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悪魔の鏡

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 さて、一方では。
「みんな、今日は集まってくれてありがとー! よろしくねー!」
 ドッペルゲンガー騒ぎに持ちきりの空京の町の一角で、急遽ライブを催している路上アイドルがいた。応援に来てくれたコアなファン達にウィンクして返すのは、イルミンスールの魔法男の娘、想詠 夢悠(おもなが・ゆめちか)だ。
 夢悠(♀)は、ドッペルゲンガーの噂を聞きつけ、パートナーに背中を押されて空京までやってきていた。彼が密かに想いを寄せる薄幸少女雅羅・サンダース三世(まさら・さんだーすざさーど)と、そのニセモノが今回の騒ぎに巻き込まれているらしい。もちろん、放っておく訳には行かなかった。
 雅羅のニセモノは自分が全力で回収する。そのために、かつて取った杵柄である男の娘アイドルに変身してまで、行方を追おうとしていたのだ。
 夢悠(♀)の何が凄いかって、【桃幻水】を飲んで本当に女の子になってしまうところである。並みの男の娘ではこうはいかない。
 夢悠(♀)はその思い切りの良さで、二度ほど雅羅にアタックし、見事玉砕を遂げた。無茶しやがって……。というか、どこぞの書き手にもけしかけた責任がないわけはないのだが、それはさておき。
 彼(彼女?)は、パートナーの想詠 瑠兎子(おもなが・るうね)に化粧を施してもらい、完全な美少女アイドルへと変貌を遂げていた。【アイドル用ハンドマイク】を手に、可愛らしい声で歌い上げる。
 目的はたった一つ。【ファンの集い】のスキルで集まってきたファンたちに、目撃された雅羅のニセモノの情報収集を行ってもらうこと。ファン達の多くは、夢悠(♀)のショートヘアのロリ美少女(13歳!)の魅力に虜になった、ちょっとディープな趣味のお兄さんが多い気がするが、まあ何とかなるだろう。……うん、まあ多分……。
「というわけで、お願いっ!」
 雅羅の特徴を伝えた夢悠(♀)は、ニッコリ微笑んで投げキッスを飛ばす。どっ、とファンが沸いた。
「!?」
 次の瞬間、マイクを手から落としそうになった。
 いつの間にやってきたのだろうか。
 あろうことか、その雅羅・サンダース三世が、ファン達の群れの中に混ざって、じっと夢悠(♀)を見つめていたのだ。
 それは異様な光景だった。ロリ美少女アイドルを見に来た大きなお兄さんのファンたちをかき分けて、最前列までやってくる金髪の美少女、雅羅。どっちがアイドルかわからないほどの存在感に、ファン達もざわりとざわめく。様子を見ていた瑠兎子も想定外のことに驚きを隠せない様子だった。
「か、解散〜!」
 夢悠(♀)は声を裏返らせて叫ぶ。これはヤバイ。どうして彼女がここに……? 確かに雅羅は、今日空京へ遊びに来ているらしいと言う話は聞いていた。だが、どうしてこんな場末の路上に……? もっと他に楽しい場所があるのに。動転していて夢悠(♀)は考えがまとまらないまま、後ずさった。
「もうおしまいなの?」
 ファンたちが散り散りに帰っていく中、すぐ傍まで来た雅羅は夢悠(♀)に尋ねる。
「え、ええ。もう帰らなきゃ……」
 夢悠(♀)は明らかに挙動不審になった。【桃幻水】を飲んで女の子になった夢悠(♀)の姿を雅羅は知っている。正体バレバレだった。
「もう一曲、聴きたいわ」
 ニッコリと微笑みながら雅羅は言う。彼女の意図が図りかねた。
 夢悠(♀)は助けを求めるように辺りを見回す。ファン達はもう去っていって、雅羅の他にはあと一人、野球帽を目深にかぶりサングラスとマスクをつけた金髪の女の子が佇んでいるだけだ。
「ご、ごめん……。雅羅に聞かせることが出来る歌は、ないから……」
「そう……」
 雅羅は寂しそうに微笑んだ。その表情を見るだけで夢悠(♀)の心はズキリと痛む。
「私、悪いことしちゃったかなぁ……」
 雅羅は、夢悠(♀)と触れ合うくらい隣に来ると、すぐ傍の壁に軽く背をもたれかけさせて空を見あげた。
「……ねえ、名も知らぬアイドルさん」
 雅羅はそんな風に話しかけてくる。
