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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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 実直、という言葉を擬人化すれば、渋谷警察署副署長山葉一郎の姿になるのではないか。年齢は五十の峠を過ぎたところ、日清日露期の帝国軍人のような立派な髭をたくわえ、時間をかけ几帳面にセットした髪型をしている。誰も見ていないときでもしゃんと背を延ばし、たとえ上からの圧力があっても、非合理なことには絶対に従わない。それは昭和のこの時代ですら、時代遅れといえる男ぶりであった。
 しかし彼とて、生活のために人々が闇市で食料を求めることは黙認していた。そうでなければ、誰もがたちどころに飢えてしまう時代であった。だが最低限の必要を越えたところ、すなわち、賄賂を得て特定の業者に便宜を図ったり、政府筋のあっせんで不正行為を見逃したりということは絶対に認めなかった。
 そんな性分ゆえ彼は煙たがられ、経歴からして本来なら警視総監も射程内にあるところを、一つの署の、しかも署長ではなく副署長という立場に甘んじているのだった。一郎はそのことに不満を抱いてはいない。もともと現場指向であるし、倉多輝彦や音無穣など、同じように志の高い人材が彼の元で育っているのも密かに誇らしく思っていた。

 山葉 加夜(やまは・かや)が渋谷署を訪れたのは、ちょうど一郎が本庁での用件を終えて戻ってきた矢先だった。
「あの……」
 加夜は特に、何か目算があって署に来たわけではなかった。事件の概要を聞いていてもたってもいられなくなり、時間を越えてこの時代に到着した彼女だったが、一日目は荒れ果てた日本の光景に圧倒されるばかりで、身を隠した状態から表に出ることはできずじまいに終わっている。
 二日目に入って方針を改め、このような大がかりな事件なら、警察に情報提供して協力を仰いでもいいのではないかと思い、署の門をくぐったのだ。
 そこで見かけた最初の警官が、山葉一郎だったというだけのことである。
「なにかな、お嬢さん?」
 豊かな髭の警官は、一見、強面だが、優しい口調で問いかけた。
 ――この口調、知ってる。
 直感的に加夜は思った。真面目で頼りがいがあって、なんというか懐の深さを感じさせる口調だ。
 それだけではない。警官の目は、加夜がよく知るある人物……つまり山葉涼司によく似ているのである。
「山葉副署長」
 派出所に戻ります、と敬礼して、一人の警官(音無穣)が出ていくのが見えた。
 加夜は目を輝かせた。やっぱりと思う。『山葉』は決してありふれた苗字ではない。加えてこの口調に目だ。涼司の親戚、おそらくは祖父か曾祖父と思われた。
 いかにも硬骨漢たる様子、それに警察署の副署長という境遇……意外なようで、涼司の先祖らしいという気もする。
 だけどこれだけは譲れない。
 ――でも涼司くんの方がカッコいいです!
 それは、さておき。
 なにやら自失の体となった少女を見て、一郎はいくらか困惑顔をした。
「君、気分でも悪いのか?」
「いえ、ちょっと記憶が……」
 これは、涼司の記憶がよみがえってうっとりしてただけです、くらいの意味で言った言葉だったが、もちろん一郎にそんなことがわかるはずがない。
「何、記憶喪失か!? わかった。君のことはしばらく署で保護しよう」
「え、いや……そういう……」
 言いかけたが加夜は、これで合法的に署内に滞在することができると気がついた。
 襲撃の瞬間までここに残ろう。断片的に襲撃の情報を伝えることもできるはずだ。
「立ちくらみが……」
 昔読んだ、記憶喪失の主人公が自らの正体を求め流浪する小説を、一生懸命加夜は思い出そうとしていた。あの本に書かれたように、記憶喪失を装わなければならない。焦点の合わない目で周囲を見回して、徐々にその小説の人物が、自分に降りてくるのを加夜は感じていた。
「君、大丈夫か?」
 涼司そっくりの目が、自分を気遣わしげに見てくれている。
 演技で言っただけの立ちくらみなのに、演技に入り込むあまり、加夜の頭はふらつきはじめていた。記憶が砂のように、頭からこぼれ落ちていくような気がする。涼司くんのことだけは忘れたくない……けれど……けれどそういえば、自分は誰だろう? ここはどこだろう? 色々なことがあやふやになっている。そういえばその小説の主人公は、皮膚の下にマイクロカプセルを組み込まれた最強クラスの暗殺者だったような気がしてきたが…………そのことも加夜は忘れることにした。