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【原色の海】アスクレピオスの蛇(第2回/全4回)

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【原色の海】アスクレピオスの蛇(第2回/全4回)

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第1章 海底都市


 シャンバラほどではないにせよ、“原色の海”には幾つかの種族が共存していた。
 ゆる族、花妖精と守護天使、それから各国から訪れた人間はきらきらと輝く海に浮かぶ島に……海と空の青に挟まれた土の茶と植物の緑の中に住んでいた。
 ただアステリアと呼ばれる海の獣人の部族だけは、幾重もの青の中に住んでいた。
 部族の起こりがいつだったかは定かではない。だが彼らが“原色の海”の名を得て、他の部族たちと共存していくことを選んだ時から、他の部族との交流は始まっていた。
 ……人は、水中では呼吸できない。だから彼らは「出入口」を作った。それが先端を海上に突き出した白い塔の存在理由だった。
 契約者と海軍の一行は機晶船から梯子を下ろして塔の内部に入ると、塔をゆっくりと降りて行った。
 硝子のような透明な素材で作られた外壁には螺旋階段が付いており、中央には魔法仕掛けのエレベーターがある。
 空京にあるエレベーターに比べれば随分ゆっくりと降りるように感じたが、これには理由があるという。
「水の底とは気圧が違うからな。水深約10メートル毎に1気圧違うという。これも体に負担がかからないようにするための措置らしい」
 学生の疑問にフランセット・ドゥラクロワ(ふらんせっと・どぅらくろわ)が答えた。
「減圧症という名を聞いたことがないか? ダイバーが潜っている間、高圧下で血液中に窒素が溶け込む。それが海面に浮上し減圧されたことによって気泡になり、息切れや関節痛など不調を引き起こすというものだ。
 といっても、不安がる事は無い。その辺は彼らアステリアの民が心得ている。海面に急浮上したりしなければ問題ない」
 フランセットも、戦闘以外の危険に無暗に学生を晒すつもりはなかった。
 塔の一階に辿り着くと、傭兵に応募した学生や協力者たちに宿を取る。彼らが荷物を整理したり休息している間に全員分の「部族へ入る」ための手続きを行い、人数分と予備の装備を借りたり配布したりした。
 塔は入口であると同時にホテルであり、市役所のような役目があった。といっても他国と違う点は訪れる人数がかなり少ないことで、海の異変もあってか自分たち以外に海上の人間を見かける事は無かった。
 アステリアの都市自体もいわゆる人間の文明とはかなり違った印象だ。最大の相違は水中にあるということだが、岩、貝殻、珊瑚でできた住居はいつか見た人魚の映画や昔話に出てきた竜宮城を思わせるものだった。
 住民自体もそちらの方が泳ぎやすいのか、イルカの姿をしていて、普通のイルカなのか獣人なのか一見して見分けがつきにくい。
 それでも「表通り」、つまり建物が両側に立ち並ぶ道は知的生命体の存在を感じさせる。この道をまっすぐ泳ぐと、前方に白い城が見えてきた。


