って景色を眺めている。
 木材を渡して作られた院院の中庭には小さな噴水と花壇があり、眺めが良い。もしこれを嫌がる患者がいるとしたら、嗅覚が敏感になっているとか、花粉症の人間だとか、だけだろう。
 憩いの場所になっているのだろう、入院患者らしきパジャマ姿の男女が噴水の縁やベンチに腰掛けたり、散歩したりしている。
(釣りと同じじゃ。警戒したり狙っていると逃げられるものじゃ)
 ミアは景色と、頭上を流れゆく雲を眺めながら静かな心で時を待った。
 そのうち、見舞客のふりをして病室内を歩いて回っていたパートナー・レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)が、早歩きで戻って来た。
「どうじゃった?」
「うん、綺麗な花が飾られた病室はないかって聞いたんだけど、ちょっと不審がられちゃった」
 レキはすとんと腰を下ろすと、ミアと同じように景色を眺める。
「そうか。まだ時間は多少ある、張り込んでいれば見つかるじゃろうて」
 でももう午後四時過ぎてるよ、とレキは腕時計を確認して言った。最終的に戻ってくるならまだいいが、フラワーショーが終わるまでには取り戻したい。
 あのね、とレキはミアに話しかける。
「病院に入院しているお母さんに、子供が綺麗な花を見せてあげたくてやってるんじゃないかって思うよね。お見舞いに鉢植えって良くないものだけど──って、あれ見て」
 庭を眺めていれば、そこから見える窓に例の少年らしき姿があった。
 茶色の髪をした十歳にも満たない少年は、両手に紅白の薔薇を──何の包みもなく二輪抱えて、小走りに渡り廊下を走っている。
「どうしよう、行く?」
 レキに問われ、ミアは首を静かに振ると、ゆっくりと立ち上がった。
「犯人確保の活躍は生徒会長……もしくはワトソン──ととりあえず呼んでおこう──がするものじゃろ。本人もノリノリのようじゃからな」
 ミアたちが向かったのは、病院の入り口だった。
 入口の前には小さな前庭とベンチがあり、麗や他の生徒達が作戦会議をしている。
 アナスタシアたちは会場から薔薇を盗んだ少年を追ってここまでやって来たのだ。
 ミアは勿論、彼女たちは状況を報告し合う。
「そろそろ御用のようじゃな。決め台詞は考えておくのじゃぞ」
「それは考えてもみませんでしたわ。確かに必要ですわね。……そういえば安心したせいかお腹が空いてしまいましたわ」
 そう言ってお腹を軽く抑えるアナスタシアに、レキは丸く膨らんだビニール袋を差し出した。
「張り込みは『あんぱんと牛乳』って決まってるんだよ! はい、アナスタシアさんもどうぞ」
 既にもくもくあんぱんを食べ、牛乳をストローで吸い込みながら、忙しくレキが言う。
「こんな時に食べて大丈夫かしら」
「あんまり根を詰めすぎても良くないですよ。一休みしませんか?」
 生徒会の庶務・七瀬 歩(ななせ・あゆむ)に促されて、アナスタシアはベンチに座った。
 餡子は食べたことがあるが、あんぱんは初めてだ。しかし未知の食べ物に出会った時の戸惑いより好奇心と、そして空腹が勝った。おずおずと口を運べば、彼女は目を丸くする。
「あんぱんの餡子の控えめな甘さとパンのバターの甘み、もったり感を洗い流しつつ包み込む牛乳……この組み合わせは新鮮ですわ」
「あんぱんと牛乳にはちょっとこだわりがあるからね。──さて、休憩も済んだし。アナスタシアさんと……えと、名前知らないけど守護天使さんも一緒に頑張ろうね!
 大人でも子供でも、何が目的があるとしても盗みは盗み。いけない事だって教えなくちゃ」
 捕まえて説教してやらないとね、とレキは張り切っている。
「でも、具体的にどういたしますの? まさか取り囲んで強制的に取り押さえるわけにはいきませんわ」
 歩もあんぱんを食べながら、それに同意する。
「それはこれからみんなで考えましょう。えーとですね、まずは動機からアプローチしてみません?
 たとえば、病院にいる人って、外出大変な人多そうだし、そういう人は外でやってるフラワーショー見れないんじゃないかな。それでお花を持って行ってあげてるとか?……」
「その可能性はありますわよね」
「確か、情報は守護天使の方がまとめてくださってましたよね」
 影の薄い守護天使は頭をかいてぺこりとお辞儀をする。
「あ、守護天使さん初めまして七瀬歩です。見ていいですか?……ってアナスタシアさん一人で行っちゃダメですー!」
 歩は顔を上げると、アナスタシアが一人でどこかに行こうとするのに気が付いて、慌てて呼び止める。アナスタシアはだが平気な顔で、
「私は子供じゃありませんわよ。お花摘みに行くだけですわ」
(と、トイレだったんですか。でも油断できないですよねー)
 つくづく信用がないようだ。
(えーと。それで、もし、お見舞いだったとして、捕まえたら終わりっていうのも違うよね。
 もしそうだったら、そういう中々外出できない人のために病院でちょっと規模小さなフラワーショーを定期的に出来ないかな。綺麗な花を見たら元気でるし……)
 アナスタシアが席を外している間、歩がそんなことを思っていると──空から花が、降ってきた。