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●第二幕 第八節 

 光る箒も、ナラカの影響下では出力が弱い。
 神代 明日香(かみしろ・あすか)は仕方なく、連隊の仲間とはぐれたあとは単身、ほぼ徒歩のみで工房内を進んだ。だが寂しくはない、心細くなったりもしない。なぜなら明日香は一人ではなく、魔鎧状態のエイム・ブラッドベリー(えいむ・ぶらっどべりー)と共にあったからだ。
「今度は庭園ですの」
 エイムが言う。
 いくつかの特殊空間を越え二人が足を踏み入れたのは、英国貴族の邸宅のような、緑あふれるガーデンだった。丁寧に剪定された緑の生け垣、咲き乱れるは血の色の薔薇、瀟灑なレストハウスの姿も見える。初夏のような風がそよいでいた。
「不謹慎かもしれませんが綺麗ですぅ……ナラカにもこんな場所があるのですね」
 メイド服で歩く明日香の姿は絵になる。もちろん指にはデスプルーフリング、その効果は、彼女がもともとこの場所の住人であるかのような錯覚を見る者に与えることだろう。
「綺麗ですの……。ところで明日香様、右手に池が見えますの」
「池……は避けていきますぅ」
「ええっ? 進みませんの?」
「はい、そっちらには進みませんよぅ〜」
 泳げない明日香である。単身ということもあるので、無闇に危険に身をさらすわけにはいかない。近くで池を見たがるエイムを引きずるようにしてそこから離れた。(といっても装備状態なので実際に引きずっているわけではないのだが)
 これほど心和む光景でありながら、明日香はどこか緊張している。これらすべてが、自分を惑わす幻覚ではないかとも疑っていた。なぜならこの庭園には、動物の姿がまったくないからだ。池にはカモがいてもよさそうなのに一羽もおらず、空に鳥が飛ぶでもなく、庭園にはつきもののミツバチの羽音もしない。花を眺めても、テントウムシすら見えなかった。死のような沈黙があった。
「……度はまたずいぶんと風光明媚な場所だなぁ。南ちゃん、せっかくだからここでデートしないか?」
「任務中じゃなければ……」
「だから、二人っきりじゃないって言ってるでしょう!!」
 騒がしく男女の声が聞こえていた。身を隠すべきか明日香は惑ったものの、見覚えのある人々だったのでほっとする。三機のパワードスーツ姿、残る一人は生身の少女だ。
「南さん」
「明日香さん」
 同じイルミンスール所属の小山内南だ。これまでの冒険では同行したことこそないものの、同じ学校で同年代、出席する授業も同じものが多いので、このところ明日香と南は親しい間柄にある。先日も一緒にランチをとったばかりだ。
 同行の緋山政敏とも面識はある。
「明日香ちゃんも俺と……」
「『俺と』?」
 カチェアに睨まれて、政敏は表現を変えた。
「俺たちと合流しないか。プラント下層に向かう連隊は一団として行動すべし、って教導団にも言われているしな」
 明日香にも否やはない。
 いくらか緊張感がほぐれてきた……と思いきやリーン・リリィーシアが何かを発見した。
「このへんで休憩を取りたかったけど、そうもいかなくなったようね」
 池の水が溢れかえり、巨大な頭部が出現する。白骨に皮膚が貼り付いたような頭部が。
「屍龍!」
 龍の巨体が出現した。身震いして大量の水を撒き散らしつつ、ブレスを吐くべく息を吸い込む。
「明日香様が池を避けたのは、屍龍の存在を無意識的に察知していたからですのね」
 エイムが感じ入ったように詠嘆した。明日香に自覚はなかったが、その通りかもしれない。
 屍龍の背後では、またあの虚無的な闇が拡がり、庭園の風景を呑み込んでしまっている。
 この人数であの強敵と戦うのは自殺行為だ。このとき、カチェアが走り出た。
「屍龍の目を惹いて囮になります。その間に逃げて! いい加減、除け者にしないで下さい! 私だって……」
 口走りながら刹那、カチェアは政敏を見た。彼に寄り添っているリーンも見えてしまった。
「……ああ、もう!」
 それ以上語る言葉を持たず、カチェアは屍龍の眼前に躍り出るのだった。
 ここで自分が死んだら――カチェアは思った。彼は泣いてくれるだろうか。
 落ち窪んだ眼窩でカチェアを捉えたとき、屍龍は側頭部に激しい一撃を受けた。
「また屍龍の好きにさせて、数時間前の二の舞は御免だ」
 射撃である。国頭武尊の精密射撃である。
「今度は……倒す!」
 武尊の声に押されるようにして、猫井又吉が突撃する。
「『防衛計画』の理念的にも専制的防衛権の行使は許容範囲だろ? いくぜオラ! 舐めんじゃねーぞ、この野郎!!」