 フランセットたちが鯨の女王に謁見し、続けて水源のあるという海底洞窟へ向かうための計画を立てている頃のことだ。
 崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)は服に潮の匂いがつかないか気にしていた。勿論、先日のゾンビと悪臭まみれの幽霊船に比べたらかなりマシに違いなかったが、嫌な思い分の「いいこと」であるわけもない。
 彼女は王宮をうろつく許可を得ると、女王に教えてもらった宮廷学者の部屋を訪れていた。埋め合わせをしてもらえればいいのだが。
 その学者の部屋は小さな塔のような形をしていて、一風変わっていた……というのは入口の小部屋は水中故に、石や海草に文字が彫られたり書きつけてあったりしたが、中央の階段を上がると、空気が満たされていたのだ。
 白いひげの老学者は水から顔を出した亜璃珠が挨拶する間もなく、
「挨拶なんぞいいからそこのタオルで全身を拭ってくれ! 全く、湿気湿気しっけ! 地上の書物をろくろく保管できないなんぞ、大いなる損失だと思わんかね?」
 恐らく彼のわがままで設えた部屋だろうに、まだ満足いっていないのか。丁度良い話し相手を見付けたのだろう、一方的に話し始める。
「わしは若いころ人間の世界を旅していたことがあってな──ある世界を俯瞰するにはある世界を飛び出なきゃいかん──海の広さを、地上の広さをしらないでどうやって狭いだの広いだの議論するというのかね。そもそも識字率と教育の重要性をここの連中は軽視しておる……うんたらかんたら」
 気が済むまでしゃべった後、亜璃珠は顔に張り付く髪の水気を拭い終えたところで、彼女の用件を聞いた彼は言った。
「……ふむ、それならしっておるぞ。これこれ、これじゃ」
 乾いた書棚から乾いた本を取り出して広げると、
「そもそも水が生まれるのがナラカからということまでは知っておるのじゃな。
 さてさて水と一緒に濁りは──分かりやすくゴミとしておこう。たとえばじゃ、1リットルの水に1グラムのゴミが混ざっているとして、10リットルなら10グラム、100リットルなら100グラム……」
 それが質問と何の関係があるのか、という亜璃珠の顔に、
「ややこしいんじゃが、これが歴史と関わりがあるのじゃよ。多少のゴミはこれはもう想定内、このパラミタができた時からの決まりごとじゃ。副産物というか、うまく純粋に濾過できなかった川の水みたいなもんでな。
 この“原色の海”の地形はその濁りを散らすに最適になっておるし、住民はそのために協力しているのじゃが、それでも限界があっての、いつかゴミがたまってしまう」
「そのゴミ、ナラカと関係があるのかしら? この前アンデッドと戦ったんだけど、あれには作為的な物が感じられたの。水源から染み出したナラカ由来の何か・何者か、あるいはその影響を受けた誰かが、 今回の騒動の原因じゃないかと思ったんだけど?
 伝承にある異変に、何か強い影響力を持った者、またはナラカからの干渉があったとか……」
 本題に入った亜璃珠に、学者は首を振って、それから頷く。
「水源からナラカからの人物が現れた、という事件は過去に例がない。ナラカに関係はあるのじゃが、そのものではない。今話したこのゴミが、怪物を作る……引き寄せる、いや生み出すと言って良いかの」
 そう言っていた時、階段から水音がした。そこには申し訳なさそうな顔をしたマリカ・メリュジーヌ(まりか・めりゅじーぬ)と、鯨の女王ピューセーテールが顔を出していた。
 アステリアの秘密を探ろうと、姿を隠しピッキングして探索しようとしていたのだが、見つかってしまったらしい。
「申し訳ありません、亜璃珠様……」
「忍び込むのは感心いたしませんが、こちらが今までお話しなかったために、皆さんの不信を招いたようです。……丁度いい機会です。皆さんにお話いたしましょう」
 女王は学者と亜璃珠を促すと、皆の集まっている食堂へと移動した。

「……異変や怪物が定期的に発生するのは、避けられない事態なのです。アステリアは海の異変を“オルフェウスの竪琴”によって感じとり、海底を保全し、汚れがたまらないようにしていました……勿論、外敵が侵入し水源を塞いだり穢したりしないようにも」
 それから、と女王は続ける。
 背も高く女性的な体格の女性だったが、どこからか感じる静かな威圧はむしろその声の中に宿っていた。同じ族長と言っても、弱弱しいイメージのドリュアスとは正反対だ。
「女王はこの怪物と戦い、外に出ないようにする役目を負っています。私の母も、祖母も、そうしてきました。私自身も……」
 人間の姿を取った女王は、軽い布のドレスを身につけていたが、その背中には大きな傷跡が残っていた。
「それが前回の“異変”です。私はこの時力の大部分を失い、次回の異変はもっと後に、私の娘が女王になる頃に起こる筈でした」
「それが水源を守るというお役目なのですね。しかし、ということは、今回の異変はピューセーテール様やアステリア族にとって想定外に早かったということでしょうか」
 フランセットの質問に、学者が頷いた。
「それも大樹に巻き付くほどの力を得たのはどういうわけかとな。何か外的な要因が考えられる。たとえば、死は濁りと相性が良いのじゃ。原因は分っとらんが、死者が海に増える程濁るのは過去の戦いでも示されておる」
 亜璃珠は首を傾げつつ、水にふわふわ浮かぶ肩の髪を後ろにやりつつ、
「そうね、死霊術師やソウルアベレイター(魂の逸脱者)の仕業ってことはないかしら?」
「そやつらなら力を与えることはできるじゃろうな。何らかの儀式なり方法なりがあるのかもしれん」
 そう、たとえば──パラミタの神話と地球の神話には関連性があるという。日本で言えば死者の国……黄泉の国、とはもともと地下にある湧水のことをいうという。また、黄泉の国と同一視されることもある根の国は、海の底にあるとも言われ、罪汚れが押し流されてくる場所でもある。
 フランセットは考え込むと、ぽつりとつぶやいた。
「……蛇、か。アスクレピオスの杖に巻き付いた蛇……」