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●第一幕 第三節

 あらかじめ自由行動の許可を得て、志方 綾乃(しかた・あやの)は上層にて情報収集を行っている。蝶のように軽やかに跳躍し、第二層第三層をメインに隠密行動を続けていた。デスプルーフリングを身につけているからこそできる行動だ。
(「目の前で起こった事態を収拾するのも重要ですが、『なぜナラカ化が起きたのか』『どうやれば今後ナラカ化を防げるのか』を調査することも同じくらい重要なことでしょう」)
 これが彼女の考えである。プラントで利用されている技術は、現在の東シャンバラに必要不可欠なもの、それゆえに、本件をモデルケースとして調査する必要を感じたのである。
 綾乃のパートナー、袁紹 本初(えんしょう・ほんしょ)は彼女と同行していない。地上にて綾乃の帰還を待っていた。ナラカの口を眼下に眺めつつ思う。
(「頼むぞ……綾乃よ。いくら同じシャンバラの名を冠する国とはいえ、我ら東シャンバラと、西シャンバラではその目指すものが別、プラントの重要機密を易々と渡すわけにはいかんのじゃ」)
 そもそも、袁紹が時間をかけ教導団と交渉し、『ナラカ化したプラントでもその上層部なら』という条件で探索を認めさせたがゆえ、綾乃は自由行動を許可されているのだ。
「それにしても……」
 しかし綾乃は、軽い失望を味わっていた。トレジャーセンスに引っかかってくるものが少ない。非常事態に備えて、鏖殺寺院は書類やデータ類を残しておかなかったのだろうか。あるいは、ナラカ化の兆候が見られるや否、そうしたものを一気に処分してしまったのだろうか。本来重要データがあるべきPCを探っても、うわべだけの情報しか手に入らないのだ。
 約定を破って下層部に立ち入るという手もある。しかしこの場所以上にナラカ化の混沌が進んでいる下層部では、ますますデータらしいデータは見つかりそうもない。約定破りというリスクを冒してまで進入するのはためらわれた。地上の袁紹が、要所要所でパスワードの類を送ってくれるというのに役立っているとは言い難い。
 それでも、まったくの手ぶらというわけではない。ごくわずかとはいえ、ゴーストイコンに関する未知のデータが見つかった。どうやらゴーストイコンには、知られているものとはまったく別の性能が内蔵されているらしい……。
「聞こえるか、綾乃」
 地上の袁紹から通信が入った。
「ええ」
 応答しながら綾乃は、データを吸い出したコンピュータから入手したばかりのデータを抹消、さらに則天去私を使ってこれを物理的にも破壊し尽くした。
「ヘマをした。すまん」
「どうしたんです?」
「我々の通信……教導団に傍受されておったようじゃ。スクランブルはかけておったが、向こうにもそれを破る名手くらいおった、ということじゃな」
 ハンズフリーマイクで会話しながら、袁紹はゆっくりと両腕を上げた。
 教導団の制服を着た兵たちが、マシンガンを構えて袁紹を取り囲んでいた。
 そのとき、聞き慣れぬ声が通信に割り込んでくる。
「自分は教導団のリュシュトマ少佐だ。本作戦の指揮を任されている。データをすべて渡せとは言わない、ただ、得たものは共有させて欲しい」
 たしかにその名の人物が指揮を執っているとは聞いている。雑音混じりゆえ声から年齢を判別するのは難しいが、いくらか若い印象があった。
「私たち東シャンバラは、事態収拾の要請はしましたが、データ回収の要請は行っていません。故に本プラントのデータに関するいかなる要請も、まずは上に通して下さい」
 綾乃は突っぱねたが、リュシュトマの返答は短い一言だった。
「認識の齟齬があるようだな。これは『要請』ではない」
 わざとらしく激鉄を起こす音が通信に混じる。
 ここで断固拒否することもできよう、まさか本当に袁紹を撃つとは思えない。それこそ東西の緊張を加速させるだけの結果に終わるのは明白だ。これが東西開戦という最悪の結果につながることも予期できる。
 しかし、撃たないという保証も、ない。
「……志方ない(=仕方ない)……ですね。今から袁紹にデータ送信します」
 綾乃は衝突を避けた。
「賢明な判断だ」
 リュシュトマ少佐の声と武器を下ろす音がたてつづけに聞こえ、通信は切れた。