「あなた……恋したこと、ある? あるわよね、現在進行形で」
「な、何をいきなり……!?」
「私、ね……。恋したこと、ないの。好きとか嫌いとかじゃなくて、よくわからないのよ、そういうの。今は、まだ……ね。きっと未熟だからなんでしょうね……」
 表情を変えぬまま、雅羅は夢悠(♀)をちらりと見た。
「ぼ、ボク、次の用事があるから……。じゃっ……」
 夢悠(♀)は大慌てで荷物をまとめると、そそくさと立ち去ろうとする。雅羅が近すぎて、これ以上この場にいたら神経がおかしくなりそうだった。
「どうして逃げるの? あなた何も悪くないじゃない。それとも、これ以上傷つくのが怖いの……?」
「……」
 ピタリと夢悠(♀)は足を止める。雅羅は、もう一度ゆっくりとこちらに近寄ってきた。
「私だって、怖いわ。だって、もう傷だらけなんだもの……」
 災厄で、災難で、不運で、凶兆で……雅羅はいつも深い傷を負っている。彼女だってもう傷つきたくない。でも残念ながら、彼女はまだまだ傷をたくさん負うのだ。
 雅羅は、すぐ傍まで来ると硬直した夢悠(♀)の胸に細い指を這わせる。
「……なによ、それくらい。私と付き合うとね、比べ物にならないくらい傷ついて不幸になるのよ」
 彼女はいつも独りだ。皆が気を使ってくれる。仲良くしてくれる。だが、最後の最後、深いところで誰もが彼女から距離を取るのだ。
 誰だって、傷つきたくないから……。
「だから、私……。断ったの……」
 雅羅は、無言で過酷な質問をしていた。13歳の幼い夢悠(♀)に。
 あなたは、私と……、地獄の底まで付き合うつもりはあるのか、と……。言葉だけじゃなく魂ごと、最後まで私の傍にいてくれるのか、と……。
「……」
 夢悠(♀)は耐え切れなくなって、駆け出していた。
「待ちなさい。どうして逃げるのよ!」
 これは瑠兎子。追いかけてきた。
「だからね!」
「!」
 不意に……。全力で走っている真後ろで声がして、夢悠(♀)はゾクリとした。追ってきた瑠兎子の声ではない。
 雅羅は!
 夢悠(♀)を抱きしめるように飛びついてきた。両腕で夢悠(♀)の首に腕を絡ませて身体を密着させ、自分の唇を夢悠(♀)の唇に重ね合わせる。
「……!」
「だから、私を捕まえたかったら、二度や三度で諦めるなって言ってるの! 心中する気で来なさい!」
 唇を離した雅羅は、夢悠(♀)を見つめてニッコリと微笑む。
「……」
 あまりの出来事に、夢悠(♀)はその場にぺたりと座り込んだ。
 走ってきた方をなんとなく呆然と見ると、先ほどまで話していた雅羅が呆気に取られた表情でこちらを見ている。瑠兎子もその場で地蔵になっていた。
 地面に捨てられ転がっている、帽子とマスクとサングラス……。あの……、もう一人残っていた金髪の女の子は、雅羅のニセモノだったらしかった。雅羅の登場に気を取られていて、察するのが遅かったのだ。彼女はずっと話を聞いていたようで、夢悠(♀)の傍から離れると、投げキスをしてきた。
「ありがとう。いい思い出ができたわ」
「こらー! 何やってるのよ、あなた!」
 我に返った本物の雅羅が、ニセモノの雅羅を追いかけて走ってくる。
「グッドラック、夢悠(♀)。素敵な曲を聞かせてくれてありがとう。また、会えるといいわね」
 雅羅は、片手を挙げると彼方へと逃げ去っていった。
「なんて逃げ足の速さなの!? あんなの私じゃないわよ」
 雅羅は、ぷりぷり怒りながらも夢悠(♀)の前で立ち止まった。
 まだ唇の感触の残っている夢悠(♀)を、少しだけ頬を染めて恥ずかしそうに見て、ふん! と腕を組んでそっぽ向く。
「……私、何も見てなかったから! 別になんとも思ってないんだから、勘違いしないでよね!」
「か、帰ろっか……」
 瑠兎子は、座り込んだままの夢悠(♀)を抱えあげると、よろよろとその場を後にする。
 これ以上ないくらい酷い事件だった。夢悠(♀)は、これからどうするのだろう……。
「……」
 雅羅は夢悠(♀)と瑠兎子が見えなくなるまで、ぞの場に佇んでいた。
 そろり……と、自分の唇を指で撫でる。
「そっか……キス……しちゃったの、か……」
 雅羅は身を翻すと、振り返ることなくその場を立ち去る。その表情は、少しだけ楽しそうに笑っていて……。