 パワードアームで殴りかかれば、奔る雷光四方八方、これぞ『放電実験』、さながら降臨せし雷神だ。
 現れたのはこの二人だけではない。
「まずはその視界を奪う……!」
 鬼院尋人が光術で目くらましを成せば、
「そして足も、奪うとしましょう」
 西条霧神も追う。絶対零度の氷術で、池を凍らせ屍龍をその場に拘束する。そして、
「首が急所、って見立てだったな……」
 呟くと氷の池を駆け、屍龍の膝を蹴って呀雷號が翔ぶ。そして一閃、屍龍の喉笛を真横に切り裂いた。電光石火とはまさにこのこと、尋人、霧神、雷號、流れるような三人の連携には、何人も立ち入る隙はない。
「弾幕で援護しますぅ! 全員、屍龍を標的に戦ってくださいぃ!」
 皇甫伽羅が羽扇を手に指揮を執っていた。道々合流を果たした連隊が到着していたのである。赤羽美央の姿がある。ジークフリート・ベルンハルトは高笑いしつつ攻撃に加わり、音井博季も続いた。樹月刀真のチームも駆けつけてくる。
 屍龍は緑色の息を吐き散らした。これが味方に到達する直前、
「ここは私にお任せくださいませっ!」
 坂崎今宵が飛び出した。両腕を拡げフォースフィールドを展開する。有毒ガスはフォースフィールドを突き抜けたものの、確実に勢いは減じていた。しかも横合いから、真っ赤に燃え上がる火焔放射に押し流されますます弱まる。
「猛毒ガスとて熱風の影響を受けぬはずがないのだ」
 それを成功させたのは白絹セレナ、転経杖を掲げ莞爾と笑った。
 ガスによりダメージを負う者、確かに一人や二人ではなかったが、それでも怯む者は誰一人ない。
 ラルク・クローディスは再び『剛鬼』で鋼の肉体を得、超スピードで屍龍に肉薄している。
「再生能力があるって話だよな。なら、そんなものおっつかねぇ勢いで攻撃しつづけるだけだ!」
 骨だらけの龍の尾が、ラルクの頭部を襲うも彼は、音を超える速度で大きく避け、
「遅いったらありゃしねぇ、圧倒的なスピードで翻弄してやんよ!」
 反撃は拳、ただし、剛鬼によって限界まで高められた怒りの拳だ。たとえるなら流星の礫を喰らったよう。ラルクの一撃は屍龍をよろめかせた。
 劉協は味方の動きに目を配っていた。
(「連隊のほぼ全員が戻った……幸い、不審な行動を取る人はいない。内通者や愉快犯はないのかな……本当にそうだといいけど」)
 特に警戒していた不穏な二人組も、大人しく協力しているようだ。不安を晴らすようにありったけの弾丸を放ち、劉協も屍龍打倒に一助を添えるのである。
 かくて再度集結した連隊は、総力を結集して屍龍を迎え撃った。
 屍龍は確かに強力な敵であり、回復能力によって少々の傷なら瞬時に直してしまうものの、それとておのずと許容量というものがある。常に誰かが氷術をかけ直し、標的を池に固定していたため、最初の遭遇時のような虚無が広がることはない。
 数多くの攻撃が命中し、巨大になった首の裂け目を確認すると、宮本武蔵は九条風天をけしかけた。
「大将、ウダウダやってても仕方ねぇ、そろそろ決めてみねぇか。さっさと潰してさっさと帰って一杯やりたくなってきたんでな!」
「わかりましたセンセー!」
 うちつづく激戦で頬に傷、二の腕にも焼けつくような痛みがあるものの、風天の魂はむしろ、その痛みと傷すら糧として燃え盛っていた。
「首を落とせば、復活はできない筈!」
 跳躍、空中で抜刀するや飛燕のように舞う。狙いはただ一つ……眉間!
「押し込む!」
 剣を両手で握ると、その柄が埋まるまで風天は、これを屍龍の目と目の間に突き刺した。剣を抜かず飛び降りる。
「行くぜ、とっておきの駄目押しだ!」
 政敏がスナイプで正確に、刺さった剣の柄に銃弾を撃ち込んだ。剣はこれで完全に敵の頭蓋に入ってしまう。
 屍龍の首が前方から裂け、がくりと後方に仰け反った。
 だが傷痕は、それでも塞がろうとしている。
「月夜、剣を……」
 黙って看過するつもりは刀真にはなかった。漆髪月夜から光条兵器を受け取ると、
「顕現せよ『黒の剣』」
 裂帛の気合いと共に横薙ぐ。

 ――耳を聾す悲鳴が場を満たした。
 その音はあまりに大きく、プラント上層の枢機卿すらこれを聞いたほどだ。

 地上からというのに、刀真が握る黒の刃は影の如く伸び、屍龍の首を切断していた。
「鬱陶しい……邪魔なんだよ!」
 普段、あまり感情を表にしない刀真だというのに、落ちた首を眺むその瞳(め)は、朱く怒りの光を放っている。首を掻き切るというその最期に、彼はその愛する人……御神楽環菜の死を思い出したのかもしれない。
 屍龍の身はぐずぐずと崩れ、神に見放された世界へと還っていった。