 地上から離れるに連れ、異常の度合いは増す。
「わっ、この部屋、ありとあらゆる場所にちっちゃな文字でびっしり『呪』て書かれてるじゃん! 入るのやめようよ、気持ち悪い……」
 おぞましいものを目にして、セシリア・ライト(せしりあ・らいと)は両腕をさする。両腕? そう、セシリアはデスプルーフリングを装備しており、普段通りの装備なのだ。これはセシリアのみならず、メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)ら一行は全員同じである。
「そうは言ってられませんよぅ〜」
 メイベルはやんわりとたしなめた。
「怪しい場所はむしろこういう場所なんですからー」
 と言うや、果敢にドアを開けて『呪』部屋へ入っていった。
「パワードスーツじゃないからか、なんだかダイレクトに悪意を感じる……」
「だからいいんじゃないですか」
 何かインスピレーションを受けたか、メイベルは部屋の奥、『呪』で埋まった壁に手をやり、そこに隠し扉を発見していた。
「さすがですわね。どうやら……」
 フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)が駆け寄って、扉に剣を差し込み、開けはなった。
「当たり(ビンゴ)のようですわよ」
 隠し扉の裏側には、ぐったりと半死半生となった生存者が六名、確認されたのである。
(「ここに従事していた皆さんは『契約者』なのでしょうか、『シャンバラ人』なのでしょうか、それとも『地球人』なのでしょうか……」)
 純粋に好奇心に駆られ、シャーロット・スターリング(しゃーろっと・すたーりんぐ)は生存者を確認する。
 男性ばかりではなく女性もいるようだ。はっきりとはわからないものの、基本的には契約者かシャンバラ人のようだ。
「ご無事ですか」
 メイベルはすぐに声をかける。幸い、安堵の声とともに返事が返ってきた。いずれも疲労の極みにあるようだが、命に別状はなさそうである。
「しっかりしてね。すぐ、救出用のコンテナを呼ぶから!」
 セシリアがそう言うと、彼らは一斉に生気を取り戻したように見える。
(「喜んでもらえて良かった……パワードスーツ越しで会話するよりもちゃんと顔が見えるほうが、救出される人も安心できると思うのです」)
 メイベルは胸をなで下ろすも、つかの間のことに過ぎなかった。発動中の殺気看破に、激しく引っかかる反応があったのだ。見えない指が髪を、強烈に引っ張るような感覚。襲撃者は、近い。
「あれを」
 剣を抜き放ち、その切っ先でフィリッパは入口を指した。
 四人が入ってきたまさにそのドアをこじ開け、黒いスライムが攻め寄せてきたのだ。一体や二体ではなさそうだ。
「少なくとも救援が来るまでは、耐えなければならないようですね!」
 シャーロットは肩からドアに体当たりし、敵の侵入を押し返す。
「しばし立て籠もって防戦につとめましょう」
 その主張に全員がうなずいた。
「必ずここは守ります! 決して希望を捨てないで下さい!」
 と生存者に約束して、メイベルは後方の隠し扉を閉じる。そして宣言するのだ。
「私たちの使命は、一人でも多くの人を救出すること……ここは絶対に譲れません」
 セシリアもフィリッパも、シャーロットも知っている。
 メイベルが決して、約束を破ったことがないということを。
 そしてもちろんこの時も、たとえ一命を捨てることになろうと、必ずその約束を守る気だということを。

 メイベルたちとは離れた地点だが、ここにも一人、多くの人命を救うことに一命を賭す男がある。
 その名は――甲賀 三郎(こうが・さぶろう)
「動けぬか。構わぬ、近くの救出コンテナを呼びに行かせる故、ここで暫し待つが良い」
 三郎の右手は、最前用いた火術の余韻か、うっすらと熱を帯び白い煙をあげている。彼はこの直前、スライムに襲われている生存者を救ったのである。
 肩で息しながらうずくまる初老の男性は、汚れた作業衣を着ている。工房の技術者だったのだろう。
「感謝する……だが我々を救って良いのか? 我らは……」
「問うなかれ。鏖殺寺院とて同じ人ではないか。助けぬ道理などありもせぬ」
 三郎は多くを語らないが、口調にいささかの偽りの匂いもなかった。救った功を誇ることもなければ、逆に、無為にへりくだることもしない。その堂々としたたたずまいは、昔日の武人を思わせた。
「ゆけ、甲賀ポチ、敵と間違われるな」
 三郎は使い魔に命を下した。近場の救出コンテナを呼びにやったのである。ただこの『ポチ』、ゾンビなのでこの場所では、味方部隊にも敵と誤認されかねない。そこで三郎は目印がわりに、ゾンビに首輪と名札(甲賀ポチ)を与えていた。忠犬ならぬ忠ゾンビは、アンデッドらしからぬ軽妙な足取りで姿を消した。
 その三郎の周囲には、斥候役のゴースト二体がゆっくりと回転している。
 そしてもう一人、三郎にしなだれかかるようにして、ぞっとするほど美しい執事が立っているのである。切れ長の瞳で研究員を見おろして、
(「ふふん、これが鏖殺寺院の研究員? 期待していたほど原理主義者ではないような……」)
 その執事――メフィス・デーヴィー(めふぃす・でーびー)は溜息とも吐息ともつかぬものを吐き出した。
 男装こそしているがメフィスは女性だ。着こなしたスーツの胸元が綺麗に盛り上がっている。
 もっと狂った人物をメフィスは期待していた。三郎が鏖殺寺院に刺激され、心の天秤を悪に傾けてしまうほどに。このような常識的な相手では役不足ではなかろうか。
 しかしその判断はむしろ逆、主義主張をごり押しするような相手ではなかっただけに、
(「鏖殺寺院、彼らの主張にも一度、耳を傾けるべきかもしれん」)
 三郎は心を動かされていたのである。
 そもそも彼は、イコンやそれにまつわるテクノロジーを好まない。ゆえに鏖殺寺院でも、自然崇拝的な傾向のある一派には、軽いシンパシーを感じてもいた。狂ったテロリストであれば話すことはなにもないが、ここで救出を待つ彼のように、まともに話せる相手であれば言葉を交わしてみたくもあった。
 だがそれは『いずれ』の話だ。今は生存者を捜し、救出することだけが三郎の使命である。
「ポチが戻ってきたようだな……我らは行くとするか」
 三郎が行く手を定むと、メフィスも艶然と笑みを浮かべながら従った。
 使命を果たし帰還したらば、団長に工房の閉鎖を進言しよう、と彼は決めている。
(「こんな工房など時空の彼方に滅するが良い。教導団に……人には過ぎたる武力なのだからな」)