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【特別シナリオ】あの人と過ごす日

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【特別シナリオ】あの人と過ごす日
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マホロバ 未来編――転生Root.X‐001

 ――蒼い空から薄紅色の桜の花びらが舞い降りる。

   どこからか抑揚のない声が聞こえる。


  『死と復活と繁栄は繰り返されます。

  人は永遠には生きられず、また世界も同じです』

  『あなたの命はどこから来ましたか』


卍卍卍



――TOKYO CITY――
 帝東大学医学部付属病院 中央診療棟医師室


「私は春という季節が好きになれない。桜は……嫌だな」

 白衣の青年医師は銀色の窓枠越しにそう語った。
 大学病院の医師室から見える築庭には三千堂(さんぜんどう)という名の講堂があり、その前には大きな桜の樹がある。
 真の年代は不明であるが、桜樹はその講堂の名前にあやかって三千桜(さんぜんざくら)と呼ばれていた。
 桜は今年も見事な花を咲かせている。
「桜の花が嫌いなんて日本人、はじめてみましたよ。正識(せいじ)先生?」
 若い研修医が驚きの声を上げながら、コーヒー入りのタンブラーを手渡す。
「そうかな」
 正識と呼ばれた青年医師はそれを受け取り、窓から視線をはずした。
「嫌いというか、苦手なんだ桜の花びらが。なにかこう……魂ごともっていかれるような気がして」
 正識は、「だから桜の木は、人の集まるところ、自宅に植えると良くないというじゃないか」と、言った。
「それって、大昔の日本人が写真撮ると魂抜かれるって信じてた迷信と同じレベルじゃないですか」
「迷信かね」
「意外です。若き天才医師と評判の先生が、そんな非科学的なことを信じてるなんて」
「非科学的……か」
 研修医は鼻息荒く、「そうです」と頷いた。
「正識先生のオペは科学的根拠と天才的技術に基づいた完璧なものです。一切の無駄もなく、迷いもなく、まさに神業!オペだけじゃない、先生自身が完璧すぎるもの。まだ若いのに技量、知識、容姿……僕も正識先生にお会いする前は、こんな人いるのかと思いました」
「おだてすぎだ。私に取り入っても出世はできないぞ。長老たちに睨まれるだけだ。医局の連中からもな」
「いやあ、事実なのに。世界的な名医たちが匙を投げた難関手術を次々と成功させるなんて奇跡、誰もができることではありませんよ」
 正識は苦笑した。
「私は治しているのではなく、ただ元の姿に戻しているだよ。神に与えれし姿そのままに」
 これは正識の本心だった。
 治療しているという意識ではなく、壊れたもの、歪んだもの、間違ったのもをあるべき姿に修正している――そういった感覚に近い。
 が、彼をリスペクトしているという研修医には、ただの謙遜としか受けとられなかったようだ。
「天才には嫉妬と羨望による孤独がつきものですよ。だからこそ偉業、神の領域なんです」
「……神……」
 正識は息が苦しくなった。
 以前にも、このようなことを言われた気がする。
 子供のころではない。もっと遥か昔に――だ。
「ところで、それは?」
 正識は研修医が持っていた電子カルテに目を留めた。
「ああ、先生指名で診療をお願いしたいって患者さんたちが今日もたくさん来て」
「紹介状なしの外来は受け付けないだろう」
「そういって何度も追い返してるんですけどね、しつこくって。ありゃあ、ファンの人たちですかね。この間もイケメン医師特集って取材がきてましたもんね」
「迷惑な話だ」
 正識はふと銀色の窓の外を見た。
 桜の樹の下に、髪の長い青年と古楽器を携えた青年二人がこちらを見ている。
「誰だ、キミは……」
 そういいかけて、正識は口をつぐんだ。
 二人の姿がない。
「今、そこに人が……」
 もう一度見直したが、やはり誰もいない。
 研修医が隣にやってきて首を横に振った。
「誰もいませんね。正識先生、もうずっと家に帰ってないでしょう。お疲れなんですから、たまにはゆっくり休んでくださいね。これ、僕のほうで処理しておきますから」
 研修医はそういって電子カルテのディスプレイ表示を消す。
 そこには、天 黒龍(てぃえん・へいろん)、そして高 漸麗(がお・じえんり)の名があった。

