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リアクション
第7章
「きゃっほーっ♪」
フォン・ユンツト著 『無名祭祀書』(ゆんつとちょ・むめいさいししょ)は家族風呂に勢い良く飛び込んだ。
「わっ、ちょっと妹ちゃん! あんまり乱暴に入らないの!!」
秋月 葵は無名祭祀書を注意したが、本人はどこ吹く風で温泉を泳いでいる。
「えー? いいじゃないですかぁー、どうせ誰もいないんだしー」
犬かきでぱしゃぱしゃと泳ぐ無名祭祀書。その頭の上で、使い魔の猫が一声鳴いた。
「そうそう、せっかくのプライベート温泉じゃ、楽しまねば損ぞ」
フォン・ユンツト著 『無銘祭祀書』(ゆんつとちょ・むめいさいししょ)もまた、別枠で楽しむ気マンマンである。
「ほぅ、ビールに蜂蜜酒、ウィスキーに蒸留酒……何でもあるでピョンね」
無銘祭祀書が用意したありとあらゆるアルコール飲料を眺めて、遊びにやって来たスプリング・スプリングは感嘆の声を上げた。
「ふむ、好きなものを飲むと良いぞ。湯に浸かりながら雪見酒は格別じゃぞ。
主にしては粋な計らいじゃ。どうじゃ、共に飲まんか……イケるクチじゃろ? ――酒を見る目が違う」
「……いいのでピョン?」
スプリングの返答を聞いて、無銘祭祀書はニヤリと笑った。
「もちろんじゃ、一人で飲んでも味気ないからな」
いそいそと酒盛りの準備を始める無銘祭祀書とスプリングを見て、葵は心なしか小さな声で呟いた。
「あ、あの黒子? あたし別に酒盛りに誘ったわけじゃないんだけど……」
だが、その呟きは速やかに却下される。
「温泉など酒飲んで湯に浸かって寝るところじゃろうが。そうやって大人は明日への活力を養うんじゃ。子供にはわからんよ」
振り向きもせずに告げる無銘祭祀書。そこに無名祭祀書が追い討ちのように声を掛けた。
「あー! おねーさま、あたしにも後で甘いっぽいお酒くださいなのですよー!!」
「あ、妹ちゃんまで、ひどい!!」
葵の抗議も無銘祭祀書と無名祭祀書には届かない。家族風呂なのをいいことに好き放題するパートナーたちを前に、葵はため息をついた。
「はぁ……ま、いいか。ゆっくりお湯に浸かって後でお弁当食べよっと……。
お風呂から上がる頃にはスプリングちゃんの酔いも醒めてるだろうし……」
すると、ひとしきり泳いだ無名祭祀書がやって来た。
「ますたー、お背中流しましょうか……ってあれ?」
不思議そうな顔で首をかしげる無名祭祀書に、葵は聞き返した。
「……どうしたの、妹ちゃん?」
「どうして、ますたーだけ水着を着ているのですか?」
「え?」
見ると、確かに葵だけ水着を着ている。家族風呂にパートナーだけとはいえ、やはり裸になるのが恥ずかしかった葵は水着を用意していたのだ。
「えーでもー。どうせ家族だけなんですしー、スプリングさんも裸ですしー」
じりじりと後退する葵。
「えー、というか二人ともどうしてそんな思い切りがいいのー? 水着、着ないのー?」
そこに、いつの間にかやって来ていた少女が口を挟んだ。
「うんまあ、着るも着ないも個人の自由でスノー。強制はできないでスノー」
「ウィンターちゃん!」
「お弁当と聞いてやって来たでスノー」
葵が弁当を作ってきたとどこで聞いたのか、ウィンター・ウィンターがかまくらに遊びに来ていた。
「あ、うん。後で一緒に食べようよ、ねぇウィンターちゃん。水着の着用は自由よね?」
ウィンターの後ろに回りこむように、葵は無名祭祀書と距離を取る。
「もちろんでスノー。自由にするといいでスノー」
ウィンターはきょろきょろと周囲を見渡している。葵のお弁当でも探しているのだろうか。
無銘祭祀書はスプリングと共に温泉に浸かりながら言った。
