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第1章 樹上都市へ


 青。蒼、藍、そして碧。幾つもの青が重ねられた“原色の海”(プライマリー・シー)
 自由交易都市ヴォルロスを海の中央に見て東に船首を向ければ、波間に突如として緑が鮮やかに現れる。
 陸地ではなく海中から伸びた──世界樹には遠く及ばないが、それでも巨大な──それこそビルがすっぽりと収まりそうな大樹を中心とした木々は、まさに海上の森林だった。無人のようにも、何か不思議な生き物が住んでいるようにも思われる。
 だが少し小舟で近づけば分かるだろう、幹を取り囲むように、また枝の間に挟まれたように、その上に乗るように作られた木造の家々とテラス。木々を渡す樹の橋やロープ。枝の間で揺れるハンモックの白い布。幹を取り巻く螺旋階段。海面には桟橋、そして小舟。
 ちらちらと見える、あちこちで咲く花。動く花。花妖精の、頭。天使の翼のはためき。
 ここは樹上都市。人が木々と共に生活をする場だった。
 住民は物言わぬ樹木のように静かに、風に揺れる梢のようにしなやかに、葉音のように囁き時にざわめき、朝の小鳥のように朗らかにさえずり、そして──時々は大風の日のように、大騒ぎする。
「まだ早い時間なのに、凄い人出だな」
 人の流れに呑まれないよう恋人の手を握りながら、紺色の髪に浅黒い顔の、二十歳前の青年がきょろきょろと辺りを見回す。
 人波よりも手を握られていることに気を取られているのか、赤くなって俯いて、付いていくのは青い髪の少女。
 二人の名は、カイヤーナ、パラミタ内海の珊瑚礁に住むイルカの獣人だった。小さな村出身のため、海を泳ぐことは得意でも沢山の人の間を歩くことは不得意だ。
「しっかり捕まってろよ」
「は、はい。……あ、あのお店、綺麗ですね。あのコサージュ、本当のお花みたいで……もしかして本物、なんでしょうか?」
「海の中じゃ着飾る機会がないからな。記念に買って行こうか。あのピンクのワンピースもきっと似合う」
「ごほんっ」
 背後からのわざとらしい咳に、二人はびくっとして振り向く。
 しかめっ面をしていたのは、ヤーナの父である族長・ハーララ
「全く二人揃って、遊びに来たのではないんだぞ」
「そんなことを言って、お父様だって楽しみにしていらしたでしょう?」
 ハーララの手にある地図には、ふせんが沢山つけられています。
「……楽しんで頂けるなら、それに越したことはありません。ただそれは違うと思いますよ」
 厳しくなる顔のハーララの隣でフェルナン・シャントルイユ(ふぇるなん・しゃんとるいゆ)が僅かに微笑する。
「地球で学んだのですが、水の都ヴェネツィアは、石の街に見えてその下に無数の木の杭を打ち込んで作られているそうですよ。勿論、ヴェネツィアも沈みゆく都として、問題点も指摘されているようですが──この都市には数多の木材とその利用法、見るべき点が多いのです」
ドリュス族の族長にはお目にかかれないが、補佐の守護天使の方が会って下さるそうだ」
 まあお前たちはそんな浮かれた頭では考えられないだろう、とハーララは言ったが、
「話が終わったら何処へでも遊びに行くといい。こんな日に訪れた方が悪かったな」
 広い背には族長としてでなく、娘を嫁にやる父親の哀愁と投げやり感と、それから親心が漂っていた。カイの父親がまだ反対している手前、なかなか会えない二人を遊ばせてやろうという気持ちもあったのだろう。
 勿論、訪問先であるこの都市が多忙な日に訪れたのには、別に理由があった。
(大樹の声と力を最も感じるという、この日。この海域についていくつか確認したいことがありますからね)
 フェルナンは中央にそびえる、オークの大樹を見上げた。
 花々で飾られたその大樹こそが、族長ドリュアス・ハマドリュアデスの居であり、役所であり、この森と、近くの水域を支える力の源であるはずだった。