 ・
 ・
 ・

 中央診療棟三千堂――深夜

 建物から漏れる明かりに照らされ、枝花を浮かび上がる三千桜。
 正識は引寄せられるようにこの場所へ来た。
 自分を知っている何者かが居る、そんな予感があった。
 二つの影が彼を待っていた。
「キミは昼間の……ずっと、私を見ていた……?」
 正識の問いに、二つの影のうち髪の長い青年――天 黒龍(てぃえん・へいろん)が振り向く。
 その緑色の瞳にはうっすらと涙がにじんでいた。
「これは……桜が見せている夢なのか。それとも、私の願いが……?」
 古楽器をもつ盲目の奏者高 漸麗(がお・じえんり)が話しかける。
「黒龍くん、ここは未来の日本のようだね。あれから、マホロバでの最後の噴花からかなり経ってるみたいだけどね。そしてこの人は……蒼の審問官・正識(あおのもんしんかん・せしる……さん」
「キミたちは何をいっているんだ?」
 正識は彼らを睨め付けながら言った。
 この二人に会うのは初めてなはずなのに、正識は彼らを知っている。
 彼らもまた、自分のことを知っているのだと直感的に悟った。
 いいようのない恐怖が、正識を襲った。
「これか……桜のせいか!また!」
 正識は頭上にはらはらと舞い散る桜の花びらを振り払った。
「この季節になると、私はいつも知らないことを思い出す。経験したはずのないことを……私は別の名で呼ばれ……神と呼ばれ……そして何度も……死ぬのだ!」
「落ち着け、正識(せしる)!これは扶桑(ふそう)が見せている夢……いや、現実だ。どちらでもいい、私は貴方に逢いたかった……!」
 黒龍は正識の腕を掴み、胸元に引寄せた。
「桜の世界樹、扶桑が私たちを再び引き逢わせたのだ。それがどんな意味なのかわからないけど、貴方が生きている未来があって……良かった。本当に……」
正識(せしる)……私の名……桜の……世界樹?」
「そうだ、貴方の名だ」
 黒龍は正識の顔を両手で包む。
 かつて、黒龍の腕からすり抜け、夕焼けの雲海へとおちていった彼。
 もう二度と触れることはできないと思っていた。
 涙が止まらなかった。
「もっと、よく見たい。もう一度、貴方とともに生きられることができるのなら……」
 近づく二人の顔。
 黒龍は形の良い唇を重ね、何度も確かめあう。
 現実か夢か、幻か。
 生きていることを、よろこびを。
 その存在そのものを。
「私は貴方とともに……生きたいのに……!」
 黒龍の嗚咽まじりの言葉。
 正識の顔にいつしか涙が伝っていた。

「これが日本、もうひとつのマホロバの未来か。なるほど、俺の想像を遥かに超えている」
「誰だ」
 濡れた顔を起こす正識。
 黒龍たちの傍には、長い髪の長身の男をかたどる桜の塊がある――
「そいつが俺の後世の……瑞穂藩主になった男か?」と、桜の塊は言う。
魁正(かいせい)殿!?」
 黒龍が声を上げ、その言葉に正識が見開く。
 桜の花びらから瑞穂 魁正(みずほ・かいせい)の姿がゆっくりと現われた。
「……かいせい……だと?まさかあの戦国時代に瑞穂の軍神と呼ばれた?」
 瑞穂魁正――かつてマホロバの戦国時代後期、瑞穂国(みずほのくに)を治めていた領主だ。
 天下分け目の合戦に敗れ、後に西国に移封された。
 かつての英傑が言う。
「俺の身体(うつわ)はまだ戦国時代のマホロバにいる。扶桑の天子(てんし)様のお力は偉大と慈悲により、記憶の一部だけをこの時代に運んでもらっている」
 魁正の低い声が桜の花びらから漏れ出た。
「天子様は今もマホロバのために祈っておられよう。そして、俺やお前たちが呼ばれたということは、マホロバの危機が……また【鬼(オニ)】が目覚めたのではあるまいな」
「鬼……鬼城(きじょう)か!?」
 正識ははからずもその鬼一族の名を口にし、愕然とする。
「鬼城……だと?私は今、その名を自分でいったのか……鬼がいるというのか、この日本に」
 動揺する正識。
 漸麗がそっと彼らに知らせた。
「鬼城家の宗家、鬼一族の長――瑞穂魁正率いる西軍を破り、マホロバ幕府の初代将軍鬼城 貞康(きじょう・さだやす)公は、マホロバ暦2681年の扶桑の噴花で、未来の日本に転生したと聞いてるよ。もしや、この時代にいるのでは?」
 黒龍は正識の手を強く握った。
 心なしか彼の鼓動が早く脈打つのを感じる。
「鬼の過ちを正し、義が通る世とするために、俺たちは居る」
 瑞穂の初代藩主である魁正の重く、冷ややかな声が胸に刺さった。
「それが何を意味するか、お前にもわかるか」
 魁正の問いに、正識の蒼い瞳が僅かに動いた。
 黒龍はざわつく心を必死に抑える。
 マホロバ人として生きることを願いながらも生きられなかった男と、マホロバのために自ら苦難を子々孫々まで背負った男の二人の運命を黒龍は間近で見てきたのだ。
「魁正殿、それは何かの知らせなのか?」
「案ずるな。俺は【未来人(お前たち)に出会う前の俺】ではない。正識もそうだろう?瑞穂の後々まで伝えた十字架(ロザリオ)を忘れてはいまいな?」
 魁正は懐から金色に鈍く光るロザリオを引き出した。
 ここに居る皆が見覚えのある。
 それは、藩訓として瑞穂藩主に代々受け継がれていくものだ。
「【藩主たる者、いつの世もマホロバ人として、マホロバの民の為に在れ】――ロザリオが新たな導きを告げようとしている。だが、その前に……我が後世と友のために、この桜の下で杯でも酌み交わすのはどうか。生きている証として、使命を果たす新たな誓いのために」
「果たすべき使命……マホロバ……日本、そして今……私は生きている」
 正識が黒龍の手を強く握り返した。
 漸麗が用意した杯に花びらが一枚浮かんでいる。


 ――どこからか懐かしい声が聞こえてきた。


  『あなた方はまだ生きなければならないのです。

  私をこうして蘇らせてくれたのが証拠。

  人は生き続けたいのだという意思として、確かに受け取りました――』


 蒼い夜空から薄紅色の桜の花びらが舞い降りた。