「温泉に水着なぞ邪道じゃ……それに大事なところは湯煙や謎の光で隠れるから心配無用よ」
「いやいや、隠れてない、隠れてないから!!」
無銘祭祀書は葵の突っ込みを無視して続けた。
「ふむ、左様か。どうじゃ、そなたは飲まぬか?」
杯を向けられたウィンターは、首を横に振って答えた。
「私は子供だから飲めないでスノー、酒の相手はスプリングがいいと思うでスノー」
そのスプリングは、無銘祭祀書が用意した酒を飲んでは悠然と月を眺めていた。子供の外見に反して、さほど酔った様子もない。
「ふぅ……いい気持ちでピョン……葵、ありがとうでピョン」
「スプリングは、基本ザルでスノー」
その横で、無名祭祀書が再び温泉にタイブして、大きな水しぶきをあげた。
ちょっと予想した形とは違ったけれど、と葵は笑った。
「ま……いっか。みんな楽しんでるようだし……私もお風呂入ろっと」
☆
「はぁ……」
混浴の雑踏の中、榊 朝斗もまた月を見上げてくつろいでいた。
というのも、朝斗の左右にはルシェン・グライシスとアイビス・エメラルドが並んで温泉に浸かっているため、ちょっと左右を向きにくい状況なのだ。
「まぁでも、気持ちいいね」
「ええ、そうね」
「うん、不審者もいなくなったことだし」
両側に妖艶な美女とグラマーな機晶姫を揃えての入浴は、純情青年には少々荷が重い状況だ。
自然に真正面か上くらいしか視線を向けることができなくなるワケだが、ふと、朝斗の視線が自分の足元で止まる。
「……タオル……?」
湯船に誰のものだろう、タオルが浮かんでいる。まさかルシェンやアイビスのものだろうか。
だがしかしこの混浴で知らない人も多い中、自分からタオルを手放すとも考えにくい。そう思った朝斗はとりあえず事実を確認するために右を向ことにした。
「ルシェン――?」
するとそこには、ルシェンに良く似た青い髪の12歳くらいの少女が、朝斗と同じように月を見ていた。
「!?」
「なぁに、どうしたの朝斗――?」
その少女が当然のように自分の名を呼ぶことに驚き、次に朝斗は左側を見た。
するとそこには、当然のようにアイビスに良く似た緑の髪の、10歳くらいの少女がくつろいでいるではないか。
「!?」
「なぁに、どうしたのキョロキョロして――?」
その少女も自分の名を呼んだことに、朝斗はある推論を頭の中で立てる。
「まさか!?」
そして最後に、湯船に映り込んだ自分の姿を見た。
やはりそこには、10年くらい前に鏡でよく見た顔があった。
「な、な、な……」
つまるところ、子供になった自分である。
「なによこれーっ!?」
どうやらルシェンもアイビスも自分達に何が起こったか、ようやく認識したようだ。
「あ、そういえばここって……あの騒ぎがあった場所……よね?」
アイビスのメモリに引っかかる出来事があった。
ここカメリアの山は、以前やって来た魔族の宮殿の残骸が埋められている。その時、人間におかしな妄想を植え付ける妙な瘴気を出す機械も埋められたと聞いた気がする。そしてその妄想や無意識下の願望などが、ある程度実現してしまうのだ。
「まだ、浄化されてないんだ……」
朝斗は呟いた。もはや疑う余地もない、事実として今、自分たちは10歳前後の姿になってしまっているのだから。
「あら……朝斗もまぁ、可愛くなっちゃって……」
「いや、アイビスもそう僕と変わらないでしょ、こうなると身長もたいして差がないし」
やはり緑の髪の少女はアイビスで、青い髪の少女はルシェンだったのだ。
「ああーーーっ!!」
「どうしたの、ルシェン!?」
辛うじてタオルを巻き直したルシェンは、自分の荷物を開けてがくりと膝をついた。
「サ、サイズが小さくなったらブカブカで着られないじゃない……!!
せっかく朝斗の……ネコ耳メイドあさにゃんの水着バージョンの写真撮って更新しようと思ってたのに……!!」
「その防水バッグ、ずっと何だろうなって思ってたんだよ!! つか着ないよ、着ないからね!!」
ふと、一瞬の間。
「というか更新って何!? まさかブログとかで公開してるワケじゃないよね!?」
「うん、自分専用データベース」
「それはそれでタチ悪いな!!」
と、思わず叫び声を上げる朝斗に、柔らかく話しかける少女がいた。
「あの……どうかなさいまして?」
その少女はミリィ・フォレストであった。その胸元には黒猫と化した父親、涼介・フォレストが抱かれている。
問答を続ける朝斗とルシェンを横目に、アイビスは答えた。
「ああ、なんでもないのよ……?」
その視線がミリィの顔で止まる。アイビスは、激昂するルシェンをなだめる朝斗に声を掛けた。
「ねぇ朝斗……?」
「え……?」
☆
「……それで、涼介さんがいなくなっちゃったのかい?」
神社の縁側に腰掛けて、朝斗はミリィに聞いた。
「ええ、そうなのです。一緒にお風呂に入っていたはずなのですけれど……」
父親を探しながらも、朝斗達に何らかのトラブルが起こったと見たミリィは、何か力になれることはないかと話しかけたのである。
とはいえ、朝斗達は少し落ち着けば何の問題もなく、逆にミリィが父親を探していると聞いて、とりあえず温泉を後にした。
そして今はカメリアの神社、今夜は旅館として開放されている建物の縁側で一休み中なのである。
そもそも、朝斗達と涼介は元々知り合いだ。少女が探している父親が自分達の知り合いであると判った以上、そのまま放置するはずもなかった。
「一応、お風呂は全部探してみたけど、いなかったもんね」
アイビスは首をかしげる。そもそも、涼介が一緒に旅行に来た娘を放っておくとは考えにくい。
「ええ……わたくしも探したのです。お父様も前後不覚になるほどお酒を飲んでいたわけでもないですし……。
お父様のことですから、心配ないと思うのですけれど……」
「にゃー」
と、黒猫になった涼介は、愛娘の隣で一声鳴いた。
さっさと事態を説明したいと思う気持ちはあるのだが、猫の身体には酒の回りが速すぎるようで、どうにも頭が働かない。
仕方なしに縁側の隅っこでミリィや朝斗達のやりとりを観察しながら、身体が元に戻るのを待っていた。
「ま、それにしても」
と、涼介は朝斗やミリィには聞こえない声で呟く。
「ミリィもいつまでも親離れしない子だと思っていたけど、こうして見るとちゃんとしっかりしているとこもあるんだな。
私がいなくても皆と打ち解けて状況に対応できているし……これならこれから先、何があっても大丈夫、だな……」
ふと視線を動かすと、その一行に近づく少女の姿があった。
「ねぇ、そんなところで何してるの? あっちで飲み物を配ってるよ、一緒に飲まない? お風呂から上がったら水分補給しなきゃ♪」
陽気に話しかけたのは、ノーン・クリスタリアである。
温泉の時間が終わるまでウィンターの手伝いを申し出たノーンは、とりあえず旅館でお風呂上りのお客に飲み物を勧めていたのだった。
「あ、はい。ありがとうございます……では皆さん、よろしければ移動しましょうか?」
ノーンの言葉を受けて、すっと立ち上がるミリィ。
「あ、うん。涼介さん探しはいいのかい?」
あっさりと移動を始めるミリィに、朝斗は訊ねた。
「はい。お父様なら心配いらないと思いますので、わたくしが迷子にならないようにしておきますわ。
この旅館内にいれば、お父様もわたくしを見つけやすいと思いますし」
「――信頼しているのね、お父さんのこと」
その様子を、ルシェンは微笑ましく見つめる。ミリィは当然のように答えた。
「ええ――だって、わたくしのお父様は本当に素敵なんですもの」
まるで、花のような笑顔で。
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